「星のクライマー」歌碑除幕式にユーミンも

霙(みぞれ)降る植村直己冒険館。
豊岡市出身の冒険家・植村直己さんの没後40年(正確には41年目)記念事業。
ユーミンの歌「星のクライマー」歌碑設置の除幕式。
作詞した松任谷由美さん本人も駆けつけて行われる。

冒険館入口横のアプローチ脇に関係者や招待されたファンや地元の協力者が集まる。パトカーも待機する。

ユーミン直筆の歌詞が書かれた歌碑。

「星のクライマー」作詞:松任谷由美 作曲:REIMY
あなたは冬のクライマー
煌めく下界は蜃気楼
ひきずる足跡を おり風が消してゆくよ

除幕式終了後、記念撮影するユーミン

除幕式では、ユーミンからご挨拶。
「星のクライマー」を作詞した1984年頃のことを思い出しながら。
日本は経済成長の真っ只中、モノは溢れ豊かになるが、自然(Wild Life)に思いを馳せていた。当時の仲間と冒険に憧れていた。今の時代にこそ、そのチャレンジ精神、好奇心が大切だ、とのコメント。

「ふるさとの光」発見プロジェクト〜映像作家/藤原次郎

神戸新聞(3月8日付)
「ふるさとの光」発見プロジェクトの第2弾。舞台は兵庫県朝来市。
写真と記事の提供は、映像作家・写真家の藤原次郎さん。

次郎さんからメッセージが届き、新聞束ねてある中から遡って取り出す。

朝来市出身の次郎さん。
幼い頃の思い出話しのキャプションが面白い。

JR播但線
母に連れられて神戸の祖母宅に行くときは、播但線を利用した。和田山から姫路までは蒸気機関車けん引の鈍行列車、今は伝説となった峠越えトンネル内の「窓閉めの儀式」。2時間かけ姫路に着くと、当時デビューしたてのピカピカの山陽電車のステンレスカーに乗り換え、窓の外にはモノレールが走る未来都市が広がっていた。地中海のような明るい瀬戸内海を見ながら神戸に向かった。
(神戸新聞「ふるさとの光」in 朝来市 JR播但線写真キャプションより)

次郎さんとはもう30年以上になる友人。
但馬学研究会で一緒に活動したり、新築したての自宅を映像記録に残したりと長いお付き合い。元々、建築写真家で解体を余儀なくされた歴史的建造物を撮ったり、日本的なる建築の記録を撮ったり。その作品は海外の映像写真コンテストで金賞を何度も受賞している。現在は、大分県に移住し、しばらく会ってないけど創作活動もますます活発なよう。

友人夫妻の作品展〜但馬ドームギャラリー

神鍋高原は雪。
今冬は2回の「大雪」(昔と比べると普通の降雪ですが)でスキー場も大勢のスキー客で賑わっています。今日はスキーではなくて雪の中の「但馬ドーム」へ。

各種イベントや(今回初めて知りましたが)「センター棟ギャラリー」など文化活動もできる拠点にもなっている。センター棟中央には囲炉裏がある。

ギャラリーで開催されている友人の作品展「吉谷夫妻(絵画)および岡田國次(建物模型)」の鑑賞に来る。友人吉谷くんは、幼稚園・小学校・中学校・高校とずっと一緒の幼なじみ。彼は武蔵野美術大学に行き美術の世界へ。小学生の頃から、授業中に教科書で隠しながらノートに漫画ばかり描いていたの覚えている。高校時代は文化祭や運動会で大看板を描いたり、舞台の大道具を作ったり。

武蔵美で出会って結婚した祐子さんも絵画を学んでいる。佑子さんは12年前にくも膜下出血で突然亡くなり、その遺作の展示会でもありました。そんな二人の個展。

彼女の描いたものをこのように展示されて観るのは初めて。
森に棚田は、おそらく吉谷家の周囲の山野を描いたものだろう。
ロマンチストの祐子さんだったので、物語や伝承を彼女なりにイメージして描いたものかな。

長い付き合いの友人夫妻の絵画をこうして鑑賞するのも感慨深い。

シェアハウス「江原101」卒業生の送別ディナー

いよいよ卒業が近づいて来ました。
2021年4月に開校した「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」(CAT)の1期生が卒業を迎える。1年間の寮生活を終え、2022年夏からシェアハウス「江原101」で生活する4年生7人は、それぞれの次の道へ進んでいく。

卒業のお祝いと将来のチャレンジにエールを送るディナーに招待する。
先日は友人宅で美味しい本場仕込みの中国料理をいただいたが、
今夜はイタリアン。

劇団に入り演劇の道に進む、コンテンポラリーダンスを学び海外も視野に入れる、芸大大学院に進学する、空への夢を描きその第一歩を踏み出す、ワインの会社に進む、地元に残り文化活動を通じて地域づくりに貢献する志を持つ、など前途洋々な若者たち。

江原101の3年間は、地域の人とも交流し愛された学生たち。
いつでも気軽に立ち寄れるシェアハウス。
その道のエキスパート、パーフォーマーとして凱旋公演を(密かに)期待したり。

この1期生たちとの出会いからシェアハウス「江原101」が誕生。
優秀な学生が集まり、大学の中でも注目されている(と聞いた)「江原101」。
この伝統を後輩学生たちが受け継いでいってもらいたいと願っています。

改めて、101の卒業生に感謝とエールを送ります。

舞踏 但馬風土記『千里の放浪』〜豊岡市民プラザ

黄沼前海(きぬさきのうみ)の彼方 夕日が沈まぬよう太陽を追いかけて
風の果てまで翼を広げた 名も持たぬ霊鳥の旅

豊岡市民プラザ公演『舞踏 但馬風土記』シリーズ。今回は10回目の節目ということで、豊岡のシンボル「コウノトリ」をテーマにした作品。

大駱駝艦・田村一行さん率いる大駱駝艦のメンバーと市民舞踏団でコウノトリ復活の物語。両腕をいっぱいに広げた舞、長い火箸(?)を手に餌を啄む仕草、コウノトリの動きを表現していく肉体表現がとても新鮮で面白い。

アフタートークでは、これまでのシリーズの題材「天日槍」「沢庵和尚」「城崎霊場」「竹野平家の落人」「龍宮伝説」「遠坂峠と粟賀神社」などを挙げながら解説。今度は、但馬の民謡などをつなぎ合わせた民話をテーマにしたい、などのアイデアを披露。客席にも面白いネタがあれば教えて欲しいとリクエスト。作品は但馬の人たちと共に作るのを大切にしていきたい、との思い。

ということは、まだまだ来年以降も大駱駝艦・田村一行さんの舞踏が続けて観られるわけだから、今後も楽しみにしたい。

終演後、ホール出口で一行さんにご挨拶。昨年6月の但馬コネクションのお礼とこれからも続けていって欲しいとの思いを伝える。

「八鹿観世能」〜100周年と20周年の記念

この八鹿観世能では、組み立て式の八鹿能舞台を利用することが特徴です。この能舞台は明治43年八鹿村長を勤めたこともある西村荘兵衛氏が、大正13年に初代観世喜之氏の指導を受け妙見山のヒノキで製作したものです。大正12年に竣工したばかりの養父郡公会堂で初めて組み立てられ、能「羽衣」「高砂」が演じられました。
(パンフレット「八鹿能舞台の歴史」より)

能「羽衣」
 シテ・天人  観世喜正
 ワキ・白龍  福王茂十郎

狂言「昆布売」
 シテ・大名  茂山千五郎
 アド・昆布売 茂山逸平

能「土蜘蛛」
 シテ・怪僧、土蜘蛛 田茂井廣道
 ツレ・源頼光    観世喜正
 他

古くより観世流シテ方能楽師、矢来観世家とご縁のあった八鹿村(現・養父市八鹿町)。その始まりは能舞台製作と初演から100年を記念しての公演。そのご縁もあり、矢来観世家は喜之さん、喜正さんが後を引き継ぎ、現在も但馬・丹後に能の指導に毎月来られている。(妻は京丹後市の安養寺に通っている)。

平成の合併により「養父市」になって20周年を記念する公演として「やぶ市民交流広場ホール」で開催される。

「能」を鑑賞するのは、安養寺の蝋燭能と大阪と丹後で4〜5回ぐらいしかなく、なかなか観て楽しむという心境にはならない。ただ、今回のプログラムには「羽衣」と「土蜘蛛」のそれぞれの「あらすじ」と「詞章」が掲載されていて台詞を手元の読みながら舞台の進行を追いかける。邪道の域を出ないけど、少しずつ親しんでいけるようになりたい。

シェアハウスの新旧合同ミーティング

「なんだこりゃあ」と思わないでください。
学生時代ってこんな感じですよね。

シェアハウス「江原101」で卒業を迎える芸術文化観光専門職大学の4年生たちと今度シェアハウスに引っ越してくる後輩学生たちの合同食事会。

後輩たちの年齢も考慮してノンアルコール懇親会。この真面目さがいいですね。と言うことで、私の差し入れもソフトドリンクとスナック菓子。(普段あまり買ったことがないので選択に悩む)

大学ですでに知っている後輩、今夜初めての面会、いろいろあるようですが、そこは同じ大学の学生同士。テーブルを囲ったり、キッチンのシンクの周りに立って話をしたり。シェアハウス江原101のこの部屋は多くの「語りの場」になったと思う。

私の今夜の役割は、新旧の学生たちに「入退居の日取りと段取り」「シェアハウス生活マナーの確認と伝達」なので、サラッと説明。

卒業していく1期生。(シェアハウスにとっても初めての送り出し)
みんなとても優秀な学生たちで、大学でも活発で目立った存在。大学のウェブサイトに掲載されたり、学内で最初の演劇公演を行ったり、サークルを創設したり大活躍。各人もそれぞれコンテンポラリーダンスでU-35の最高の賞を受賞したり、演出、音響、役者として大活躍。
地元にも貢献したり近隣住民との交流も活発でした。

「第二の家」(故郷)と思ってくれているのが嬉しい。将来が楽しみです。

3月から新しく入居する新4年、3年、2年生たちもすでに、照明のプロを目指した活動をしたり、市民プラザでの学生公演の、戯曲、制作、役者として活躍した李、クリエイティブでアクティブな学生たち。

シェアハウス「江原101」での充実した生活とクリエイティブな活動の場として活用していって欲しいと思いながら一足先に帰宅。

ちょこっと「城崎マリンワールド」連休なので

久しぶりに孫たち連れて日和山公園「城崎マリンワールド」へ。

自然水族館「SeeZoo」の大水槽。水深12mで日本一の深さを誇る。
ラムサール条約に登録された地元の「田結湿地」を生きものと共に展示するコーナもあり、地域の生き物や環境について知ることもできてなかなか面白い。
子どもたちも大喜びですが、大人も地元を知る手掛かりにもなって興味津々だ。

あまりにも美しい。
思わず写真バチバチと撮りすぎました。(^ ^;;

いちいち説明ができなくてすみませ〜ん (t_t)
ぜひ行って見て、感動してください。

「山名氏と山名四天王」〜豊岡市立歴史博物館

豊岡市立歴史博物館の企画展「但馬山名氏と山名四天王」に行く。
1/7最終日。^ ^;;

旧・日高町時代(2005年に豊岡市と合併)は「但馬国府・国分寺館」として、当地にあった「国分寺」や「但馬国府跡(祢布ヶ森遺跡)」の資料の展示を行っていました。歴史の時代と場所の範囲が狭いので、全豊岡市の歴史を一望できる博物館があればなあ、と思っていました。そして合併を機に歴史博物館として改称して親しみやすい展示で紹介するようになりました。

前置きはこれぐらいにして。

山名氏と言えば、応仁の乱の西軍総大将の山名宗全(山名持豊)を思い出す。
山名氏は室町時代から戦国時代にかけて但馬守護職を務めた武家一族。全国66ヵ国中11ヵ国で守護職に就いたことから「六分の一殿」とも呼ばれる。

今回の企画展は、末裔の山名祐豊(すけとよ)の戦国時代。解説には、1580年(天正8年)の羽柴秀長の侵攻により山名氏の但馬支配は終わり、四天王の多くは但馬を去るとあります。

「但馬山名氏と山名四天王」とは、室町時代から戦国時代にかけて但馬守護であった山名氏と、その支配を支えた太田垣氏、八木氏、垣屋氏、田結庄氏のことを指す。山名氏の衰退とともに独立色を強め、西に毛利氏、東に織田氏が台頭すると、2派に分かれ抗争を繰り広げる。

四天王と言われる、太田垣氏、八木氏、垣屋氏、田結庄氏は、現在でも但馬各地の城跡などその名残りを訪ねることができる。

こちらも市民としても大変興味深く、貴重なパネルですね。
縄文時代から江戸時代までの遺跡の場所と時代を記号で表している。
古代からの歴史があり、その証を辿ることができるのは凄いことで、とても興味を唆られます。

旧・日高町日高地区を見るだけでも、古墳、奈良・平安、鎌倉〜戦国時代の遺跡が多数ある。江原周辺(右画像)だけとっても奈良時代の但馬国分寺、鎌倉〜戦国の宵田城跡があり、改めて歴史に囲まれていることを感じます。

パネルの地図をそのまま航空写真で見るとこうなる。
蛇行する円山川(江戸時代、江原は船で物資を運ぶ水運の駅)日当たりがよい山の南面にある奈良時代の国分寺跡。地形を上手く活用しながら街が発展していったことが理解できる。

江原の航空写真(右側)では、江原駅、江原河畔劇場なども写る。

旧・日高町日高地区の歴史を空間(地形)軸と時間軸で眺めることができるのがとても面白い。いつも通り過ぎてしまいがちな(?)、身近な博物館に足を運ぶのも大事ですね。
ぜひ、覗いてみてください。

映画『大きな家』〜手渡しのように届けよう

東京の とある児童養護施設。ここでは、死別・病気・虐待・経済的問題など、さまざまな事情で親と離れて暮らす子どもたちと職員が日々を過ごしています。

家族とも他人とも言い切れない、そんなつながりの中で育つ子どもたちの本音と、
彼らを支える眼差しに密着しました。

生きることへの不安。うまく築けない人間関係。変えられないものと、ともに生きていくということ。

ここに映っているのは、特別なものではなく、葛藤しながらもたしかに大人になっていく姿と、それを包んでいる、いつか忘れてしまうような日常の景色です。

この映画を観終わったあとは、彼らだけでなく自分が歩んできた道のりをきっと肯定したくなる。そして、あなたの”ふつう”が少しだけ広がるかもしれません。

配信やパッケージ化は予定しておりませんので、ぜひ劇場でご覧ください。
映画『大きな家』公式サイト Introductionより

豊劇で上映中の映画『大きな家』(1/5、1/10〜1/22)を鑑賞する。

この映画は、昨年末に竹林亮氏のご家族の方からご紹介いただき、合わせてそのPRも頼まれていました。「ご家族」と言うのも竹林さんの妻は養父市八鹿町出身で、ご両親とは面識があったご縁で、という経緯。

上映後のトークで竹林さんからこの映画を作成するきっかけのお話がありました。俳優の斎藤工氏からのオファー。斎藤氏が映画の舞台となった児童養護施設と親交を持つようになり、そこの子どもたちやその日々を多くの人に知ってもらいたいとの思いからドキュメンタリー制作を頼まれたそうだ。(竹林監督『14歳の栞』を観て斎藤氏が白羽の矢を立てる)

7歳から19歳までの子どもたちが被写体となって登場する。その出自や施設に来た経緯はふれずに淡々と施設の職員と共に生活する子どもたちの成長ぶりを記録していく。

映画の後半で登場した子ども一人ひとりに施設や仲間について問うシーンがある。
「施設は家のように感じるが実家ではない」
「俺にとってもみんなは一緒に暮らしている他人」

「思い」と「事実」のはざまで悩みながら答えるシーンが印象的。

親元を離れ社会的養護のもとで暮らす子どもは日本に約42,000人いること、退所後も多くの苦労を抱えて暮らしている人たちがいることも知る機会になりました。

上映後、竹林さんとロビーで少しお話をしましたが、とても誠実な方と言う印象。真面目に社会問題と向き合って作品づくりをされていることを感じる。

竹林さんの奥さんも大手広告会社の編集長をされているそうで、私の会社もお世話になった時期もあるので、また但馬に来られた時には、ゆっくりとお話をしましょうとお話しをしながらお別れをする。

「『大きな家』を観てもらうことが、意識が変わることに直結し、それがどんどん広がっていく。様々な立場の方々に観てもらうことが、子どもたちにとって一番の支援になる」とおっしゃっていました。
子どもたちにとって、暮らしやすい社会をつくるために、まずは本作を応援いただけたら嬉しいです。
ぜひ本作で感じたことを、ハッシュタグ #大きな家 で教えてください。
(Message 「映画館で、手渡しのように届けたい。」 より