40年ぶりの法隆寺

社員旅行で訪ねて以来、約40年ぶりの法隆寺。
五重塔と金堂は覚えているが、境内の配置など記憶が薄れている。

五重塔と金堂

閉門まで30分しかない時間に訪ねたので回廊に囲まれた境内しか参拝できないのが残念。夕暮れが迫り、夕陽に照らされてまさに金堂がさらに赤く輝くのが美しい。

夕陽に照らされて赤く染まる五重塔。

版築の壁。
仕上げの塗りが落ちて積み重ねた土が筋状になって現れている。
古きものでも自然素材は美しい。

正岡子規の「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」を口ずさみながら法隆寺を後にする。

法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
tel :0745-75-2555

慈光院〜さつきの庭園と奈良平野の眺望が素晴らしい

境内入口

聚光院(奈良県大和郡山市)を訪ねる。

慈光院(じこういん)は臨済宗大徳寺派の寺院。
石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として建立。1663年(寛文3年)

客殿前は、、平垣にして周囲に大刈込、築山、庭石、まつ、ひのき、かし、つばき、つつじ、さつき等の樹木を配し 石敷道と歩石とは客殿と庭門とを繋ぐ
(入口案内板より)

茅葺き屋根。
入母屋造茅葺屋根の書院。
茨木門は徳川家康の発した一国一城令により取り壊された片桐石州の出生地でもある摂津茨木城の楼門をもらい受けたもの。屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えている。

白砂とサツキの大刈込みの庭園。
大和平野を一望できる借景を書院から東を眺める。

茶室(高林庵)は重要文化財となっている。
片桐石州好みの二畳台目の席。
床前を点前座とした亭主床の構えをとる。

この築山には圧倒される。
サツキやツツジが入り混じる。抹茶をいただきながら住職のお話を聞く。
鳥が種を運んできた実生(みしょう)の木も混じっているそうだ。

慈光院
奈良県大和郡山市小泉町865
tel:0743-53-3004

ならまち散策

奈良市観光センター NARANICLE

JR奈良駅近くのホテルから出発し、三条通りを興福寺方面に散策。
近鉄奈良駅への交差点の角にある奈良市観光センター「NARANICLE」(ナラニクル)。ネーミングがいいですね。

実は到着した前日の夜は夕食難民に。開店時間を少し過ぎた時間帯であったこともあり、居酒屋やカフェバーはどこも一番客が入った直後で満席。待ち時間も長い。歩き回った末に入ったのはこの「NARANICLE」の中にある「カフェ・エトランジェ・ナラッド」

実は、このお店がオープンして間もない2018年、グロービスの掘義人さん主宰の「G1関西」に参加した時のパーティ(二次会)会場。レストランのオーナー佐藤裕久氏(株式会社バルニバービ社長)もG1メンバーで同席。楽しい時間を過ごしたので再来できたのは良かった。

猿沢池 興福寺

猿沢池。
興福寺の五重塔は修復中。

もう一つのお目当てはお目当ては、中川政七商店奈良本店のある「鹿猿狐ビルヂング」。
300年続く中川政七商店の創業の地(元・中川家のご自宅)を改装して造られた場所。
店舗、資料館、体験コーナーなどが入っている複合施設。

中川政七商店の商標の「鹿」、猿田彦珈琲の「猿」、すき焼き割烹「㐂つね」から「狐」に因み、そのまま「鹿猿狐ビルヂング」と名付けたセンスが中川さんらしい。

300年の歴史の資料館と体験コーナのある「時蔵」
パネルと屏風でその歴史を辿る。

鹿猿狐ビルヂング
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町22番
近鉄 奈良駅 徒歩7分、JR関西本線 奈良駅 徒歩15分

大和路巡礼とはゆかねども「今井町」に感動

今井まちなみ交流センター「花甍」

2025年の幕開け。日本の始まりを訪ねて神武天皇を祀る橿原神宮へ向かう。
が、初詣の渋滞に巻き込まれて自動車から畝傍山を横目に眺めながら遅々として進まない。自動車道から橿原神宮へ向かう道路も渋滞しているのが見える。

と言うことで、橿原神宮をパスしてもう一つの訪問予定である、すぐ近くの「今井町」の散策に切り替える。

「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている今井町。
その歴史は天文年間(1532〜1555)にこの地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって「称念寺」を中心にした寺内町が建設されたことに発する。

1568年(永禄11年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛以来、本願寺は信長と敵対したが敗れる。今井も本願寺側として信長と戦ったが、1575年に明智光秀を通じて信長に降伏。その時には、今井町出身の茶人・今井宗久(三代茶人の一人)のとりなしもあり和睦に持ち込んだという。

「称念寺」を中心とした寺内町の今井は、江戸時代初期には、東西600m、南北310mの中に戸数1100軒、約4000人が住んでいたと言う。現在は約500軒になったとは言え、ほとんど全ての家は現在も人が住んでいらっしゃる。江戸時代の街並が外観だけでなく、実際に現在も生活されているところがなんとも凄いところです。文字通り「街が生きている」のがよくわかる。

お正月なので、中を見学できるのは「高木家」のみだったのが残念ではあったが、酒造業を営んでいた高木家は約200年前江戸後期のもの。もちろん現在も高木さんが住んでいらっしゃる。

「中澤家」の前に立つ案内板によると、
「豊臣秀吉が吉野へ花見の途中本陣として定められたお茶屋跡」
とある。今井町の当時の繁栄が偲ばれる。

江戸時代の建物が現存するだけではなく、実際に住んでいらっしゃる現役の町屋。
訪ねてみる価値大、お薦めの「今井町」でした。

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを聴きながら

昨夜の新年会で大いに盛り上がり、片付け終えて午後はゆっくりと。

昨日(1/1)に録画していた『シュトラウス生誕200年 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート』(NHK)を聴きながら年賀状や新聞に目を通す。
さすがに年賀状は激減。メールやSNS時代の到来を実感。

今年のニューイヤーコンサートは、指揮は今年83歳になるリッカルド・ムーティ。2018年ウィーンへ行った時のウィーン楽友協会(中には入らず)のロケーションを思い出しながら聴く。

ウィーンフィルのチェロ奏者とは深いご縁があり、彼らを画面の向こうに見るのも大きな楽しみです。

昨年の夏に豊岡のIさん宅でお会いしたへーデンボルク・直樹さん。その時は直樹さんの家族(父、母、奥様、娘たち)にもお会いして会食。子供同士(こちらは私の孫たち)も仲良しに。

シュテファンとは、2002年のチェロコンクール(養父市ビバホール)以来の付き合い。
ウィーンに行った時も彼の家に招待していただきバーベキュー。その時には、同僚のセバスチャン夫妻も一緒で楽しいウィーンのひと時を過ごしました。

その3人が揃ってステージで演奏しているのを観ながら、聴きながらくつろいでいるのってなんとも贅沢な気分。また、次回この3人に会ったら(おそらく別に別にだと思うけど)今のこの気持ちを伝えよう。

2025年元旦

明けましておめでとうございます。
雪のない穏やかな天気で元旦を迎える。

家族揃ってお雑煮をいただく。
炉はちょっとお休みしてもらって、お屠蘇と重箱を並べる。

床には「ヒカゲノカズラ」を飾る。
なかなか手に入らないヒカゲノカズラは、昨年「口切りの茶事」にお呼びした滋賀県の方(妻の知人)から送られてきた貴重な縁起物。

ヒカゲノカズラは「古事記」で語られている。天岩戸にお隠れになった天照大神を外にお出しするきっかけとなった舞を踊るアメノウズメノミコトが身につけていたのがヒカゲノカズラ。関西の「掛蓬莱」というお飾りはヒカゲノカズラをベースにしたもので、長寿を祈願するものとされている。

午後は恒例の新年会。
妻が料理したお節やちらし寿司が並ぶ。
囲炉裏では、みんなでついたお餅を焼きながら。(鶏肉がメイン?)

シェアハウス「江原101」の学生たちや但馬コネクションの仲間やその家族、近所の子供たちも集まって賑やかな新年会。CATの学生たちはこの春に卒業する4年生が中心。それぞれの進路に向かって豊岡を離れていく。でもみんな江原を気に入ってくれているのが嬉しい。

世界は戦争や紛争が続き、悲惨な事件・事故が発生、地球温暖化による自然災害も多発している。そんな現実に直面しながらも、それぞれがそれぞれの目標に向かって突き進めるように祈りながら新年を祝いました。

ありがとう2024年

薪ストーブを眺めながら2024年を振り返る。

1月 能登半島地震、羽田空港JALと海保航空機の地上衝突事故という衝撃的な災害と事故。
5月 おんぷの祭典10回目に11カ国の大使・大使夫人を豊岡に招く
7月 クリストフ・ヘンケル&児嶋一江・高木和弘公開リハーサル(但馬コネクション)
9月 韓国釜山・慶州を訪ねる
11月 ピアノ発表会(Bill Evans “Someday My Prince Will Come”)

世界中で選挙イヤー。1月の台湾総統選挙に始まり、ロシア大統領、11月のアメリカ大統領選挙でトランプ勝利。インドもヨーロッパも議会選挙など目白押し。偽・誤情報で揺れた選挙。民主主義がどうなるのか、その根本から考えさせられる1年。

プライベートでは1年を通じて体調は良かったが、体重減少作戦失敗。目標体重(私が設定した)より5kgオーバーが続く。来年はなんとか達成したい。

今年も新たな出会いや旧交を温める機会もあり、人とのご縁に感謝。

ただ9月に旧友K君が亡くなったのが悔やまれる。日高町と豊岡市と町は別だったけど、小学校から知り合いになり、豊岡高校の3年でやっと同じクラスになった(お互い)腐れ縁の親友。若き日を共に過ごした「いいヤツ」(親しみと愛情を込めて)だった。この場を借りて改めて合掌。

おっと、もうすぐ2025年だ。

年末恒例のお餅つき(学生パワーがすごい)

我が家でずっと続けてきた年末のお餅つき。
シェアハウスのCAT学生も加わって3年目。

今年はご近所の家族も加わって賑やかに。

ひと臼目は、みんなで丸めてお正月のお雑煮に。

みんなでやるとあっという間に丸め完了。

ふた臼目は、山形風「つきたて餅」。

待ち受ける薬味(?)は、

納豆、大根おろし、ずんだ(枝豆をすりつぶして作る緑色のペースト)、
きな粉、胡麻、胡桃、それに鶏肉と白菜、ごぼうの入った温かいお汁。

こちらもあっという間に平らげてしまいました。

今年も家族やご近所さんや学生たちと無事に年末を迎えたことに感謝。

ガラス戸に映った空

はっ? ドキッ!
外階段を登る時に見上げると青空と白い雲。
こんなにくっきりと映るんだ。

壁に囲まれた細い階段の向こうに見えるからより感動的。

今月6回目の茶事は夕暮れに

11月の「口切りの茶事」で始まった我が家の晩秋の茶事。
新茶を収めた「ルソンの壷」が今回の茶事の主役。
妻が亭主となり、ドーモ・キニャーナの個性的な空間を使って、友人を招いて数回行う。

京都からの客、大阪芦屋方面から、鳥取から、と妻が普段親しくお付き合いしている茶の湯仲間に声をかける。さらに、稽古をしている社中の仲間。

今日は、シェアハウスに住んでいる妻に茶を習っている芸術文化観光専門職大学(CAT)の学生が客に。夕方から始まるので「夕ざりの茶事」風にして行う。

カメラの感度のせいで明るく写っているが、辺りはかなり暗くなっている。
学生の客たちはお茶事は初めてなので、待合で少し茶事の流れを説明している。
学生たちは、妻の指導よろしく自分で着付けした着物。

若いから?演劇やっているから?
ともかく、お点前も着付けも覚えが早いと妻は感心している。

今月だけで6回のお茶事も今回が最後。
終わったのは夜の10時過ぎ。
妻の茶の湯好きは半端ない。