ネブラスカ州ビジネス訪問〜穀物、牛肉を運送する巨大物流

ネブラスカ州リンカーン市を出発をし、オマハ市へと向かう。見渡すかぎりのトウモロコシと大豆の畑が続く。

ネブラスカとは、ネイティブアメリカンの言葉で「平らな川」と言う意味。

ネブラスカ州には、ポンカ族、オマハ族、サンテ・スー族(ダコタ族)、ウィンネバーゴ族と言う4つの部族が住んでいる。

Dee Baird氏 (左端)、Cobus Block氏(右2人目)

オマハ市に到着。
オマハ商工会議所のメンバーとランチ・ミーティング。
みんなお洒落ですね。

右から二人目がネブラスカ州政府経済開発局のCobus Block氏。彼に私たちの訪問先をアテンドしていただいた。

ネブラスカ州の産業は農業。州別生産額は全米第3位(23,639百万ドル)。トウモロコシ、大豆についで牛肉となる。私たちもオマハ・ステーキをいただく。赤身で柔らか。焼き加減もパーフェクト!

私の前に座ってたディー・ベアードさん(経済開発副部長)。私の次男は、日本の高校(豊岡高校)を卒業後すぐにアメリカの大学に進学。お隣のアイオワ州の大学で4年間学んだと話すと、なんとベアードさんの夫も同じ大学を卒業。最後に一気に話が盛り上がり、ツーショット。(It’s a small World ! )

午後は、穀物商社Scoular社。どう言う経緯か知らないけど、例の粉飾決算が発覚して倒産した(エンロン事件、2001年)エンロン社から買収したのが、この本社建物だそうだ。

農産物ビジネスについて説明を聞く。特に、日本への大豆の輸出が大きい。日本の大豆消費の7%が、このScoular社からものとは驚きです。

本社建物の外観はシンプルだが、中のオフィスルームは高い天井とクラシックな意匠で落ち着いて仕事ができる。地方にあってもアメリカ企業の底力を感じる空間だ。

午後2つ目の訪問企業は、物流のWerner Logistics社。全米4位のトラック輸送会社。トラック7000台、コンテナー24,000台を駆使して、全米の物流を支える。特に、国境超えのメキシコとの物流は全米1位。

創業者のC.L.Werner氏の写真。19才の時、家にある小さな乗用車を売り、その資金で中古トラックを購入して創業。1代で全米4位のトラック運送業者に。現在82才でご健在。まさにアメリカン・ドリームを実現した人物。

ワーナー氏が19才の時に購入したトラック(レプリカ)。
最初はこれ1台。自ら運転し、草原の風をきって疾走するワーナー氏の姿を想像する。
 

会社を案内していただく副社長(右側)。ちょうど通りがかったベテランのドライバー(左側)。50年間無事故。ワーナー社の誇りだとの紹介です。

大型トレーラー運転のシミュレーション機。

超デカイ敷地と社屋。全米をカバーする配車セクションのオフィスは壮観。その他、ドライバーのためのジム、プール、ショップ、休憩場所など全て24時間オープン。

実際にやってみる。街、草原、雨、雪、工事、横道から飛び出してくる車、などいろんな場面が登場。横風も想定してハンドルが取られ、シートが揺れる。とてもトレーラーを運転するなんて想像もつかない。

社屋裏手には、数百台の現役トラックが整列する。

トラックの平均年齢は1.9才。新車トラックを購入してから3.5年〜4年で更新。月200台ものトラックが中古市場で販売し更新される。メンテナンスが良いため、高額で売れるそうだ。その販売利益は10億ドル。アメリカ経済、市場のダイナミックさに圧倒される数字だ。

アメリカへ〜兵庫県米国ビジネスミッション

兵庫県とアメリカワシントン州の姉妹提携55周年記念セレモニーに参加するためにアメリカへ出発。

2月にプライベートでハワイに行ったが、2016年の台湾での事故後、初の欧米本土への長距離フライト。2年間長距離旅行を控えていたので、今回はビジネスクラスで移動。やはり快適だ。

ミネアポリス上空

大阪空港→羽田空港→ミネアポリスの旅程。合計16時間で到着。ここで入国審査を受けるが長蛇の列。約1時間半並んでやっと入国。ESTAと機械審査機にいつもの審査。特に今は厳しいのだろうか。

ネブラスカ州リンカーン空港

さらに乗り継いでネブラスカ州リンカーン空港へ。ミネアポリスでの入国審査に手間取り、危機一髪でなんとか乗継便に間に合う。1時間30分のフライトで到着。

まずビジネスで、でないと来ないだろうネブラスカ州リンカーン。ここは川崎重工(株)の鉄道車両を製造する工場がある。川崎重工の城下町。空港にはKAWASAKIの大きい表示が待ってくれている。

リンカーン市は、ネブラスカ州第2の都市。と言っても、人口27万人。見渡す限りの大平原。産業は、トウモロコシ、大豆、牛肉、豚肉など農産物。オマハステーキは有名だそうだ。

ホテルチェックインは、17時30分。自宅を出てから何時間だろう?20時間?ふっー!

ホテルから歩いてすぐ近くのレストランで夕食。今回のビジネスミッション参加者約20名の皆様と結団式を兼ねて乾杯。無事、初日が終了。

2度目のハワイ(その2)

朝起きるとこの風景

青い海、青い空、白い雲。
(これ以外に何と書きましょう?)

ベランダからは潮を吹くクジラが見える

ハワイ在住のF氏宅を訪問。妻の大学時代の友人。私の初アメリカ旅の折にロサンゼルスで出会って以来、約40年ぶりの再会だ。

ダイヤモンドヘッドをくるりと回り込んだ超・高級住宅街にある。Black Pointという特別なエリア。天国の眺望なのだ。

オアフ島南部の移動は、ワイキキ・トロリーが便利だ。

レッドライン(Red Line)でワイキキビーチ→ホノルル美術館→チャイナタウン→ダウンタウン→カメハメハ大王像→アラモアナセンターと約1時間半で周遊できるコースに乗車。

イオラニ宮殿の前の広場に立つカメハメハ大王の像。

あっという間に陽が沈む

1回目のハワイで体験。「いつか妻と」と密かに思っていた夕暮れ時のクルージング。

やけどしないでね、手。

「今日もありがとう」の心境?
夕陽をそ〜っと水平線に浮かべよう?

実は、こちらも大切。オマールエビと白ワインで大満足だ。

毎日がこんな青空だったならば、人生変わるだろうなぁ。

モンキーポッド。中南米を原産とするマメ科の木。

この木、みんな、知ってる木、です。

ハナウマ・ベイ

オアフ島東端のハワイ・カイの湾。突き出した左側の半島の向こうに、潮を吹きながらゆったりと回遊(海遊?)するクジラが見える。

ヌウアヌパリの古戦場跡

ホノルルのダウンタウンから北へそそり立つ崖、ヌウアヌパリ。1795年、カメハメハ大王によるオアフ島征服の最後の舞台となった場所。

私の「2度目のハワイ」は2年間のブランクのあと、いろんな意味で手探りの旅だった。これからの海外旅への興味、準備、行動計画、楽しむ方法を再確認。

旅の勘も少し戻ったいい第一弾となりました。

2度目のハワイ(その1)

ワイキキ中心部のホテルへチェックイン。ビルの間にダイヤモンドヘッドが見える。

NHKの「2度目の旅」シリーズが面白いからではないけれど、「2度目のハワイ」(2018年2月)の記録を書いておきます。
(ブログ再開は3月だったので)

ホテル部屋から見る水平線。まずまずいい出だし。

2016年3月の台湾での事故から2年が経ち、ようやく体力も体調もそれ以前に戻って来た。かねてより私の人生計画の一つだった「気まま海外の旅」の第一弾としてハワイに行くことにした。

「ゆっくり気ままに」がテーマなので、キッチンのあるコンドミニアム形式の部屋に。少しリッパ過ぎ。

もちろん事故後、海外への旅は初トライ(渡来)。(^ ^)

チェックイン後、歩いてワイキキビーチへ。夕暮れのビーチ。

初めてのハワイの時は、超過密な仕事の合間をぬっての経営者仲間との旅。心身共に疲れのピークだったのだが、ハワイの気候の所為か、とてもリラックスし、慢性的な肩こりも楽に。

夕食の予約を入れ、少しの間でもこれ!無事の到着と空腹でガカモーレとジントニック。これ一番美味しかったかも。

その経験があったので、今でも少し襲ってくる頭痛、耳鳴りもひょっとして快癒するのでは、との淡い期待も込めつつやって来た。

夕食までのひと時。

もちろん、この2年間、心配と世話をかけてしまった妻と一緒。むしろハワイが初めての妻のための旅と言った方がいいかも。

Bishop Museum

これまで、欧米への旅は二人で経験しているが、どこに行ってもまずは、その国、地域の歴史、文化に興味があるのが二人の共通項。おっと、美味しい食事とお酒も大共通項ですが。

カメハメハ大王の肖像画

旅の出だしは、ビショップ博物館。(Bishop Museum)
カメハメハ王家最後の直系子孫パウア姫追悼のために、設立した博物館。王家伝来の美術工芸品などが収蔵されている。

ビショップ博物館には、アジアから、ポリネシアからの人類の移動、その歴史、そして民俗学的に興味深い展示物がいっぱいだ。

ワイキキでは、どこに行ってもABCストア。

1日の最後は、チーズとワインの買い出しへ。これは毎晩となる。