眞治と覚三〜終戦から80年

昭和20年8月15日から80年。
節目節目と言うけれど、何の節目なのだろうか?
と、考えながら我が家のお墓にお参りする。

主となる一番大きい墓石の真ん中には「真無阿弥陀仏」。
その両側に「眞治居士」「覚三居士」の名が刻まれている。

私の亡き父敏雄は3人兄弟の長男。
つまり2人の弟がいた。次男 眞治と三男 覚三。
2人は太平洋戦争末期(昭和20年に入ってから)に戦死。
眞治はフィリピンにて、覚三はビルマ(現ミャンマー)にて、と聞かされた。

父も、2人の息子を戦争で亡くした祖父要太郎も、あまり戦争の話はしなかった。
眞治のことも、覚三のことも。
わずかに、眞治さんは、大阪(?)外大に入学し海外を視野に勉学し、覚三さんは要太郎が始めた荒物屋商店を継ぐべく精進していたと聞いたことがある。

「あと半年生きていれば、、、」と思うのは私だけではないだろう。
もしも生き延びていればどんな人生を歩んだのだろう?
私にとっての幻の叔父さん。
幻であってもかけがえのない叔父たちである。

どうして父も祖父も眞治さんと覚三さんの話をもっとしてくれなかったのだろうか?
戦争の話も。

そんなことをふと思いながらのお墓参り。

男の子だなあ

やはり記録しておかないと。
孫H 6歳の誕生日のお祝い。
実際の誕生日とは若干ズレた日だけど。

お兄ちゃんKもそうだけど、なんで男の子は車が好きなのだろう?

また1年が、無事に元気に過ぎますように。

50年前にプレイバック

大阪梅田。
グランフロントに続き、北ヤードの開発が進む。

昔とは全く別の都市の様相になった大阪駅周辺。
これからタイムトンネルを抜けて半世紀前にタイムスリップするのだと思うとワクワクドキドキだ。

約45年ぶりに再会した旧友。
50年前に共に大学受験の勉強を共にした仲間。
2人は医学部(医師に)、1人は工学部(物理学者に)、私は政治経済学部(企業経営に)。

進路は分かれたけど共に切磋琢磨した時代は50年を経ても一気にあの頃にプレイバックする。

当時、私はビートルズ大好き、もう1人は文学(中原中也、萩原朔太郎大好き)、あとの2人はクラシック音楽(ベートーベン交響曲第3番「英雄」)。
どんどん忘れていたことが浮かび上がって来る。

わずか3時間でその間のお互いの「50年物語」を語ることはできない。
不思議な初めての幸せを感じながら、再会を約束してお開きに。

12/8 John Lennon 何年経っても

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12月8日。
何年経ってもジョン・レノンを思い出す。

1976年8月30日。
NYセントラルパークで偶然ジョンとヨーコと遭遇。
信号待ちのわずかの間、ジョンに話しかける。
“Thank you” と3回応えてくれたジョン。

私の人生の宝物。

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X(Twitter)に登場した「あの日、あの時」の私のスケッチ。

ジョン・レノンに出会った思い出!

兵庫県産業振興功労賞

令和6年度兵庫県功労者として表彰していただきました。

防災、消防、自治、福祉、学術教育、文化、農林水産、など22部門の中の「産業振興」部門で表彰いただきました。今年度の表彰者は全部門で211名。そのうち「産業振興」部門は26名。

商工会議所、商工会、組合などの功労に対する受賞者が多い中で、企業経営を対象に表彰いただけたのはより嬉しく思います。
と同時に、これからも会社経営をしっかりと次世代にバトンタッチしていかねばならないと肝に銘じる。

表彰式は5月31日に兵庫県公館で行われました。
普段、あまり県政(県庁)とも関わりのないので、この近辺を訪れるのは初めて。
この兵庫県公館は、明治35年(1902年)に兵庫県本庁舎として建設される。会議室など各部屋も威厳があり、広いのがとても印象的。

貴重な体験でした。

サングラスしようかな〜視界がボヤけて

これ全部、私のメガネ。

写真に写っていないのも入れて10個をメガネ屋さんに持参。
どうも、今年に入ってから、運転して(裸眼)いて、遠くがボヤけているし、手前のパネルの文字がハッキリ見えないし。友人に言うと「白内障では」と言われるし。
余計にモヤモヤしていたので、眼科で診察してもらう。
「視力は以前と変わりません。(1.0)」「白内障でもありません」との診断結果。

とは言え、眼のケアが大切なのは変わりない。

特に快晴の下で運転していて、眩しさが以前にも増して辛くなってきたし、ゴルフや炎天下での日差しに目が疲れる感じが強くなったので、サングラスを検討することに。

もともとサングラスは好きではなく(自然の色を楽しみたいという強迫観念的こだわりから)カヌーやゴルフやウォーキングの時も、必要な時は透明なUVカットのメガネをかけていました。

サングラスの効用はいかに。
後日レポートをアップします。

20年ぶりの但馬稲門会

長らく途絶えていた但馬稲門会の案内をいただいたので出席。
早稲田大学、大学院を卒業し、但馬在住もしくは但馬にご縁のある人が会員となっています。

前回は、当時の豊岡市長(集まった時点では前職)、兵庫県会議員、市議会議員と、なんだか政治家が多かった。あとは、但馬にある企業経営者、学校関係の人たちといったところ。

今回は、さすがに20年ぶりということで皆さんそれぞれ歳を重ね。名簿をみると若手もあるが欠席。残念なのが、女性が一人もいない、ということ。昨年、(なぜか)但馬三田会(慶應義塾大学卒業生)に呼ばれて参加しましたが、女性も結構いらっしゃって華やいだ雰囲気でした。この辺りも早慶の違いなんだろうね。

宴席の最後は、恒例の「紺碧の空」(早稲田大学の応援歌)、そして「都の西北」(早稲田大学校歌)。昔とった杵柄で先輩が、応援団の所作で全員で斉唱。

神宮球場、早慶戦、麻雀、金城庵(天ぷら屋)、村上春樹、早稲田小劇場、学生運動、、、

ああ、なんとも「わせだ」だ。

KOH’s VIEW 19歳の誕生日

2005年3月1日に開始した【KOH’s VIEW】の19周年の日。
毎日書くことを大切にする。
自分の日常の出来事、考え事、感じたことなどを綴る。

そんなイメージで始めたブログ。
Twitter(現在はX)、Facebookなどが始まり、「書くこと」の意味、意義、目的を再考する時期もあり、少しの中断もありながら、断続的に続けてきました。

ブログを書くソフトも変わっていく。
新しいものに飛びつくということでもないですが「スマホでアップ」「画面のデザイン」「検索機能」などを試しながら色々と試行錯誤。
【KOH’s VIEW】    ニフティのココログ
【KOH’s VIEW tumblr】 アメリカ発のブログサービス
【KOH’s VIEW 3.0】   FC2(短期間で変更)
【KOH’s VIEW 4.0】   Word Press(無料、カスタマイズできる)

19年も続けて来られたのは何だろう?と思い返すことも。
「書くこと」は、自分を確認することでもあるし、人と共有したい願望である。
微妙なニュアンスを抱えながら自分と社会とがつながっていることかもしれない。