
昭和20年8月15日から80年。
節目節目と言うけれど、何の節目なのだろうか?
と、考えながら我が家のお墓にお参りする。

主となる一番大きい墓石の真ん中には「真無阿弥陀仏」。
その両側に「眞治居士」「覚三居士」の名が刻まれている。

私の亡き父敏雄は3人兄弟の長男。
つまり2人の弟がいた。次男 眞治と三男 覚三。
2人は太平洋戦争末期(昭和20年に入ってから)に戦死。
眞治はフィリピンにて、覚三はビルマ(現ミャンマー)にて、と聞かされた。
父も、2人の息子を戦争で亡くした祖父要太郎も、あまり戦争の話はしなかった。
眞治のことも、覚三のことも。
わずかに、眞治さんは、大阪(?)外大に入学し海外を視野に勉学し、覚三さんは要太郎が始めた荒物屋商店を継ぐべく精進していたと聞いたことがある。
「あと半年生きていれば、、、」と思うのは私だけではないだろう。
もしも生き延びていればどんな人生を歩んだのだろう?
私にとっての幻の叔父さん。
幻であってもかけがえのない叔父たちである。
どうして父も祖父も眞治さんと覚三さんの話をもっとしてくれなかったのだろうか?
戦争の話も。
そんなことをふと思いながらのお墓参り。




















