利賀村(その2)〜演劇の舞台・建築・施設

円形劇場

『世界の果てからこんにちは』の舞台になった「円形劇場」。

設計は建築家・磯崎新氏。

ギリシャ悲劇が演じられたギリシャの円形劇場がモチーフになっているのだろう。観客席から見た舞台の後ろには池。池の向こうには、向こう側の山が背景となっている。ちゃんと利賀村なのである。

新利賀山房

こちらは「新利賀山房」。
こちらも磯崎新氏の設計による。

この会場で行われるイベントの開始を待つ観客。
山に囲まれ、利賀村の茅葺き屋根に合わせた外観は、まるで村の祭りを見物に来た人たちにようだ。

総合案内所。開演を待つ平田オリザ氏、中貝豊岡市長夫妻と妻。

利賀芸術公園の中央にある「総合案内所」。
SCOTのオフィス、休憩所、トイレなどが集中して設置してある。

戸建になっている宿泊施設

ユニークなデザインの宿泊施設。1階部分は駐車場にも、テーブル、ベンチを置いてミーティングもできそう。ドアから中に入って2階に一部屋がある。

ゲストハウス

演劇祭のシーズンには、世界から多くのアーティストや演劇関係者やファンがやってくる。舞台ばかりでなく、長期滞在型の宿泊施設は必須。

地元行政や経済界からの支援の積み重ねか。インフラの整備は一朝一夕でできるのものではない。40年の歳月の重みを感じる。

鈴木忠志トーク(新利賀山房のステージ)

チラシには「毎夏恒例、鈴木忠志が観客の皆さんのどんな質問にも答えます」とある。

出だしから、「はい、質問は?」で始まるのでびっくり。

満員の会場のアチコチから手が上がる。鈴木さんがアトランダムに指を差して質問者を決め、その問いに答える。

「女優の声の低いのはなぜ?」「異なった言語(中国語、マレーシア語、日本語など)で演じる芝居の意図は?」「後継者は?」など具体的でストレートな質問が立て続けにでる。

全ての質問に真摯に答える鈴木氏。
具体的な質問ではあるが、その背景、その奥に潜む本質を語る鈴木氏。

結果として、鈴木忠志の演劇論、日本論、世界観そのものが浮き上がる。

42年ぶりの利賀村へ〜劇団SCOT

ここは富山県南砺市の渓谷。
あと10kmで利賀村に到着する。
劇団SCOTのサマーシーズン公演の観劇である。

1976年、鈴木忠志率いる早稲田小劇場が突然、利賀村に拠点を移す。その第1回公演にこの利賀村に来て以来、42年ぶり。

その後、SCOT(Suzuki Company of Toga)として利賀村にて演劇活動を行なってきた。

4月に鈴木忠志さんが「舞台芸術財団演劇人会議」(豊岡市KIAC)に来られた時に、「利賀村においで」とお誘いを受けたのがきっかけ。それでなくても、行きたい、行きたいと思っていましたが。

会場は巡回バスが走っている

会場は、利賀山房、野外劇場、岩舞台、利賀大山房など、芸術公園として歩いて巡回もできるし、巡回バスに乗って移動もできる。

鈴木忠志(早稲田小劇場)が引っ越してきた当時は、村の人口は1500人だったそうだが、今は500人。加速しながら過疎が進んでいる。

「みんな東京へと向かうのに、東京から誰が何のために来たのか」と当所、村民の人たちは訝しんだそうだ。(そりゃあ、そうだな)

利賀村の「体育館」は「利賀大山房」となり、ここでも公演される。

もともとある村の施設を使用し、芝居もできる空間に舞台や客席が設えてある。

「利賀大山房」から百瀬川を渡った所にある「グルメ館」。

グルメ館の中は、麺類、カレー、パン類、中華、デザートなどどれも丁寧に調理された美味しい食事ができる。

特に、中華は北京郊外の「古北」から料理人が来て、本場の北京ダックや餃子、炒飯など舌鼓を打つ料理がズラリ。

夜は、野外劇場で『世界の果てからこんにちは』

まさに「夢を見てるのか」と思うほど、幻想的シーンが続く。

1991年から、毎年演じられる人気の演目。照明器具会社の社長の友人である江戸時代から続く「花火師」の一言からこの芝居ができたそうだ。

「ここで花火を使った演劇が考えられませんか」

花火の上がる芝居が観られるのは世界でここだけだろう。
野外、劇場のある環境、住民の理解、消防法などの様々な規制をクリアしないと実現しない。

「日本人の特質は何か」を問題定義する意図で鈴木忠志の作・演出。

コラージュの手法で、第二次世界大戦の敗戦、戦後の復興での日本人の精神性を表現する。

戦後の一つ一つの記憶を切り取り、非日常的世界を創出する。
慣れてしまった日常への疑問、別の視点を目覚めさせる。

私がかつて観た「早稲田小劇場」は、まさにここに生きていた。

ひょんなことから念願かなう叶う〜京都・祇園/割烹『「大神』

厚い雲に覆われる京都四条鴨川。

午後出発で富山県へ向かう予定が、北陸地方の大雨の影響で、全ての特急サンダーバードが運休。すでに山陰線で京都へ向かっていたので、急遽、京都で一泊することに。

そうなると、パッと頭を切り替えて、ホテルと今夜の食事の予約。どちらも思ったところにバッチリ予約完了。

食事は、過去何度も満席で行ったことがなかった祇園・割烹「大神」。京都の知人おススメの店。

日本料理。食材は季節の物が中心になるのは当然だが、その組み合わせが絶妙。「ちょっと季節が遅くましたが、鮎を」と出てきたのがこれ。鮎の内臓の苦味をうまく仕込む。

お料理の盛り付けも素晴らしい。

料理に合わせてどの器も凝っている。

釣りが大好き。昔は猟もしたというマスター。料理の腕とセンスが抜群で独創的。

最後に、土鍋ご飯。中身はたくさんの食材のなかからお客のリクエスとに応えてくれる。こちらは4人にいるので、特別に、レンコンと小エビの2種類で炊いてくれた。

あっという間の3時間半。
本当なら金沢・富山へいるはずの夜。
天候のせいで、京都での思わぬご馳走となる。

京都/祇園 割烹
『大神』
京都市東山区末吉町88
電話: 075-533-1611

建て替え中の大丸心斎橋店

大阪・大丸心斎橋店の建て替え工事が続いている。

既存は、1933年(昭和8年)完成、アメリカの建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計によるクラシックな建物であった。内装はアール・デコ調のデザイン、外装はゴシック調の格調高いものであった。

御堂筋の反対側の心斎橋商店街のアーケード。通りに沿って工事の為の壁面が張り巡らされている。

私はハンガーの仕事をする前に、大阪のあるディスプレイ会社に勤務し、この心斎橋大丸店を担当していた。今から、約40年前の話である。大学卒業し、社会人として第一歩を踏み出す。全てが初めての体験。胸をドキドキさせながら、このアーケードの下を何百回、何千回、往来しただろう。今でも、ここを通るとその頃の心境が蘇ってくる。仕事の厳しさと、顧客に喜んでいただいた時の達成感とが入り混じる「私の仕事の原点」でもあった。

完成予想図。ヴォーリズの設計した外観を残し、その内側に高層建物を建てる計画のようだ。

今は、梅田(キタ)と難波(ミナミ)に挟まれた心斎橋。
その中心は、この大丸。
2019年の完成、開業を楽しみにしよう。

神戸に再接近

フラワー道路から北を向く。

神戸を意識する。

豊岡市生まれの私にとっての神戸。

県庁所在地、小学生時代は合唱県大会で神戸国際会館へ、カブスカウトで須磨のお宅へホームステイ、中学生時代は軟式テニスで神戸遠征。浪人時代は阪急六甲の下宿に1年間。

特に、親しみを感じたのは、大阪サラリーマン時代(阪急塚口に住む)に休日と言えば、三ノ宮や御影あたりをベビーカー押しながら散策。大好きで憧れの神戸でした。

豊岡に戻り、木製ハンガーの仕事を継いだ頃も、市場調査を兼ねて買い物(旧居留地、海岸通り、北野あたりのブティック)、食事(フレンチの「ジャンムーラン」、中華の「タオ」よく行来ました)にと神戸通いが続きました。

なぜか東遊園地にはモーツァルト像。

ところが、1990年代に入り、アパレルの中心が東京に移行すると共に神戸と疎遠に。1995年の阪神淡路大震災の時には、ハンガーの木端材を持って避難所での燃料にと通いました。それ以来20年以上、ご無沙汰状態。

昨年より、神戸経済同友会に入会する機会を得たので、再び神戸とのアクセスを強くして行きたいと思っている。地元紙の神戸新聞、兵庫県の機関との接触、など大好きな神戸に最接近。

山陰線の車窓から季節を感じる

JR山陰線の車窓からの風景がいい。
季節ごとに変わる山里の風景にはいつも魅了される。

もう20年も30年も、豊岡と東京の往復は続く。
JR山陰線を利用し、京都乗り換えで新幹線で東京へ。

この4時間半の時間を利用して読書タイム。
時折り、眺める車窓からの風景に毎回癒される。

山陰線の風景は、私の宝物だ。