今日庵〜2025年初釜(初稽古)

裏千家今日庵の初釜。
昨年、家元ご家族のご不幸があり「初稽古」として執り行われました。
朝9時からの席にご案内いただく。

待合の床間の棚にはヒカゲノカズラ。我が家のお正月にも飾ったのですぐに分かる。

京都の和菓子店「川端道喜」の花びら餅。「御菱葩(おんひしはなびら)」と呼ばれ裏千家の初釜用に製造するお正月の和菓子。
川端道喜は、16世紀初頭に創業した老舗和菓子店。

濃茶席では、家元坐忘斎と大宗匠鵬雲斎の新年のご挨拶。
お家元からは、デジタル・インターネットなどの発展で文化が薄れていく時代となり、人と人のアナログの交流をより大切にしていきたい。
大宗匠からは「平和という言葉」を発してなくても良い世界になっていって欲しい。分断と紛争の時代を終わらせなければいけない。

薄茶席では若宗匠のお点前。
昨年の淡交会但馬支部80周年記念式典にお越しいただいたことのお礼を改めてさせていただきました。

今月6回目の茶事は夕暮れに

11月の「口切りの茶事」で始まった我が家の晩秋の茶事。
新茶を収めた「ルソンの壷」が今回の茶事の主役。
妻が亭主となり、ドーモ・キニャーナの個性的な空間を使って、友人を招いて数回行う。

京都からの客、大阪芦屋方面から、鳥取から、と妻が普段親しくお付き合いしている茶の湯仲間に声をかける。さらに、稽古をしている社中の仲間。

今日は、シェアハウスに住んでいる妻に茶を習っている芸術文化観光専門職大学(CAT)の学生が客に。夕方から始まるので「夕ざりの茶事」風にして行う。

カメラの感度のせいで明るく写っているが、辺りはかなり暗くなっている。
学生の客たちはお茶事は初めてなので、待合で少し茶事の流れを説明している。
学生たちは、妻の指導よろしく自分で着付けした着物。

若いから?演劇やっているから?
ともかく、お点前も着付けも覚えが早いと妻は感心している。

今月だけで6回のお茶事も今回が最後。
終わったのは夜の10時過ぎ。
妻の茶の湯好きは半端ない。

師走のお茶事(天空編)

「天空の茶室」
昨年のリノベーションで構想した3階で抹茶を一服差し上げるの「秋編」が実現。
春の茶会では山桜を眺めながら
今回は初冬の茶会となる。

正午から始まったお茶事は、1階の和室で懐石料理、なかだちの後は濃茶。
話が弾み、3階へは夕暮れ間近だ。

膝もとからは、2階の土壁が見える。

「茶」は同じ葉で〜お茶と宇治のまち交流館ミュージアム

「お茶と宇治のまち交流ミュージアム」に立ち寄る。

「日常茶飯事」の言葉からも「茶」は日本人の生活に密着した飲み物。
粋な紹介から宇治茶の解説が始まる。

「お茶はすべて同じ葉からできている」と知り、茶のルーツを訪ねて谷晃先生(野村美術館館長)におとも(鞄もち)して雲南省を旅をし、その後いろいろ調べたりしている。

今回はさらに裏付けもとりたい思いも持って訪問。
緑茶もウーロン茶も紅茶も皆同じ「チャ」という植物の葉から作られていると、ドンズバの解説を見て納得!

宇治茶はなぜ全国一の茶の産地になったのか?
・砂の混じった水捌けの良い土壌と傾斜のある地形
・宇治川・木津川が流れ、年間1500mm以上の降雨量
・昼夜の温度差による霧の発生(霜を防ぎ、うまみ成分を増やす)

宇治茶の定義は?
・歴史・文化・地理・気象を鑑み、共に発展してきた京都・滋賀・三重・奈良で作られる。
・かつ、京都府内業者が府内で仕上加工をしたもの。

「チャ」は
「発酵茶」「半発酵茶」「不発酵茶」に第分類される。

「発酵茶」  = 紅茶
「半発酵茶」 = ウーロン茶
「不発酵茶」 = 緑茶

「不発酵茶」はさらに
「覆下園」=碾茶(抹茶)、玉露、煎茶、かぶせ茶、川柳
「露天園」=ほうじ茶、玄米茶、京番茶、玉緑茶

と分類される。

760〜764年 陸羽が世界最古の茶についての本『茶経』を著す
805年    空海、最澄が唐から茶の種を持ち帰り、比叡山の麓に植える
1191年   臨済宗の僧、栄西が宋から茶を持ち帰り抹茶の飲み方を伝える
1214年   栄西が二日酔いに効くとして、茶を源実朝に献上する

など、興味深い茶の歴史の年譜が示されている。

お茶と宇治のまち歴史公園
〒611-0013 京都府宇治市菟道丸山203-1
TEL0774-24-2700

聚光院で茶会と忘年会

2月と11月に豊岡に来られ、ご案内させていただいた京都・聚光院の「十日会」様。
(お返しに?)聚光院での茶会にお声がけをいただきました。

茶室「枡床席」で濃茶をいただく。

「枡床席(ますどこせき)』
重要文化財。閑隠席と同じ建物内にあり、水屋を隔てて東側にある茶室。枡形(正方形)の踏込床があるため桝床席と呼ばれる。四畳半平面のうちの半畳を床の間とした形式で、炉は床の間に接して向切りとする。この桝床は表千家六代・覚々斎の好みと伝わる。
”Wikipedia 聚光院” より

上記引用に出てくる「閑隠席(かんいんせき)」は、かつては千利休自刃の席として伝えられていた。(重要文化財)

方丈前庭「百積の庭」は国指定名勝)。
国宝、需要文化財が並ぶ、由緒ある聚光院でお茶をいただき、これから忘年会を兼ねた食事をいただくのは、なんともすごい体験だ。

方丈前庭「百積(ひゃくせき)の庭」(国指定名勝)
狩野永徳が下絵を描き千利休が作庭したと伝わる方丈前の庭で、苔庭に直線上に庭石を置き、石組みの多いことから「百積の庭」といわれる。
“Wikipedia 聚光院” より

書院でお食事をいただく。
2013年建立の書院。滝が描かれたお床と襖絵は千住博による。和尚さんにお聞きすると7年かけて描かれたそうだ。

食事の後は、場所を十日会のメンバーのご自宅に移動して2次会。周囲は名だたる有名な企業の自宅が並ぶ住宅街。なんとカラオケが始まる! 和尚さんも良いご機嫌で、唄い語り合うなんともすごい夜となりました。

丹但会〜裏千家淡交会の支部交流

裏千家淡交会の支部交流会に出席。

丹但会とは、丹後、丹波、但馬支部の3支部の年に1回の交流会。持ち回りで、今年は但馬支部で招月庭で開催。

但馬支部創立80周年記念大会のお礼と申し送り事項を伝達。
80周年はこれから続いていく。
2025年は両丹支部(福知山・綾部市・舞鶴市)。
2026年は宮津支部(宮津市・京丹後市・与謝野町・伊根町)

各支部とも共通の課題は、会員数の減少。
人口減少、高齢化が進む中、課題解決は困難ではあるが、まずは茶の湯を楽しむ、茶の湯の魅力を伝えていくことが大切。急がば回れですね。

画像はお茶席の主菓子と昼食会の野菜(バーニャカウダ)。
道具もお茶も画像はでてきませんが、悪しからず。(^o^;;

3支部役員で、お互いの支部の実情や各行事のこれからのあり方など、本音で語り合えたのがとても貴重なこととなりました。美味しい食事とお酒(私は運転で飲めない)は大切ですね。

全国役員懇話会〜茶道裏千家淡交会

リーガロイヤルホテル京都で開催された全国役員懇話会に出席。

淡交会の但馬支部副支部長の立場で参加。全国から約500名が集まり、令和6年度各支部の活動の中から優秀、優良支部の表彰が行われる。

千玄室大宗匠の元気のお顔も見える。102歳になられるが現役で茶道を通じて海外との交流も図られている。翌日からは韓国に行かれるそうだ。

大宗匠から左へ、千宗室家元、千宗史若宗匠、伊住宗陽さんも席につかれる。

優秀支部(郡山、広島第一、第二)、優良支部(東京第六東、川崎、岡山)の5支部の活動報告がある。各支部とも「会員の減少」という共通の危機感があり、会員の増員、現会員へのフォローなどに創意工夫を凝らした活動がメインの報告となりました。家元のご挨拶からも裏千家淡交会の会員は現在約8万人との発言もありました。最盛期には20万人以上ありました。

懇親会では、丹後宮津支部の正副支部長さんとも同席の上、お互いの状況などを語り合い、有意義な懇親会となる。同テーブルには東京第6支部の役員いらっしゃって、神楽坂で鰻屋さんをされているという。次回上京したらぜひ寄ってみよう。
全国大会では、こういう出会いもありがたいですね。(茶とはあまり関係ないですが)

京都・大徳寺 聚光院で茶会

京都・大徳寺聚光院で行われた茶会に出かける。

シンガポール表千家社中の恒例の茶会。
潮田洋一郎さんの茶道具、書画で濃茶席、薄茶席、点心席などが設てある。まさに国宝級、重要文化財級のお道具です。

【濃茶席】
床  「徹翁墨蹟 一休添書」  前田家伝来
釜  「芦屋 末の松山」    芦屋釜の中でも古いもの
茶碗 「光悦黒 銘 朝霧」

【薄茶席】
床  吉田兼好自詠和歌 神無月 藤田家伝来
釜  与次郎霰 宗旦箱
茶碗 「織部黒 銘 吊るし柿」
   「仁清  銘 麻紋」
   「直入焼貫」
   「細川護煕作 白釉」

日本画の千住博さんが描いた「滝」。聚光院別院(静岡県伊東市)で住職から「襖絵を描きませんか」と声を掛けられ制作したのが、きっかけで聚光院本院のこの襖絵につながったという。鮮やかな群青色が聚光院に新たな生気をもたらしている。

主宰者の潮田洋一郎(元・LIXILグループ会長兼CEO)の挨拶文に、

外国で暮らすと、日本にいる以上に国や文化を意識します。そうした仲間と日本の茶の湯の総本山というべき大徳寺で、さらに千利休ゆかりの聚光院で茶会を致します。

シンガポールに住む潮田さんと在住の日本人(ビジネスで一時転勤の方も多い)で表千家茶道を稽古されている方たちが一時帰国して今回の茶会の水屋(お世話)をされている。

秋晴れの京都。てきぱきとした気持ち良い茶会。
素敵な1日となりました。

「ルソンの壷」には少なからずご縁がある

ルソン壺とは、桃山時代末期にルソン島からこの種の壺が大量に輸入されたのに由来する。しかし、これ以前に同種の壺は大量に輸入されていた。広東省を中心に中国南部で作られた壺である。十四世紀初め頃に葉茶の容器に転用され始め珍重されてきた。室町後期に「草庵の茶の湯」が盛んになると茶室内で観賞されるようになり、さらに信長・秀吉の時代には書院の飾り道具にも用いられた。
文化遺産オンライン唐物茶壺 より

滋賀と京都からお見えになったお客様。ちょうど妻が「口切りの茶事」の準備をしていたので、その新茶を入れた壷をご覧いただく。これが我が家の「ルソンの壷」。

「ルソンの壷」には少なからずご縁がある。

2011年3月初め。野村美術館の谷 昇館長の「茶のルーツを訪ねる旅」(個人的テーマによる少人数の旅)に同行させていただく。雲南省がメインの訪問地だが、その前にまず上海から広東省広州に飛び、佛山市博物館で「ルソンの壷」を見学。

ブログ【KOH’s VIEW】
お茶のルーツを訪ねて~「ルソンの壺」の巻(広州・佛山)(2011年3月3日)

懐かしい記憶が蘇ってきます。

ちょうどこの頃、NHKの番組「ルソンの壷」で弊社の取材中
「ルソンの壷」の由縁を知り、その生産地を訪れていることに興奮しました。

創立80周年のお祝い〜裏千家淡交会但馬支部

(一社)茶道裏千家淡交会 但馬支部創立80周年記念大会を開催しました。但馬支部の副支部長という立場で昨年より準備をし、この日を迎えました。

会場は城崎国際アートセンター。

近畿第一ブロックの近隣支部の会員が約500人が集まり、記念式典を行う。但馬支部約320名、宮津支部約120名、両丹(丹後・丹波)支部約40名、招待者約20名。

主催者挨拶は西村肇/但馬支部長。来賓祝辞は堀尾大直/両丹支部長、平田オリザ/県立芸術文化観光専門職大学学長。

記念誌には、家元 千宗室(坐忘斎)、千玄室(大宗匠/鵬雲斎)様より祝辞をいただく。

それぞれの土地にある茶の湯は一様ではありません。私たち人間と同じように、育ってきた環境や気候風土の影響によって様々です。実際に全国各地で同門の皆さまがそれぞれの場所に合った茶の湯の花を咲かせてくださっています。そのように地域ごとの特色があるからこそ茶の湯は日本文化の中で廃れることなく続いてきております。
(家元 千宗室)

お茶を差し上げるとき、亭主は心を込めた一盌で相手の幸せを祈り、客は出された茶碗の正面を避けることで謙虚な気持ちになれます。そうして互いを敬い、思いやる気持ちを育むのが茶道なのです。
(大宗匠 千玄室)

丹心斎若宗匠

式典の記念講和は丹心斎若宗匠。

講和として30分されるのは2回目だと断りながら、一生懸命努められる。この秋は、毎週末に全国の創立◯周年式典に出席されているとのこと。式典後の懇親会では同じテーブルで親しくお話をさせていただきました。

祝賀懇親会の冒頭あいさつが私の役目。

まず、式典が無事に終了したことの感謝を申し上げる。

茶を飲む習慣は中国が発祥、様々な飲み方として日本へ、世界へと広がる。
ただ、抹茶が残っているのは日本だけ。
その理由は、美味しい茶葉の栽培生産技術の確立と「茶の湯文化」の確立されたこと。
「茶の湯」は、茶室+道具+点前の三要素が揃っていること。
担い手は、各流派、とりわけ裏千家のお家元を始めとして私たち。
茶道を嗜む人口は減少しているが、海外では、日本文化の代表として人気が高い。
「茶の文化」を継承していくことは、私たちにとっても、日本にとってもとても大切なこと。

という趣旨のことを盛り込みながら、懇親会のネタとしていただければ、との思いでご挨拶させていただきました。