VOLVO 走行距離

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2020年に乗り換えたVOLVO XC90 現在の走行距離。
2020/01/29に納車されたので、ちょうど4年経った。
1年に約11,360km走行。

この4年間で長距離と言えば、毎年9月の鈴木忠志/劇団SCOTの利賀村演劇祭(富山県南砺市)を3回、大白川ブナ林(新潟県魚沼市)、勝山(福井県)、名古屋、熊野古道(和歌山県)、倉吉・鳥取(鳥取県)、あとどこかな〜。

中距離(?)では、大阪、京都、神戸はかなりな頻度で運転。

今年も12000kmぐらいの車移動かな。
安全運転心がけて。

2024年(令和6年辰年)スタート

明けましておめでとうございます。

今年も雪のないお正月。
穏やかな日差しと共に1年が始まる。

一方、世界ではウクライナとロシア、パレスチナ(武装組織ハマス)とイスラエルの紛争が続く。東アジアも中国と台湾の政治情勢が危ぶまれ、米中対立が先鋭化。日本はどうするのか。

2024年は世界的な選挙イヤー。
台湾総統(1月)、ロシア大統領(3月)、韓国総選挙(4月)、インド総選挙(4〜5月)、EUヨーロッパ議会(6月)そして注目のアメリカ大統領選挙(11月)が続く。他にインドネシア、メキシコの大統領選もある。

まずは、1月13日の10日後に迫った台湾総統選挙に注目しなければ。台湾には30年以上にわたって親交深め(家族ぐるみのお付き合い)、相互にとって重要なビジネスパートナーがいます。現在、日本に居る台湾大学出身の知人も、投票するために台湾に戻る。

さらに忘れてはならないのは日本の政治。裏金問題で揺れる与党自民党と政府。もうどうしようもないところまで来ている。衆議院解散の確率は高い。

元旦朝は家族揃って、お雑煮をいただく。
今年の抱負を語る。
健康(特に運動不足解消)、旅行(海外も)。
実現させるための家族の協力体制の確認。

こんなお正月を過ごせることに感謝し、一日一日を大切にしなければと誓う。

お宮参り〜初めての女の子

東京・二子玉川にある「瀬田玉川神社」。

約450年前から、瀬田・二子玉川を中心とした地域の氏神さまとして、人々に崇められてきました。多摩川の河岸段丘である国分寺崖線の丘の上に鎮座し、多摩川を見渡し、遠くに富士山を望み、移り行く街の変化とこの地域に暮らす人々を見守っています。都会の中の鎮守の杜に包まれた清々しい聖域に、誘われてみませんかー。
瀬田玉川神社HPより

次男のところに生まれた孫のお宮参り。
私の父、私自身、私の息子、息子の子ども(私の孫)は、その兄弟は全員男子ばかり。男系家族かな。(それ以前の系図に遡るとそうでもないのですが)

そしてこの度生まれた子どもは女の子。
初の女の子なのです!
どのように成長するのか、大いに楽しみなのです。

男だから女だから、とあまり気にする方ではないが、
ああかな、こうかなとついつい想像してしまう。

ただただ元気に育ってくれることを祈る。

お盆の墓参り

今年のお盆は、東京在住の次男家族も帰省してのお墓参り。

1歳の孫を抱っこしながらのお墓参りから家に帰り、古い墓について書いた昨年のブログ『「天明六年」と刻んだお墓を調べると』を読み返す。なかなか感慨深い。

西に沈む夕日に照らされる江原墓地。

円山川左岸の築堤工事に伴い、移転するのかしないのかで揉めた墓地は、結局、移転しないまま築堤。堤防を越えて行ける車道を設けた。

私の少年時代は鬱蒼とした木々に囲まれた墓地。セミ捕りやクワガタなど昆虫採集した墓地周辺だったが、なんだか工事現場の脇にあるような落ち着かない場所になってしまった。

誕生日を冷静に

69歳の誕生日。

70代が迫る歳とも言えるが、この年齢ってこんな感じなんだ、と意外に冷静にこの日を迎えました。そこそこ充実した日々を送ることができているのかもしれない。

もちろん心配事もあるし、気になることも多々あるが、それと向き合いながら、考え、行動し、受け入れている。そこで新しいことを知る喜びがあったり、この歳になっても新たな自分を発見したり。

昨年の誕生日には、スティーブ・ジョブズのスピーチの一節”Connecting The Dots”についての心境を語りました。まさにこの1年間も多くの出会いや偶然の繋がりがあったり、感謝しきりです。

『これからも点と点がつながることを信じて生きたい』
思いを新たにしています。

これからもどうぞよろしくお願いします。

丸1年達成!〜ブログ毎日アップ

この写真、去年2022年7月4日の魚返明未&井上銘のデュオ・ライブ
ああ、あれからもう1年経つのか。

この記事をアップしてから、今日でちょうど丸1年が経ちました。
一念発起、ブログ毎日アップを決めた日でもある。

そして、今日で366日目(昨日で365)、毎日ブログアップを達成。(^_^)v
2005年3月1日にスタートした”KOH’s VIEW”は、毎日毎日記事アップを約4年続ける。
その後断続的にブログソフトも替えながら継続しています。

4つ目のブログソフトWordPressでの”KOH’s VIEW 4.0″
今後ともよろしくお願いします。

母の3回忌

母・美智子(享年98才)の3回忌の法事を行なう。

自宅の仏壇で、和尚さんに唱和しながらお経を唱えたのち、江原のお墓に行きお花と線香を供える。私が知る祖父母、父母みんながここに眠る。さらに、私にとり幻の叔父二人。父の戦死した弟2人が眠る。1945年太平洋戦争の敗戦直前に東南アジアで死亡。それを思うだけで胸が痛む。遺骨は戻っては来なかったけど、父と一緒に眠る。お墓参りをすると、その当時の祖父母の心中を推し量り、戦争を身近に感じる。

お墓参りの後は、菩提寺の三昧院で先祖代々への供養。普段ほとんど訪ねることはないぶん、久しぶりにお参りすると本堂の佇まいに身が引き締まる。落ち着いた気持ちの良い気分になる。

これまでにも、三昧院にお参り時に、何度か拝見したことのある写真。実は、私の祖母・操子(右から2番目)は、この三昧院が実家。その左横が妹(富美代)で、教育者・東井義雄さんの妻となる。中央後ろに立つ男性が若き頃の東井義雄さん(と思う)。東井義雄さんとは親戚関係になるが、生前あまりお会いすることができなかったのが悔やまれる。

古い写真なので、何年に撮影されたものか明確でない。(持ち主もわからない)。おそらく戦前か戦後間もない頃で、場所は三昧院の前の道ではないかと思います。現在は、円山川の防水堤(コンクリートの壁面)になっているが、当時は桜並木だったそうだ。電柱の向こうあたりに日高町役場(現・江原河畔劇場)の建物がある。
(年月、場所は私の憶測。)どなたか分かる方、正誤のほど、連絡をいただければありがたい。

新年会は学生たちと「ウィーンフィル」?

初詣、友人や家族を訪ねたり迎えたり、それぞれ忙しい元旦。
しかし、意外と集まりやすいのが一月一日の午後から夜にかけて。
今年は、帰省せずにシェアハウス「江原_101」で新年を迎えるCATの学生たちをお誘いする。家族ぐるみのお付き合いのIファミリーは新年会では恒例のお客様。

近所にいながらなかなかお話をする機会が少なかったので、今夜は囲炉裏を囲みながら、今年の抱負、将来のことなど、じっくりと語り合ういい機会。年末に自分たちで一緒についたお餅を焼き、焼き鳥、お雑煮を温める。2月の誕生日を目前にしながら、まだ未成年のK君はジュースを飲みながら。^_^

そこへご近所さんが訪れる。玄関から「こんばんは、こっちだよ」と子どもに喋りかける声を聞いて、学生たちがザワザワ、立ち上がりかける。Hさん家族登場。3年目を迎える大学の様子や近隣市町の動きや但馬のお話しで盛り上がる。お帰り前に、Tちゃんが歌いながらの踊りを披露してくれました。大きくなったね。

夜も9時を過ぎ、テレビでは「ウィーンフィルのニューイヤーコンサート2023」の生放送を学生たちと観る。

ウィーンフィルと言えば、チェロのシュテファンだ。チェロのパートが映り出されるとちゃんといる。シュテファンの一段下には、セバスチャンもいる。4年前にウィーンを訪ね、彼らと食事をした時のことを学生たちに説明しながら、生で二人を観るのもなんか妙な感じ。

「美しき青きドナウ」でバレーを、ラストは「ラデツキー行進曲」を学生たちも一緒に手拍子で参加する我が家の「ニューイヤーコンサート2023年」となりました。

謹賀新年 2023年が始まる

明けましておめでとうございます。

我が家で見る初日の出。
穏やかな陽射しに願いを込める。

今年1年間の家族の健康、戦争の終結を祈り、お屠蘇いただく。

2005年3月1日に始めたブログ” KOH’s VIEW”。
最初の記事は、KOH’s VIEW(2005/3/1)
今年で18年目を迎える。
途中、途切れ途切れの時期もあったが、昨年7月より毎日アップ。
2023 VIEW( = 視界・景色・観察・考察・意見・計画)を継続していこう。

本年もよろしくお願いします。

6年8ヶ月の通院〜台湾で遭遇した交通事故

公立豊岡病院を卒業する。

2016年3月11日、台北(台湾)で九死に一生を得る大事故に遭う。日課の早朝のウォーキング中、横断歩道を青信号で渡っている時に、左折してきた自動車にはねられる。救急車で運ばれ、3日間集中治療室(ICU)に入り、そのまま台北の病院に入院。3週間後に医師の判断で飛行機に乗る許可を得て帰国。そのまま、豊岡病院へ。

頭部内出血と左頬の骨折の診断。即、手術。(それまでほとんど病院にはお世話にならずに人生を送ってきた私にとって、初めての手術と入院)その後、1年間は頭痛と闘いながら自宅と豊岡病院の往復の日々。2年目からは、体力を回復させるために少しずつウォーキングを再開(時間は、早朝ではなく夕方に変更。コースも車の通らない堤防の道、植村直己冒険館公園の周回コースなど)。豊岡病院には、頭部のMRI検査(半年に1回、2021年9月まで)、そして左頬骨折の手術のために切開した左目下瞼(まぶた)の回復が遅々として進まないので、検査と簡単な処置を兼ねて毎月通院。やっとほぼ完治した(気にならなくなった)ので、本日をもって通院完了となる。無事、卒業しました。

入院していたのは病室は最上階の病室(最上階の画像右端の部屋)。窓のすぐ下にはドクターヘリの発着場所が見渡せ、豊岡市街地が一望できる部屋。苦しい体験だったが、今、こうしてみると懐かしい気持ちも湧いてくる。

一方的な相手の過失で被った事故だが、相手を恨むとか、自分の行動に後悔するという気持ちはなく、どこか冷静に起きている(しまった)ことを受け止めている自分がいることに気づき、不思議な感覚を味わったのを思い出す。

普段の話したり聞いたりする会話や音楽を聴いたりすることに支障はないが、左の聴力が下がった(左頭部の打撲のため)ことを除き、事故の後遺症はないのは幸い。

返って、生活のペースを見直し、健康について考え、これまでを振り返り、これからを考える人生の良き節目となったと感じながら、通院を終える。

改めて、こうして生きていることに感謝です。

これまでにアップした関連のブログ記事
『人生で起こることすべて良きこと』 田坂広志・著
3年前の交通事故現場〜台北市内
台湾へ〜喜びの再会