秀吉のゆかりへ(唐津、名護屋、有田)〜中国・九州の旅(3)

博多を発ち唐津へ。約1時間半の運転で唐津へ到着。
白梅が咲き、一面にスイセンの花。
春だ。

「中里太郎衛門」」
静かな佇まいの家並みの中に陳列館がある。

400年の歴史を持つ唐津焼。中里太郎衛門は当代で14代目。
最初のコーナーは、陶房の職人さん達の作品(窯もの)が置かれ、奥から別棟に行くと代々の中里太郎衛門の作品(作家もの)が展示されている。

御茶盌窯跡(おちゃわんかまあと)。

国指定史跡。1734年(享保19年)にこの唐人町に築窯され、御用窯として用いられる。大正13(1924)年まで使用されていたものを保存。現在、中里家が引き継いで管理している。

「あや釜」に掲げてある資料

御茶盌窯跡の見学をしていると、そのお隣で陶芸をされている中里文子さんにお声をかけられ、唐津焼の歴史や中里家の陶芸の歴史をお聞きする。

唐津を出て約40分で「名護屋城跡」に到着。豊臣秀吉が大陸侵攻(文禄の役)の為に築城を命じ1591年(天正19年)に完成(わずか7ヶ月の期間で)。1598年(慶長3年)秀吉の死と共に廃城となる。わずか7年間の隆盛であった。

今回の旅の一番の目的地であった名護屋城跡。ここはボランティアのガイドさんをお願いして説明を聞きながら見学だ。

見えますでしょうか?
半島の中央あたりに名護屋城本丸。その周りをぐるりと全国から召集された大名の陣屋が配置されている。

本丸の東側から時計回りに見ると、
徳川家康、小西行長、前田利家、古田織部、鍋島直茂、加藤清正、福島正則、上杉景勝、島津義弘、湾を挟んで、黒田長政、毛利秀頼、真田信幸、石田三成など、藩主自身が皆、名護屋に集合。

名護屋城の一番高い天守台。(実際にはこの高さからさらに高い天守閣がある。)
ここに立つと、遠く対馬が観えるという。その先70kmで釜山。
秀吉の野望が現実的な距離で実感できる。

名護屋城跡の興奮冷めやらないまま、次の訪問地、有田焼の有田町へ。

柿右衛門

夕暮れ迫る中、有田焼の皿山通りをさっと見学。

一軒、一軒、立ち寄れなかったのは残念だが、17世紀前半から始まった有田での焼き物の立地、街の佇まいを知ることができた。