またまたドイツからのお客さま

晴天で気持ちの良い春の日。
友人家族のところにドイツからお客さまが来る。
お茶の稽古に合流して、茶を一服差し上げ、昼食は点心を一緒に。

強行軍の旅行なのか、しばし3階のテラスでリラックス。

彼と彼女は初めての来日。
東京、京都、但馬(養父、江原、城崎)を訪問。
明日から沖縄に行くそうだ。

次回、夏に来たらカヌーしようと約束。
Have a good trip !

天空の茶室

昨年5月に完成した3階のリノベーション。計画をする時から「ここでお茶を」と企む。
この季節を待ってやっと実現。

名付けて「天空の茶室」

吹き抜ける春の風を感じながら円山川を臨む。

向こうには山桜。

利休忌と総会〜裏千家淡交会但馬支部

利休忌。

利休忌(りきゅうき)は、安土桃山時代の茶人である千利休(せんのりきゅう)の忌日(1591年2月28日)に、利休の門弟たちが遺徳をしのぶ行事です。

利休忌では、利休の姿を描いた軸と菜の花を飾り、利休に供えるお茶を点てて、薄茶をいただきます。菜の花を飾るのは、利休が生涯菜の花を愛したためとも、切腹の日の茶室に飾られていたためともいわれています。

表千家では、7代目如心斎が制定した「七事式」の中、「廻り花」「茶カブキ」などを行ない、互いに茶の湯の修練に励みます。

裏千家では、利休忌は3月28日で、宗家三大忌の一つです。

AIより

利休の命日は3月28日であるが、淡交会但馬支部では、前後の日曜日に総会も合わせて行う。私(裏千家淡交会但馬支部副支部長)は、総会の議長を務める。

総会前には、茶席で一服の茶をいただく。

茶室を守ろう〜県立豊岡高校

我が母校の県立豊岡高校のシンボルとも言える達徳会館。

達徳会館は、兵庫県立豊岡高等学校の敷地内にある近代化遺産です。1896年(明治29年)に建てられた擬洋風建築で、2008年に兵庫県指定文化財に登録されました。
達徳会館は、旧制豊岡尋常中学校の本館として建てられました。正門を入ってすぐ右手にあり、創設当初の校舎で現在まで残る唯一の建物です。1972年(昭和47年)の大火を免れました。
AIより

私の父母、弟、二人の息子、みんな通った高校。息子が豊高生の時は、PTA副会長、会長を連続で5年間務めたが、実は中に入ったことがない。シンボルには違いない。

達徳会館の奥にあるのが、豊高のお茶室。

戦前の豊岡女学校時代からあった茶室の一部を継承して戦後建てられた茶室。老朽化が進み、雨漏り、壁の崩れ、随所に修理必要な箇所がある。2年後の達徳会150周年に向けて、茶室の改修工事を行うことを推進する動きがある。

淡交会但馬支部としても支援し、茶道を学ぶ学生をバックアップすると同時に淡交会としても活発に利用しようと計画中です。

淡交会但馬支部の役員会

原則毎月第一日曜日の朝は、淡交会但馬支部の役員会。
幹事長以下、役員、青年部、各地区の世話役など約20名の役員が集まる。そこに、支部長と副支部長が参加する。私は副支部長として。

会議の始めに「利休百首」を読み上げ、意味を再認識する。
「利休百首」は、千利休が和歌の形を借りて残した教えと言われ、茶道の原点を学ぶことができる。実際には、後世まとめられたものと考えられる。裏千家11代 玄々斎が点前作法の種別、道具の扱いなどを書きまとめたものとされる。

茶道を現在(以前、5年ほど習う)は嗜んではいませんが、一首、一首、何かとヒントになります。

会場は、豊岡駅前のアイティ7階の市民プラザの会議室。
明るくて気持ちの良い場所。
淡交会但馬支部の初茶会、利休忌、総会などもこの市民プラザの会場を借りて行います。

芦屋の友人宅でお茶事

茶道で親しくしている妻の友人Kさんからのご招待で、お茶事に行って参りました。
芦屋市のマンションに住むKさん。
もともと茶室としても使用されていた和室を本格的にリフォームされ、そのお披露目としてご招待いただく。

ベランダに設えた蹲(つくばい)で清めてお茶室に入る。

珪藻土の壁が美しい。
色合いも素晴らしい。

懐石の席では「室内一椀清」のお軸。
懐石料理は、旬の食材を活かしながらの調理と素敵な器。
大変美味しく戴く。

お濃茶の席では、それぞれに物語のある立派なお道具。

マンションの5階ベランダから見る風景は、通常の茶室とは全く違った気分にしてくれる。

亭主とそのパートナーとのご趣味は海外旅行。
南米のペルーとボリビア国境にあるチチカカ湖に浮かぶウロス島に住む民族の絵画、中東、アフリカなどの旅の際に入手した雑器や生活道具を「見立てて」使うセンスもなかなかのもの。

心のこもった亭主の心遣いを感じる素敵なお茶事を体験しました。

我が家の初釜 2024年

我が家の初釜(1月7日)。
今日庵の初釜と重なり、一目散で京都から帰宅する。

腰掛け待合は囲炉裏。

コロナ以来、濃茶本来の回し飲みを止め、今は各服点(かくふくだて)で一人一碗で戴く様になっていることが多い。

先日の京都での茶事でヒントを得て、一碗で人数分の濃茶を練り、小ぶりな茶碗に分ける。そこで登場したのがこの片口の茶碗。この為にあったのではないけど、作者は今日の亭主の陶芸家Mさん。なかなかいいアイデアだ。

後炭。

薄茶は和気藹々と。
お干菓子も楽しく。

裏千家今日庵にて初釜(令和6年辰年/2024年)

昨年に続き、裏千家今日庵初釜に行って参りました。

初釜の「会記」(茶会の記録)。
(許可を得て撮影しています)

今年も「立礼」(りゅうれい)のお席。
最初に坐忘斎家元と今年101才になられる鵬雲斎千玄室様の新年のご挨拶で始まる。
濃茶席の亭主は坐忘斎家元。
干支にちなんでお軸は「龍虎」。

主菓子は、恒例により川端道喜の「花びら餅」。
薄茶席は、薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)。

コロナ以前は、茶席で御神酒もいただきながら食事をしました。現在は、お土産と共にお弁当をいただき持ち帰る。

簡素化する初釜。
時代の変化と共に茶会のやり様も変わっていく一つの動きかもしれない。

茶会「如水会」〜青年部のお席が面白い

淡交会但馬支部恒例の茶会「如水会」に出席し、抹茶をいただく。
茶会を開催する亭主をまわりもちしながら、毎年開催される。今年は招月庭のお座敷をお借りして、本席と青年部席の二席が催された。

青年部は淡交会但馬支部では50歳までの会員が相当する。青年部ならではの活動が面白そう。これは陶芸家の指導のもと青年部の皆さんが作った茶碗。これまでに茶杓を作ったり、茶の生産地を見学したり、なかなか活発な活動をされている。

これも青年部の皆さんが手作りで作った席札。
なにが面白いかわかりますか??

「感謝」の文字をじっくりと見てください。
おわかりですね。

一枚一枚、青年部の皆さんが手書きで書いたもの。
(全部ちょっとずつ違う)
水引きはゴムを彫って作ったゴム印。

なかなかクリエイティブです。
その勢いで茶道の世界を広げていったら面白いと思います。

ちょっと龍安寺へ

龍安寺 石庭

淡路に続き京都の茶会に出席。
茶席は右京区宇多野なので、時間調整のため近くにある龍安寺を訪ねた。

言わずと知れた龍安寺の石庭。室町時代末期の1500年ごろに禅僧によって作庭されたと伝わる。3回目となる今回、目を奪われたのは石庭を取り囲む塀。菜種油を混ぜた土で造られた油土塀。時の経過により油の変化で独特の風合いを醸し出している。

鏡容池(きょうようち)を眺めながら、方丈への階段を登る。

大広間をはじめ各部屋の襖は竜の絵が描かれている。比較的新しい襖かなと思いながら、鑑賞しているとボランティアガイドさんから細川護煕さんが描いたとの説明。何代目の細川氏?と思ったが、なんと内閣総理大臣を務めた細川護煕氏の作という。

細川さんは陶芸をやっているのは知っていたけど、襖絵も描くのを知る。足元には細川さんのプロフィールが紹介されている。多彩ですね。

これも有名な蹲(つくばい)。真ん中にある四角形の各外側には、上に「五」、下に「疋」、左に「矢」、右に「唯」(口偏のない字)で「我唯足知」(ワレタダタルヲシル)の文字になる。禅の格言として読み取れる。

見学者の約8割はインバウンド。
海外からの旅行者でいっぱいでした。