映画『大きな家』〜手渡しのように届けよう

東京の とある児童養護施設。ここでは、死別・病気・虐待・経済的問題など、さまざまな事情で親と離れて暮らす子どもたちと職員が日々を過ごしています。

家族とも他人とも言い切れない、そんなつながりの中で育つ子どもたちの本音と、
彼らを支える眼差しに密着しました。

生きることへの不安。うまく築けない人間関係。変えられないものと、ともに生きていくということ。

ここに映っているのは、特別なものではなく、葛藤しながらもたしかに大人になっていく姿と、それを包んでいる、いつか忘れてしまうような日常の景色です。

この映画を観終わったあとは、彼らだけでなく自分が歩んできた道のりをきっと肯定したくなる。そして、あなたの”ふつう”が少しだけ広がるかもしれません。

配信やパッケージ化は予定しておりませんので、ぜひ劇場でご覧ください。
映画『大きな家』公式サイト Introductionより

豊劇で上映中の映画『大きな家』(1/5、1/10〜1/22)を鑑賞する。

この映画は、昨年末に竹林亮氏のご家族の方からご紹介いただき、合わせてそのPRも頼まれていました。「ご家族」と言うのも竹林さんの妻は養父市八鹿町出身で、ご両親とは面識があったご縁で、という経緯。

上映後のトークで竹林さんからこの映画を作成するきっかけのお話がありました。俳優の斎藤工氏からのオファー。斎藤氏が映画の舞台となった児童養護施設と親交を持つようになり、そこの子どもたちやその日々を多くの人に知ってもらいたいとの思いからドキュメンタリー制作を頼まれたそうだ。(竹林監督『14歳の栞』を観て斎藤氏が白羽の矢を立てる)

7歳から19歳までの子どもたちが被写体となって登場する。その出自や施設に来た経緯はふれずに淡々と施設の職員と共に生活する子どもたちの成長ぶりを記録していく。

映画の後半で登場した子ども一人ひとりに施設や仲間について問うシーンがある。
「施設は家のように感じるが実家ではない」
「俺にとってもみんなは一緒に暮らしている他人」

「思い」と「事実」のはざまで悩みながら答えるシーンが印象的。

親元を離れ社会的養護のもとで暮らす子どもは日本に約42,000人いること、退所後も多くの苦労を抱えて暮らしている人たちがいることも知る機会になりました。

上映後、竹林さんとロビーで少しお話をしましたが、とても誠実な方と言う印象。真面目に社会問題と向き合って作品づくりをされていることを感じる。

竹林さんの奥さんも大手広告会社の編集長をされているそうで、私の会社もお世話になった時期もあるので、また但馬に来られた時には、ゆっくりとお話をしましょうとお話しをしながらお別れをする。

「『大きな家』を観てもらうことが、意識が変わることに直結し、それがどんどん広がっていく。様々な立場の方々に観てもらうことが、子どもたちにとって一番の支援になる」とおっしゃっていました。
子どもたちにとって、暮らしやすい社会をつくるために、まずは本作を応援いただけたら嬉しいです。
ぜひ本作で感じたことを、ハッシュタグ #大きな家 で教えてください。
(Message 「映画館で、手渡しのように届けたい。」 より

夜の雪

今シーズン2回目の積雪。

夕方から降り出した雪は夜9時半になっても降り続ける。

さ〜て今夜はどれぐらい降るのだろう?

夜の雪も美しい。

CINQUE IKARIYA〜炭火焼きが美味しいイタリアン(京都)

京都町屋を改装したイタリアン・レストラン「チンクエ イカリヤ」。

宿泊するホテル近くでイタリアンで検索して行ったお店が大正解でした。看板料理が炭焼き肉料理とあるのが決め手となる。

骨付き鶏ももの炭火焼き。中身はフワッとして柔らかく少しお焦げがついて香ばしい。イメージ通りの美味しい一品でした。パルメジャーノレッジャーノチーズに作ったお椀型のくぼみの中に入れてリゾットが出てくるなかなか憎い演出。こちらもなかなかの一品。

京都地元の野菜にこだわった前菜、サラダなどもおすすめ。
ワインもお料理に合わせて紹介してくれるのも良かった。

CINQUE IKARIYA(チンクエ イカリヤ)
京都府京都市中京区突抜町138-3
075-708-6815

今日庵〜2025年初釜(初稽古)

裏千家今日庵の初釜。
昨年、家元ご家族のご不幸があり「初稽古」として執り行われました。
朝9時からの席にご案内いただく。

待合の床間の棚にはヒカゲノカズラ。我が家のお正月にも飾ったのですぐに分かる。

京都の和菓子店「川端道喜」の花びら餅。「御菱葩(おんひしはなびら)」と呼ばれ裏千家の初釜用に製造するお正月の和菓子。
川端道喜は、16世紀初頭に創業した老舗和菓子店。

濃茶席では、家元坐忘斎と大宗匠鵬雲斎の新年のご挨拶。
お家元からは、デジタル・インターネットなどの発展で文化が薄れていく時代となり、人と人のアナログの交流をより大切にしていきたい。
大宗匠からは「平和という言葉」を発してなくても良い世界になっていって欲しい。分断と紛争の時代を終わらせなければいけない。

薄茶席では若宗匠のお点前。
昨年の淡交会但馬支部80周年記念式典にお越しいただいたことのお礼を改めてさせていただきました。

40年ぶりの法隆寺

社員旅行で訪ねて以来、約40年ぶりの法隆寺。
五重塔と金堂は覚えているが、境内の配置など記憶が薄れている。

五重塔と金堂

閉門まで30分しかない時間に訪ねたので回廊に囲まれた境内しか参拝できないのが残念。夕暮れが迫り、夕陽に照らされてまさに金堂がさらに赤く輝くのが美しい。

夕陽に照らされて赤く染まる五重塔。

版築の壁。
仕上げの塗りが落ちて積み重ねた土が筋状になって現れている。
古きものでも自然素材は美しい。

正岡子規の「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」を口ずさみながら法隆寺を後にする。

法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
tel :0745-75-2555

慈光院〜さつきの庭園と奈良平野の眺望が素晴らしい

境内入口

聚光院(奈良県大和郡山市)を訪ねる。

慈光院(じこういん)は臨済宗大徳寺派の寺院。
石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として建立。1663年(寛文3年)

客殿前は、、平垣にして周囲に大刈込、築山、庭石、まつ、ひのき、かし、つばき、つつじ、さつき等の樹木を配し 石敷道と歩石とは客殿と庭門とを繋ぐ
(入口案内板より)

茅葺き屋根。
入母屋造茅葺屋根の書院。
茨木門は徳川家康の発した一国一城令により取り壊された片桐石州の出生地でもある摂津茨木城の楼門をもらい受けたもの。屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えている。

白砂とサツキの大刈込みの庭園。
大和平野を一望できる借景を書院から東を眺める。

茶室(高林庵)は重要文化財となっている。
片桐石州好みの二畳台目の席。
床前を点前座とした亭主床の構えをとる。

この築山には圧倒される。
サツキやツツジが入り混じる。抹茶をいただきながら住職のお話を聞く。
鳥が種を運んできた実生(みしょう)の木も混じっているそうだ。

慈光院
奈良県大和郡山市小泉町865
tel:0743-53-3004

ならまち散策

奈良市観光センター NARANICLE

JR奈良駅近くのホテルから出発し、三条通りを興福寺方面に散策。
近鉄奈良駅への交差点の角にある奈良市観光センター「NARANICLE」(ナラニクル)。ネーミングがいいですね。

実は到着した前日の夜は夕食難民に。開店時間を少し過ぎた時間帯であったこともあり、居酒屋やカフェバーはどこも一番客が入った直後で満席。待ち時間も長い。歩き回った末に入ったのはこの「NARANICLE」の中にある「カフェ・エトランジェ・ナラッド」

実は、このお店がオープンして間もない2018年、グロービスの掘義人さん主宰の「G1関西」に参加した時のパーティ(二次会)会場。レストランのオーナー佐藤裕久氏(株式会社バルニバービ社長)もG1メンバーで同席。楽しい時間を過ごしたので再来できたのは良かった。

猿沢池 興福寺

猿沢池。
興福寺の五重塔は修復中。

もう一つのお目当てはお目当ては、中川政七商店奈良本店のある「鹿猿狐ビルヂング」。
300年続く中川政七商店の創業の地(元・中川家のご自宅)を改装して造られた場所。
店舗、資料館、体験コーナーなどが入っている複合施設。

中川政七商店の商標の「鹿」、猿田彦珈琲の「猿」、すき焼き割烹「㐂つね」から「狐」に因み、そのまま「鹿猿狐ビルヂング」と名付けたセンスが中川さんらしい。

300年の歴史の資料館と体験コーナのある「時蔵」
パネルと屏風でその歴史を辿る。

鹿猿狐ビルヂング
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町22番
近鉄 奈良駅 徒歩7分、JR関西本線 奈良駅 徒歩15分

大和路巡礼とはゆかねども「今井町」に感動

今井まちなみ交流センター「花甍」

2025年の幕開け。日本の始まりを訪ねて神武天皇を祀る橿原神宮へ向かう。
が、初詣の渋滞に巻き込まれて自動車から畝傍山を横目に眺めながら遅々として進まない。自動車道から橿原神宮へ向かう道路も渋滞しているのが見える。

と言うことで、橿原神宮をパスしてもう一つの訪問予定である、すぐ近くの「今井町」の散策に切り替える。

「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている今井町。
その歴史は天文年間(1532〜1555)にこの地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって「称念寺」を中心にした寺内町が建設されたことに発する。

1568年(永禄11年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛以来、本願寺は信長と敵対したが敗れる。今井も本願寺側として信長と戦ったが、1575年に明智光秀を通じて信長に降伏。その時には、今井町出身の茶人・今井宗久(三代茶人の一人)のとりなしもあり和睦に持ち込んだという。

「称念寺」を中心とした寺内町の今井は、江戸時代初期には、東西600m、南北310mの中に戸数1100軒、約4000人が住んでいたと言う。現在は約500軒になったとは言え、ほとんど全ての家は現在も人が住んでいらっしゃる。江戸時代の街並が外観だけでなく、実際に現在も生活されているところがなんとも凄いところです。文字通り「街が生きている」のがよくわかる。

お正月なので、中を見学できるのは「高木家」のみだったのが残念ではあったが、酒造業を営んでいた高木家は約200年前江戸後期のもの。もちろん現在も高木さんが住んでいらっしゃる。

「中澤家」の前に立つ案内板によると、
「豊臣秀吉が吉野へ花見の途中本陣として定められたお茶屋跡」
とある。今井町の当時の繁栄が偲ばれる。

江戸時代の建物が現存するだけではなく、実際に住んでいらっしゃる現役の町屋。
訪ねてみる価値大、お薦めの「今井町」でした。

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを聴きながら

昨夜の新年会で大いに盛り上がり、片付け終えて午後はゆっくりと。

昨日(1/1)に録画していた『シュトラウス生誕200年 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート』(NHK)を聴きながら年賀状や新聞に目を通す。
さすがに年賀状は激減。メールやSNS時代の到来を実感。

今年のニューイヤーコンサートは、指揮は今年83歳になるリッカルド・ムーティ。2018年ウィーンへ行った時のウィーン楽友協会(中には入らず)のロケーションを思い出しながら聴く。

ウィーンフィルのチェロ奏者とは深いご縁があり、彼らを画面の向こうに見るのも大きな楽しみです。

昨年の夏に豊岡のIさん宅でお会いしたへーデンボルク・直樹さん。その時は直樹さんの家族(父、母、奥様、娘たち)にもお会いして会食。子供同士(こちらは私の孫たち)も仲良しに。

シュテファンとは、2002年のチェロコンクール(養父市ビバホール)以来の付き合い。
ウィーンに行った時も彼の家に招待していただきバーベキュー。その時には、同僚のセバスチャン夫妻も一緒で楽しいウィーンのひと時を過ごしました。

その3人が揃ってステージで演奏しているのを観ながら、聴きながらくつろいでいるのってなんとも贅沢な気分。また、次回この3人に会ったら(おそらく別に別にだと思うけど)今のこの気持ちを伝えよう。

2025年元旦

明けましておめでとうございます。
雪のない穏やかな天気で元旦を迎える。

家族揃ってお雑煮をいただく。
炉はちょっとお休みしてもらって、お屠蘇と重箱を並べる。

床には「ヒカゲノカズラ」を飾る。
なかなか手に入らないヒカゲノカズラは、昨年「口切りの茶事」にお呼びした滋賀県の方(妻の知人)から送られてきた貴重な縁起物。

ヒカゲノカズラは「古事記」で語られている。天岩戸にお隠れになった天照大神を外にお出しするきっかけとなった舞を踊るアメノウズメノミコトが身につけていたのがヒカゲノカズラ。関西の「掛蓬莱」というお飾りはヒカゲノカズラをベースにしたもので、長寿を祈願するものとされている。

午後は恒例の新年会。
妻が料理したお節やちらし寿司が並ぶ。
囲炉裏では、みんなでついたお餅を焼きながら。(鶏肉がメイン?)

シェアハウス「江原101」の学生たちや但馬コネクションの仲間やその家族、近所の子供たちも集まって賑やかな新年会。CATの学生たちはこの春に卒業する4年生が中心。それぞれの進路に向かって豊岡を離れていく。でもみんな江原を気に入ってくれているのが嬉しい。

世界は戦争や紛争が続き、悲惨な事件・事故が発生、地球温暖化による自然災害も多発している。そんな現実に直面しながらも、それぞれがそれぞれの目標に向かって突き進めるように祈りながら新年を祝いました。