
多いのか少ないのか。
昔はもっともっと降って、これぐらいの積雪は当たりまえ。
でも
朝目覚めて新雪を見る時に神聖な気持ちになるのは変わらない。

朝はこうだけど、お昼過ぎには溶けてしまう。
ツバキ
多いのか少ないのか。
昔はもっともっと降って、これぐらいの積雪は当たりまえ。
でも
朝目覚めて新雪を見る時に神聖な気持ちになるのは変わらない。
朝はこうだけど、お昼過ぎには溶けてしまう。
日経新聞 文化欄の記事(2025/1/29付)。
ジャズという文字と顔写真が目に入っただけで「茂串さん?!」とすぐに分かる。
(自分でも凄いね、って内心思ってしまった)
東京・高田馬場にあるジャズ喫茶「イントロ」の記事。「1975年開店して50年」というテーマで記事なっている。これには個人的にとても思い入れがある。
私は、まさに1975年の「イントロ」開店日にお店の一番客として行ったのです。大学の授業の帰りに、早稲田大学から高田馬場の駅に向かってブラブラと歩いて向かっている時に、ふとビルの脇にジャズ喫茶「イントロ」の看板が目に入る。これまで見たことなかったので、ジャズ好きの友人と一緒でもあったので地下に降りて入ってみる。真新しいテーブルと椅子に内装。カウンターの背には多数のジャズ・レコード。居るのは店主の茂串邦明さん。「初めまして。ジャズファンです」なって言いながらコーヒーを頼む。(なんでこんなにはっきりと覚えているんだろうと自分でも不思議だ)
当時は、ジャズレコードを掛けているだけで、昼はコーヒー、夜はウィスキー(サントリーホワイト)の水割りをよく飲んだものでした。ここで聴いたレコードは結構私の心に残っている。ケニー・ドリューとニールス・ペデルセンのデュオ、アート・ペッパー、アメリカ西海岸のジャズなど、なぜかよく覚えている。
記事では、毎夜ジャズ・セッションバーと化し、茂串さん自身もいつしかドラムを叩きだしたとある。ジャムセッションにも「絶対手を抜かない。毎曲命がけ」だそうだ。
できるだけ早い機会にまた「イントロ」に行ってみよう。
茂串さんは私のことはおそらく覚えていらっしゃらないとは思うが、ぜひ、会ってみたくなリました。
淡交会但馬支部の幹事会に出席。(会場は豊岡市民プラザ)
今年度より支部長をさせていただくことになり、その最初の幹事会。
会議の冒頭は支部長、副支部長の挨拶から始まるので、これまでも何の話題をお話しよかと悩ましい。しかも、今年からトップバッターなので尚更だ。
話題は、前日に訪ねた舞鶴のお話をしました。
細川幽斎は茶道にも通じていたこと(息子の細川忠興は、利休七哲に数えられる茶人)などと託けながら。両丹支部長さんにもご挨拶したことなど。地方にはそれぞれに掛け替えのない歴史と文化を持っている。それを大切にしたいものですね、といった趣旨で。
3月9日に控えた利休忌(但馬支部総会)の打ち合わせを行なう。
新年度で初めて役員をされる方が多いので、幹事長から年間行事の役割などの説明を丁寧に行なう。
なんとか「楽しい茶の湯」にしていきたい。
(首相の「楽しい日本」ではありませんが)(^_^;)
思い立って、細川幽斎を訪ねて舞鶴へ。
納税協会の関連団体より講演の依頼をいただき舞鶴へ来たことがあるがその一度だけ。地名と場所は分かるが、どんな街なのか海上自衛隊基地があること以外、ほとんど知らないと言っても良い。一度、訪れてみたい近隣の街でした。
歴史、人物のポイント
細川藤孝(幽斎)〜足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉に仕えた安土桃山時代の武将。細川忠興(三斎)の父。和歌、古典、有識故実、音曲、茶道、料理などの学問・芸能を極めた当代屈指の文化人。
田辺籠城〜関ヶ原合戦(1600年)の前哨戦として西軍1万5千人の軍勢が細川氏の領国の丹後を攻める。この時、忠興率いる主力は東軍(徳川家康)の陣にある。幽斎は残された約500人ほどの兵で迎え撃ち、田辺城に籠城。52日間の籠城の折に、幽斎は「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であったため、廃絶を憂慮した後陽成天皇の勅令で包囲が解かれた。
田辺城〜1582年(天正10年)の本能寺の変の後、隠居した細川幽斎が住む城として築かれる。以後、細川→京極→牧野氏の居城として約290年間、領内統治の中心的存在。1873年(明治6年)に廃城され、城郭は解体、堀は埋められた。
心種園〜幽斎の田辺籠城戦の最中に詠んだ和歌「古も今もかはらぬ世の中に心の種を残す言の葉」にちなんで名付けらる。建物も壊され、堀も埋められたが、残る城内の庭園。
今回の訪問で知ったこと、思ったこと。
・信長、秀吉、家康のビッグスリーの時代で細川幽斎・三斎がどのような存在であったか、明智光秀とガラシャ(光秀の娘、三斎の妻)、戦国の世での文化(古今和歌集)伝承。
・舞鶴の地名の由来。元々この辺りの地名は「田辺」であったが、田辺城の別名「舞鶴城」(ぶかくじょう、城郭が鶴が舞っている様であった)から「舞鶴」(まいづる)となった。
・細川家の後、田辺城の城主は京極家になり(1600年)、さらに牧野家になる(1668年)時に、京極家は豊岡に転封(国替え)となる。現在、豊岡には京極家の末裔が住んでいらしゃ李、かつての豊岡藩の藩校「稽古堂」は、市役所の一部(旧市役所の建物)の名称にもなっている。
・明治維新の「廃城令」で取り壊された田辺城。全国で193あった城は一部を残して破壊する。新政府の財政悪化、廃藩置県により維持管理の負担、反抗運動の拠点になる可能性などの理由で壊された。(もっと各地方の城が残っていれば、地方都市の歴史的建造物、市民の拠り所として、文化遺産として絶大な存在価値があっただろうにと思うと残念)
夕闇迫る中、せっかくなので田辺城址の近くの桂林寺(田辺籠城の折に幽斎を支援)、東舞鶴に移動して舞鶴海上自衛隊基地に立ち寄る。
そうそう、もう一つ。
現在、裏千家淡交会両丹支部の支部長をされている雲門寺の住職さんにもご挨拶。
桂林寺さんも雲門寺さんも、大きくて立派な山門、境内で感心する。
地域が持つ歴史の深さがこう言うところにも現れているのだと、納得しながら帰路に着く。
走行距離58300km。
1月29日で購入丸5年経過。
夏に利賀村(富山県)の劇団SCOT(鈴木忠志)の観劇。
京阪神との往復が多かったかな。
奈良、滋賀、鳥取にも。
シンプルなインパネ(計器盤)が気に入っている。
今年も無事故で安全運転を心がけよう。
ドーモ・キニャーナでは毎月、数回の茶道稽古がある。妻が教示しているが「社中」という意識ではなく、自ら「茶の湯を学ぶ」というスタンスで、興味を持つ友人やシェアハウス「江原101」で興味を持つ学生に教えている。みんなすごく熱心で毎回3〜4時間かかる。
私は、今年から裏千家淡交会但馬支部の支部長を務めさせていただくことになり、茶の湯の基本を少し学ぼうと今月から参加する。お点前は15年ほど前に数年習ったことはあるがほぼ初心者。亭主(お点前)よりも「客ぶり」(客の所作)を学びたいと思っています。
当然ながら、茶道は日本の文化。歴史、茶碗・釜などの道具、建築、庭園、お花、お軸など、私にとってハードルは高いですが、少しずつ知識として学び、日常生活にも活かしていきたい。
ドーモ・キニャーナは円山川の畔(ほとり)にあり、川向こうの山から四季折々の野鳥が飛んでくる。野鳥の観察は結構昔から興味がある。但馬の野鳥観察(撮影)の第一人者T君も昔からの友人で彼の影響も大きい。
2階のガラス戸の外。目の前にコロンとした一羽の野鳥が嘴で地面を突いている。写真撮って野鳥フィールドガイドで確認する。
Let It Be : HYPER MUSIC from Lennon & McCartney
高橋アキ : piano
1 Golden Slumbers (武満 徹) 2 Misery (Rashid Kalimullin) 3 Norwegian Wood (Rashid Kalimullin) 4 Monkey Fingers, Velvet Hand (Come Together & Happiness Is A Warm Gun)(Kaija Saariaho) 5 Blue Jay Way (Zygmunt Krauze) 6 Love Me Do (James Tenney) 7 Do You Want To Know A Secret (James Tenney) 8 Let It Be —Asian Tour (三輪真弘) 9 Mother Mary Comes To Me (Let It Be) (柿沼 唯) 10 Snapshot (Hello, Goodbye) (Maarten Altena) 11 Girl (Otto Sidharta) 12 George Took The Wrong Plane (Within You Without You) (Jan Rokus Van Roosendael) 13 I Will (谷川賢作) 14 Yesterday (Johannes Fritsch) 15 Aki 2.2 (坂本龍一)
1992年に録音されたシリーズ最後、4枚目のアルバム。
いずれにせよ高橋アキさんの人望と、彼女に寄せられた厚い信頼によって実にCD四枚分の優しい音楽が生まれたことに感謝したい。もう一度繰り返すが、素晴らしい演奏こそが感動を呼びおこすのである。この中の何曲もがいずれたくさんの人々によって愛され、また弾かれる日がやって来るだろう。
(「ビートルズと高橋アキに対する愛情に溢れた秀れた新しい作品群」原田節
ライナーノートより)
本当にそう思う。高橋アキさんという現代音楽に精通したピアニスト。私は現代音楽の作曲家をほとんど知らない。世界14か国・47人の現代作曲家が、高橋アキさんおオファーに応えてこれだけの個性豊かな作品(編曲)が寄せられるのだから、高橋アキさんの音楽家としての実力と音楽仲間同士の信頼は推して知るべし。
僕が初めてビートルズにみちびかれたのは、ある朝、家の庭で立話をしていた際に、武満徹さんがビートルズのメロディーと和音の美しさをなにか茫然としたような面持でいわれた時からだ。 (中略)
高橋アキさんのピアノは、あれからの武満さんの生涯の時の奥行きをしっかりと受けとめさせるので、僕の感動は複雑な翳りをもおびる。ここにおさめられたすべての曲に、それぞれの作曲家の、ビートルズ経験にかさねて、かれらのいちいちの生涯がきらめくようではないか?それがアキさんのピアノ演奏の特質だと思う。
(「地下を流れるビートルズの川」大江健三郎 ライナーノートより)
得られる音源があれば紹介したいのですが(私が持っているCDから、なんらかの方法でアップも可能かもしれないけれど)、CDは廃盤、YouTube musicにもない。(再録盤はあり)
欧米でも高い評価を受け、廃盤後も根強いファンからのリクエストもあり、2016年に再録音されたアルバムがリリースされていルので、そちらも紹介していきたいと思います。
幼い頃からビートルズが大好きで、ギター弾き語りでカセットテープ(当時)に録音したり。そんなビートルズを今、高橋アキのピアノ演奏を聴いて楽しんでいる。
音楽っていいですね。
待ちに待った楽しい夜がやってきた。
シェアハウス「江原101」に住む芸術文化観光専門職大学の4年生(1期生)7名がいよいよ卒業の春を迎える。就職が内定している、大学院に進む、文化施設の研修生として研鑽に励む、NPOサークルでまちづくり、地元豊岡市に残り起業を目指すなど、進路は様々。3月にはそれぞれ関東、中部、近畿の各地へ引っ越していく。
そんな彼らを励まそう、もっと話をしよう、別れは寂しいよね、と食事に招待してくれたOさん夫妻。これまでシェアハウスで、ドーモ・キニャーナで、彼らの公演観劇でと時間を共に過ごしたO夫妻の粋な計らいに感謝。主役は学生だけど、もちろんオーナーである私もお相伴に預かりました。私も行ける日に予定してねとリクエストしていましたが。(^_-)
中国北京に3年間在住経験のあるOさん。日本のそれなりの本格的中華料理店でも食べられない「本場の味」。超・美味しい!
学生たちもお料理に大満足。
盛り上ったところで、4月以降の進路について、さらに将来の目標などを一人ずつ発表する。優秀で活発な1期生が集まったシェアハウスの学生たち。聞いていてもワクワクしてくる。
なんとか頑張って目標に向かっていって、と祈る。
Oさん夫妻もきっと同じ気持ちで今夜の席をセッテイングしていただいたのでしょう。
心のこもったお料理に感謝!