「畠山記念館の名品」〜能楽から茶の湯、そして琳派〜

京都国立博物館で開かれている『畠山記念館の名品』展に行く。
東京港区白金台にある記念館には、数年前に訪ね鑑賞したことがあるが、現在は改築工事のための長期休館。ということで、畠山記念館の収蔵品の多くが関西に来るのは初めてだそうだ。

荏原製作所の創業者である畠山一清(即翁)が50年かけて集めた茶道具、美術品を紹介。畠山即翁の人となりを交えながら展示。

多数の展示品に圧倒されながら、帰りはもう夕暮れ。

メモ
国宝 『煙寺晩鐘図』牧谿 中国・南宋時代(13世紀)
重文 『井戸茶碗 銘 細川』 朝鮮半島・朝鮮時代(16世紀)
重文 『四季草花下絵古今集和歌巻』 本阿弥光悦/書、俵屋宗達/下絵 江戸時代(17世紀)

STAY豊岡で城崎温泉

コロナ感染対策で自粛を余儀なくされている豊岡市内の旅館・民宿などの支援策として「STAY豊岡」プロジェクト(6月1日〜7月31日)が実施されている。家族で、そして7月からは豊岡市民同士でも、宿泊費の半額(最大1人1万円)が補助される。

我が家も私たち夫婦、息子夫婦、孫2名の6名で城崎温泉に宿泊。食事や会議、宴会などで利用することはあっても「泊まり」まではなかなかない。

家族揃っての「温泉旅行」は初めて。普段「行こう、行こう」と言いながらなかなか実現しなかった家族旅行が思わず実現。

プライベートな写真でいいのがなく、部屋の窓からの風景になってしまった。御馳走が並んだ食事や部屋でトランプしたり、一緒にお風呂に入ったり、かけがいのない時間を過ごし、新鮮な体験となった。

露庵 菊乃井

2014年10月18日 ブログ「KOH's VIEW tumblr」より転記
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京都・露庵 菊乃井』で食事。
最初のお料理の盛りつけから「来たー」って思わせる素敵な演出。

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小鮪(こしび)である。そう鮪(まぐろ)の稚魚である。菊乃井さんの真骨頂、小鮪黄身醤油。美味であることは一目瞭然ですね。

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松茸の土瓶蒸し。繊細なお出汁が最高。

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鮎の塩焼き。

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季節、そして店名。菊尽くしのお料理でした。

田植えと夕暮れの車窓

青山界隈をウロウロとした後、豊岡へ帰る山陰線の「特急きのさき」の車窓風景。水を張った田んぼの風景にホッとする。

沈む夕陽に向かって由良川の横を行く。

東京から地方へ移動する時のダイナミックな風景の変化も楽しいもんだ。

もう田んぼに水を

急遽、東京へ。
新幹線の窓からの風景は、もう田植えの準備。
あちこちの田んぼに水が入る。

田の水面に映る景色が美しい。
この光景を見るのが楽しみだ。

初めての山口市〜中国・九州の旅(6)

最後の訪問(宿泊)地、山口市。今回は自由に行程を組み、移動距離をみながら宿泊地を決め、前日にネットでホテル予約。最後は、ここ湯田温泉。えっ?市内に温泉と思ったが、なるほどこういう立地かと眺める。城崎温泉の近くに住む者としては少し馴染めない。

ホテルを出発して車で約10分。曹洞宗の寺院「瑠璃光寺」。満開の梅が迎えてくれた。ここは梅と桜の名所。

国宝の五重塔。大内氏全盛期の象徴でもある。1442年(嘉吉2年)ごろに建立。

大内弘世公之像。
大内弘世(1356年〜1400年)。室町時代、大内家第25代当主。
足利義満に対し、応永の乱を起こし、敗れ没す。

京を愛し、京を模してこの山口の町を作り上げる。まさに山口は「西の京」と云われる所以である。

「枕流亭」。幕末にこの「枕流亭」で薩長連合を組むための密談を重ねたという。

元々は、豪商阿部家の「離れ」として存在。藩主毛利氏の参勤交代の時に山口での本陣に使われた。1960年に現在の瑠璃光寺横(香山公園)に移築された。

幕末、この枕流亭で薩長連合の密談が交わされた。

薩摩藩からは西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らがここに宿泊し、長州藩からは木戸孝允、伊藤博文、品川弥二郎、広沢真臣らがここに迎えた。

この2階の部屋は、ほとんど当時のままだそうだ。周りの風景こそ違え、この部屋で薩長連合の相談をし、倒幕、そして明治維新へと邁進した日本を思い浮かべる。

今回の旅の最後に相応しい訪問となった。

八女から門司へ〜中国・九州の旅(5)

今回のテーマは「茶の湯」。
柳川から八女市星野村へ車で約1時間。
山の斜面に茶畑と集落がある。

日本茶の最高峰と云われる「星野玉露」。星野川沿いの霧深い気候と立地。肥沃な土壌が最上の茶葉を育てるのだろう。

星野村の中心部へ行く途中で、脇の道に入ると星野製茶園がある。ここでは本格的に抹茶の製造も行なっている。玉露と共に、抹茶も購入。

星野製茶園
福岡県八女市星野村8136-1
0943-52-3151

旅も後半。帰りの方向に車を進めねばならない。八女茶の賞味もそこそこに出発。九州自動車道で北上し、門司へ。

来るときに本州側の突端「壇ノ浦パーキング」から眺めた関門海峡を、今度は九州側の門司から眺める。

門司港レトロ展望室(地上103m)から眺めた門司港。

日が沈みかけた海の向こうは、あの宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った「巌流島」が見える。来てみて初めてわかるのが旅のいいところ。壇ノ浦の合戦といい、現場を見るとまた興味が深まる。

しっとりと柳川〜中国・九州の旅(4)

今回は車での旅。ここまで来るかどうか迷ったが、やはりどうしても訪ねたい響きが柳川にはある。

柳川と言えば、柳川城のお堀を回る「川下り」だが、この日は雨。そこは割り切って、他の資料館を訪ねることにした。「柳川藩主立花邸 御花」。

1738年(元文3年)、柳川藩五代藩主、立花貞俶(さだよし)が移築。別邸となる。

7000坪の立花氏庭園。雨に煙る静かな佇まいが印象的。藩主立花氏が家族と和やかな時を過ごす為に設けた屋敷、というのが伝わって来る。

毎年2月11日〜4月3日に繰り広げられる「おひな様始祭」。ここ「御花」の西洋館の一室にも飾られている。柳川の習わしと聞く「さげもん」が飾ってある。

うちの庭師Kさんから柳川の名物は「うなぎ」、食べるなら「本吉屋」と出発前に聞いていたので(それもあって)、どうしても柳川に来ると「うなぎ」を食べて帰ろうと心に決めていた。

Kさんは、柳川で庭師の修行し、親方とした最初の仕事がこの「本吉屋 本店」の庭だそうだ。(それは深い思い入れがあるでしょう)

茅葺き屋根が残り、立派な建物にびっくり。さすが300年の伝統をもつ「元祖」であることに納得。

これが名物「うなぎのせいろむし」。初代からの秘伝のタレと蒸し方の技術を300年の間、忠実に継承してきたという。

「蒲焼」ではなく「せいろ蒸し」なので、フワッと、トロッと、口の中でとろけるような食感。そこに秘伝のタレが馴染んで、独特の風味がある。満足の「うなぎ」でした。

元祖 本吉屋
福岡県柳川市旭町69
tel : 0944-72-6155

秀吉のゆかりへ(唐津、名護屋、有田)〜中国・九州の旅(3)

博多を発ち唐津へ。約1時間半の運転で唐津へ到着。
白梅が咲き、一面にスイセンの花。
春だ。

「中里太郎衛門」」
静かな佇まいの家並みの中に陳列館がある。

400年の歴史を持つ唐津焼。中里太郎衛門は当代で14代目。
最初のコーナーは、陶房の職人さん達の作品(窯もの)が置かれ、奥から別棟に行くと代々の中里太郎衛門の作品(作家もの)が展示されている。

御茶盌窯跡(おちゃわんかまあと)。

国指定史跡。1734年(享保19年)にこの唐人町に築窯され、御用窯として用いられる。大正13(1924)年まで使用されていたものを保存。現在、中里家が引き継いで管理している。

「あや釜」に掲げてある資料

御茶盌窯跡の見学をしていると、そのお隣で陶芸をされている中里文子さんにお声をかけられ、唐津焼の歴史や中里家の陶芸の歴史をお聞きする。

唐津を出て約40分で「名護屋城跡」に到着。豊臣秀吉が大陸侵攻(文禄の役)の為に築城を命じ1591年(天正19年)に完成(わずか7ヶ月の期間で)。1598年(慶長3年)秀吉の死と共に廃城となる。わずか7年間の隆盛であった。

今回の旅の一番の目的地であった名護屋城跡。ここはボランティアのガイドさんをお願いして説明を聞きながら見学だ。

見えますでしょうか?
半島の中央あたりに名護屋城本丸。その周りをぐるりと全国から召集された大名の陣屋が配置されている。

本丸の東側から時計回りに見ると、
徳川家康、小西行長、前田利家、古田織部、鍋島直茂、加藤清正、福島正則、上杉景勝、島津義弘、湾を挟んで、黒田長政、毛利秀頼、真田信幸、石田三成など、藩主自身が皆、名護屋に集合。

名護屋城の一番高い天守台。(実際にはこの高さからさらに高い天守閣がある。)
ここに立つと、遠く対馬が観えるという。その先70kmで釜山。
秀吉の野望が現実的な距離で実感できる。

名護屋城跡の興奮冷めやらないまま、次の訪問地、有田焼の有田町へ。

柿右衛門

夕暮れ迫る中、有田焼の皿山通りをさっと見学。

一軒、一軒、立ち寄れなかったのは残念だが、17世紀前半から始まった有田での焼き物の立地、街の佇まいを知ることができた。