『ケアとまちづくり、ときどきアート』 

面白そう、美味しそう、楽しそう、そんなポジティブな感情に基づいて、日常生活を送っていたら、「気づいたら、健康になっていた、福祉の役に立っていた」とおいうケアとまちづくりができないだろうか。福祉や医療を言い訳にせず、ポジティブな感情によって支えられる環境と作る。ケアを目的とするのではなく、ポジティブな環境の先にケアがある。そういう状況を作っていくことが今後のケアとまちづくりではないだろうか。
『ケアとまちづくり、ときどきアート』
(4-2「まち全体を健康にする」より p198)

この本は、西智弘氏と守本陽一氏の二人の医師と藤岡聡子氏という介護ベンチャーの創業者の3名の共著。それぞれのキャリアと経験を生かした知見が散りばめられている。

「医療者は病院を出よう!」の合言葉のもと、医療福祉関係者が地域に注目し始めている。また一方で地方創生の名のもとに地域活動やアート活動が盛り上がってきている。

この二つのムーブメントを結びつける最初の一歩を手助けしてくれるヒントが紹介されている。

特に、豊岡市の「だいかい文庫」主宰の守本陽一氏の実践が素晴らしい。YATAI CAFE(屋台を引きながら街中で展開。一杯のコーヒーから市民との交流が生まれる)や「だいかい文庫」(みんなで作る施設図書館。第三の居場所の役割も)。

『音楽と生命』 坂本龍一/福岡伸一

福岡
ロゴスの信者の私がピュシスの大切さを説くというのは矛盾していると言われるかもしれません。しかし、これまでの坂本さんとの対話でも反してきたように、どちらかを選び取るのではなく、ロゴスとピュシスの間を行ったり来たりしながら生きるのが人間なのではないかと思います。
『音楽と生命』 坂本龍一・福岡伸一
(「山の頂上から見える景色」より p183)

ふたりの会話はとてもシンプル。
ふたりが行き着いたところはひとつの円環。

話題は「ロゴスとピュシスの相剋」。
ロゴス=考え方、言葉、論理
ピュシス=人間も含めた自然そのもの

ふたりの話題は、宇宙、生命の誕生、音楽の起源、細胞とDNAへ、そして死とは何かに行き着く。

「星座を見ても宇宙のことはわからない」「地やノイズに耳を傾けよう」など示唆に富む会話が続く。

3次元、4次元に広がる宇宙(ピュシス)を2次元の「星座」(ロゴス)に置き換えてしまう人間。西洋音楽も音のブロック(ロゴス)を積み上げていかに美しいものに仕上げていくかという価値で発達してきた。ジョン・ケージは地やノイズ(ピュシス)を聴こうという挑戦を始める。

坂本龍一のアルバム『async』について。
「a」は否定語。「sync」は同期・調和・再現性。つまり、秩序や完璧な美を追求することを否定すること。YMOのテクノ音楽、端正で美しいメロディの映画音楽を否定することになる。

「山は登ってみないと次の山は見えない」。テクノと完璧な美の山頂(ロゴス)に到達した坂本が見た次の山が『async』(ピュシス)だったと。

ふたりは、こう言って会話を終わる。
「ピュシスの豊かさに戻りつつ、それを語り直すものとして新しい言葉を見つけいくいう、あてどない往還運動を続ける」
「ロゴスの極限にたどり着いた後にピュシスに戻っていく一つの円環。
人生の航路の象徴のようでもある」

『価値循環が日本を動かす』デトロイ トトーマツ グループ

では、人口減の中でも市場の機会になり得る「増える」あるいは「掘り起こせる」要素とは何だろうか。本書で注目するのは「グローバル成長との連動」「リアル空間の活用・再発見」「仮想空間の拡大」「時間の蓄積が生み出す資産」という「4つの機会だ。
価値循環が日本を動かす』 デトロイト トーマツ グループ
(第2章 「価値循環がもたらす成長のダイナミズム」より (p50)

副題は「人口減少を乗り越える新成長戦略」。確かに日本の「失われた30年」と言われている低成長の原因の本質は、人口増=経済成長の成功体験を払拭する、新たな成長戦略が見えてこないことにあると考えます。

「グローバル」については、世界全体は人口増加中。経済成長している国もある。それらとリンクさせる。単なる輸出だけでなく、投資や人材を受け入れる、インバウンド増など。

「リアル空間」については、人口減は国土利用の空間が増大する可能性がある。森林・海の資源を活かす。

「仮想空間」については、デジタル技術を使って仮想空間内での経済活動が活発になったり、リアルと仮想空間の双方向でビジネスを展開していく。

「時間の蓄積」については、日本の歴史、文化、技術、伝統や知恵という資産を活かす。知的財産、社会資本、教育、アニメなど。

これらの「機会」を「ヒト・モノ・カネ・データ」の4つのリソースを掛け合わせて、新たな需要を生み出し、成長していくシナリオを描かなくてはならない。

本書の後半の「観光データ・マーケティング」の項目では、城崎温泉が紹介されている。数十件の旅館が宿泊予約客の予約日程、人数、金額、居住地などの情報を共有し、地域全体で活用する取り組み。

私は「グローバル」と「時間の蓄積」に注目して、会社経営や地域活性化を実現していきたいと考えます。

『シン・養生論』 五木寛之・著

私の健康に関する練習は、必ずしも世間でいう健康のためではない。養生という表現の方がぴったりくる一種の趣味である。道楽、といってもいいだろう。
面白いからやる。興味があるからやるので、努力でもなければ、勉強でもない。面倒なトレーニングはやらない、健康は義務ではないからだ。
『シン・養生論』 五木寛之・著
(第1章「常識の壁を超えて」より p59)

” 健康のためでなく、養生なんだ。趣味なんだ。”

なんとも痛快。
さすがに五木寛之、90歳を超えて言い放っているところがいい。
いや、90を超えているから言えると理解した方がよさそうだ。

「自分の生き方は自分の実感で決める」
「気持ちがいい、気持ちが悪い、というのが私の判断基準である」
という行(くだり)がある。

私もどちらかというと「実感派」かも知れない。
決断をしないといけない時に、そのことは自分は「気持ちがいいのか悪いのか」と考える。不確定な未来なので漠然としているが。次に周囲の人も含めて「幸せか、そうでないか」と重ね合わせて考える。

「自分の好きな生き方」「生きてきた経験」「ありたい姿を想像する」
そんなことが混然となって心身を巡っているのだろう。

「一気読み世界史」 出口治明・著

人類5000年の歴史のなかでも、死後にも残るグランドデザインを描き、「大帝国」と呼ぶにふさわしい帝国をつくった人物は数えるほどしかいません。西洋ならば、カエサル、フェデリーコ2世、ナポレオン、せいぜいこの3人です。
(中略)
一気読みで「大きな目」を養うというのは、わかりやすい話かもしれません。一方で「小さな目」とは、細部に目を向ける視点で、その力を一気読みで養うのは難しいのではないか、と思われるかもしれません。
でも、どんなことはないんです。大きな目を持つことで、小さい目の鋭さが増します。
『一気読み世界史』 出口治明・著

引用最後の部分。まずは、その通りだ、が実感。
「人類5000年の歴史」とは、確か出口氏の以前の著書で、人類が文字を発明し記録が辿れる年月をいう。それに、人間の脳(心)は、5000年の間にそんなに変化(進化)していないから、過去の歴史を辿ると現代が、近未来が見えて来る、とも指摘されている。まさに「大きな目」である。

西洋史でもなく、東洋史でもない。双方は全て関わりを持ちながら歴史を積み重ねる。つまり「世界史」こそが、人間の歴史を紐解く手がかかりとなる。

私にとってとても参考になったチャプター(小項目)は、

四大文明の起源はメソポタミアにある。(p24)
 ↪︎メソポタミア、エジプト、インダス、黄河とバラバラに起こったのではなく、メソポタミアの影響を受けながら派生して文明が起きた。
温暖化は大国を生み、寒冷化は国家の分裂を招く(p66)
 ↪︎ローマ帝国の繁栄は温暖化により食物も安定し、五賢帝で栄える。寒冷化を迎えると北方の遊牧民が南下し、玉突き現象が起きて民族大移動が始まる。ローマ帝国の分裂、中国では漢が滅び三国志の時代に突入。数世紀経て、温暖化が始まると西洋ではルネサンス、中国では隋・唐の時代がくる。
ナポレオンが「自由・平等・友愛」理念を拡散(兵士を鼓舞する目的)、それが後のネーションステート(国民国家)樹立に繋がる(p206)
 ↪︎ドイツ統一、イタリア統一
明治維新のグランドデザインを描いたのは阿部正弘(徳川幕府老中首座)。
 ↪︎「開国・富国・強兵」を考え、国を開く。

など、世界の歴史は、地球の温暖化(寒冷化)、民族の移動、帝国の樹立と崩壊など、西洋も東洋も双方に繋がりながら続いてきたものと理解すると(大きな目)、今起きている目の前の情勢(小さな目)がよりできるのを実感しました。

安らかに、坂本龍一

吉本隆明+坂本龍一 『音楽機械論』裏表紙より

坂本龍一 逝く。TVのニュース速報で知る。(3月28日逝去)
誰もいつかその時はやってくる。今年に入って私の好きなミュージシャンの訃報が続く。

坂本龍一がデビューしたのは1970年代後半。ちょうど私の学生時代と重なる。ジャズが好きでコンサートやレコードを買い漁っていた頃。

現代音楽、民族音楽、テクノポップなど、ジャンルを飛び越えた音楽を展開。いつも気になるミュージシャンとして私の中に存在していました。

聴くばかりでなく、坂本龍一の書籍はほとんど読んできた。

『EV. Cafe 超進化論 〜村上龍+坂本龍一』(1985年発行)
 ・吉本隆明、河合隼雄、浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、山口昌男との対談集
  ↪︎対談、鼎談相手の顔ぶれを見ただけで内容(難解?)が見えてくるが、再読してみたくなる。

『音宅機械論〜吉本隆明+坂本龍一』(1986年発行)
 ・「現代音楽の落とし子たち」「ノイズの音楽」「ジョン・ケージ」「純文学としての中島みゆき」「戦メリのメロディ」「ユーミンは言葉をメロディに近づける」など、今、改めて読んでみたい話題が満載だ。

『音楽と生命 福岡伸一+坂本龍一』(2023年発行)
 ・まだ1週間ほど前の3月29日の新刊。まだ読んでいないが、福岡伸一さんとの対談は読む前からワクワクだ。タイトルにもある「生命」は坂本龍一にとっても覚悟のテーマだったと想像します。

坂本龍一的音楽へのアプローチは、実験的な危うさ、抒情的なメロディ、静謐な音、時にポップで、時にはアバンギャルドで、刺激に満ち溢れていた。それはそのまま「坂本龍一的人生の道のり」だったのでしょう。

安らかに。
合掌。

『奇跡の鎌田式ウォーキング』 鎌田 實・著

最初の1分間は、歩く速度は普通の速さで、歩幅を通常より10cm大きくして歩く「幅広歩行」をします。次の1分間は、歩幅を元に戻し、脚の回転(ピッチ)数を上げる「ピッチ歩行」です。競歩選手のような歩き方をイメージして、肘を曲げて少しだけ横に振りながら、リズミカルに足運びの速度を上げるのです。そして最後の1分間は、ふたたび歩幅を10cm大きくし「幅広歩行」をするのです。
『奇跡の鎌田式ウォーキング』 鎌田 實・著
(「スーパー早遅歩き」  p24)

全ては上記の引用部分に書かれている通りです。
要は「3分早歩き、3分遅歩き」を繰り返すこと。

今回この本を読むまでに、私も5年以上「早遅歩き」を続けています。

私の場合、2014年ごろから腰痛に悩まされ、その解消のために早朝ウォーキングを始めた。自宅でも東京でも海外でも欠かさず継続していたのですが、2016年3月に台北(台湾)で早朝ウォーキング中に交通事故に遭遇し、九死に一生を得ました。その後、1年間の療養を経て夕方のウォーキングを再開。(早朝から夕方に変更)

いろんな運動と健康に関する書籍を読み漁って、組み合わせてたどり着いたウォーキング方法がこの「早遅歩き」でした。(鎌田式とほぼ同じ)
その時に得た情報を元に毎朝のストレッチも開始しました。

私の場合、「早遅歩き」は、「3分+3分」を6セット36分間を基準にしています。距離にして3.5km〜4kmを歩くことになります。ストレッチは「背骨コンディショニング」を基本にして20分間行なっています。

鎌田医師に裏付けられた気分。
さらに自信を持って継続していきたい。
参考にしてください。

『動的平衡3』 福岡伸一・著

私が考える生命感のキーワードは「動的平衡」である。生命は絶え間のないバランスの上にある。押せば押し返し、欠落があればそれを補い、損傷があれば修復する。生命を生命たらしめるこのダイナミズムを動的平衡と呼びたい。
『動的平衡3』 福岡伸一・著
(第7章「がんと生きる」を考える)より (p123)

 

「平衡」とは、天秤棒が水平になっている状態。つまり、ある物質や状態が安定して存在している状態をいう。私たちの身体は約37兆個の細胞からなっていて、ほとんどの細胞は常に更新され、古くなった細胞は死に、積極的に壊され、新たな細胞に入れ替わる。今日の私は昨日の私とは違い更新されている。新たな細胞分裂の際には、必ずDNAの複製が行われ、遺伝子情報は継承される。そのことを「動的平衡」と言う。

生物学者の目で様々な事象を解き明かしてあるのが面白い。
3つほどの事例を挙げてみると、

スポーツ、芸術、技能などのプロフェッショナルの共通点は、天賦の才能の有無以前に、1万時間の集中して専心する努力をしている。(1万時間とは、1日3時間練習するとしたら、1年に1000時間、それを10年継続して行う)。プロの子女はよく同じ道を歩むことが多いが、DNAには、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在していない。DNAには人を生かす仕組みは書かれているが、いかに生かすかは一切記載はない。親はDNAではなく環境を与えている。氏より育ち、との見解。

Appleの創始者のスティーブ・ジョブズの有名なスピーチの一説「コネクティング・ザ・ドッツ」(点と点がどのような時、どのようにつながるかは事前にはわからない。後になって振り返った時に、それが意外な線で結ばれていることに気づく)を例に挙げ、近代医学史の中で、抗生物質など感染症に効く発見は、実験の失敗を繰り返す中の偶然から発見されたものが多い。失敗からくる偶然。

音楽は時間の芸術である。ストラディヴァリのヴァイオリンは、楽器の中に時間を作り出し、音が音を求める動的なものとして作られ、絶えず息吹を吹き込まれ、温度を受け入れ、記憶を更新し、解釈され続けるもの、つまり生命的なものとして生み出され、今なお生きている。だから、その後の技術を持ってしてもストラディヴァリを超えられない。

サブタイトルの「生命理論で解く」の真骨頂だ。

『書くとはどういうことか』 梶谷真司・著

はじめからとりとめもなく書いたり、わかりやすく丁寧に説明しようとしていろいろ書いたいりしているうちに、結局何を言いたいのかわからなくなることがあります。
そのような時、自分にこう問いかけします。ーー「結局どういうことなのか」「要するに何が言いたいのか」ーーそして簡潔にひと言でまとめてみます。すると、自分が本当に言いたかったことの核心が見えてくるでしょう。
『書くとはどういうことか』 梶谷真司・著
(第3章 書くための「考える方法」より p91)

サブタイトル「人生を変える文章教室」は、いささかオーバーな気がするが、2005年以来、ブログ『KOH’s VIEW』を書いてきて、「書くとはどういうことか」「何のために書くのか」ということを、私もずっと考えてきました。その間に、TwitterやFacebookなどのSNSがスタートし、ますます「何のため?」「誰に向けて?」と疑問が深まり、筆を置いた(パソコンなら何というのだろう?(笑))時期もある。

この著書の一つの結論として「文章を書くとは自分と向き合うこと」とある。私もそうだなと実感している。

「書くことで考える」「考えるために書く」。この往復こそが「向き合うこと」になる。
その時に守るべき3つの原則が紹介してある。
1. 書いてから考える
2.長い文章を書かない
3. 手と目で考える

1.は、「考えてから書く」のでも「書きながら考える」でのもなく「書いてから考える」。2.は、テーマの素材を「単語」「語句」「短文」の形にする。3.は、目と手を使って紙の上(もしくはパソコン)に書き留める。つまり「考えていること」が目で見て、手で触れる部品のようになる。その上で、設計図(ストラクチャー)を考えながら取捨選択、配置を決めて組み立てていく。

この3原則を参考にしながら、「書き続ける」(自分と向き合う)ことを大切にしたい。

『90歳の人間力』 外山滋比古・著

己を知るは超人 敵を知るは達人 
凡人はなにもわからず戦って敗れる (p29)

田舎の学問より京の昼寝 (p32)

われわれ日本人は、見た目を大事にする
中身はわからなくても 見た目がきれいなら信用する(p96)

『90歳の人間力』 外山滋比古・著

タイトルの「90」に惹かれて、この本を購入。

今年、私は「95歳まで生きる」と決意した。

昨年、ある建築家の対談で「私は95歳まで生きる」との発言を聴いたのがきっかけ。自分に置き換えて計算してみると、ドーモ・キニャーナ(自宅)に住んで29 年(2021年時点で)。95歳までにあと29年ある。つまり29年間という時間をもう1回過ごすことができる、ということ。決意の動機は至って単純明快。ただ、それだけである。

祖父が96歳で、母が98歳で他界したので、90歳を超える姿は見てきた。しかし、時代も環境も習慣も異なる。90歳ってどんなのだろう?と、この本を読んでみた。

外山滋比古氏は、2020年に96歳で逝去。ベストセラー『思考の整理学』の著者。34話のエッセイが掲載されている。

晩年になって到達した卓見の数々であるが、少々注釈をつけないといけないご意見もある。

「敵を知る」ことは不可能に近い、己を知るのはもっと難しい、との見解。もしも知れば、戦争なんて起きない。なんか逆説の説得力。

「京の昼寝」の真意は、忙しい人ならハガキは5分もあれば充分。都の学者は何かと忙しいので手早くさっさと仕事を仕上げるので思いがけないヒマができる。

「見た目を大事」は、安売りの黒ずんだバナナ、実は一番美味い。見た目で人を判断する。選挙では見た目のパッとしない候補者は苦戦する。日本料理は盛り付け、椀や皿にこだわる。外観と中身は必ずしも一致しない、と言っているわけだが、少々強引な見解とも感じる。

90歳の達観に触れた感はあります。