NAKATA HANGERショールームは新青山ビルにあります

青山一丁目交差点

新青山ビル西館(右側)の1階にNAKATA HANGER残るショールームがあります。2007年7月にオープンして今年で16年が経ちました。

朝の早めの出勤の時には、ビル1階角(白い車が走っている)にあるFamily Martで、サンドイッチとコーヒー、時には飲むヨーグルトなんか買ったものです。

右側のビルが「ホンダ」の本社。一番奥に見えるビルが六本木ヒルズ。近くに見えるが歩くと30分ほどかかる。

ショールームは1階エレベーター前にあり、コーナーの部屋なのでとても良い場所にあります。

NAKATA HANGERの全シリーズのハンガー、アパレル業務用の多数の特注ハンガーなど沢山のハンガーがあり、ご紹介できます。

ショールーム奥にあるスタッフのデスク。現在4名のスタッフと本社から出張で来た営業社員用のデスクとがあります。

2階には、オフィステナント就業者用専門ラウンジがあります。静かに過ごせるルームにはピラミッドの棚に本が並んでいる。もう一方のルームには卓球台とビリヤード台がある。それぞれのルームには「ツンツン」「モコモコ」などユニークな名前が付いている。どう言う意味?

1978年竣工のこの新青山ビル。45年経った現在もエレベーター、トイレ、フロアなど綺麗にメンテナンスされていて快適。それにプラスして就業者専用ラウンジなど、さすが三菱地所さんです。

夕暮れの日置橋

夕暮れ、ブラリと自転車で散歩。(この言い方、変ですね)
自宅から円山川下流に向かって数分。
日置橋のたもとから河原に下りる。

沈む夕陽が橋にかかる。
橋の下から、妙見山から神鍋高原に連なる峰が見える。

いよいよ沈む太陽。

正面(写真中央)が、JR江原駅、江原河畔劇場辺り。
その右に伸びる家並みが日置(ひおき)地区。
(私の祖父時代は「へき」と呼んでいた)

この角度(日置橋の上)から見る景色は新鮮だ。

David Crosby 追悼

David Crosby “CROZ”

「デヴィッド・クロスビー 1月18日 死去、享年81才」のニュースを目にする。
先日のジェフ・ベックに続き「みんな、いつか」なんだけど、また。

1960年代、アメリカ西海岸でスタートしたバーズ(The Byrds)のメンバーとして活躍。脱退後、一世風靡した「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」(CSNY)で活動。その後、ソロ活動。

クロスビーのアルバム「CROZ」(2014年)や初期の「If I Could Only Remember My Name」(1971年)など、新旧クロスビーのソロアルバムを聴くのが最近の楽しみだった。クロスビーのミステリアスなメロディと和音がお気に入り。

“Deja-Vu”(音声)や“Long Time Gone”(音声)などクロスビーの曲がなかなかいい。

CROSBY, STILLS, NASH & YOUNG “4 WAY STREET”

バーズ脱退の後の1969年、バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)のスティーブン・スティルス(Stephen Stills)、イギリスのロックバンドのホリーズ(Hollies)のグラハム・ナッシュ(Graham Nash)とCrosby, Stills, Nash(CSN)を結成、それにニール・ヤングが加わってCSNYとして活動。WoodStockコンサートにも出演する。1970年代を代表するスーパー・バンドとして一世風靡。私の大好きなCSNY(Crosby, Stills, Nash & Young)。
“4 WAY STREET”(音声)は、何十回(何百回?)聴いたことか。

安らかに、デヴィッド。


早朝のお参りと和室

朝7時。
ピンポーンと玄関のベルが鳴る。宅急便にしては早すぎるし、誰?

お寺さんがお盆のお経を挙げに来られる。
1年中で一番忙しいお盆。それにしても早い始動。
こちらは朝起きたままの格好で失礼しました。^ ^;;

仏壇のある和室は、私が生まれ育った古い家の和室をそのまま復元したもの。
現在の自宅(ドーモ・キニャーナ))を建てる前に、復元を前提に丁寧に解体。
床の間、天井、梁、障子、襖、縁側の戸は、すべて古い家の材料をそのまま組み立て直し、利用したもの。

30年前、両親のリクエストもあり、愛着のある和室は復元することにした。
当時、両親が喜んだように、私も今、どこか温かい懐かしさを覚える部屋。
すべてが真新しい住宅も良いが、家族の歴史を刻んだ古いものを継いでいくことも大切だな、いいもんだな、と最近感じる。