タカサゴユリ〜豪華だけど咲く場所がちょっと

タカサゴユリ(ユリ科)
タカサゴユリはテッポウユリに似るが、茎が比較的太く丈夫で、丈が 1.5m ほどに生長するものもある。花期は7 – 9月、花長は 15-20cm、直径は 5cm より大きめと、テッポウユリよりも大型になる。また葉が細く、花は白を基調とするものの薄い紫色の筋が入り、花被片は6枚で(やはり根元がつながっている)、外側の花被片は橙褐色になり、花は横向きだが少し下に傾くことが多いとされる。
Wikipedia より

昨日のオトコエシと同じ空き地のフェンス横でポツンと咲くタカサゴユリ。

台湾固有種で、台湾の古称「高砂」に由来する名前。
1924年に園芸用に輸入された帰化植物。

高速道路法面などに植えられたそうなので、その延長線でこの道路脇フェンスで咲いているのだろう。繁殖力が強く駆除の対象になっている。

可愛らしい、では済まないのが現実なんですね。

オトコエシ〜名前の由来が面白い

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オトコエシ(オミナエシ科)
花よりも蕾に目が向けられた。それは対をなす名の花オミナエシに通じる。『倭名類聚鈔』はオミナエシは花が蒸粟のごとしか、と述べる。確かにアワバナと呼ぶ方言も多い。対して本種の白い蕾を米とみて、女にたとえられたアワよりも、力がつくと男をつけたのであろうか。鼻は臭く、漢名は敗醤。
『花おりおり その三』 湯浅浩史・著

女郎花(おみなえし)は知ってたけど、男郎花(おとこえし)は知らなかった。
粟(あわ)に例えられたオミナエシに対して、米(こめ)に見立ててオトコエシと名付ける、とあるが判るような判らないような。

いつも通っているフェンス横に自生していたオトコエシ。近所の花屋さんに名前を教えていただいた。さすが花屋さんだと感心してしまった。

「ディア101」〜お茶の間トーク第1弾

今日から「豊岡演劇祭2023」が始まる。
こちらは東大・慶大生による劇団遊学生の「ディア・ディア」公演が終わり、すでに熱気が漂う夜のシェアハウス「江原_101」。

公演後も、豊岡演劇祭の観劇や地元の演劇学生たちと交流をするために残った遊学生たちとシェアハウス江原101の演劇を専攻する学生たちとのトークを開催。

テーマは「地方で生活すること」。
遊学生たちは、豊岡公演の前に四国香川県三豊市で公演を経験。「演劇??」「なぜここで」など、ピンとこない住民への広報の困難さなど、演劇活動と地方の実態などを意見交換。101の学生もそれに応えて豊岡に来て2年半の学びと生活の実感を語り合う。

数年ではあるが、先行して豊岡市は「演劇のまち」を志向し演劇公演を観る機会が多かった分、市民の反応は全然違う。実際にやってみる、続けてみることの大切さを痛感するトークでもありました。

わーぁ!もうどうしようもない

またまた、伸びるに伸びた雑草。
(ごめんなさい「雑草」にもちゃんと名前があって成長する権利はあるのですが)

猛暑、突然の雨、こちらの予定、いろんなことが折り合わずに
草刈りを箒、いや間違い箒ではなく放棄。

伸びすぎると草刈りは余計に手間がかかる。
さあ、どうする?
心理戦が始まりました。

今年も遊学生(3期生)の打ち上げ

劇団遊学生の打ち上げ。
昨夜『ディア・ディア』豊岡公演を終え、9月初め四国の三豊・観音寺(香川県)から始まり、そのまま豊岡へ移動した今回の公演の旅も無事に終了し、今夜の打ち上げとなった。

打ち上げには、シェアハウス「江原101」に住むCAT(芸術文化観光専門職大学)学生、建築家集団のガラージュも参加し、交流するのも目的の一つ。

東大生、慶大生、早大生、若手建築家、ドイツからの留学生、ドイツ留学を終えた関学院生など約30名の若者ばかり。お肉もチキンもちらし寿司もパンもサラダもいつもよりたっぷりだ。

時刻も10時を回り、最後に記念撮影。
将来の、建築家、学者(文化人類学、科学、法学、文学)、弁護士、官僚が育ち、作・演出家、俳優、ダンサー、プロデューサーが誕生していくだろう。
もちろん、地方・地域づくりに貢献する人材の出現も大いに(最も)期待しています。

未来がとても楽しみ。
国内外どこにいても、いつでもぶらっ戻って来れる場所としてのシェアハウス「江原101」。そして「ドーモ・キニャーナ」でありたい。

『ディア・ディア』〜劇団遊学生2023年度豊岡公演

劇団遊学生による『ディア・ディア』を観劇。
(公演は写真撮影不可なので画像がないのが残念)

昨年に続き、東大・慶大のすずかんゼミの学生たちが結成した劇団遊学生の公演。会場は立光寺(豊岡市日高町江原)の本堂。

昨年の『地獄変』公演で得た経験を元にしてなのか、立光寺本堂の空間を上手く利用していたのがとても印象的。(昨年と反対向きの客席と舞台)。観客は本尊を背に境内に向かって座る。作・脚本は、登場人物でもある二人の共作。

「宛先のない手紙を配達する郵便屋」の物語。
SNSが伝達の主流になりつつある現代は「誰が誰に向かって、何を伝えたいのか」が不明瞭な伝達、情報が溢れかえる。差出人も判らない、受取人も判らない。
人の想い(手紙)を届け、受け取る登場人物たち。大切なものを忘れかけていないだろうか?とふっと優しく問いかける。

昨年も迫力ある芝居であったが、脚本、演出、そして役者たちもさらに進化しているなあ、といのが感想。セリフ発声も優れ、劇の中に引き込まれる瞬間もありました。

もう一つ踏み込んで「笑いあり涙あり」の演出場面があったらなお満足感が上がったのではないかと思う一方、稽古期間も限られた現役学生の演劇として大いに楽しめました。

進化の法則に基づき、来年の3回目公演を大いに期待したいところです。

魂入ってきたかなシェアハウス〜江原_101

但馬コネクションの開始直前のセッション会場

「仏作って魂入れず」
せっかく良いものを作っても、大事なものが抜け落ちていれば、作った努力もむだになる。

良いものかどうかは別として、シェアハウス「江原_101」の活動が活発になってきました。

「オープンなスペースが欲しい」と言う要望に応えて、壁、天井、障子、収納庫を取り除く。明るく開放的なスタジオが誕生し、想像していた以上に快適。

今回のようなセミナーもできるし、車座になってミーティングしたり、ミニ演劇公演、ワークショップ、普段は住民であるCAT学生がストレッチやダンスレッスンしたり。時々、ベンチを組み合わせてテーブルにして、鍋パーティをしたこともある。

車や人の往来も見える奥の道路側の窓の下には、靴を履いたまま入れる土間がある。特製「土」のテーブルでコーヒーやお茶で一服。

玄関サイドから見たスタジオ。

スピーチやプレゼン話し手の席とスクリーン。その奥のロールカーテンを上げると、窓の向こうには円山川の美しい景観。

右側のバスルームとシャワー室、トイレ、左側のキッチンとは直結し、コンパクトに収まり利用できる。

2階から見たスタジオ。

2階のくつろぎスペース。円山川を間近に見下ろし、川からの風が気持ちいい。時には、1階スタジオと2階と連携させた企画もありました。

「豊岡演劇祭2023」でも、このスペースを利用したイベントが行われます。
地域コミュニティ、学生たちの交流、学びの場、もちろん但馬コネクションの会場として、大いに利用が広がって来ました。
江原_101イベントにもどうぞ、気軽に立ち寄ってみてください。

「俳句、その速度と量」岩田奎氏(俳人)但馬コネクション(#67)

9月の但馬コネクションは、ゲストとして岩田奎君にお願いをしました。

「君」と呼ばせてもらうのは、2021年岩田君が大学4年生の時に、半年ほど豊岡に移住。活動中に芸術文化観光専門職大学(CAT)の学生と知り合い意気投合。5人の仲間で住む家を探している時に私と出会う。そんな経緯から、あれよあれよと会場となっているシェアハウス「江原_101」ができるきっかけとなった。言わば、岩田君の「家」でもある。

セッションは俳句愛好家も集まり会場は満席。前半は岩田君にとっての「俳句とは」の話。

スピーチの出だしに「俳句に心なんかいりません」との衝撃的な話に会場から「うぇ〜?」との驚きともため息ともつかぬ声が漏れる。私たちが通常思い描いている俳句の概念が覆される。

スマホで句を作る参加者(みんな真剣)

タイトルの「俳句、その速度と量」の解説のあった後、参加者も即興で俳句を作る。岩田君が設定したGoogleフォームをダウンロードし、そこに閃いた句を機関銃のように書き入れる。お題は「渡り鳥」。わずか15分ぐらいの間にみなさんから200以上の句が集まる。

その句(誰の句かは判らない)の中から岩田君が「面白い」と思った句を選別しながら、俳句への興味を引き出していく。みなさんの俳句の既成の概念、印象が変わった瞬間でもありました。

シェアハウス「江原_101」でのイベントのお知らせする住民学生

第二部のティーパーティに移る前に、豊岡演劇祭関連の公演、イベントの広報宣伝。このシェアハウス「江原_101」でも演劇祭期間中に、ミーティングスポットとして、たくさんのワークショップやトークイベントが予定されている。