

豊岡市立歴史博物館の企画展「但馬山名氏と山名四天王」に行く。
1/7最終日。^ ^;;
旧・日高町時代(2005年に豊岡市と合併)は「但馬国府・国分寺館」として、当地にあった「国分寺」や「但馬国府跡(祢布ヶ森遺跡)」の資料の展示を行っていました。歴史の時代と場所の範囲が狭いので、全豊岡市の歴史を一望できる博物館があればなあ、と思っていました。そして合併を機に歴史博物館として改称して親しみやすい展示で紹介するようになりました。
前置きはこれぐらいにして。

山名氏と言えば、応仁の乱の西軍総大将の山名宗全(山名持豊)を思い出す。
山名氏は室町時代から戦国時代にかけて但馬守護職を務めた武家一族。全国66ヵ国中11ヵ国で守護職に就いたことから「六分の一殿」とも呼ばれる。
今回の企画展は、末裔の山名祐豊(すけとよ)の戦国時代。解説には、1580年(天正8年)の羽柴秀長の侵攻により山名氏の但馬支配は終わり、四天王の多くは但馬を去るとあります。

「但馬山名氏と山名四天王」とは、室町時代から戦国時代にかけて但馬守護であった山名氏と、その支配を支えた太田垣氏、八木氏、垣屋氏、田結庄氏のことを指す。山名氏の衰退とともに独立色を強め、西に毛利氏、東に織田氏が台頭すると、2派に分かれ抗争を繰り広げる。
四天王と言われる、太田垣氏、八木氏、垣屋氏、田結庄氏は、現在でも但馬各地の城跡などその名残りを訪ねることができる。

こちらも市民としても大変興味深く、貴重なパネルですね。
縄文時代から江戸時代までの遺跡の場所と時代を記号で表している。
古代からの歴史があり、その証を辿ることができるのは凄いことで、とても興味を唆られます。


旧・日高町日高地区を見るだけでも、古墳、奈良・平安、鎌倉〜戦国時代の遺跡が多数ある。江原周辺(右画像)だけとっても奈良時代の但馬国分寺、鎌倉〜戦国の宵田城跡があり、改めて歴史に囲まれていることを感じます。


パネルの地図をそのまま航空写真で見るとこうなる。
蛇行する円山川(江戸時代、江原は船で物資を運ぶ水運の駅)日当たりがよい山の南面にある奈良時代の国分寺跡。地形を上手く活用しながら街が発展していったことが理解できる。
江原の航空写真(右側)では、江原駅、江原河畔劇場なども写る。
旧・日高町日高地区の歴史を空間(地形)軸と時間軸で眺めることができるのがとても面白い。いつも通り過ぎてしまいがちな(?)、身近な博物館に足を運ぶのも大事ですね。
ぜひ、覗いてみてください。