お盆の墓参り

今年のお盆は、東京在住の次男家族も帰省してのお墓参り。

1歳の孫を抱っこしながらのお墓参りから家に帰り、古い墓について書いた昨年のブログ『「天明六年」と刻んだお墓を調べると』を読み返す。なかなか感慨深い。

西に沈む夕日に照らされる江原墓地。

円山川左岸の築堤工事に伴い、移転するのかしないのかで揉めた墓地は、結局、移転しないまま築堤。堤防を越えて行ける車道を設けた。

私の少年時代は鬱蒼とした木々に囲まれた墓地。セミ捕りやクワガタなど昆虫採集した墓地周辺だったが、なんだか工事現場の脇にあるような落ち着かない場所になってしまった。

誕生日を冷静に

69歳の誕生日。

70代が迫る歳とも言えるが、この年齢ってこんな感じなんだ、と意外に冷静にこの日を迎えました。そこそこ充実した日々を送ることができているのかもしれない。

もちろん心配事もあるし、気になることも多々あるが、それと向き合いながら、考え、行動し、受け入れている。そこで新しいことを知る喜びがあったり、この歳になっても新たな自分を発見したり。

昨年の誕生日には、スティーブ・ジョブズのスピーチの一節”Connecting The Dots”についての心境を語りました。まさにこの1年間も多くの出会いや偶然の繋がりがあったり、感謝しきりです。

『これからも点と点がつながることを信じて生きたい』
思いを新たにしています。

これからもどうぞよろしくお願いします。

丸1年達成!〜ブログ毎日アップ

この写真、去年2022年7月4日の魚返明未&井上銘のデュオ・ライブ
ああ、あれからもう1年経つのか。

この記事をアップしてから、今日でちょうど丸1年が経ちました。
一念発起、ブログ毎日アップを決めた日でもある。

そして、今日で366日目(昨日で365)、毎日ブログアップを達成。(^_^)v
2005年3月1日にスタートした”KOH’s VIEW”は、毎日毎日記事アップを約4年続ける。
その後断続的にブログソフトも替えながら継続しています。

4つ目のブログソフトWordPressでの”KOH’s VIEW 4.0″
今後ともよろしくお願いします。

母の3回忌

母・美智子(享年98才)の3回忌の法事を行なう。

自宅の仏壇で、和尚さんに唱和しながらお経を唱えたのち、江原のお墓に行きお花と線香を供える。私が知る祖父母、父母みんながここに眠る。さらに、私にとり幻の叔父二人。父の戦死した弟2人が眠る。1945年太平洋戦争の敗戦直前に東南アジアで死亡。それを思うだけで胸が痛む。遺骨は戻っては来なかったけど、父と一緒に眠る。お墓参りをすると、その当時の祖父母の心中を推し量り、戦争を身近に感じる。

お墓参りの後は、菩提寺の三昧院で先祖代々への供養。普段ほとんど訪ねることはないぶん、久しぶりにお参りすると本堂の佇まいに身が引き締まる。落ち着いた気持ちの良い気分になる。

これまでにも、三昧院にお参り時に、何度か拝見したことのある写真。実は、私の祖母・操子(右から2番目)は、この三昧院が実家。その左横が妹(富美代)で、教育者・東井義雄さんの妻となる。中央後ろに立つ男性が若き頃の東井義雄さん(と思う)。東井義雄さんとは親戚関係になるが、生前あまりお会いすることができなかったのが悔やまれる。

古い写真なので、何年に撮影されたものか明確でない。(持ち主もわからない)。おそらく戦前か戦後間もない頃で、場所は三昧院の前の道ではないかと思います。現在は、円山川の防水堤(コンクリートの壁面)になっているが、当時は桜並木だったそうだ。電柱の向こうあたりに日高町役場(現・江原河畔劇場)の建物がある。
(年月、場所は私の憶測。)どなたか分かる方、正誤のほど、連絡をいただければありがたい。

新年会は学生たちと「ウィーンフィル」?

初詣、友人や家族を訪ねたり迎えたり、それぞれ忙しい元旦。
しかし、意外と集まりやすいのが一月一日の午後から夜にかけて。
今年は、帰省せずにシェアハウス「江原_101」で新年を迎えるCATの学生たちをお誘いする。家族ぐるみのお付き合いのIファミリーは新年会では恒例のお客様。

近所にいながらなかなかお話をする機会が少なかったので、今夜は囲炉裏を囲みながら、今年の抱負、将来のことなど、じっくりと語り合ういい機会。年末に自分たちで一緒についたお餅を焼き、焼き鳥、お雑煮を温める。2月の誕生日を目前にしながら、まだ未成年のK君はジュースを飲みながら。^_^

そこへご近所さんが訪れる。玄関から「こんばんは、こっちだよ」と子どもに喋りかける声を聞いて、学生たちがザワザワ、立ち上がりかける。Hさん家族登場。3年目を迎える大学の様子や近隣市町の動きや但馬のお話しで盛り上がる。お帰り前に、Tちゃんが歌いながらの踊りを披露してくれました。大きくなったね。

夜も9時を過ぎ、テレビでは「ウィーンフィルのニューイヤーコンサート2023」の生放送を学生たちと観る。

ウィーンフィルと言えば、チェロのシュテファンだ。チェロのパートが映り出されるとちゃんといる。シュテファンの一段下には、セバスチャンもいる。4年前にウィーンを訪ね、彼らと食事をした時のことを学生たちに説明しながら、生で二人を観るのもなんか妙な感じ。

「美しき青きドナウ」でバレーを、ラストは「ラデツキー行進曲」を学生たちも一緒に手拍子で参加する我が家の「ニューイヤーコンサート2023年」となりました。

謹賀新年 2023年が始まる

明けましておめでとうございます。

我が家で見る初日の出。
穏やかな陽射しに願いを込める。

今年1年間の家族の健康、戦争の終結を祈り、お屠蘇いただく。

2005年3月1日に始めたブログ” KOH’s VIEW”。
最初の記事は、KOH’s VIEW(2005/3/1)
今年で18年目を迎える。
途中、途切れ途切れの時期もあったが、昨年7月より毎日アップ。
2023 VIEW( = 視界・景色・観察・考察・意見・計画)を継続していこう。

本年もよろしくお願いします。

6年8ヶ月の通院〜台湾で遭遇した交通事故

公立豊岡病院を卒業する。

2016年3月11日、台北(台湾)で九死に一生を得る大事故に遭う。日課の早朝のウォーキング中、横断歩道を青信号で渡っている時に、左折してきた自動車にはねられる。救急車で運ばれ、3日間集中治療室(ICU)に入り、そのまま台北の病院に入院。3週間後に医師の判断で飛行機に乗る許可を得て帰国。そのまま、豊岡病院へ。

頭部内出血と左頬の骨折の診断。即、手術。(それまでほとんど病院にはお世話にならずに人生を送ってきた私にとって、初めての手術と入院)その後、1年間は頭痛と闘いながら自宅と豊岡病院の往復の日々。2年目からは、体力を回復させるために少しずつウォーキングを再開(時間は、早朝ではなく夕方に変更。コースも車の通らない堤防の道、植村直己冒険館公園の周回コースなど)。豊岡病院には、頭部のMRI検査(半年に1回、2021年9月まで)、そして左頬骨折の手術のために切開した左目下瞼(まぶた)の回復が遅々として進まないので、検査と簡単な処置を兼ねて毎月通院。やっとほぼ完治した(気にならなくなった)ので、本日をもって通院完了となる。無事、卒業しました。

入院していたのは病室は最上階の病室(最上階の画像右端の部屋)。窓のすぐ下にはドクターヘリの発着場所が見渡せ、豊岡市街地が一望できる部屋。苦しい体験だったが、今、こうしてみると懐かしい気持ちも湧いてくる。

一方的な相手の過失で被った事故だが、相手を恨むとか、自分の行動に後悔するという気持ちはなく、どこか冷静に起きている(しまった)ことを受け止めている自分がいることに気づき、不思議な感覚を味わったのを思い出す。

普段の話したり聞いたりする会話や音楽を聴いたりすることに支障はないが、左の聴力が下がった(左頭部の打撲のため)ことを除き、事故の後遺症はないのは幸い。

返って、生活のペースを見直し、健康について考え、これまでを振り返り、これからを考える人生の良き節目となったと感じながら、通院を終える。

改めて、こうして生きていることに感謝です。

これまでにアップした関連のブログ記事
『人生で起こることすべて良きこと』 田坂広志・著
3年前の交通事故現場〜台北市内
台湾へ〜喜びの再会

ベーゼンドルファーを弾く

Bösendorfer(ベーゼンドルファー)

ウィーンのピアノ製作者 イグナーツ・ベーゼンドルファーによって1828年に創業される。数々のヴァーチュオーゾに愛用されてきた歴史あるピアノとして有名。スタインウェイと人気を二分する名器。

調べると、クラシックではヴィルヘルム・バックハウス、ジャズではオスカー・ピーターソンが愛用したことで有名とある。確かにあの大柄で強烈なオスカー・ピーターソンのタッチに耐えるにはそれ相当のピアノでないとダメだろう。(あまり本質的な評価ではないですね)(^^;;

もう35年ぐらい前になるが私はこの日高文化体育館(豊岡市)にあるベーゼンドルファーを使ったコンサートを仲間と企画。ジャズピアニストの加古隆さんのソロピアノ、2回目はカルテット(piano、base、drums、percussion)のコンサート。会場には約800名の市民に聴いていただく。

余談になるが、加古隆さんを知ったのは、私が学生時代、新宿のライブハウス「Pit Inn」でパリ留学帰りの加古隆さんのトリオ演奏(アバンギャルドなフリージャズ)を聴いたのが初めて。その後、何年か経って日高文化体育館にベーゼンドルファーを寄付(会社より、当時社長であった私の父)をさせていただき、ベーゼンドルファーを愛用されていた加古さんと再会することになりました。(身の回りの出来事を振り返ると、いつも不思議なご縁を感じる)

いよいよ本題。(これが書きたかったのです)

このベーゼンドルファーの維持管理の目的も兼ねて、日にちを定めて市民に無料開放している。以前からなんとなく知っていたのですが、まさか「自分も行って弾こう」なんて思いもしなかった。そこへ、私のピアノ師匠から「明日、ベーゼンの無料開放日よ」との一報が入る。

その一言(ひとこと)で、他人事(ひとごと)が自分事(わたしごと)になりました。(^ ^)v

鍵盤は軽くとても弾きやすい(家のピアノは湿気の所為か重い)。
一つ一つの白鍵の幅って、全ピアノ共通なんでしょうか?(錯覚?)
少し幅広で弾きやすく感じる。
空調管理した楽屋に保管されているので、落ち着いて集中して練習できそう。

ピアノにとって、文化体育館にとって、市民にとって、こんないいことがあるなんて気づきませんでした。(せっせと活用させていただこう、っと)

日高文化体育館(豊岡市日高町祢布954-6、TEL: 0796-42-2505)
ピアノ無料開放日

「天明六年」と刻んだお墓を調べると

お墓参り。江原地区の墓地奥には、それなりに太い幹に育った何本かの古木がある。枝は伸び放題、地面からはササと雑草で覆われてしまう。今年は念入り(と言っても私なり)に、お墓の掃除をしてお盆を迎えた。

江原墓地内に3ヵ所に別れてお墓がある。

古い墓石をよく見ると「天明六丙年」と刻んである。「六」と「丙」と「年」の間隔と左右のズレが少し気になるが、ともかく調べてみよう。

「天明6年」は、確かに「天明六年丙午(ひのえうま)」とある。西暦では1786年。今から236年前。

私は13代目なので、1世代の年数を30年として約8世代前。つまり、わが家の第5代目ぐらいの先祖さん(こんな計算したのは始めてだ)。上部にある梵字(?)戒名(?)読めないのが情けない。

ついでに「天明六年」はどんな年だったのだろうか。

田沼意次(66才)、杉田玄白(53才)、伊能忠敬(41才)、鶴屋南北(31才)、松平定信(28才)、葛飾北斎(26才)、、、こんな人たちが現役で活躍した時代なんだ。3年後には寛政元年、つまり老中松定信が主導した「寛政の改革」の幕政改革真っ只中なんだ。

1786年、世界は?
10年前の1776年は、アメリカ独立宣言。ヨーロッパでは英仏通商条約の締結。英仏植民地戦争の末、英仏間の自由貿易協定を結ぶ。結果としてフランス国内産業が大打撃を受け、フランス革命への伏線となる。ナポレオンは17才(砲兵士官として任官)、もう一つにおまけに、モーツァルトがオペラ『フィガロの結婚』を初演した年。

お墓に刻まれた年号「天明六年」をキーにして調べてみると、日本と世界の歴史が身近に感じられる。

もう2つ、もっと古い墓石があるが、残念ながら年も名も分からない。

その時代を探ってみながら、先祖がどんな時代をどんな風に生き抜いて来たのかを思い浮かべてみる。こんな風にお盆を過ごすのもいい。

“Hubris” Richard Beirach

Richard Beirach  “HUBRIS”

Richard Beirach  : piano

1. Sunday Song
2. Leaving
3. Koan
4. Osiris
5. Future Memory
6. Hubris
7. Rectilinear
8. The Pearl
9. Invisible Corridor/Sunday Song – Monday

Recorded on June 1977

今年のピアノ発表会はリッチー・バイラークの”Sunday song”を演奏します。ピアノを始めて4年目。現在、猛練習中と言いたいが、その日によって途切れ途切れ。

人生でいつの日かピアノを弾いてみたい、ジャズのアドリブをやってみたい、との思いを今実行している。(告白した以上、もう後には引けないぞとの決意表明)

1年目は、Sonny Clarkのアルバムで有名な”Cool Struttin'”、2年目は、誰もが知っているスタンダード”Autumn Leaves”、3年目は、”When You Wish Upon a Star”を弾き語りで。

発表会の前は必死で練習してなんとか弾けた(と思う)のに、終わると途端に弾けなくなるから情けない。まだまだ、精進が足りない(理想とほど遠い道のり)と痛感の日々。

この曲”Sunday Song”には、思い入れがある。自分の子どもが産まれたら「その子の曲」と決めて毎日それを聴かせて、音楽を愛し楽しんで欲しいとの願いを込めて。もう40年以上前の話だが、長男も次男もどうやら音楽好きな生活を送っているようだから、まあ良しとしよう。

そんな話題をもう17年前のこのブログ”KOH’s VIEW”にも書いている。まさか、その曲”Sunday Song”を自分で弾くことになる(する)とは。これも新たなチャレンジ。