「2時間の使い方」〜ちょっと気になって

年の瀬も詰まり、今年のおおよその予定も終了してホッと。
日経新聞の書籍広告で目に止まって購入していた本に目を通す。

『いつも幸せな人は、2時間の使い方の天才』今井 孝・著

そもそも「なぜ2時間?」「2時間ってどこから割り出したの?」って思いますよね。楽しみの単位は2時間程度ってのが筆者の考え。確かに、コンサートも友達とちょっと一杯飲むのも、読書や趣味の時間も1日の中で2時間前後がバランスがいいように思う。2時間は同感だ。24時間できるだけ頑張って少しでも多くの時間を充実させようと言うのはどだい無理な話。

筆者は「なぜ毎日がイマイチ充実しないのか」という第1章で5つの原因を示しているところが、興味深い。

  1. 「安心を求めすぎる」〜ちょっとでもリスクがあるとやらない→人生つまらないものになる。
  2. 「お金がないので何もできないと思っている」→本当にそこまでお金がかかるのだろうか?
  3. 「やりたいことが大事すぎて温存している」→失敗したくない、行動に移せない。
  4. 「たくさんやった方が充実すると思っている」→本来は1つでも2つでも満足感が得られる
  5. 「他人の目を気にしすぎている」→目立ちたくない、批判されたくない

思いつくことが結構ある。
今一度、シンプルに現状を、考え方を整理してみることにしよう。

『世界の民族 超入門』 山中俊之

「教養を身につけるためには、歴史や宗教と同様に民族を理解せよ」こういうと「仕事とは関係がない」「高尚な趣味の話」と誤解されることがありますが、今日起きている世界の問題のほとんどは民族の問題と何らかの関係があります。紛争、グローバルビジネスの軋轢、格差、人種差別、ナショナリズムの台頭、国家の緊張関係からくる経済摩擦まで、すべては民族について理解しているかいないかで視座が大きく変わってきます。
『世界の民族 超入門』 山中俊之・著 (Prologueより p5)

本書は「民族って何?」というところから始まる。

人種のこと? 国・(国民)国家のこと? 国籍のこと? 言語、文化、宗教は?
と、確かに答えるのは難しい。

民族の定義については様々な定説があり、筆者は名著『民族とナショナリズム』(アーネスト・ゲルナー・著)の「国家と同じように偶然の産物であって、普遍的に必然なものではない」という指摘を引用しつつ、言語、文化、生活習慣、血統など関して、同法仲間意識を持つ集団。『ethnic group=民族』ではないかとの見解を持つ。

「民族」に対して、私たちの身近な話題、会話の中で何気なく使ったり思ったりしている言葉や認識の中にも違和感や錯覚や認識不足であったりすることはよくある。

2019年ラグビーワールドカップでは、異なる人種や民族の異なる選手が集まってチーム・ジャパンとなる。イギリス人と言っても実際はイングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人から成っている。イーロン・マスクは南アフリカとカナダとアメリカの国籍を持っている、さてなに人? など、身近な話題を紹介しながら、考えを進めていく。

また「民族」という言葉から連想するのは、
民族紛争、民族移動、異民族支配、民族浄化、民族主義、多民族国家、支配民族と被支配民族、先住民族と移民
など、人類の悲惨な歴史。そしてそれは現在も民族間紛争、民族の由来する戦争は絶え間なく続いている。

「民族とは?」を問い直すことがより大切な時代に生きている。

アジアから見た世界史

NHKの「3ヶ月でマスターする世界史」(4〜5月)を録画して何度か視聴し、テキストも購入。

この番組の狙いは、「アジアから世界史をひも解くと、新しい視点の世界史が見えてくる」というもの。

確かに、世界史は主にヨーロッパの歴史?と言えるほどだ。四大文明→ギリシャ文明→ローマ帝国→ゲルマン民族の大移動→十字軍→ルネサンス→宗教改革→絶対王政→フランス革命→産業革命→→→
もちろん中国、北南米の歴史も学ぶが、それがどう私たちアジアの歴史と関連づいているのか、学ぶことはわずかだった。そういう見方、考え方を意識しませんでした。(少なくとも私は)

実際、四大文明や世界三大宗教、世界三大発明にいたるまで、すべてがアジアやその近隣で生まれています。(中略)
その事実に注目せずに、世界史を語ることはできませんし、アジア文化を取り入れた西洋の歴史を語ることをもできません。
(4月号)

モンゴル帝国前夜からモンゴル帝国時代、そしてポストモンゴルまでの時代は、史上初めてユーラシア全土がまとまり再び解体して、新しい枠組みに回収されていくという、類を見ないキーポイントであり、世界史の分水嶺でもあります。
(5月号)

ヨーロッパ由来の国際秩序は、20世紀には世界中に広まります。日本はその国際秩序にいち早く順応し、戦後に経済発展を遂げることができました。(中略)
では、現在の国際秩序のなかで、これからの世界はどうなるのか、それとも「帝国」の国家体制へと戻っていくのかーーー。
(6月号)

各号の「はじめに」から抜粋引用。
講師の岡本隆司(早稲田大学教授)の要約を見るだけでも、いかに大切な視点かが判る。

「ローマの繁栄はオリエントの産物」、「寒冷化と民族大移動」、「遊牧国家が群雄割拠するアジア。モンゴル帝国のユーラシア統一」「アジアの異端児・日本はどう動いたか」など、ぜひ知っておくことは、世界史を俯瞰する意味でとても重要であり、とても興味深いところです。

松岡正剛さん逝く

「松岡正剛さんを悼む」田中優子 (神戸新聞 文化欄 2024/09/04)

知の巨人 松岡正剛さんが8月12日に逝去。
ファンとして残念無念。

松岡正剛を知ったのは、私が学生時代の1970年代。
松岡正剛が編集長の雑誌「遊」(編集工学研究所)と出会う。愛読雑誌となる。

「編集工学」とは、松岡正剛が編集長となって、思想・人類文明・日本文化・芸術・メディア・デザインなどあらゆるジャンルの知見を融合し「編集」の仕組みを解き明かし、応用可能な「工学」的手法。
面白い概念・方法論だなといつも関心を持っていました。

『情報の歴史』全450ページ、『千夜千冊 虎の巻』

2度、松岡正剛さんにお会いしたことがある。

1回目は、松岡正剛さんの『千夜千冊』の達成記念の原宿であったパーティで。(2004年7月)

2回目は、象設計集団の建築家/樋口裕康さんの個展(“plan-B” 東京中野区弥生町)での
「樋口裕康×松岡正剛トーク」にて。(2019年12月)

私の自宅の設計者である象設計集団の樋口さんがトーク終了後、私も楽屋に呼んでいただき、樋口裕康さん、松岡正剛さん、そしてそこにはお二人の友人でもある田中泯さんもいらっしゃって談笑しました。なんともビッグな3人に囲まれて夢のような時間でした。

これまでこのブログ” KOH’s VIEW” で紹介した松岡正剛さん関連の記事は、

「SAYO-NARA SAYO-KO」 山口小夜子さんを送る夜(2007/09/19)
『多読術』 松岡正剛    (2009/06/19)
日曜日の散歩~青山~赤坂  (2012/02/05)
『知の編集術』〜 松岡正剛 (2012/02/08)

『「アート」を知ると「世界」が読める』 山中俊之・著

教養としてのアートを身につけるために、ゼロから学ぶ必要はありません。今さら聞けない「教養以前の基礎知識」を、まずは押さえておきましょう。
ビジネスパーソンの視点で「全体像」を把握すると、アートに関する情報が俄然、頭に入ります。
『「アート」を知ると「世界」が読める』 山中俊之・著
(第1部 「理解すると視野が広がる、アートの基本」 より)

山中俊之さんからこの山中さんの著書をいただいた。シェアハウス「江原101」で芸術文化観光専門職大学の学生が開いた「ワインの試飲会」で山中先生と出会いました。ちょうど私の誕生日の直後で、学生たちがサプライズでお祝いをしてくれた勢いで、初対面にも関わらずこの本をプレゼントしていただいた。

山中俊之氏のプロフィールがすごい。

著述家・ファシリテーター。芸術文化観光専門職大学教授。株式会社グローバルダイナミクス取締役。1968年兵庫県西宮市生まれ。東京大学法学部卒業後、1990年外務省入省。エジプト、イギリス、サウジアラビアへ赴任。対中東外交、地球環境問題などを担当する。2024年現在、世界九十七カ国を訪問し、先端企業から貧民街、農村、博物館・美術館を徹底視察。京都芸術大学卒(芸術教養)。ケンブリッジ大学大学院修士(開発学)。高野山大学大学院修士(仏教思想・比較宗教学)。ビジネス・ブレークスルー大学大学院MBA、大阪大学大学院国際公共政策博士。

著書の内容もさることながら、こんなキャリアをお持ちの教授が芸術文化観光専門職大学にいらっしゃるのがとても嬉しい。

内容は、ヨーロッパの歴史、キリスト教的な美意識からだけではなく、イスラム圏、アフリカ、現代のアメリカ、中国、そして日本からの視点で「アート」を解説していく。

本の帯には

  • アートには民族、政治、経済が凝縮されている
  • アートに強くなると”見える景色”が変わる!

まさに「全体像」を知るには、ぜひ一読をお勧めします。

『ジャズピアノ(上)』 マイク・モラスキー・著

実際にほとんどの受講生はジャズをBGM以外に聴いたことのない初心者である。彼らにジャズの歴史を学んでもらいたいことはもちろんだが、何よりジャズ音楽の幅広さと奥深さを感じとってほしい。ただし、そのためには受講生の「ジャズを聴く耳」が肥えてくるように指導する必要がある。だから毎回の講義では数々の録音を聴かせながら、演奏の中で注目してほしい部分をリアルタイムで指摘し、たまには教室においてあるピアノを弾いて説明を加えることもある。大学の講義とは言え、以外にジャズの生演奏に通じる「ライブ感」が醸し出される側面があるわけだ。
(一部略)
要するに、本書はピアニストに重点をおく異色のジャズ史であり、ジャズの「鑑賞本」でもあるわけだ。
『ジャズピアノ(上)』 マイク・モラスキー・著 (序章より)

確かに、この分厚い(364ページある)本、しかもタイトルは至ってシンプルな『ジャズピアノ』。ジャズでピアノで、と何について書いてあるかは理解するが、一体、どのように書いてあるのか想像できない。(ちなみに下巻は426ページ)

と言うことで、冒頭の「序章」を引用しました。

著者はセントルイス出身のジャズファンであり研究者、自身もピアニストという経歴の持ち主。アメリカ各地のジャズ事情、日本にも30年以上滞在し、1970年代のジャズ喫茶にも魅了され、とあるので徐々に著者の素性を知るに連れ、本書の正体が浮かんできました。

上巻では、ラグタイムやビバップ以前のジャズマンにスポットを当てる。アール・ハインズ、テディ・ウィルソン。デューク・エリントン楽団とカウント・ベイシー楽団の比較など。

本書では、代表的アルバム、曲がたくさん紹介されている。しかも、曲の何秒あたりか(例:0:40-1:20、1:35-1:39 などのように)が示してあるので、YouTubeで同じ演奏を検索してその箇所を聴くことができる。

特にアート・テイタムをあまり聴いたことがなかった私にとってはそのピアノスタイルには驚きそのもの。

以下、ナット・キング・コール、セロニアス・モンク、バド・パウエル、アル・ヘイグ、ドド・マルマロサ、ジョン・ルイス、デイブ・ブルーベックへと続く。

『ロジカルダイエット』 清水 忍・著

何キロ落とせるかが大事なのではありません。何をやってやせたかとか、何を食べずにやせたかとかも重要ではありません。
それに短期間でやせたというのも重視すべきではありません。一過性の結果しか出し得ないインスタントなダイエットは、もうダイエットの中から除外してしまったほうがいいでしょう。
では、何が重要なのか。それは、一時的にやせるのではなく、やせた状態を継続して「やせた人間に生まれ変わる」という考えを持っていること。その考え方によって、はじめてやせる努力が報われます。
『ロジカルダイエット』 清水 忍・著

なんて刺激的な指摘だろう。
「BMI基準まで〇〇キロ体重落とそう」「炭水化物を控える」「1日2食でいこう」「野菜・海藻中心の食事にしよう」「毎日体重を測り記録すると痩せる」「有酸素運動や筋トレを習慣化する」、、、、、、、、、、

ダイエットと言うと、すぐに過去に読んだ本が浮かび、やりかけてみて長続きせず挫折した思いが蘇ってくる。(^ ^;;

私が取り組んで唯一成果をあげたのは、食事のカロリー計算をして設定した摂取カロリー内で1日の食事をし、日々の歩数をカウントする。この食と運動の両方を計算し記録をしていく方法。当時の記録ノートを見ると2002/09/01の79.7kgの体重が2003/7/19に70.9kgになっている。10ヶ月で9kgの体重を落とした。まさに理想的なダイエットではないか!

続けていると、ご飯、焼き魚、お肉、卵焼き、豆腐、トースト、ビール、ワインなどなんでも何キロカロリーだか分かるまでになる。そんなに苦痛を感じず実行していたが、一番大変だったのは、毎夜その日の記録をノートに書くことでした。

やがて、2007年にiPhoneが登場して、簡単に記録ができ、万歩計もiPhoneがやってくれるし便利になった。が、なんだかモチベーションが下がっていったように記憶している。デジタルであまりにも便利になると、リアル感(達成感)が薄れていくのだろうか。

美味しい食事、ビールもワインも大好きな私にとってダイエットは身近なテーマなのです。
ゆきつもどりつの繰り返し。

この著書に話を戻します。

「運動はスムーズにやせていくための体の土台づくり。そのもので体重が減る効果は小さい」「食事を管理することが大切」「食べて良いカロリー量の算出方法」など、身体とダイエットの関係を論理的に理解でき、具体的な方法を示しています。

『黒板とワイン』〜もう一つの学び場「三田の家」

私が、そして共に活動する者たちが、来訪者に「三田の家とはどんな所ですか?」と尋ねられる時、私たちは現場にいながら、」いつも答えに窮してしまうのです。立ち尽くしてしまうのです。相手によって、状況によって、さまざまに言葉を変え、意味づけを試みようとするのですが、三田の家は、いつも、指先から空しく零れ落ちていく。やるせなく、「こんなところです」と。その空虚を指し示すことしかできません。
『黒板とワイン』(「三田の家、この豊穣なる空虚」熊倉敬聡・記述) p.4)

「空虚と指し示す」との説明であるが、この章のタイトルにもあるように、むしろ「豊穣なるもの」を感じる「三田の家」。私は、その場を想像しながらこの著書を読み進めたが、浮かび上がるのは、形にとらわれない、目先の目標などないけど、場の存在そのものが目的あるが如く様々な人々が行き交うシーン。

「三田の家」に関わった人たちの共著。他に「不定形」「あわい」「創造的な欠如」というキーワードも登場する。

「不定形」は「場」が単なる区切られた空間ではなく、人々が感じるそこに見出す”すき間”とか”時間”のようなものか。

「あわい」は、それぞれに学生だったり、仕事があったり、肩書きがあったり、家族の位置があったり、でも一人の生活者。入り混じりながら佇む出会いの場。

「創造的な欠如」は、本来あるものがそこにはないこと。住居、カフェ、オフィス、会議室にもなるのに、普段は何もない。無いから創り上げる。創造的であるから何にでもなる場が出現する。

なんて豊穣なのだろうか、と思う。
但馬コネクションシェアハウス「江原101」もそうありたいと思う。
いつも考えている「どんな所なのですか?」の答えを見つけたような気がする。

果たして「三田の家」ってどんな家なのでしょうか。

三田の家LLP(有限責任事業組合)
三田の家

『全ロック史』 西崎 憲・著

一般的な本三冊分ほどの分量になるので気の長い読書になるだろう。あるいは短い旅のようなものになるかもしれない。そして旅が人間を少し変える可能性があるように、本書もあるいはあなたを少し変えるかもしれない。いずれにせよ本書はロックミュージックについて書かれた本であるが、同時にロックミュージックに魅力を覚えたあなたについて書かれた本でもある。
『全ロック史』 西崎 憲・著
(「はじめに」より p10)

500ページの分厚い本。確かに三冊分、いやそれ以上あるのが実感。
夜寝る前にベッドに潜り込んでちょっとずつ読む。
2ヶ月ぐらいかかっただろうか。
睡魔がすぐにやってくる性分となんせ本が重いので。^ ^;;

19世紀後半から20世紀初頭のアメリカの大衆音楽から「旅」は始まる。ロックの始まりに直結したのはブルースとカントリーミュージック。そこに第一次世界大戦前後に黒人たちが南部から北部へ移動し、多数を対象にした路上やクラブでの演奏、電化した楽器を使う。「都市」がロックの萌芽となる。

ロックの最初の形は、ロックンロール。ビル・ヘイリー、チャック・ベイリー、エルビス・プレスリーへと繋がる。

ブルースやロックンロールが1950年代にイギリスへ渡り、1950年代にジョン・レノン(後にビートルズ)、グラハム・ナッシュ(後にホリーズ)、ジミー・ページ(後にレッドツェッペリン)たちがバンドを結成。(まだまだたくさんのロックミュージシャンも)
ここから、ビートルズ、ローリングストーンズ、フーへと繋がる。ギターのエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ページ、、、、(ああ、全盛時代の幕開けですね)

アメリカは1960年代にイギリスから逆輸入のような形で、ボブ・ディラン(エレキギター)、ジミ・ヘンドリックス、ビーチ・ボーイズが活躍。

などなどなど、こんなの書いていたら何百行にもなってしまう。
どうしよう??

私が付箋をつけたところのミュージシャンだけ紹介(名前だけだけど)していきますね。

・グラムロック〜マーク・ボラン(T・レックス)、デヴィッド・ボーイ、ロキシー・ミュージック
・パンクロック〜ニューヨーク・ドールズ、パティ・スミス、セックス・ピストロズ 
・現代音楽〜ジョン・ケージ、シュトックハウゼン、ブーレーズ
・ミニマルミュージック〜テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、ブライアン・イーノ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、マイク・オールドフィールド
・分野不能のバンド(??)〜クィーン
・ヘヴィーメタル〜ヴァンヘイレン、ガンズ・アンド・ローゼズ
ソフトロック〜キャロル・キング、ビリー・ジョエル、エルトン・ジョン、ジャーニー

ロックのジャンルは厳密な分け方は理解していませんので、筆者の著述通り。
後半はジャンルにも、時代とロックの繋がりにも、バンドにも、全ていけない。( ; ; )

ハード・コア、プログレッシブメタル、マッド・チェスター、シューゲイジング、、、まだまだあるある。ジャンル名そのものを初めて目にする。地図のない世界に入り込んだよう。(これが筆者が言う旅でしょうか)

最終番に「ロックと人種・階級・ジェンダー」「ロックと経済」、最後の章は「ロックとは何か」で締めくくられているが『全ロック』を一括りにするのは不可能。

筆者も最後のページで「結論のないのが結論のようなもの」と記述し、認めている。

聴き込んだバンドもいっぱいあるが、全て知っていたわけではないので、紹介されているアルバムで気になったものを聴いてみようと思う。
(今日のブログも何を書きたいのか、伝えたいのか、分からないものになってしまいました。そもそもその混沌がロックですね。)

懐かしの”グロービス”時代

書斎の本棚が本と書類でいっぱい。
いよいよ一部移動しないと新たな本やファイルが収まらなくなってきた。

何を移動するか悩んだ末に、まずはグロービス時代の教材ケース・スタディを移動しよう。
もちろん捨てられない。

2001年〜2005年にビジネス・スクールのグロービス東京校に通う。
この5年間は集中して経営について学ぶ。1992年に先代社長(父)から経営を引き継ぐ。バブル崩壊の厳しい舵取りをしながら、改めて経営の基本を学びたいと言う思いでグロービスに入学。いわゆるMBAの教科を受講する東京通いが始まった。

1ヶ月に最低2回東京へ、と言う生活が始まる。
その2、3年前に借りていたマンションが大いに役立つ。一緒に学ぶのは基本的に大手企業の若手中堅ビジネスマン。名刺交換するとみんな知っている有名企業ばかり。三菱商事、伊藤忠、ゴールドマンサックス、ソニー、リクルート、ベネッセ、沖電気、新日鐵、伊勢丹、資生堂、、、、。特に三菱商事のS君とは、その後家族ぐるみで一緒にイタリア旅行に行ったりと、今でもかけがえのない仲間。毎回クラスが終わると近くの居酒屋でいっぱい飲んで帰ったのが懐かしい。

KOH’s VIEW 「グロービスで学ぶ」 2005/4/21

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 240115_globis-2.jpg

2週間毎にクラスがあり、最終講はレポートを提出して3ヶ月で1教科が終了する。

教材はすべてハーバード・ビジネス・スクールのケース・スタディ。
英語原本もすべて配布されるが、日本語訳のものでクラスは進む。

人生で何かに集中して取り組むことはいくつかあるが、40代のこの時期はこのグロービスにコミット。ケース毎に「あなたがこの会社の社長ならどうする?」と言う形式。ケースを読み、データを読み込み、着目点を決め、実行するための戦略・戦術を練る。週末の土日はほとんどケースと向き合い、結論を導き出し、次回のクラスに臨む。クラスではディベート形式でそれぞれの意見を述べ合う。正解はない。

これはBusiness Strategy(経営戦略)の私の最終回レポート。(思い出いっぱい!)
「英国EMIのスキャナー事業はアメリカにいかに進出すべきか?」と言うケース。

今回の移動は、このケース・スタディの教材とそれに対するレポート。今、久しぶりにパラパラとページを繰って見ると、これだけやったのかと我ながらに驚く。

私にとって有意義に過ごした大切な人生の1ページ。