ドレスデン〜東ドイツ復興の町

ドレスデン駅に到着。
プラハから鉄道で再びドイツへ。
(鉄道の旅は本当に楽しい)

ホテルにチェックインして、さっそく散策へ。

ツヴィンガー宮殿。
17世紀、ザクセン王フリードリッヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)の時代に建てられる。バロック建築。

 

ツヴィンガー宮殿内にある「アルテ・マイスター絵画館」へ。

『聖母子と聖ヨハネ』(ボッティチェリ)

『The Virgin and Child with the Young Saint John the Baptist』
(ボッティチェリ)

『遣り手婆』(フェルメール)

ヤン・ブリューゲル(父)

ツヴィンガー宮殿を出てエルベ川へ向かう途中にある「三位一体大聖堂」。
ザクセン州最大の教会建築。
亡きアウグスト強王の心臓が銀製の小箱に保存安置され、美女がそばを通り過ぎると鼓動を始めると伝えられている。

レジデンツ宮殿の中庭には『君主の行列』が描かれている。
戦災から奇跡的に残った。

第2次世界大戦の空襲で壊滅したドレスデン。ツヴィンガー宮殿も教会も破壊された瓦礫を使って再建され、それは今も続いているという。

アートなウィーンの1日〜ヴェルヴェデーレ宮殿

ベルヴェデーレ宮殿。

1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアの手により夏の宮殿ととして利用される。バロック建築様式の宮殿。この宮殿の一角には、作曲家ブルックナーが過ごした家もあると言う。

宮殿からはウィーンの中心部が一望できる。

『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』

全ての絵画の写真撮影OKと言うことで、ダヴィッドのナポレオンの前でパシャ。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年〜1825年)は、フランスの新古典主義を代表する画家。

 

「ユディト」

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862年〜1918)。ウィーンの世紀末絵画を代表する画家。

「接吻」

題名は?(宿題)

エゴン・シーレ(Egon Schiele 1890年〜1918年)。

グスタフ・クリムトらのウィーン分離派、象徴派、表現主義の影響を受けつつも、独自の絵画を追求した画家。

(宿題)

モーツアルト像

オペラ座のあるKarlsplatz に戻って、周囲の公園を散策。

ゲーテ像の前でパシャ。

セセッション館は、残念ながら休館でした。

ウィーン分離派(セセッション)の展示施設。建築家ヨゼフ・マリア・オルブリッヒの設計により、1897年から1898年にかけて建設。

ミュンヘンの秋はアートから

朝5時に起床。ミュンヘン郊外の閑静な住宅街。

Langenback駅まで徒歩3分と抜群に便利な、だけど静かな街。
朝8時30分の電車で出かける。

ミュンヘン駅に到着寸前。高層ビルはほとんどなく、広々とした印象だ。

9時過ぎにミュンヘン駅に到着。
ビジネス通勤の時間帯のはずだけど、ネクタイ姿はほとんど見かけない。スタンドのサンドイッチやコーヒーを販売している店があちこちに。

まずは、アルテ・ピナコテーク美術館へ。
ミュンヘン駅からバスで10分ほど。

1836年、ルードヴィッヒ1世の命により創立。

作品は、15〜18世紀の絵画を中心に収集展示されている。

宗教絵画がほとんど。

ドイツの画家デューラーの自画像。

海外の美術館は、写真OKというのが多いが、素晴らしい貴重な絵画を観ると本当に良いのか、と躊躇してしまう。

作品の前で何やら集まって解説する姿がある。

お目当はこれ。
フェルメール。
日本だと長蛇の列に沿って移動しながら数秒鑑賞すると言った光景を想像するけど、こちらでは、ゆっくりと解説を聴きながら鑑賞。

これでもかと作品が並ぶが、高い天井のせいか、ゆったりと鑑賞できるのが凄い。

『ロングナイト・デイ 10月20日、19〜2』

つまり、日を設定して夜の7時から深夜2時まで美術館がオープンしている。こういうところにも美術を楽しむ文化の深さを感じる。

おおやないちにち〜久しぶりの土壁と木彫

古民家の宿(大屋大杉)

「大屋(養父市大屋町)の土壁が見たい」と富田玲子さん(象設計集団)。自宅の建築設計をしている時に、大屋の養蚕農家の土壁集落をよく訪れた。

大杉、筏、和田などの集落、そして明延鉱山跡まで足を伸ばしてぐるっと大屋の土壁鑑賞。

会場(おおやホール)

ちょうど、今年で25回目を迎える「木彫フォークアートおおや」展が開催されていたので鑑賞。地元の木彫家・松田一戯さんが中心になって、木彫の町として大屋は有名に。現在は全国から木彫の作品が集まる。

来場者にアンケート用紙が配られ、大衆賞の人気投票も行われている。楽しい作品がいっぱい。選ぶのに困ってしまうほど。

最優秀グランプリ作品「おおやの森の物語より 第1章創世記」

これが今年の最優秀作品。
「おおやの森の物語より 第1章創世記」
作者は、仲間智登志さん(北海道)。

木彫でこの表情を表現。味がありますね。

「温狐知新」

私が選んだのは、こちら。
「温狐知新」。「故」が「狐」になっているところもピポ〜ン。
ちょっと近眼っぽくて、読んでいる姿勢に愛嬌があって気に入った。

「脳トレ」

こちらも捨てがたい。
タイトル「脳トレ」が面白い。

松田一戯さん、富田玲子さん と。

「おおやアート村BIGLABO」に行くと、

「BIG LABO SOKO ギャラリー 2人の木の造形」
(作者:松田一戯・池田丈一)

久しぶりにお会いした松田一戯さんと一緒にパチリ。

松田さんの作品群に大いに魅せられた様子の富田さん。
思えば、象設計集団の建築(特に学校や保育園)に松田さんの作品はよく似合う。

ゆるゆる、ゆったりとした大屋の散策でした。

利賀村(その2)〜演劇の舞台・建築・施設

円形劇場

『世界の果てからこんにちは』の舞台になった「円形劇場」。

設計は建築家・磯崎新氏。

ギリシャ悲劇が演じられたギリシャの円形劇場がモチーフになっているのだろう。観客席から見た舞台の後ろには池。池の向こうには、向こう側の山が背景となっている。ちゃんと利賀村なのである。

新利賀山房

こちらは「新利賀山房」。
こちらも磯崎新氏の設計による。

この会場で行われるイベントの開始を待つ観客。
山に囲まれ、利賀村の茅葺き屋根に合わせた外観は、まるで村の祭りを見物に来た人たちにようだ。

総合案内所。開演を待つ平田オリザ氏、中貝豊岡市長夫妻と妻。

利賀芸術公園の中央にある「総合案内所」。
SCOTのオフィス、休憩所、トイレなどが集中して設置してある。

戸建になっている宿泊施設

ユニークなデザインの宿泊施設。1階部分は駐車場にも、テーブル、ベンチを置いてミーティングもできそう。ドアから中に入って2階に一部屋がある。

ゲストハウス

演劇祭のシーズンには、世界から多くのアーティストや演劇関係者やファンがやってくる。舞台ばかりでなく、長期滞在型の宿泊施設は必須。

地元行政や経済界からの支援の積み重ねか。インフラの整備は一朝一夕でできるのものではない。40年の歳月の重みを感じる。

鈴木忠志トーク(新利賀山房のステージ)

チラシには「毎夏恒例、鈴木忠志が観客の皆さんのどんな質問にも答えます」とある。

出だしから、「はい、質問は?」で始まるのでびっくり。

満員の会場のアチコチから手が上がる。鈴木さんがアトランダムに指を差して質問者を決め、その問いに答える。

「女優の声の低いのはなぜ?」「異なった言語(中国語、マレーシア語、日本語など)で演じる芝居の意図は?」「後継者は?」など具体的でストレートな質問が立て続けにでる。

全ての質問に真摯に答える鈴木氏。
具体的な質問ではあるが、その背景、その奥に潜む本質を語る鈴木氏。

結果として、鈴木忠志の演劇論、日本論、世界観そのものが浮き上がる。

利賀村(その1)〜多くの出会いに感謝する夜

豊岡を出発して、富山県南砺市利賀村に到着したのは翌日の午後。
チェックインして宿泊する「天竺温泉の郷」の部屋から見た夕焼け。

『世界の果てからこんにちは』のシーン。
円形劇場に花火があがる。

右側には、YKK(株)の吉田忠裕氏、その向こうに平田オリザ氏。

超満員の円形劇場。
事前の予約が必要だが、ともかくやって来た熱烈ファンのために数十名の人たちが立見で見学。

手前から田中幹夫氏(南砺市市長)、邑上守正氏(前武蔵野市市長)、村椿 晃氏(魚津市市長)

まだかまだかと開演を待つ観客。

南砺市市長の田中氏は利賀村出身。
鈴木忠志率いる早稲田小劇場が引っ越して来た時は中学生だったそうだ。

『世界の果てからこんにちは』の終演後は、観客全員に樽酒が振る舞われる。

鈴木忠志さん、YKK(株)吉田忠裕氏、1970年代に東京で観た早稲田小劇場時代からの役者蔦森皓祐氏との夢のようなツーショット。

観劇やパーティでご一緒させていただいたYKK(株)取締役の吉田忠裕氏。YKK(株)の2代目社長として世界70ヶ国に進出する大社長。

今年3月に経営の第一戦はバトンタッチされ、現在は富山県の地域振興に力を注いでいらっしゃる。

来年、利賀村と宇奈月温泉を舞台に開催される「シアター・オリンピック2019」の実行委員会の会長。

吉田氏のお考え、実行力、そしてそのお人柄に大きな感銘を受ける。
経営者として、そして人生の先輩として「人間力」の大切さを学び、これからの私の行動に大きな刺激を受けました。

夜公演のあとは、劇団SCOTの関係者、役者さんなどとの交流会。

鈴木忠志さんとの再会、早稲田小劇場で観た芝居との再会、利賀村を支援する地元市長さんたち、平田オリザさんや演劇人の人たちとの会話。

嬉しさと感動の長い1日がやっと終わろうとしている。

『ディオニュソス』と『トロイアの女』〜鈴木忠志の構成・演出

『ディオニュソス』
構成・演出:鈴木忠志
原作:エウリピデス

開場と同時にトップで会場へ。すると鈴木さんご自身が「この席がいいよ。こっち、こっち」と手招きいただく。

天にも昇る思いだ。(笑)

1978年、東京・岩波ホールで観た『バッコスの信女』が、その後題名を『ディオニュソス』として演じられている。

真っ暗な舞台に一筋の光があたる。
開演前、すでに劇は始まっている『トロイアの女』。

こちらも1970年代に東京で観劇した演目。岩波ホール演劇公演の第1回目として演じられた。エウリピデス作のギリシャ悲劇。

スズキ・メソッドで訓練された俳優が演じる舞台は独特。

現代生活のなかで退化してしまった身体感覚を意識化し、演技に活かそうと言うスズキ・メソッド。農耕民族である日本人の所作、特に下半身の動きに注目。

鈴木忠志の演劇を解説するのは難しい。ギリシャ悲劇の神話の世界と現代の日本の世相、心情とが交錯しながら芝居は進む。

※ 鈴木忠志の舞台を言葉で説明するのは、今の私にはまだまだだ。

42年ぶりの利賀村へ〜劇団SCOT

ここは富山県南砺市の渓谷。
あと10kmで利賀村に到着する。
劇団SCOTのサマーシーズン公演の観劇である。

1976年、鈴木忠志率いる早稲田小劇場が突然、利賀村に拠点を移す。その第1回公演にこの利賀村に来て以来、42年ぶり。

その後、SCOT(Suzuki Company of Toga)として利賀村にて演劇活動を行なってきた。

4月に鈴木忠志さんが「舞台芸術財団演劇人会議」(豊岡市KIAC)に来られた時に、「利賀村においで」とお誘いを受けたのがきっかけ。それでなくても、行きたい、行きたいと思っていましたが。

会場は巡回バスが走っている

会場は、利賀山房、野外劇場、岩舞台、利賀大山房など、芸術公園として歩いて巡回もできるし、巡回バスに乗って移動もできる。

鈴木忠志(早稲田小劇場)が引っ越してきた当時は、村の人口は1500人だったそうだが、今は500人。加速しながら過疎が進んでいる。

「みんな東京へと向かうのに、東京から誰が何のために来たのか」と当所、村民の人たちは訝しんだそうだ。(そりゃあ、そうだな)

利賀村の「体育館」は「利賀大山房」となり、ここでも公演される。

もともとある村の施設を使用し、芝居もできる空間に舞台や客席が設えてある。

「利賀大山房」から百瀬川を渡った所にある「グルメ館」。

グルメ館の中は、麺類、カレー、パン類、中華、デザートなどどれも丁寧に調理された美味しい食事ができる。

特に、中華は北京郊外の「古北」から料理人が来て、本場の北京ダックや餃子、炒飯など舌鼓を打つ料理がズラリ。

夜は、野外劇場で『世界の果てからこんにちは』

まさに「夢を見てるのか」と思うほど、幻想的シーンが続く。

1991年から、毎年演じられる人気の演目。照明器具会社の社長の友人である江戸時代から続く「花火師」の一言からこの芝居ができたそうだ。

「ここで花火を使った演劇が考えられませんか」

花火の上がる芝居が観られるのは世界でここだけだろう。
野外、劇場のある環境、住民の理解、消防法などの様々な規制をクリアしないと実現しない。

「日本人の特質は何か」を問題定義する意図で鈴木忠志の作・演出。

コラージュの手法で、第二次世界大戦の敗戦、戦後の復興での日本人の精神性を表現する。

戦後の一つ一つの記憶を切り取り、非日常的世界を創出する。
慣れてしまった日常への疑問、別の視点を目覚めさせる。

私がかつて観た「早稲田小劇場」は、まさにここに生きていた。

新作能『田道間守』〜豊岡市民プラザ

田道間守(豊岡市民プラザ公演・資料)

九十年春二月庚子朔、
天皇命田道間守、遺常世國、
令求非時香菓。
香菓、此 云箇倶能未。
今謂橘是也。

九十年の春二月の庚子朔(一日)に、天皇は田道間守に命じられ、
常世の国に派遣して、非時香菓を求めさせられた。
今、橘というのはこれである。

日本書紀 第六巻より

新作・初演は、2014年、この豊岡市民プラザであったが、私は見逃したので、今回の再演を楽しみにしていた。

第一部、仕舞には、梅若実(四世・人間国宝)、観世喜之(三世)、林宗一郎。

第二部、「田道間守」には、観世喜正、田茂井廣道、神美小学校の生徒たち。

なんとも豪華な出演者です。

私にとって「能」の鑑賞体験は少ない。
身体表現としての能には、とても興味がわくが、
楽しかった、良かった、心底思えたことはあまりない。

今回の公演資料には「上演台本」があり、それを頼りに物語と演者の言葉を追いかけながら鑑賞。感情移入の入り口に立ったような気分が味わえた。

これをきっかけに、「能」にも近づければと思う。
何と言っても、日本文化を代表する芸能でもあるのだから。

観客はカジュアルで気軽な雰囲気。子どもたちも鑑賞している。
「能」に対して、もっと身近に接することが大切なのかも知れない。

但馬外の友人が豊岡に来たら、いつも案内する場所、説明するお話。
菓子の神社「中嶋神社」、そして田道間守(たじまもり)の伝説。

豊岡には、パフォーミング・アート(演劇・ダンス)、歌舞伎、音楽祭が根付きつつある。
そこに、菓子の神様「中嶋神社」「田道間守」というコンテンツが加わる。

伝統芸能と現代アートと音楽の共存する「豊岡」の可能性を感じる。

 

「港町」想田和宏監督と平田オリザさんトーク at 豊劇

「港町」チラシ

トヨ劇(豊岡劇場)で「港町」(監督・想田和弘)を鑑賞。

チラシには「ドキュメンタリー映画の臨界点」「観察映画」などの言葉が並ぶ。私にとって「観察映画ってなに?」から始まった。

想田監督曰く、
「台本なし、音楽なし、事前の打ち合わせなし。ただ、目の前のコトを「描写する」。良い、悪いは観客に委ねる。」
「ドキュメンタリーは見たまま、ではなく編集作業を行い、映画として完成させていく。」

牛窓(岡山県)の漁港を舞台に、網漁、市場のセリ、鮮魚店が捌き、町の人たちが魚を買う。その漁師の近所の人たち(老人)の人間模様が淡々と描かれている。

左より平田オリザ氏、想田和弘監督、石橋トヨ劇代表。

上映後、想田和宏監督、豊劇の石橋オーナー、劇作家の平田オリザさんの3人によるトークショーが行われた。

想田監督は、2012年に「演劇1・2」を制作。平田オリザさんを300時間を超えてとり続けた映画らしい。その撮影時のエピソードを交えながらトークが進む。
想田監督から「平田オリザさんの現代口語演劇は、観察映画と似ている。」「構図を描く。描写する。良い、悪いの判断をしない。」などの発言がある。

平田オリザさんから興味深い発言が次から次に飛び出す。

・ 豊岡市の江原に引っ越す。(平田オリザさんと劇団「青年団」)
・ 豊岡で世界的な演劇祭を目指す。
・ 人口比較 カンヌ7万人、アビニヨン9万人、豊岡は8万人。
・ 神鍋高原には民宿がいっぱいあり、宿泊と演劇稽古、上演が可能。
・ 2021年に豊岡に県立大学を開学。観光と芸術。
・ 日本で初めての国公立の「演劇学部」ができる。
・ 豊岡市にとって「演劇」を「温泉」「カバン」「農業」に次ぐ第4の産業に育てる。
・ 「革命は輸出される」〜先端の取り組みは、周囲に影響を与える。

私の住む豊岡市が、江原がどう変わっていくのか、楽しみだ。