再訪したい鹿野町〜鳥の劇場

「鳥の劇場」(中島諒人氏が主催する劇団であり劇場)の拠点。
ここは鳥取市鹿野町(2004年に合併して鳥取市)、廃校になった校舎を利用している。現在、劇場の横にアネックスを建築中。大きな施設・土地環境にびっくり。

劇場の向かいには鹿野城趾がある。お堀に囲まれ石垣があり、街の歴史を感じる。

近くに「小式部内侍産湯の井戸」があると市街地マップになったので行ってみる。

「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず 天橋立」の歌人。
小式部内侍の母は和泉式部。

公演と公演の間時間を利用して車でひとっ走りの街見学だったので、次回はゆっくりと散策してみたい。歴史も予習してから。

今年4度目の鳥取

象設計集団の富田玲子さんを迎えに鳥取駅へ。

隣接した鳥取県。自宅から鳥取駅まで約75km、車で1時間半足らずの距離なんですが、なかなか訪ねる用事がなく訪れることはこれまでほとんどなかった。が、今年は鳥取付いている。

1月にはウィーン・リング・アンサンブル(ウィーンフィルのメンバー)のコンサートで倉吉、6月はアメリカからの知人家族を案内して鳥取砂丘、10月は鳥取経済同友会と神戸経済同友会の交流会で鳥取砂丘とホテルニューオータニへ。そして今回は鳥取駅。

鳥取駅北口にある「麒麟獅子舞」の像。
10月の鳥取訪問時に、麒麟獅子舞は鳥取県東部(因幡)と兵庫県北部(新温泉町、香美町)に伝わる伝統芸能。

向こうに見えるのは(調べると)「夢時計21」。

鳥取駅北口から始まる本通り。待ち合わせ時間まで少し時間があるので歩く。考えてみると初めてかも。鳥取民藝美術館には行ったことがあるが車で行ったので駅前の印象が薄かった。

鳥取〜一歩踏み込むとなかなか面白い

鳥取経済同友会と神戸経済同友会の定期交流会に参加。
今回は鳥取で開催されました。

鳥取経済同友会の計らいで鳥取砂丘で合流し、砂丘センターなどの案内をいただく。但馬の人にとっては隣接県でもあり、行った事がある人も多く「今さら」と思うでしょうが、一歩踏み込んで砂丘の成立ち、特異性、将来性を知るとなかなか興味深い。

「砂の美術館」
現在の展示は「エジプト編」。(まさに砂の質感にぴったりのテーマだ)
水だけで固めた砂の塊を彫刻して造る。まずこのことに驚く。鳥取砂丘の粒子の細かい砂だからできるのでしょう。展示が終わり崩すと元の砂に戻るので、再利用ができるのもエコですね。

「砂の美術館」のコンセプトは「砂で世界旅行」。これまでに「イタリア」「アフリカ」「アジア」「アメリカ」「南米」「ドイツ」「北欧」「チェコ&スロバキア」などが開催されている。今回の「エジプト編」では世界11カ国20名の砂像彫刻家が製作。(その道のプロがいるんですね)

鳥取砂丘の成り立ちが面白い。
中国山地の石(砂岩)が先代川に運ばれ日本海に砂となって流れ込む。河口付近に溜まった砂が日本海の海流に運ばれ陸地に押し戻されて堆積していく。そして北西の季節風が堆積した砂を巻き上げ砂丘を形成していく。自然現象の循環が作り上げている。

砂丘を探索すると、鏃(やじり)や古代の生活品が出土(出砂?)するそうだ。「砂丘に住んでいたの?」とガイドさんに訊くと、氷河期は砂丘はもっと沖合にあって、ここは平地だった。間氷期(温暖期?)に現在の位置に砂丘ができたとのこと。

また、砂から拳銃の銃弾が出てくる。かつて(明治後期)陸軍歩兵部隊の訓練地だったそうだ。

アリドドーム

鳥取大学乾燥地研究センター。砂丘西側すぐのところにある。

乾燥地の研究に取り組む日本唯一の研究機関。地球の砂漠化、旱魃と農業、食糧問題の解決などの使命を持つ。

乾燥地の植物が栽培されている。乾燥地に生きる植物の(必至の?)工夫が面白い。

交流会の懇親会(ホテルニューオータニ鳥取)では「麒麟獅子舞」が披露される。マリオネットの獅子舞。あとで尋ねると、リアルだと数名必要だがマリオネットは2名でやれる、との苦肉の策のようだ。芝居小屋のようなところで舞台装置も工夫してやれば、返って面白い人形劇として伝統の獅子舞を伝承できるのではと思う。

「麒麟のまち」として観光を盛り上げていこうという取組についての講演を聞く。「麒麟のまち」とは、鳥取市、石見町、八頭町、若桜町、智頭町の鳥取県1市4町と兵庫県の新温泉町、香美町を加えた県境を超えた観光振興である。

隣県ということもあり、その気になればいつでも行ける、なんとなく知っている鳥取でしたが、一歩踏み込んで、自然の成り立ち、歴史、風土、伝統、経済情勢など、興味深い鳥取を発見する機会となる。

ちょっと龍安寺へ

龍安寺 石庭

淡路に続き京都の茶会に出席。
茶席は右京区宇多野なので、時間調整のため近くにある龍安寺を訪ねた。

言わずと知れた龍安寺の石庭。室町時代末期の1500年ごろに禅僧によって作庭されたと伝わる。3回目となる今回、目を奪われたのは石庭を取り囲む塀。菜種油を混ぜた土で造られた油土塀。時の経過により油の変化で独特の風合いを醸し出している。

鏡容池(きょうようち)を眺めながら、方丈への階段を登る。

大広間をはじめ各部屋の襖は竜の絵が描かれている。比較的新しい襖かなと思いながら、鑑賞しているとボランティアガイドさんから細川護煕さんが描いたとの説明。何代目の細川氏?と思ったが、なんと内閣総理大臣を務めた細川護煕氏の作という。

細川さんは陶芸をやっているのは知っていたけど、襖絵も描くのを知る。足元には細川さんのプロフィールが紹介されている。多彩ですね。

これも有名な蹲(つくばい)。真ん中にある四角形の各外側には、上に「五」、下に「疋」、左に「矢」、右に「唯」(口偏のない字)で「我唯足知」(ワレタダタルヲシル)の文字になる。禅の格言として読み取れる。

見学者の約8割はインバウンド。
海外からの旅行者でいっぱいでした。

紀州で気になった木

熊野本宮大社の神門の脇にたつオガタマノキ
漢字で書くと「招霊木」。招霊(おきたま)が転じて「オガタマ」になった。

分類はモクレン属。
日本のモクレン科の中で唯一の常緑樹。

説明書きにもあるように、神木、霊木として神聖視されている。この木の実を象ったものが神楽舞の鈴というが、どんな実なんだろう?(庭木図鑑植木ぺディア
ちなみに神楽舞の鈴。(Amazon価格入りで恐縮です)

熊野那智大社のクスノキ「那智の楠

樹齢約850年、樹高27m、幹回り約8.5m。根幹部は空洞化している。熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの楠と伝わる。

根幹部の空洞を通り抜ける「胎内くぐり」。

備え付けの「護摩木」「祈願絵馬」に願意と氏名を書き奉持して入り、出口の護摩木・絵馬掛けに納める。

和歌山の旅(その3)

白浜で一泊し、3日目の朝。
何度見ても太平洋の水平線は感動する。

この海域は「紀伊水道」でもある。
江戸時代には大阪と江戸を多くの船が往来したことを想像すると、一層興味が湧く。

三段壁洞窟(さんだんべき どうくつ)(西牟婁郡白浜町2927-52)。

三段壁は火成岩、運鉱岩、崩壊岩の3種類の岩質で構成さる。海に面した長さ2キロ、高さ50メートルの岬で海底火山が運動し壮大な崖を形成。太平洋の荒波が刻み込んだ。

三段壁洞窟は、平安時代の熊野水軍(源平合戦に参戦。壇ノ浦の戦いでは源氏に味方し勝利に導いた)が船を隠した洞窟と言われている。

熊野灘の波が激しくぶつかり合う光景が間近に見られる(恐くなるくらい)。熊野水軍番所小屋が再現され当時が偲ばれる。

白浜に来たらぜひ立ち寄ってみたかった「南方熊楠記念館」(西牟婁郡白浜町3601-1)

南方熊楠
和歌山県が生んだ博物学の巨星。東京大学予備門中退後、19歳から約14年間、米英を遊学。さまざまな言語の文献を使って、国内外で多くの論文を発表した。研究の対象は、粘菌をはじめとした生物学のほか人文科学など多方面にわたり、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な役割を果たした。生涯、在野の学者に徹し、地域の自然保護にも力を注いだエコロジストの先駆けとしても注目されている。
(南方熊楠記念館パンフレット より)

学生時代に稲垣足穂の本を読んでいて、確か南方熊楠のことを称賛していたのがずっと頭にあって、その後、熊楠について関心を持っていた。今回の訪問で、熊楠の生き方、実績を知り、改めてしっかりと学びたいと思う。(ひょんなことから稲垣足穂も思い出した。こちらも再度読み返してみたくなる)

記念館の建物もなかなかいい感じ。(熊楠を連想させる?)
設計はシーラカンスアンドアソシエイツ

何と言っても熊楠に触れること、建物に興味がある、ロケーションが抜群(番所山公園内にあり、屋上から眺める太平洋、神社合祀反対運動で熊楠が守った森のある神島が見える)など、訪問してみる価値高し。

白浜に来たら寄らなくてはと思っていたのが「ホテル川久」 。

お目当ては、宿泊ではなくエントランスロビーにある左官の久住章さんが制作した漆喰の柱。大理石を思わせる超絶技巧を駆使した巨大な円柱。現在は、KAWAKYU MUSEUMになっていて有料で入場しないといけないので、写真は遠慮して撮らず。柱はこちらを見てください

このブログでも「久住章さん〜シュトックマルモ技法って?」で紹介しています。

いよいよ今回の和歌山の旅も終わり。
最後に立ち寄ったのが「南紀白浜とれとれ市場」。混雑は覚悟していたが、想像以上の来場者。食事をしようにも長蛇の行列で待たなければならない。寿司コーナーは別の行列で比較的並びも少なかったので「寿司盛合せセット」で。地元の漁協がやっているので、新鮮は魚介類はもちろん、海産物いっぱい。これなら大繁盛なのは理解。

食べて、南紀名物(?)の「ツメバイ」買って、少し早いけど家路につく。

和歌山の旅(その2)

熊野三山の一つ、熊野那智大社

古来当社はご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められています。熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社であります。
(熊野那智大社HPより)

那智大社より那智の滝を望む。
那智の滝は、日本一高い滝(133m)。滝そのものが「飛瀧神社」の御神体。
手前の三重塔とのコントラストが美しい。

太地町立「くじらの博物館」。太地町と言えば捕鯨。小鯨(イルカなど)の追い込み漁などの発祥の地として知られる。反捕鯨団体が抗議活動を行なって話題にもなった。

江戸時代に始まる古式捕鯨の歴史、漁に出る前の儀式、など捕鯨文化を知ることができる。

歴史や文化を知るだけでなく、いろんなアトラクションもあって大いに楽しめる。

一直線に奇岩が並んだ橋杭岩(東牟婁郡串本町)。

1400万年前、地層の割れ目に沿ってマグマが上昇し火成岩となり、その後全体が隆起し黒潮で回りの泥岩が流され硬い火成岩が残ったといわれている。
和歌山文化情報アーカイブ事業「和歌山県ふるさとアーカイブ」より

古座川の一枚岩(東牟婁郡古座川町相瀬)。
一枚の岩盤としては国内最大級(高さ約100m、幅約500m)。

一枚岩の下を流れる古座川の清流。
孫Kは、ここで泳いだのが一番楽しかったようだ。
(ここはぜひ水着を持って再訪したい)

二日目の宿泊は白浜。
花火大会が終わって静かになった砂浜。

私にとって今回の旅のテーマは「ジオ和歌山」
熊野の山々、海岸沿いの洞窟や橋杭岩のような奇岩、古座川一枚岩などの見学。
以前観たNHK番組「列島誕生ジオ・ジャパン」で、紀伊半島の超巨大噴火(カルデラ噴火)でできた地層を一度見てみたいという願望を密かに温めていました。

ジオを堪能した日となりました。

和歌山の旅(その1)

紀ノ川SA

孫Kのリクエストで和歌山への夏の旅。私にとって初めてと言って良い。(サラリーマン時代に社員旅行で白浜泊があるがほとんど記憶なし)。紀伊半島の地質にはとても興味を持っていたので私自身もワクワク。サービスエリアからの眺望だけでもテンション上がってしまう。

朝9:30マイカーで出発。豊岡自動車道→近畿舞鶴道→中国自動車道→(渋滞情報により道順変更し六甲山超えて)阪神高速湾岸線→阪和自動車道→上富田ICから国道311→熊野本宮大社の道程。15:30到着。

熊野本宮大社。
熊野信仰の発祥の地。1889年(明治22年)熊野川の大水害で多くの社殿が流出したが、2年後に移築、再建される。

鳥居を過ぎると参道の階段が続く。階段両側には「熊野大権現」と書かれた白旗が並んでいる。熊野大社と言えば「八咫烏」(やたがらす)。神武天皇を先導し、導きの神として信仰される(神武東征)。「八咫」とは大きく広いという意味。足が3本あるのが特徴で、天・地・人を表している。日本サッカー協会の必勝祈願シンボルとしても有名ですね。

初日の宿泊は那智勝浦。勝浦漁港に入ると虹が歓迎してくれました。宿は「ホテル浦島」、漁港を囲むようにある半島にあり、屋上に登ると漁港も太平洋も一望できる。

孫Kが「バイキング」にこだわるのでキッズプランで予約。ホテル名物の「大洞窟風呂」はなかなか良い。海面スレスレにある洞窟の風呂「忘帰洞」。お風呂だけでも泊まってみる価値ありです。

何十年ぶりだろう?鳥取砂丘

ああ、この景色。
砂、人、海、空。

一度来れば目に焼きつく忘れることのない光景。
だが、何十年ぶりだろうかと振り返る。

アメリカからの家族と一緒に、鳥取砂丘へ。
「熱中症に注意してください!」とスピーカーから大音量で流れる。
砂丘が砂漠なった気分で、この暑さはこれはこれで良いではないか。

太陽、水平線。

砂丘はスマホカメラマンを写真家にする。

大山崎山荘美術館に寄ってみた

高槻に来たついでに、大山崎山荘美術館に立ち寄ってみた。

大正から昭和初期に活躍した関西の実業家・加賀正太郎氏が建てた山荘。正太郎氏没後、荒廃した建物を京都府や地元の町からの働きかけでアサヒビールが買収し、元の姿を復元すべく1996年に美術館として再興した。

故・加賀正太郎氏はニッカウヰスキーの設立にも参画し、当時、アサヒビール初代社長・山本爲三郎氏とも親交があったそうだ。時代を超えて、この親交がご縁とは(実際はそうでなくても)美談ですね。

『没後40年 黒田辰秋展』を観覧。

場所は天王山の山麓にある。
「天下分け目の天王山」と言われるように、歴史上数々の戦いの舞台となった天王山。

生い茂った木々で展望が狭まって見えにくいが、ここから桂川、宇治川、木津川の3本の川が一望できる。

室町戦国時代から幕末明治の歴史を感じるひと時となる。