アッという間に咲いた シデコブシ

シデコブシ(モクレン科)
変わった名は神道の四手に基づく。しめ縄や玉串に下げる紙と、本種の垂れ気味の花びらが結びつけられた。花弁と萼は区別しにくく、両方合わせて花びらは十二〜十八枚。同属のコブシは全国に分布するが、本種は東海地方の丘陵にのみ自生。湿地の周辺に林をなす。花色は白から濃いピンクまで。
『花おりおり』 湯浅浩史・著

モクレンかなと勝手に思っていたが、根本の植えた時に一緒に埋めた樹種名の札を見ると「コブシ」と書いてある。がコブシって白い花だったはず、とネットで調べる。これはシデコブシというのが結論になった。

花おりおりによると、自生しているのは東海地方の丘陵のみ、との解説。こうして植物を調べていくのもなかなか面白い。

ヒュウガミズキ〜なぜヒュウガ?

ヒュウガミズキ(マンサク科)
マンサク科の花木で早春に咲く。最初の発見地は丹後の大江山山系の杉山。シーボルトが弟子の二宮敬作と共に見いだしたと伝わる。それにしてはなぜ「ヒュウガ」か。日向でも近年発見されたというが、少ない。丹波にも産し、麓次郎氏はかつてその地を治めた明智日向守光秀にあやかったかとも。
『花おりおり その三』 湯浅浩史・著

葉が出る前のヒョロヒョロっとした細い幹に咲く可憐な黄色い花が美しい。早春に「まず咲く」マンサクに少しを遅れをとって咲くヒュウガミズキ。同じマンサク科とあるから納得だ。

「花おりおり」の解説が面白い。最初の発見地は丹後なのになぜ「ヒュウガ(日向)?」。そこに明智光秀が出てきてビックリだ。丹後の大江山というから意外と近い場所、同じ気象条件だから定着しているのだろうか。グッと親しみが湧いてきた。

NAKATA HANGER in London(再録)

NAKATA HANGER のイギリス/ロンドンでの展示会。
詳しくは ” NAKATA Art Display in London”

展示会は、Arterton London の企画、協力のもとに実現しました。

オープニング・パーティには、ファッション関係者、サヴィル・ロウのテーラー・ショップの経営者、メディア関係者など、約200名が来場。

ファッション・センス抜群の来場者。

NAKATA HANGERをどのように評価していただいたのか気になるところ。
これからも顧客ユーザーの声に耳を傾けながら、より価値のあるものを提供していかなければと強く思うイベントでした。

「世界一のハンガー屋」に〜繊研新聞より

3月15日の「繊研新聞」(アパレル業界紙)に掲載していただきました。
2023年1月のロンドン・サヴィル・ロウでのNAKATA HANGER展示会についての記事。

NAKATA HANGERは、ハンガーを「洋服の帰る場所」(A Home for Your Clothes)と名付け、洋服を大切にケア、保管するための道具として位置付けています。

世界のファッション好きな人々から注目をいただいています。

▼繊研新聞(https://senken.co.jp/)2023年3月15日付
「世界一のハンガー屋」に
https://senken.co.jp/posts/nakata-hanger-230315

中田工芸(株)の創業者(中田敏雄)は、かつて「うちのハンガーを欧米に輸出したいという夢がある。実現したらハンガーの里帰りだ」とよく言っていた。

二代目(私)は、入社するといの一番に世界中のハンガー屋を調べ(ジェトロに依頼)、リストにある約300社に手紙を出した。返事のあった10数社のうち、ドイツ、フランス、イタリアのハンガー屋を、持てるだけの目一杯のハンガーをキャリーバッグに詰めて訪問した。成果は乏しかったが、ヨーロッパにあるハンガー・メーカーの経営者と出会ったのは貴重な経験だった。

そして三代目社長がロンドンへ。しかも「背広」の語源と言われる世界のファッション/スーツのメッカ「サヴィル・ロウ」(Savile Row)で展示会(NAKATA Art Display in London)を開くことができました。

三代の夢の実現、いや、物語が始まる。

夕暮れの日置橋

夕暮れ、ブラリと自転車で散歩。(この言い方、変ですね)
自宅から円山川下流に向かって数分。
日置橋のたもとから河原に下りる。

沈む夕陽が橋にかかる。
橋の下から、妙見山から神鍋高原に連なる峰が見える。

いよいよ沈む太陽。

正面(写真中央)が、JR江原駅、江原河畔劇場辺り。
その右に伸びる家並みが日置(ひおき)地区。
(私の祖父時代は「へき」と呼んでいた)

この角度(日置橋の上)から見る景色は新鮮だ。

ユキヤナギ〜今年は早いぞ

ユキヤナギが咲き始めた。
いつもの年よりも半月以上、早くやってきた。

名前から連想する訳ではないけれど、
クリスマスリースを思い浮かべてしまった。

青空〜春を待つ

気持ちいい、青空。

赤い屋根の江原河畔劇場。
その真上の平な山に但馬空港。

円山川を上流方向(南向き)に眺める。
進美寺の山が見える。

蛇行する円山川。

着陸態勢に入った伊丹→但馬空港便。

「河畔の集い2023」〜移住者と地元住民の交流の場

江原河畔劇場(豊岡市日高町)で、但馬地域へ移住された方たち同士の情報交換、活動の様子をプレゼンする交流会が開催された。主催は豊岡市だが、呼びかけ対象は但馬3市2町に移住された方たち。地元近隣の住民たちにも案内して交流するイベント。

劇場前駐車場では、5台のキッチンカーが集結し、カレーやホットドッグ、クレープにおはぎまで食べられる。地場産業カバンづくりに従事する移住者のモノづくり体験、劇場内では、地方へ移住した人の成功事例、体験の講演会も行われた。

劇場2階では、コミュニケーション力を身につけるのを目的としたワークショップも開催されている。

こうした催しを通じて「演劇」が人と人の出会いや交流を促進する役目を果たすのが、演劇のまちづくりにつながっていくことを実感したイベントでした。

やっとここまで〜難工事

ベランダに庇(ひさし)を出す工事が進行中。
やっと本日、この仮設のプラ段ボールとおさらばなのだ。

30年前に自宅(ドーモ・キニャーナ)を建てた時、3階ベランダの設計時にも、庇を作るか、無しで行くか、相当議論した個所。結局、なしで雨ざらしのベランダで30年間やってきた。

今回、室内室外が混じり合っていた3階を総室内化する改装計画で、ガラスで庇を出す決断をする。昨年10月よりスタートして、やっと今日、ガラスが入る。

早朝、円山川にかかっていた霧もすっかり晴れ、今日は快晴。
絶好の工事日和だ。

お昼になるが、ガラスが入ったのは、壁側(左側)の2枚だけ。
楽勝とは行かなくても、何度も下見をして、下準備をして、迎えた今日の工事なので、もう少し進と思っていたが、なかなか手こずっている。

陽は西に傾き、夕暮れが迫る。

ガラス屋さんが下で受け渡す人も入れて約8名、ガラス装着後、ステンレス金物を溶接で止める職人さん、施工を依頼している工務店、設計者の建築家3名、と総勢約15名が見守る中、工事は終盤を迎える。

とうとう陽は沈み、暗闇の中で続く。

なんとか終わる見通しはたったが、立ち去る関係者は一人もいない。
朝からの緊張の仕事がやっと終わりそうだ。

土壁に取り付ける、三次元に傾く傾斜角、先端はガラスのみ、屋根の上での作業。
確かに難しい条件がいくつも重なったガラス庇工事。

完成した暁には、今日の職人さんたちの仕事ぶりを一生、忘れることはない。
素晴らしい職人さんたちでした。
このベランダに立つ時、必ず浮かんでくる気持ちと言葉。
感謝。

「地域密着を磨き直す〜コロナ禍の地元メディア」(神戸経済同友会)

ホテルオークラ神戸にて、神戸経済同友会の幹事会に参加。年度末ということもあり、理事、幹事、会員などの異動多数。資料にて内容を確認、承認を行う。

幹事会前、各テーブルにてランチ・タイム。好きなテーブルで自由席な。たまたま座った席の隣には、日本銀行神戸支店長の竜田博之氏。初対面なので名刺交換をさせていただき、いつか但馬部会にて日本経済のお話をお聞きしたいなどと歓談。

今回の「会員講和」は、(株)神戸新聞社の高梨柳太郎 社長。コロナ禍における地元メディアのあり方、購読者の変化などがテーマ。

出だしの、ご自身の神戸新聞入社(1980年ごろ〜今日まで)の関西を中心とした様々な事件、災害など、駆け出し記者としての経験、その後の重大事件の取材経験のお話が興味深い。

グリコ森永事件(誘拐されたグリコ社長宅は西宮市)、山口組長射殺事件、阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件(少年A)、、、こう並べると記憶に残る、日本中の関心を集めた大事件、大災害が神戸を中心として兵庫県内で発生していたんだな、と思い直す。記者として東奔西走された頃が目に浮かぶようでした。

ちなみに高梨社長とは、同じ大学(早稲田)の同じ学部(政治経済学部)、学科は政治(高梨氏)と経済(私)で異なるが、同じ年の卒業。そんな会話もしたことがあります。