NAKATA HANGER in London

SAVILE ROW W1 / CITY OF WESTMINSTER

NAKATA HANGERは、ロンドンのサヴィル・ロウにて紹介いただく機会を得ました。
弊社からは、社長と海外担当の営業がロンドンに行きました。

ご存知の通り、サヴィル・ロウは、日本語の「背広」(スーツ/上着とズボンの一組)の語源になったと言われるオーダーメードの名門高級紳士服が集中して店舗を構える通り。

展示会の店舗

ロンドンのメンズ・グッズを取り扱う会社よりのオファーで、NAKATA HANGERを紹介する展示会を共同で開催することになった。

事前に日本からスペシャル仕様のハンガーをロンドンに送り、展示する。

【社長と担当者の画像と報告による記述です】

古い台北、新しい台北(Taiwan#5)

清の時代の街並みが残る「迪化街」(ディーホアジエ)。
この猥雑な台北のストリートに来ると生活感プンプン。楽しい気分になる。

こちらは、現代の台北、「台北101」。
高さ508m、地上101階。

台湾のビジネスパートナーの家族と一緒に、最上階のレストラン『頂鮮餐廳台北店』(ディンシェン)で食事。感謝の気持ちで台湾訪問を締めくくる。

坪林(ピンリン)地区の茶畑訪問

台北市から東へ高速道路で1時間足らずにある坪林地区を訪問。茶の産地で有名。3年前の台湾訪問の目的は、この坪林の茶畑を訪ねることだったが、直前の私自身の交通事故で実現しなかった。3年越しの思いが叶った。

この坪林地区の茶畑再生のシンボルは現在絶滅危惧種の「ヤマムスメドリ」。過疎、後継者難、自然環境悪化などの理由で廃れゆく坪林の茶栽培復活を掛けたプロジェクトのシンボルとなっている。

コウノトリの野生復帰に成功し「コウノトリ育むお米」で経済波及効果もある豊岡市の取組みを参考にするために始まった坪林再生(台湾大学)と豊岡市の交流がきっかけ。

茶生産農家を訪ね、茶の生産現場を見学、坪林茶業資料館では、茶のルーツ、世界各国のの茶文化の歴史的な普及とその茶作法の説明を聞く。地元の茶農家、地区の行政関係者、販売者の人たちとランチ。そして、坪林区の役所で歓迎を受ける。

3年前の交通事故現場〜台北市内

3年前の交通事故現場に行ってみる。
2016年3月11日、朝6時57分にこの横断歩道を渡っている時に、左折してきた乗用車に撥ねられ救急車で病院に運ばれた。(おそらく)右後方から左折してくる車のボンネットにフワッと乗せられる格好で空中を飛び、頭から地面に落下したものと思える。
(私自身の視界には車はなく、その直後に意識不明になったので詳細の実感はない)
(リンクした記事は、後日、その直前の記憶を頼りに書いたもの)

日課の朝のウォーキングで1時間近く歩き、泊まっているホテルに帰る直前であった。私自身の記憶はそれぐらいで、どの交差点なのかは不明だった。当時、一緒に来ていた妻が入院中の世話と警察との現場検証(路上ビデオ記録のチェック)を行ってくれた。

私が想像していたより狭い道。信号青で横断歩道を余裕を持って渡っていたところでこの事故にあった。その後2週間台湾の病院に入院し、飛行機に乗っていいかどうかの医師の判断を得て帰国。それからすぐに手術となった。

中山北路の東側歩道を南に向かっていた。
道路の上の青い交通表示には、「7:00〜9:00 直進のみ」の表示。つまり、左折・右折はできないので、時間を気にしながら左折して来たのだろう。

自身の記憶にない部分をどうしても確認したかった。ただ、それだけ。
その後、相手側とは1年掛けて「事故補償」の交渉を行なう。台湾の日本語ができる弁護士と契約し、円満にそれは解決した。

事故直後の入院中の思いは、相手を恨んだり、ウォーキングを後悔したり、ではなく、むしろ「何が起きるかわからない人生、生きていることの感謝の気持ち」が湧いてきた。
私の心の中で味わった不思議な感情であった。

故宮博物院とコウノトリ野生復帰紹介のイベント

今回のホテルは、Grand Hyatt(台北君悦酒店)。ビジネスパートナーのWさんのオフィスに近い場所にある。台北101のすぐ隣にある便利な場所だ。

まず、故宮博物院。妻が茶道、煎茶を熱心にやっているので、すでに何度か訪れているが、鑑賞したいものは尽きないのが故宮博物院。

私自身は収蔵品を観ながら、前漢・後漢、隋、唐、北宋・南宋、元、明、清の中国の歴代王朝の時代を復習してみよう、今回のテーマだ。

午後は、台湾大学に置けるシンポジウムに参加。
台湾大学農業陳列館主催で展示は12月まで、その初日には、豊岡市長中貝市長とコウノトリ文化館の高橋館長が豊岡市の取り組みを紹介する。

事前に、発表原稿(パワポ)も送付し、文字は中国語。念入りな準備を行い、素晴らしいプレゼンでした。

同時通訳は、台湾大学卒業し現在京都大学の大学院に留学中の江さんが担当。江さんは、4月の但馬コネクションのゲストとしてお招きしたことがあります。これまでのいろんなご縁で繋がっているのを実感。

国を超え、人が繋がり、自然と野生生物の保護活動を通じて、これからの地球環境を考えさせられる会議でした。

台湾へ

関西国際空港

台風18号が台湾に近づく中、関西国際空港より台湾へ向かう。空港でのフライトアナウンスは全く台風の影響について触れないので、問題なく出発できそうでホッ。

特別揺れることもなく台湾の桃園国際空港に無事着陸。

私は3年前に台北で九死に一生を得た交通事故に遭った。死んでもおかしくない大事故であった。その後2年間は、仕事、日常生活も半分程度にして、回復に意識を集中。

今回は、3年が経ち元気になった姿を台湾で心配をかけ、大変お世話になっ人々にお礼をする旅でもある。

別の日撮影した「欣葉創始店」

懐かしのレストランで台湾料理。
1985年に初めて台湾来訪時に、初めて食べた台湾料理。ビジネスでお付き合いするWさんに連れて来ていただいた。以来34年間のビジネスパートナーとして、家族ぐるみのお付き合いである。

大好物の清蒸魚

「欣葉」は、地元の人にも人気の有名な台湾料理の店」。台北市内にはいくつかの「欣葉」があるが、できれば「欣葉創始店」に行ってみてほしい。

パリ→アビニョン

パリの朝。朝食後、リヨン駅周辺の散策。

セーヌ川の遊覧船。

セーヌ川沿の歩道。

2本の塔が見えるのが、ノートルダム寺院。今年、大火災になり喪失。

典型的なパリのビル。

大好きな台湾料理で一番好きなのはコレ

葱油活魚(チョン ヨウ オウ ユウ)

大好きな台湾料理。そして一番好きなメニューはコレ。
必ず毎回注文する。
(正確に言うと、黙ってても、いつも台湾のビジネスパートナーが何も言わなくても注文をしてくれる。感謝!)
今回は、虎班(フウ バン)と言う高級魚だ。

日本なら「川蟹」、上海なら「上海蟹」。
台湾は何だろう?(尋ねるの忘れた)
おこわの上に蟹。秋の味覚だな。
香ばしくて最高!

地瓜葉(ティ ファ イェイ)。

サツマイモの葉っぱ。
胃腸に良いそうだ。
昔は、豚のエサにしてたそうだが、最近の健康ブームで、台湾で人気の青菜の炒めもの。

担仔麺(ダン ジャイ メン)。

台湾料理の人気麺と言えば、やはりこれだろう。
お腹いっぱいでも、このスープと麺は、またお腹に納まってしまう、ダイエットには危険な食べ物だ。(笑)

台北・信義地区〜ファッション最前線に驚きだ

台北の信義地区には驚いた。高層ビルの101が出来てからこの地区がビジネス、ショッピングの中心地になるだろうとは予想していたけど、これほど早く、これほど高層ビルが立ち並ぶとは。

今年初めに完成したという高級マンション(三角の建物)は、1室の分譲価格が10億円という部屋もあるという。

最高級デパート「BellaVita(ベラヴィータ)」。
IT企業経営者の愛娘3人の「ヨーロッパのようなゆったりとしたカフェが欲しい」との希望に応えるために、土地を買い、ビルを建て、百貨店を開き、カフェをプレゼントしたという、何とも壮大なストーリーがある百貨店だ。

そのベラヴィータのB1にある「OAK ROOM 」。

最高級の靴店。取扱ブランドは、Crockett&Jones、Alden、Edward Greenなど。さらに、スーツ、シャツ、カバンなども扱う。

「OAK ROOM」のオーナーはNAKATA HANGERファンとも聞いているので訪問。あいにく不在であったがクリスさんが対応してくれた。

こちらは「微風百貨店 信義店」(BREEZE)。経営者の妻、孫芸芸(スン・ユンユン)は、台湾のデザイナー、女優、タレント、モデルと多彩。そのスン・ユンユンお気に入りのブランドを集めた百貨店。

BREEZEの店舗として「TAKEO KIKUCHI」

ユナイテッド・アローズ。
どちらも弊社のハンガーを使用いただいている。

他に、新光三越、阪急百貨店と、久しぶりの台北ショッピング施設チェック。台湾の経済成長、ファッション・センスが日本とほとんど変わらなくなて驚きだ。

台湾へ〜喜びの再会

ドイツ滞在中に台湾出張の予定が入る。帰国後まもなく、台湾のビジネスパートナーとの急ぎの打合せが必要となった。

前回2016年3月、仕事とプライベートの用事を兼ねて滞在していた台湾(台北)で九死に一生を得る大事故にあった。(日課の早朝ウォーキング中、横断歩道で車に跳ねられる大事故。その後1年間は療養)。この2年半、「生かされた」自分と向き合ってきた。

そして、再び台湾へ。

前回もこのメンバーに加えて、その家族、友人たちと楽しく夕食を共にした翌朝のことであった。私の事故で大きな衝撃を受け、台湾での入院中は毎日お見舞いにきていただいた。

今回の再会は、お互いに言葉にならない、言葉に出せない、言葉に出さない、感慨深いものとなりました。

私もまだこの瞬間をどう表現したらいいのか戸惑う。
ともかく心配してくれた人たちに、再び元気を取り戻せた自分の姿を見せることができたことは、何よりもの喜びでした。