突然の公演が素晴らしかった。会場は「江原_101」

突然の案内には「4月に制作を決意した作品の完成の目処が立ったので公演日程をお知らせします」とある。芸術文化観光専門職大学(CAT)のミズキ君から。公演場所はシェアハウス「江原_101」。作品タイトルは『帰依と忘却』。

開演時間までの間に、来た人からマッチを擦って線香に火をつけ立てる。準備されたノートに名前を記入する。

席の座布団に座る。目の前にあるのは、天地ヒックり返したガラスの水槽。プロジェクターが水槽に向けてスタンバイ。19:00開演。観客で立てた線香を逆さの水槽の中に入れ、煙が水槽の中に充満して行くのを見ながら劇は始まる。

作・演出・出演は、ミズキ君。映像に撮った全裸のミズキ自身が水槽の中の煙に映り出される。(事前に、実際にこの水槽に身体を折り畳み全裸で撮った映像)手前と奥のガラスに反射する光と煙に映り出される全裸の身体が絡み合い、ちゃんと聞き取れない音量にしたミズキ君のセリフが聞こえてくる。お経のようでもある。

何かが加わるわけでもなく、ただ静かに静かに45分間、なんとも不思議な時間が流れる。最後に水槽から出る映像のミズキ君が映って公演は終わる。

4月に亡くなったミズキ君の祖母の帰依、そして母への感謝をモチーフにしたという。シュールでアバンギャルドな作品だ。頭で理解するものではなく「何を感じるか」。
ひょっとしたら「突然の案内状が届く」ところから作品が始まっていたのではないか。

私にとって、とても興味深く、好きな公演でした。
なかなかやるぞ。

大山崎山荘美術館に寄ってみた

高槻に来たついでに、大山崎山荘美術館に立ち寄ってみた。

大正から昭和初期に活躍した関西の実業家・加賀正太郎氏が建てた山荘。正太郎氏没後、荒廃した建物を京都府や地元の町からの働きかけでアサヒビールが買収し、元の姿を復元すべく1996年に美術館として再興した。

故・加賀正太郎氏はニッカウヰスキーの設立にも参画し、当時、アサヒビール初代社長・山本爲三郎氏とも親交があったそうだ。時代を超えて、この親交がご縁とは(実際はそうでなくても)美談ですね。

『没後40年 黒田辰秋展』を観覧。

場所は天王山の山麓にある。
「天下分け目の天王山」と言われるように、歴史上数々の戦いの舞台となった天王山。

生い茂った木々で展望が狭まって見えにくいが、ここから桂川、宇治川、木津川の3本の川が一望できる。

室町戦国時代から幕末明治の歴史を感じるひと時となる。

「河畔の集い2023」〜移住者と地元住民の交流の場

江原河畔劇場(豊岡市日高町)で、但馬地域へ移住された方たち同士の情報交換、活動の様子をプレゼンする交流会が開催された。主催は豊岡市だが、呼びかけ対象は但馬3市2町に移住された方たち。地元近隣の住民たちにも案内して交流するイベント。

劇場前駐車場では、5台のキッチンカーが集結し、カレーやホットドッグ、クレープにおはぎまで食べられる。地場産業カバンづくりに従事する移住者のモノづくり体験、劇場内では、地方へ移住した人の成功事例、体験の講演会も行われた。

劇場2階では、コミュニケーション力を身につけるのを目的としたワークショップも開催されている。

こうした催しを通じて「演劇」が人と人の出会いや交流を促進する役目を果たすのが、演劇のまちづくりにつながっていくことを実感したイベントでした。

「静嘉堂@丸の内」と「明治生命館」

「静嘉堂文庫に行こう?」
「二子玉川まで行く時間ないよ」と東京駅でのやりとり。

世田谷区岡本にあった静嘉堂文庫美術館は、2022年10月に東京丸の内に移ってきた。私はそのことを知らなかった。これまた明治生命館という伝統あるビルの中なので、いわゆる「美術館らしい」外観はない。

正確には、展示ギャラリーのみが移転し、美術品、静嘉堂文庫(書庫の蔵書数は20万冊)の保管は引き続き従来の世田谷区岡本で行われるという。

今回の展示で、私が感動したのは何と言っても「国宝 曜変天目」茶碗。テレビでは観たことがあるが、やはり、生で見るのとは全然違う。

これが建設当初の明治生命館。1934年(昭和9年)竣工。設計は岡田信一郎。
昭和初期におけるオフィスビルの最高峰と言われている。
確かにこの存在感は格別だ。

太平洋戦争で負けた戦後、アメリカのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米・英・中・ソの対日理事会の会場として使用される。1997年(平成9年)に国の重要文化財に指定される。

この部屋が、中・米・4カ国代表の会場となった。
ここで、戦後の日本を決める重要な会議が続いていた。
「この部屋で。。。」

こちらは食堂。

『建築映画館2023』〜建築と映像が問いかける

「建築の映像というテーマと、その表現の可能性をより多くの人と共有し、理解を深めることを目的として、本映画祭を企画した」と当『建築映画館2023』の実行委員の瀬尾憲司さん(建築家/建築映画作家/ガラージュ)が述べている。

私も建築にはとても興味を持っている。それは現地を訪ねて現物を見るのが一番だが、書籍や雑誌の建築写真を見ることで、その作品を知ることが多い。今回は映画(映像)ということで写真とは違うどんな体験ができるのか楽しみにやってきた。

会場は、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)。飯田橋駅から徒歩数分。設計は近代建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事した建築家 坂倉準三。1951年竣工。

今回は前後の時間に余裕がなくゆっくりと建物を見学できないのが残念。

初日は、長編映画「11×14」(ジェームス・ベニング監督)と、マイケル・スノウの作品集(3本の短編セレクション)で開幕。

その後、オープニング・イベントとして「現代建築映像にまつわる対話」が行われる。
建築家と映像作家の3グループが登場し、それぞれの建築作品(制作プロセス)の映像を見た後に相互に感想を述べながら議論が進む。

右側3人が建築家集団のガラージュ(小田切駿、瀬尾憲司、渡辺瑞帆)。ガラージュが今回紹介した映像はシェアハウス「江原_101」の改築直前の空き家から始まり、改築途中、そして完成するプロセスを映像にしている。(この映像の中に私も登場する)

2日目は、「近現代建築と運動」(4本の短編セレクション)上映後、トークが行われた。登壇者は、建築家 西沢 立衛氏((有)SANAA、(有)西沢立衛建築設計事務所代表)とガラージュの小田切氏、瀬尾氏。

上映されたマン・レイやル・コルビュジェ、さらにOMA(Office for Metropolitan Architecture) の作品。

ル・コルビュジェの有名なサヴォワ邸ぐらいまでは知っているが、あとは知らない建築家、建築作品ばかり。ちんぷんかんぷんなのだが、西沢氏が実際に会ってアドバイスを受けた建築家レム・コールハース(オランダ出身の建築家)とのやり取り、現場のお話はとても面白い。

とてつもなく見える建築作品を見ると、どんな建築家が、どんな発想で、何を構想して建てたのか、と目が眩み、気の遠くなる感覚を覚える。しかし、そこは建築家も人間、その人の性格や経歴を聞くとぐっと親しみが湧いてくる気がした。

今回耳にした、建築家、建築作品、映像アーティストなど、たくさんの「宿題」をもらった気分(これは大変なことになったぞ)(^ ^;;
楽しみにながら調べてみよう。

『但馬風土記』〜大駱駝艦・田村一行舞踏公演

今年で8作品目となる舞踏公演(私はその内6作品を鑑賞)が、豊岡市民プラザで行われた。大駱駝艦田村一行さんの振付・演出・美術による公演。大駱駝艦から他に3名の舞踏家と市民8名の総勢12名。舞踏好きの私にとって、毎年待ち遠しい公演だ

2018年に市民参加型舞踏創造事業として始まる。豊岡演劇祭の開始よりも先駆けて舞踏と取り組んだ豊岡市民プラザも偉い! 市民参加の出演者も回を重ねるごとに「舞踏家」になっていくのが観て取れる。継続文化事業の模範になる。

今回は「但馬夜話蒐集録」と題して、但馬の神話、文化、人物、出来事、風景をモチーフに構成されている。市民ダンサーひとり一人の身体にも魅力あふれる物語があり、但馬に生きる人々の「但馬の物語」に田村一行が彷徨い込みながら舞踏は進行する。

講演後、ロビーにて出演者と歓談するのが恒例になっているようだ。毎年、このロビーで、知り合いの市民出演者に声を掛け、田村一行さんと言葉を交わすのも楽しみにしている。

今年は、一行さんにある約束をお願いをしました。それは、またの機会に皆さんにお知らせしたいと思います。

うーん、舞踏、いいね〜。

演劇のまちづくり〜シェアハウス取材

豊岡市役所からの依頼でシェアハウス「江原_101」の取材を受けました。主役はもちろん、ここの住人の芸術文化観光専門職大学(CAT)の学生たち。全国から演劇と観光を学びに豊岡に集まった学生たち。彼らが地域とどのように関わり、どう感じているかなど、豊岡に住んでいる感想など、インタビューに応じていた。

「演劇とまちづくりがどのように結びついているのか?」「市民はどのように演劇と関わっているのか?」「市民は演劇のことをどのように感じているのか?」「演劇との関連で町が変わっていくのか」そんな問いかけの取材。

江原地区の住人としては、江原駅と江原河畔劇場と駅前商店街を一つの区画として、演劇関係者が住み、往来し、カフェやレストランが賑わう、そんなエリアになれば良いのにと思っています。実際に平田オリザさん主宰の劇団青年団の江原河畔劇場を拠点として移り、劇団関係者の一部は既に移住、さらにCATの学生たちが住み、集い、活動する、そんな場所に。空き家も多くあり、まだまだ学生たちを受け入れる余地はある。

昨年は、東大生たちの劇団公演が江原の立光寺であり、合わせて約3週間に渡りお寺に合宿し、本堂で公演を行なった。また、友田酒造(江原)では、豊岡演劇祭のフリンジ公演(インスタレーション)もあり、近隣住民の人たちの評判も良かった。

演劇と関連しながら、ヒト(劇団、学生、観客)・モノ(イベント)・カネ(経済効果)・情報(市民参加)が絡み合う面白い街にしていきたいものです。

『但馬夜話蒐集録』〜舞踏 但馬風土記

昔 昔 その昔 も一つ昔のその昔
囲炉裏をかこむ人の影 雪と風が集めた物語
遠坂峠の涙雨 ながいながい冬の夢
但馬百日ぁ雪の下 冬の寒さを寝て忘りょ

大駱駝艦・田村一行舞踏公演が今年もやってくる。

「やってくる」ってのは、まるでサーカス団がやってくるような。
ウキウキもするし、どこかドキドキ感もある非日常の体験を恐る恐る待っている感覚。

豊岡市民プラザは、自主事業として2018年より大駱駝艦の田村一行さんを招いて但馬を主題とした舞踏公演を継続して行っている。私はその第2回目より連続してこの舞踏公演を欠かさず鑑賞。毎年楽しみにしている。(こんな舞踏が豊岡で観られるとは、あっぱれ市民プラザ!)

舞踏は、学生時代(1970年代)に笠井叡の舞踏公演を観たのが初めて。それはどんなアート(パフォーマンス)の初体験よりも衝撃的で、私を虜にした。笠井叡の自宅のアトリエ天使館(東京都国分寺市)での舞踏は忘れられない。自らピンク・フロイドのレコード『原始心母』(Atom Heart Mother)(音声)に針を落としながら舞う。まさに迷宮の空間だった。

話を戻します。

田村一行さんの豊岡市民プラザ公演は、大駱駝艦の舞踏家と市民舞踏団(市民から募集)とで行われる。私は公演の中での学生服姿の田村一行さんが好きだ。(今年はどんな展開になるのか)

今日、市民プラザに行ったついでに、チケットを購入。ちょうど公演前の市民舞踏団との稽古に田村一行さんがいらっしゃると聞いたので、リハーサル室に立ち寄り、公演を楽しみにしていますと伝えました。

舞踏 但馬風土記 『但馬夜話蒐集録』
2023年2月12日(日) 14時開演
豊岡市民プラザ

一般2,000円 大学生1,000円 高校生以下 無料

アートでまちづくり〜「倉吉未来中心」に思う

どうして倉吉? (倉吉で全然問題ありませんが)
と思いながら「ウィーン・リング・アンサンブル」のニューイヤーコンサートに行きました。

コンサート会場の「倉吉未来中心 大ホール」に到着すると、大きな建物と広い敷地に驚く。一緒にコンサートを聴いた鳥取に住む友人Gさんから「鳥取県と倉吉市が共同して、中部鳥取の文化振興を目的とした複合施設」との解説あり。

「倉吉未来中心」施設案内には、「人・ものの交流、情報発信」「鳥取県中部地域の活性化の拠点」「大小のホール、セミナールーム、様々なイベントが開催できるアトリウム」が備えられている。

普通「◯◯センター」となるところ「倉吉未来中心」と「中心」となっているのが面白い。中国語ではセンター(center)は「中心」と書く。それと倉敷は鳥取県の中部であることを意識してのネーミングだろうと察する。

アトリウム前の広場では高校生たちがスケボーやったり、並びにある広場では子どもたちが遊ぶ遊具のある公園、さらに数店舗のレストランが入っている建物がある。図書館、温水プールもある。駐車場も広く(774台)、全体としてゆったりとし、様々な市民のニーズ(コンサート、スポーツ、散歩、会話、くつろぎの場所)に応えることができている。(敷地面積42,000㎡)

巨大な複合ビルとも言える施設。アトリウムの上部は木製の梁が巡らされガラス張り、明るい広場が気持ち良い。が、大きいためによる無駄、ランニングコストはどうなのか、など少し気になる点もありそうだ。大ホール収容人数1503席・オーケストラピットあり、小ホール310席、リハーサル室、練習室2部屋、セミナールーム9部屋。オープンは2001年(平成13年)。少しバブリーな気もする。

現在、豊岡市も新文化会館建設のプロジェクトが進行中。
新文化会館の完成予想動画もあります。

場所(豊岡市大磯町/道号体育館と豊岡南中学校の間)と基本設計は決定している。少し場所が窮屈な感じがする。倉吉未来中心ほどではなくても、YBファブ(養父市)をみても、広々とした空間が心地よい。木立も充実させて心地よい立地環境もお願いしたいところです。

それよりも何よりも大切なのは、その文化会館の運営内容(運営理念、組織、人材、創造性多様性のある交流)をしっかりとやっていただきたい。そこには市民として注視しながら、意見・要望をしていきたいと思う。

アトリウムで一枚のチラシが目に入った。

アンディ・ウォーホルの『ブリロ・ボックス』だ。昨年、確か「なんでこんなベニヤの箱に3億円も使うのか」との市民(議会?)の抗議があって話題になった市がニュースで報じられていた。そうかそれは倉吉市だったんだ。「5個もいるのか?1個でもいいのでは」など、冗談かと思う批判もありました。

鳥取県は「全日本最後の県立美術館」と言われる県立美術館をこの倉吉未来中心の横に設置する計画。力が入っているのはよく分かる。ポップカルチャーを目玉にする思惑のようだ。

美術も音楽も、そして演劇も。
地方で楽しみ、地方から世界へ発信する思いはどこも一緒。
豊岡市もしっかりと、市民に愛され、世界にもアピールできるアートを発信していきたい。

内藤絹子展 at あさご芸術の森美術館

もしかしたら白い和紙が私にとっては畑の土に近いものになるかも知れません。言葉を線や形として和紙の上に描くのは、耕し、種を蒔く事に共通していて、結果的には作品になるのです。私の日常生活と作品制作は密接に関係し、切り離す事が出来ない気がします。
『紙の畑 内藤絹子展』 挨拶文より

秋晴れの陽光に誘われて朝来市の美術館にいく。版画家内藤絹子さんの個展を鑑賞。展示室入り口にある「ごあいあつ」(上記引用)にあるように、朝来市に移住して26年目の内藤さんは、四季を楽しみ、野菜を育て、静かに深く、環境に対して謙虚に、作品を制作されている印象を私は持っている。

内藤さんは「文字を描く」作家。
「書く」ではなくて「描く」。

内藤さんが挨拶文で述べていらっしゃるように、漢字「描」は、手偏(てへん)に「苗」。手で耕し、種をまき、苗を植え、そして収穫する。まさに、内藤さんの日常生活と作品制作が合体する心境ですね。
妻もとても気に入り、小さな作品を一つ購入。

久しぶりの「あさご芸術の森美術館」。朝来市にある多々良木ダムの真下にある。美術館の前では、『「最後の午餐」に集合した一同』(藤原吉志子・作)の動物たちが待っててくれる。