もう何の木なんだかわからない ^ ^;;

元気に育つブナ。
隣に生えているブルーベリーや実生(植えてないのに)生えてきたモチの木の枝打ちしながらブナの木を守っている。20cmぐらいの苗だったブナの木が今や約3mとスクスクと空に向かっている。

ところが、その隣を見ると、、、

何が何だか分からない。(- -;;

ローレル、ブルーベリー、カリン、ユスラウメ、カエデ、ナツハゼ、ノウゼンカズラ、ケヤキ、あと何だろう?

自分でも分からない。何とかしなきゃあなー。

魚返明未 Solo Live At Lydian 2019.9.27

魚返明未 Solo Live At Lydian 2019.9.27

  1. みかん(Live at Lydian、東京、2019)
  2. Lost Visions(Live at Lydian、東京、2019)
  3. 空っぽの駐車場(Live at Lydian、東京、2019)
  4. Improvisation~Steep Slope(Live at Lydian、東京、2019)
  5. サイクリングロード(Live at Lydian、東京、2019)

今年、この人に熱中です。
ピアニスト魚返明未(おがえり あみ)。
繊細で叙情的なところと、力強いところを併せ持っていながら、凛々しい演奏が素晴らしい。

2019年のLydianでのこのライブは魚返のオリジナル曲。この後、スタンダート曲を弾いた「Solo Live AT Lydian [part 2]」と言う続編があるが、まずはこのオリジナルに惹かれる。

1.みかん、3.空っぽの駐車場はバラード風オリジナル曲。4.Improvisation〜Steep Slopeは、緩急つけたアドリブが続く曲。最後の5.サイクリングロードは、「魚返明未&井上銘」のピアノとギターのデュオアルバムに繋がっていく代表曲。デュオを聴いてから、そもそも先に聴いていたソロに戻って聴いてみると、また違った新鮮な演奏に気づく。

ヒメイワダレソウ〜雑草抑制効果ありと言うけれど

庭の外の広場に生えるヒメイワダレソウ
拡大してみるとカラフルでなかなか愛らしい花が咲いている。

調べてみると、
ペルー原産で日本にも自生している馴染み深い植物とあります。私は広場を地を這う草で覆いたいと試行錯誤しているところに、このヒメイワダレソウを発見。「発見」というのは、苗を植えた(種子を蒔いた)ことなどはなく、どこからか種が飛んできたのだろうか。

最近は雑草抑制のグランドカバーとして注目されているらしい。これは願ってもないことだ。おまけにこの可愛い花も楽しめる。

さらに調べると、
地面を覆う力(地被力)が圧倒的なので他の雑草を抑制する。花は6月〜9月まで長く咲く。強い耐踏性がある。(確かに車のタイヤの通り道にあっても群生している。)など、メリットがあり、私の思いには好都合。

さらにさらに調べると
罰則の対象となる植えてはいけない植物には含まれていない。実際に、ネットではAmazonでも楽天でも多数販売している。しかし、日本国内では生態系を破壊するなどの報告はないが、海外では侵略的植物として危険視されていることもある。

さて、どうしよう?
注意深く観察していかなくてはならない。

ベーゼンドルファーを弾く

Bösendorfer(ベーゼンドルファー)

ウィーンのピアノ製作者 イグナーツ・ベーゼンドルファーによって1828年に創業される。数々のヴァーチュオーゾに愛用されてきた歴史あるピアノとして有名。スタインウェイと人気を二分する名器。

調べると、クラシックではヴィルヘルム・バックハウス、ジャズではオスカー・ピーターソンが愛用したことで有名とある。確かにあの大柄で強烈なオスカー・ピーターソンのタッチに耐えるにはそれ相当のピアノでないとダメだろう。(あまり本質的な評価ではないですね)(^^;;

もう35年ぐらい前になるが私はこの日高文化体育館(豊岡市)にあるベーゼンドルファーを使ったコンサートを仲間と企画。ジャズピアニストの加古隆さんのソロピアノ、2回目はカルテット(piano、base、drums、percussion)のコンサート。会場には約800名の市民に聴いていただく。

余談になるが、加古隆さんを知ったのは、私が学生時代、新宿のライブハウス「Pit Inn」でパリ留学帰りの加古隆さんのトリオ演奏(アバンギャルドなフリージャズ)を聴いたのが初めて。その後、何年か経って日高文化体育館にベーゼンドルファーを寄付(会社より、当時社長であった私の父)をさせていただき、ベーゼンドルファーを愛用されていた加古さんと再会することになりました。(身の回りの出来事を振り返ると、いつも不思議なご縁を感じる)

いよいよ本題。(これが書きたかったのです)

このベーゼンドルファーの維持管理の目的も兼ねて、日にちを定めて市民に無料開放している。以前からなんとなく知っていたのですが、まさか「自分も行って弾こう」なんて思いもしなかった。そこへ、私のピアノ師匠から「明日、ベーゼンの無料開放日よ」との一報が入る。

その一言(ひとこと)で、他人事(ひとごと)が自分事(わたしごと)になりました。(^ ^)v

鍵盤は軽くとても弾きやすい(家のピアノは湿気の所為か重い)。
一つ一つの白鍵の幅って、全ピアノ共通なんでしょうか?(錯覚?)
少し幅広で弾きやすく感じる。
空調管理した楽屋に保管されているので、落ち着いて集中して練習できそう。

ピアノにとって、文化体育館にとって、市民にとって、こんないいことがあるなんて気づきませんでした。(せっせと活用させていただこう、っと)

日高文化体育館(豊岡市日高町祢布954-6、TEL: 0796-42-2505)
ピアノ無料開放日

『ともに生きるための演劇』 平田オリザ・著

『ともに生きるための演劇』 平田オリザ・著

「会話」・・・親しい人同士のおしゃべり
「対話」・・・異なる価値観を持った人とのすり合わせ
そしてまず対話の場合、その大前提として「対等な人間関係」であることが求められます。先にも述べたように、日本はハイコンテクストな社会です。その上、この「対等な人間関係」というものがなかなか成り立たないという背景もありました。そもそも「対話」ができる機会自体が非常に少なかったのです。「対話」を学ぶ場が抜け落ちているという以前に、「対話」という概念が弱かったのかもしれません。
第2章 演劇で「日本語」を捉え直す (「対話と「会話」の違い p 57)

日本は「わかりあう文化」「察しあう文化」という独特の社会を形成してきた。それがアジアの中でいち早く近代化できた、との見解を示す。現代の世界は多様化に向かい、コロナウイルス感染、ロシアのウクライナ侵攻などによって世界は同時に影響を受けながら、一方で多様な価値観が表出してきている、との認識をまず示すところから始まっている。

作家であり、演出家の平田オリザ氏は、日本語に着目して、演技の違和感を指摘し、日常生活の中での「会話」と「対話」の違いからこれからの学校教育を考える。

さらに背景の違うもの同士がどうコミュニケーションを取ったら良いのか、異なる他者との向き合い方を指南する。「シンパシー/同情」と「エンパシー/共感する力」の理解、最後に「ゆるやかなネットワーク社会を作る」ことの大切さと意義を訴える。

印象に残るエピソード(事例)
・中高年男性の入院患者が「若い女性看護師に子供扱いされた」と怒る。それは日本語の歴史の中で、女性が男性に指示する関係は、おそらく母親が子どもに指示する関係しかなかったから。言語としてのボキャブラリーがまだ乏しい。
・自然災害は、家族友人を失い、家や集落が破壊され目に見え「同情できる」。コロナによるパニックは「わかりやすい弱者のいない災害」である。同情をどこに向けるのか?自分?そこから他者への攻撃転化になったのでは?
・「ライフ(life)」は、「命」と「人生」という両方の意味がある。守るのは「命」だけでなく「人生」も。人生は文化を必要としている。

※ハイコンテクスト〜同じ生活習慣、同じ価値観を持つ共同体。言葉で多くを説明しなくても理解できる。コンテクストとは「文脈」「コミュニケーションの基盤」「文化的な背景」。

中庭〜日当たり悪いけど

1 日のどこかの時間で雨が降る。短時間なので雨の日があるわけではないが。
水を得て瑞々しく重ねる葉たち。なんか熱帯のよう。

実は3坪ほどのわが家の中庭。両側を建物壁面で囲まれた、どちらかと言うと日当たりの悪い環境の中庭。だからなのかメインの庭では定着しない植物がイキイキと育つ。

買ってきて植えた花、野鳥が運んで来たタネで育った植物、風に飛ばされてやってきた植物。手を加えた訳ではなく群生している。一つひとつ植物名を調べてみる価値がある。やってみるかな。

「天明六年」と刻んだお墓を調べると

お墓参り。江原地区の墓地奥には、それなりに太い幹に育った何本かの古木がある。枝は伸び放題、地面からはササと雑草で覆われてしまう。今年は念入り(と言っても私なり)に、お墓の掃除をしてお盆を迎えた。

江原墓地内に3ヵ所に別れてお墓がある。

古い墓石をよく見ると「天明六丙年」と刻んである。「六」と「丙」と「年」の間隔と左右のズレが少し気になるが、ともかく調べてみよう。

「天明6年」は、確かに「天明六年丙午(ひのえうま)」とある。西暦では1786年。今から236年前。

私は13代目なので、1世代の年数を30年として約8世代前。つまり、わが家の第5代目ぐらいの先祖さん(こんな計算したのは始めてだ)。上部にある梵字(?)戒名(?)読めないのが情けない。

ついでに「天明六年」はどんな年だったのだろうか。

田沼意次(66才)、杉田玄白(53才)、伊能忠敬(41才)、鶴屋南北(31才)、松平定信(28才)、葛飾北斎(26才)、、、こんな人たちが現役で活躍した時代なんだ。3年後には寛政元年、つまり老中松定信が主導した「寛政の改革」の幕政改革真っ只中なんだ。

1786年、世界は?
10年前の1776年は、アメリカ独立宣言。ヨーロッパでは英仏通商条約の締結。英仏植民地戦争の末、英仏間の自由貿易協定を結ぶ。結果としてフランス国内産業が大打撃を受け、フランス革命への伏線となる。ナポレオンは17才(砲兵士官として任官)、もう一つにおまけに、モーツァルトがオペラ『フィガロの結婚』を初演した年。

お墓に刻まれた年号「天明六年」をキーにして調べてみると、日本と世界の歴史が身近に感じられる。

もう2つ、もっと古い墓石があるが、残念ながら年も名も分からない。

その時代を探ってみながら、先祖がどんな時代をどんな風に生き抜いて来たのかを思い浮かべてみる。こんな風にお盆を過ごすのもいい。

多湿が創り出すグラデーション

以前、テキサス州から来た友人が「美しい!これが日本の美しさ」と何度も何度も述べる。乾燥地帯のテキサス州では、遠くの山も近くの山も同じ色なのだ。(確かに私も実感したことがある)

多湿の日本では、山々の重なりは紫色がかった山が遠くになるごとに、その色を薄くしながらグラデーションを描く。日本画に描かれる「ぼかし」の感性もここから来ているのかもしれない。

海抜650mの大岡山から豊岡盆地を見下ろす。東北地方に大雨を降らしている前線が伸びる。但馬地方では雨が降り続くことはないが、前線にともなって発生する雷が時々遠くで聞こえる。平地はきっと蒸し暑いだろうが、ここは気持ちの良い風が通り抜ける。

打ち下ろしのゴルフコースの緑とのコントラストが美しい。

毎日のように夕立がやってくる今年のお盆。
不安定な天気だがこんな美しい光景も創り出す。

『地獄変』〜劇団「遊学生」江原(立光寺)公演

私たち『遊学生』は、元文部科学大臣補佐官・鈴木寛が東京大学と慶應義塾大学においてそれぞれ主宰する二つのゼミの合同プロジェクトとして、但馬地域において公共と芸術の接続可能性を模索することを目的に2020年に発足した団体です。
出石藩出身の東京大学初代総長・加藤弘之を補佐し、のちに自身も第3代総長を務めた濱尾新のキャリアは、豊岡藩の藩費遊学生として慶應義塾の門を叩いたことから始まります。
但馬と東大・慶應のこうした深い縁にちなみ、今度は逆に東京から但馬へ来て遊動的・実践的に学ぶ若者、そのような意味が「遊学生」という団体名には込められています。
『地獄変』劇団遊学生フライヤーより抜粋

取材で訪ねた出石の柳行李職人さんのお話をモチーフに、芥川龍之介の短編小説『地獄編』を改作したもの、とある。柳行李と地獄変が結びつくとどうなるのか興味津々です。

公演内容も興味があるけど、そもそもなぜ東大生の劇団が豊岡(江原)で公演をするの?どんな経緯なの?そちらにも興味がありますね。それは上記公演フライヤー(チラシ)の一節をご覧ください。端的に説明してあります。

昨年の豊岡演劇祭に合わせて公演を予定(豊岡と但東町)されていたものですが、コロナで中止になり、再チャレンジとして今年の豊岡演劇祭に合わせて、その開幕前(9/6〜9/8)に公演をします。昨年、ゼミ主宰者の鈴木寛さんが豊岡に来られ、豊岡アートアクションでお迎えして交流が始まりました。中止は残念でしたが、学生メンバーを豊岡市のあちこちに案内し、その中から、今年は江原でやりたい、と企画がスタートしました。

江原には、東京から「劇団青年団」が引っ越してきて「江原河畔劇場」が2020年オープン。芸術文化観光専門職大学(CAT)が2021年に開学し、その学長平田オリザさんも江原とご縁ができ、CAT学生(1期生)たちが、江原周辺にアパートやシェアハウスに移り住んできている。

そんな背景の中で江原公演が実現しました。

「遊学生」たちが所属する「すずかんゼミ」の鈴木寛さん(現・東大 / 慶大教授)とは20年ほど前、私が東京のビジネススクール(グロービス)に通っていた頃、何度か講義(講演)をお聞きしたことがありとても印象に残っているのですが、巡り巡って、豊岡で再会し、しかも演劇好き同士と知ったのも、何かのご縁かもしれません。

劇団は、東京大学、慶應義塾大学、早稲田大学の現役学生たちで構成されています。

チケットは、Web予約(8/10から)と電話予約(9/1から)。

会場の「立光寺(りゅうこうじ)」さんには、学生たちの宿泊場としてもご提供いただいています。地域行事や文化活動にもご理解が深いお寺さんです。

“Hubris” Richard Beirach

Richard Beirach  “HUBRIS”

Richard Beirach  : piano

1. Sunday Song
2. Leaving
3. Koan
4. Osiris
5. Future Memory
6. Hubris
7. Rectilinear
8. The Pearl
9. Invisible Corridor/Sunday Song – Monday

Recorded on June 1977

今年のピアノ発表会はリッチー・バイラークの”Sunday song”を演奏します。ピアノを始めて4年目。現在、猛練習中と言いたいが、その日によって途切れ途切れ。

人生でいつの日かピアノを弾いてみたい、ジャズのアドリブをやってみたい、との思いを今実行している。(告白した以上、もう後には引けないぞとの決意表明)

1年目は、Sonny Clarkのアルバムで有名な”Cool Struttin'”、2年目は、誰もが知っているスタンダード”Autumn Leaves”、3年目は、”When You Wish Upon a Star”を弾き語りで。

発表会の前は必死で練習してなんとか弾けた(と思う)のに、終わると途端に弾けなくなるから情けない。まだまだ、精進が足りない(理想とほど遠い道のり)と痛感の日々。

この曲”Sunday Song”には、思い入れがある。自分の子どもが産まれたら「その子の曲」と決めて毎日それを聴かせて、音楽を愛し楽しんで欲しいとの願いを込めて。もう40年以上前の話だが、長男も次男もどうやら音楽好きな生活を送っているようだから、まあ良しとしよう。

そんな話題をもう17年前のこのブログ”KOH’s VIEW”にも書いている。まさか、その曲”Sunday Song”を自分で弾くことになる(する)とは。これも新たなチャレンジ。