『黒板とワイン』〜もう一つの学び場「三田の家」

私が、そして共に活動する者たちが、来訪者に「三田の家とはどんな所ですか?」と尋ねられる時、私たちは現場にいながら、」いつも答えに窮してしまうのです。立ち尽くしてしまうのです。相手によって、状況によって、さまざまに言葉を変え、意味づけを試みようとするのですが、三田の家は、いつも、指先から空しく零れ落ちていく。やるせなく、「こんなところです」と。その空虚を指し示すことしかできません。
『黒板とワイン』(「三田の家、この豊穣なる空虚」熊倉敬聡・記述) p.4)

「空虚と指し示す」との説明であるが、この章のタイトルにもあるように、むしろ「豊穣なるもの」を感じる「三田の家」。私は、その場を想像しながらこの著書を読み進めたが、浮かび上がるのは、形にとらわれない、目先の目標などないけど、場の存在そのものが目的あるが如く様々な人々が行き交うシーン。

「三田の家」に関わった人たちの共著。他に「不定形」「あわい」「創造的な欠如」というキーワードも登場する。

「不定形」は「場」が単なる区切られた空間ではなく、人々が感じるそこに見出す”すき間”とか”時間”のようなものか。

「あわい」は、それぞれに学生だったり、仕事があったり、肩書きがあったり、家族の位置があったり、でも一人の生活者。入り混じりながら佇む出会いの場。

「創造的な欠如」は、本来あるものがそこにはないこと。住居、カフェ、オフィス、会議室にもなるのに、普段は何もない。無いから創り上げる。創造的であるから何にでもなる場が出現する。

なんて豊穣なのだろうか、と思う。
但馬コネクションシェアハウス「江原101」もそうありたいと思う。
いつも考えている「どんな所なのですか?」の答えを見つけたような気がする。

果たして「三田の家」ってどんな家なのでしょうか。

三田の家LLP(有限責任事業組合)
三田の家

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