三内丸山遺跡/縄文時代を想像する

三内丸山遺跡センター・縄文時遊館

今回の青森訪問は「ねぶた祭」が目玉であるが、実は「三内丸山遺跡」の縄文時代の遺跡にも興味があり、いつか訪ねるつもりでいました。
三内丸山遺跡は、2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界文化遺産にも登録される。この地域の縄文遺跡は、縄文時代前期から後期まで一貫して交流があり、共通の生活、習慣が見られる。

三内丸山遺跡は、「縄文人は小さな集落で狩猟採集をしていた」という従来のイメージを大きく覆し大規模な定住集落だった。

この場所は1994年当時、野球場建設予定地として土地を掘り起こすにつれて、遺跡の重要性が明らかになり、野球場の建設計画を変更して遺跡を保存することになったという。
(青森県の素晴らしい判断!)

今からおよそ5,900~4,200年前、縄文時代前期~中期に、長期間にわたって人々が暮らしていた。遺跡の範囲は約42万㎡。多数の竪穴住居、墓、貯蔵穴、大型建物、盛土などが発見され、計画的に配置されている。

巨大な柱を使った大型掘立柱建物。直径1mを超えるクリの巨木を柱に使う。
この堀立柱は、いったい何の目的で建てられたのか?ガイドさんからの問いかけだが、明確な解はまだ得られていないとのこと。4000〜5000年前は、この辺りまで海が迫り、当時は漁をしたり、他エリアとの交流は船を使用していたので、海の観察、海からの目印になったのでは。

黒曜石やヒスイなど、青森周辺だけでは得られない素材も出土。かなり広い範囲での物資の交換・交流があったことを示す。

五所川原・立佞武多(たちねぶた)

青森市から車で約1時間で五所川原市に到着。
こちらのねぶた祭は、立佞武多(たちねぶた)と言って、高さを競うように縦に長いねぶた。明治時代に隆盛を極めたが、その後電線の普及と共に、背の低いものになっていったそうだが、1996年に市民有志が高さ22mの巨大ねぶたを復元し、1998年より「五所川原立佞武多」として復活。

下のヒトのサイズと比べてみてください。

「立佞武多の館」では、祭りの様子を映像で流している。
周囲の建物よりも遥かに高いのがよくわかる。

「ねぶた祭」は、青森県を中心に秋田県、北海道南部の一部でそう呼ばれているお祭りがある。「ねぶた」と「ねぷた」の発音の違いは、その地域の方言訛りに依るもの。

まさに、東北地方の特に津軽の代表的はお祭り。

青森ねぶた祭

まだ空は明るい夕暮れ時からねぶたを待つ観客でもう熱気が溢れかえる

とうとう青森ねぶた祭にやってきた。東北の夏の祭りを代表するねぶた祭。いつか行ってみたいと思っていたのが実現した。

ねぶたの起源は、諸説あるというが、有力なのは、「眠り流し」という行事。夏の農作業が忙しい時期に、眠気やけがれを水に流して仕事に励むという民俗行事で、眠り(ねぶり)を流す → 訛って「ねぶた」 という語源説。

ねぶたの山車は、地元企業や地元自治体が出資し、ねぶた師(ねぶた制作のプロ)がデザインし、制作される。

明治・大正・昭和と時代が進むにつれて、
小さな灯籠→ 人形型の灯籠→ 大型化した人形ねぶた
へと発展していきました。

「ラッセラー、ラッセラー」という掛け声とともに跳人(はねと)が踊る。
ねぶた祭に参加し成長していく子供たち。青森っ子の誇りになること間違いなし。

山梨の旅〜ルバイヤートワイン

ルバイヤートワイン(丸藤葡萄酒工業株式会社)を訪ねる。義理の妹夫婦が長年親しくお付き合いし、美味しいワインをいただいている。名前は何度も聞いていたけど、私が尋ねるのは初めて。

丸藤葡萄酒工業株式会社
明治23年創業というから130年の年月が経つ。
ルバイヤートの物語が詳しく解説されている。

代表の大村晴夫さん自らがワイナリーを案内してくださる。

丸藤葡萄酒工業株式会社
Tel. 0553-44-0043
〒409-1314 山梨県甲州市勝沼町藤井780

丹波へ〜猪肉と牡丹鍋

「🎵雪がちらちら丹波の宿に 猪が飛び込む牡丹鍋」(デカンショ節の一節)

ちらちらどころか大雪の後。丹波交流の旅はいよいよ猪肉・牡丹鍋へ。(こっちが本命?)
丹波篠山市の老舗であり大手の天然猪肉専門会社「おゝみや」城下町店へ。

店舗内のレストランで、大見春樹社長から猪肉についての講義。業界・専門家なラデ派の興味深いお話。
・温暖化によって、猪の生息域はどんどん北上して青森まで達している。
・日本の猪生息数は70〜80万頭
・猪肉会社の規模は年間を通じて猪の確保に制約される。
・最高級の猪肉から、ジャーキー、さらにペット用ジャーキーに至るまで猪肉を無駄なく提供している。今後、1万頭/年間を確保して商品化したい。
・美味しい猪肉は山のドングリなどの木の実をたっぷりと食べた猪。丹波の高級猪肉は、丹波に来て食べて欲しい。産地・加工・流通に工夫を凝らし、丹波地域の観光集客にも力を入れている。

「おゝみや」から少し郊外にある割烹『宝魚園』に移動。
活魚割烹とあるが、丹波だから猪肉も?と思いつつ。

駐車場で「今日は最高の生猪肉が準備できて良かった」とおゝみやの大見社長のコメント。
猪肉はおゝみやさんからの調達。いよいよ(本日のメインイベントの?)牡丹鍋。

味噌の出汁。鍋への投入は地元の大槻さん((株)オオツキの社長)。「郷に入っては郷に従え」の教えの通り、解説付きで出来上がりを待つ。しゃぶしゃぶと違って、猪肉は30分程度時間を掛けて煮たものが脂が落ちて美味しいとのこと。と言うことで、慌ただしい焼肉やしゃぶしゃぶと違ってゆっくりとおしゃべりもできる。(実際には、待つ間ビールを注いだり注がれたりやなんやかやでゆっくりとはいかないけど)

牡丹鍋は初めてではないけれど、猪肉のウンチク話を聞き、地元の導きで出来上がりを待ちつつ、最高級の猪肉をいただく。パーフェクトな牡丹鍋を堪能いたしました。

美味しいものをいただきながらの交流は最高の盛り上がり。
神戸経済同友会の地域間交流。
昨年は但馬部会(弊社見学と城崎でカニすき)、今年は丹波部会のお世話(黒豆と牡丹鍋)。
この交流会は今後もぜひ続けていきたい。(目的はなんであっても)(^ ^)

丹波へ〜黒豆『小田垣商店』注目!

小田垣商店(丹波篠山市)

神戸経済同友会の丹波北播部会と但馬部会の交流会。
丹波北播とは、丹波市、丹波篠山市、多賀町、西脇市の4つの地区を指す。丹波地方を詳しく知らない(なんとなくは知っている)私にとって色々と丹波について知る機会となる。

「丹波」は江戸時代の藩であり、現在は兵庫県と京都府にまたがっている地域であることは知っている。
「全国的に『丹波』というと、京都?兵庫?どちらのイメージが浮かぶのでしょう?」
「篠山市がどうして丹波篠山市と改名したのか?」
「丹波市の方が新しいのに、丹波と名乗るのに抵抗はなかったの?」
「京都府側の亀岡や南丹市などからクレームはなかったの?」など、
会場となる周辺をバスで移動しながら、丹波の皆さんに質問をぶつけてみました。なかなか面白いエピソードを聞かせてもらいました。

「篠山だけど、ほとんどの皆さんが「しのやま」と読んでしまう」「丹波は広域なので(遠慮して?)名乗るのを憚っていたら、新たに合併した氷上町、青垣町などの市名が「丹波」になってしまった、など、ローカルな経緯、心情などが聞けてなかなか面白い。

丹波篠山の中心市街地にある小田垣商店を訪問。

江戸時代1734年(享保19年)創業。丹波を代表する黒豆(豆類卸小売)の老舗。歴史ある黒豆文化と地域の文化を現在に伝える企業として、さらに7年かけた大改修を終えて、大変注目を浴びています。

設計監修・デザインを担当したのは、世界的に活躍する現代美術家・写真家の 杉本博司 さんと、建築家の 榊田倫之 さんが主宰する設計チーム 「新素材研究所」。

小田垣昇 社長とは、神戸経済同友会を通じて出会い、とても親しくしていただいているので、今回の訪問をとても楽しみにしていました。

昨年オープンした宿泊施設「豆家」の表札。2階の寝室から眺めた小田垣商店の古い建物群。
江戸後期から大正初期にかけて建築された10棟。

2018年から7年かけて小売店、カフェ、宿泊施設など複合施設として改修。土壁、土間、石材など、新たに漆喰、和紙などを施し、古材を活かす。本物の落ち着きと安らぎを感じる。庭の一角には能舞台も設える。

ぜひ、訪ねてみてください。

小田垣商店 本店
住 所:〒669-2323 丹波篠山市立町19番地
営業時間
・本店ショップ 9:30 〜 17:30  [定休日] – 年末年始のみ
・小田垣 豆堂  11:00 〜 17:00(16:00 LO)
        [定休日] – 木曜日(祝日の場合は翌平日)

民藝と工芸の郷〜神戸・鳥取経済同友会合同懇談会

鳥取と神戸(兵庫県)経済同友会の定期交流会に参加する。今年は鳥取に訪問。
今回は陶芸を中心とした「民藝と工芸」をテーマに企画されている。

最初に訪れたのは「鳥取民藝美術館」。
医師・吉田璋也(1889年〜1961年)により柳宗悦の「民藝の美」の普及と新たな創造の指針、鳥取民藝運動の拠点として創設される。(1949年)。
朝鮮陶磁器、日/中/西洋の古民藝や、吉田璋也自身の作品も展示されている。

移動して「いなば西郷 工芸の郷」を訪ねる。
この地出身の陶芸家・前田昭博氏(人間国宝)の提唱で始まる。2016年に一般社団法人化し、2021年に作家作品を展示する「ギャラリー&カフェ okudan」がオープン。現在、約10名(軒)の作家が創作をしている。江戸時代後期からこの地で開窯した「牛ノ戸焼」、全国か創作に意欲を燃やす若手陶芸家やクラフトマンが移住してきている。

牛ノ戸焼の当代陶芸家小林孝男さん。
(山崎亮氏解説による牛ノ戸焼)
江戸時代後期に、島根県江津市から粘土を求めてこの地に移住。
出土する粘土の土地の見学、粘土の練り、ろくろ、乾燥、素焼き、釉薬をかける。
肯定順に丁寧に説明をしていただく。

また、ゆっくりと訪ねてみたい西郷の里。

「荒木村重」を訪ねて〜市立伊丹ミュージアム

市立伊丹ミュージアムを訪ねる。
ロゴマーク I’ M は、ItamiとMuseumのイニシャル(と誰もが判る)でなかなか気に入りました。入り口から中に入るとガラス張りのロビーの向こうに日本庭園を眺める。

もともとこの地にあった「柿衛文庫」「市立美術館」「工芸センター」「郷土館」に「博物館」を移転させて統合して、芸術・文化・歴史の総合的な発信拠点にしたそうだ。こういう方針でこのミュージアムを実現させた伊丹市は、これだけで注目したくなるし、素敵な街だと思います。

今回の伊丹を訪ねたのは、荒木村重とその有岡城を見学するのが目的。

戦国時代の武将・荒木村重(1535年頃〜1586年)は、織田信長に反旗を翻した“謀反の将”として有名。後半の人生は文化人・茶人として秀吉時代を生き、利休十哲にも数えられる。

摂津国で勢力を広げ、のちに 有岡城(伊丹城) を拠点する。信長の有力家臣として軍功も多く、順調に出世していくが、1580年、突如として信長に謀反を起こす。
その理由には諸説あり。(そこが歴史の興味を唆るところ)。
• 信長の苛烈な処断に対する不信・恐怖説
• 羽柴(豊臣)秀吉との対立説
• 石山本願寺との密通説
• 信長の中央集権化への反発
結果的に、有岡城は信長軍に包囲され、約1年の籠城戦の末落城。

その際、村重は、妻子・家臣を見捨てて城を脱出し、妻子や家臣は捕えられ、多くが処刑される。この点が村重の評判を下げている。しかし、近年、村重の研究が進むにつれて、再評価される(そこまでしても何を得ようとしたのか)。

ミュージアムに隣接する「旧岡田住宅・酒造」では「清酒発祥の地」としての展示がされている。ここで山中鹿之介が登場。(永楽館歌舞伎の今年の演目「神の鳥」にも登場)

山中鹿之介(1545年〜1578年)は、戦国時代の武将。尼子(あまご)再興に生涯を捧げた忠義の武将。

尼子家の“再興の英雄”
山陰の大名・尼子氏が毛利元就に滅ぼされると、
鹿之介はわずかな仲間とともに “尼子再興軍” を結成。
• 何度も敗れても諦めない
• 各地を奔走して味方を集める
• 武勇と忠義で多くの武士から尊敬された
この“再興運動”は彼の人生そのもの

「七難八苦を与えたまえ」
鹿之介が月に向かって祈ったとされる有名な言葉。
「我に七難八苦を与えたまえ」
普通は「成功を与えてください」だが、
鹿之介は「困難をください」と願った。
• 困難を乗り越えることで武士として鍛えられる
• 主君を再興するためなら苦難を厭わない
という強い覚悟が込められている。

武勇は“日本一の兵”と讃えられた
• 奇襲や夜襲に長ける
• 体力と胆力が抜群
• 粘り強く諦めない性格から“山陰の虎”と呼ばれることも

最後は備中で最期を迎える
1578年、尼子再興を図るため上月城に籠城するが、
毛利軍に包囲され落城。
降伏後、護送中に毛利家臣により殺害され生涯を閉じる(享年34)。
短い人生ながら、その忠義と勇気は伝説化された。

短命ながら戦国時代屈指の“義の武将”。
これまで、戦国時代の山陰地域、但馬の話の中で山中鹿之介の名前を知っていたが、もう一つその人物像を描けなかったので、これでスッキリ。

鹿之助の息子である新六幸元は、戦乱から逃れ、現伊丹市の北部の鴻池に住み、酒造業を始める。造った酒を江戸に運び大きな利益を得る。その後、後継たちが大阪に出て酒造業を営み、両替商として成功を收める。現在の鴻池組へと繋がっている。

(今回は時間の都合上、有岡城跡には行けず。再度訪問予定を立てる予定)

SCOT SUMMER SEASON 2025〜第50回を迎える

2018年に久しぶりに利賀村訪ね、以後1回飛ばしたが、今年で7回目のSCOT SUMMER SEASON。

「久しぶり」と言うのは、実は50年前の1976年、鈴木忠志の早稲田小劇場が東京から利賀村(現・富山県南砺市利賀村)に引っ越し。センセーショナルな「事件」でした。
鈴木忠志追っかけファンの私は当然ながら、利賀山房開場記念公園に行く。
「宴の夜・一」「経政(つねまさ)」(観世寿夫出演)の観劇。

当時は、1960年代からの小劇場全盛の演劇界。
寺山修司「天井桟敷」、唐十郎「状況劇場(赤テント)、太田省吾「転形劇場」、佐藤信「劇団黒テント」、そして鈴木忠志「早稲田小劇場」など群雄割拠。特に私は鈴木忠志の「わせしょう」の大ファンでした。

今回はその利賀村での活動50年目の記念の年。
自分の50年を振り返る利賀村でもありました。

野外劇場(設計:磯崎新)

毎年恒例の「世界の果てからこんにちは」の終演後の鈴木忠志さんの舞台挨拶。
今年86歳になられたこと。これからもSCOTの活動を継続していくこと。利賀芸術公園の存続を南砺市の田中幹夫市長にも協力をお願いしたいことなど、挨拶される。
これからも健康に留意され、1年でも長く現役でいていただきたい。

「果てこん」は男性ばかりの出演なので、女性陣も一役舞台を盛り上げようと、ダンシングチームを結成。パンプキンガールズ? 最近は、劇団で育てたカボチャを観客に「お土産」として配ることになっている。今年は2000個を目標に栽培したそうだ。

パンプキンガールズの右から2番目は、芸術文化観光専門職大学を今年3月に卒業して的だんSCOTに入団した丸山るかさん。シェアハウス江原101の住民でもあったるかちゃんの応援も兼ねての利賀村でした。

橿原市昆虫館〜大正解の寄り道

時間があれば寄ろうね、と孫たちにあまり期待持たせないようにしていた。石舞台古墳の見学を終え、車のナビで確認すると数分で行けるところにある。
「じゃあ、行ってみよう」となったのが「橿原市昆虫博物館」。
これがなんと大正解!孫たち大喜び。

まず建物のある環境と佇まいが気に入る。チケット買って入場すると「地球は虫の惑星」のパネルが待ち受ける。昆虫館のコンセプトは「見て、聞いて、触って、感じる」。
なかなかワクワクする演出。

家ではクワガタを11匹飼っている孫K。だが、オオクワガタは、レッドデータ昆虫に指定されていて入手困難。標本ではあるがアコガレのオオクワガタを前に大興奮。

林を再現して地中の生き物も覗ける。なかなか工夫がされている。
温室では、亜熱帯の植物が花を咲かせ、蝶が乱舞している。

解説によると

チョウの形をイメージした温室では10種類500頭以上のチョウが季節を問わず飛び交い、亜熱帯の植物が華麗な花を咲かせており、まさに南国ムード満点。生きたヘラクレスオオカブトやニジイロクワガタ、タガメなども間近に観察することができる。1000点を超える国内外の昆虫標本や化石、パネルや映像を用いた解説などもあり館内は昆虫ワールド。

「時間があれば」で立ち寄ったのに、充実した展示に驚き大満足。

建物の壁には、トンボやカマキリやハチなど、昆虫の顔のレリーフ。

建物、標本、自然の再現、温室、特別展(この時は「世界のオサムシ展」)など、どれをとってもレベルが高い。昆虫愛に満ちた「橿原市昆虫館」は誰もが訪ねる価値ありのお薦めスポットです。