カラーハンティング(Color Hunting)〜ドーモ・キニャーナ

ドーモ・キニャーナの改装設計を依頼しているガラージュから「カラーハンティングしていいですか?」って聞かれて「いいですよ、どうぞ!」って即答。そして数日後に見せてもらったのがこれ。

ドーモ・キニャーナの土と木の色調を一覧表としてフィードバック。
各フロアの写真とその土壁、木の壁、床、家具建具を「色」の視点でまとめたもの。

濃い茶色の板壁、ナチュラルな色の土壁、強烈なブルーなど、さまざまな色が混じり合っているが、全体として色のトーンに統一感があって、落ち着いた色調になっている。

ドーモ・キニャーナを構成する素材は、基礎となる駆体(鉄筋コンクリート)を除けば、「土」と「木」と「ガラス」の3種類のみ。自然素材(ガラスを石と見なす)だけでできていることによる快適性と美しさは抜群です。

『書くとはどういうことか』 梶谷真司・著

はじめからとりとめもなく書いたり、わかりやすく丁寧に説明しようとしていろいろ書いたいりしているうちに、結局何を言いたいのかわからなくなることがあります。
そのような時、自分にこう問いかけします。ーー「結局どういうことなのか」「要するに何が言いたいのか」ーーそして簡潔にひと言でまとめてみます。すると、自分が本当に言いたかったことの核心が見えてくるでしょう。
『書くとはどういうことか』 梶谷真司・著
(第3章 書くための「考える方法」より p91)

サブタイトル「人生を変える文章教室」は、いささかオーバーな気がするが、2005年以来、ブログ『KOH’s VIEW』を書いてきて、「書くとはどういうことか」「何のために書くのか」ということを、私もずっと考えてきました。その間に、TwitterやFacebookなどのSNSがスタートし、ますます「何のため?」「誰に向けて?」と疑問が深まり、筆を置いた(パソコンなら何というのだろう?(笑))時期もある。

この著書の一つの結論として「文章を書くとは自分と向き合うこと」とある。私もそうだなと実感している。

「書くことで考える」「考えるために書く」。この往復こそが「向き合うこと」になる。
その時に守るべき3つの原則が紹介してある。
1. 書いてから考える
2.長い文章を書かない
3. 手と目で考える

1.は、「考えてから書く」のでも「書きながら考える」でのもなく「書いてから考える」。2.は、テーマの素材を「単語」「語句」「短文」の形にする。3.は、目と手を使って紙の上(もしくはパソコン)に書き留める。つまり「考えていること」が目で見て、手で触れる部品のようになる。その上で、設計図(ストラクチャー)を考えながら取捨選択、配置を決めて組み立てていく。

この3原則を参考にしながら、「書き続ける」(自分と向き合う)ことを大切にしたい。

大雪のち晴れ

日本全国大寒波襲来。確かに今年1番の積雪。朝は水道管が凍って出ない。

でも、陽が照るとこの通り。

円山川向こう岸の山の木々が美しい。

ベランダから西を向く。
妙見山から蘇武岳へ連なる峰がくっきりと見える。
厳寒の凛とした空気が気持ちいい。

スイカペペロミア〜葉を見るとなるほどね

なるほど、スイカなんだ。
その通りの葉。

最初は、ちょっと硬い葉(私は柔らかいふわふわした葉が好き)なので、どうかなと思いながら迷って購入した。でも、水遣りしながら触れると意外と柔らかい。

スイカペペロミア(コショウ科)。
ペペロニアはギリシア語のペペリ(peperi)、英語でペッパー(pepper)、つまり「胡椒」。日本語の西瓜と合わせたネーミングって、なんか変ですね。

原産地は、南米を中心とした熱帯、亜熱帯。
明るい日陰を好む。

成長する春が待ち遠しい。

演劇のまちづくり〜シェアハウス取材

豊岡市役所からの依頼でシェアハウス「江原_101」の取材を受けました。主役はもちろん、ここの住人の芸術文化観光専門職大学(CAT)の学生たち。全国から演劇と観光を学びに豊岡に集まった学生たち。彼らが地域とどのように関わり、どう感じているかなど、豊岡に住んでいる感想など、インタビューに応じていた。

「演劇とまちづくりがどのように結びついているのか?」「市民はどのように演劇と関わっているのか?」「市民は演劇のことをどのように感じているのか?」「演劇との関連で町が変わっていくのか」そんな問いかけの取材。

江原地区の住人としては、江原駅と江原河畔劇場と駅前商店街を一つの区画として、演劇関係者が住み、往来し、カフェやレストランが賑わう、そんなエリアになれば良いのにと思っています。実際に平田オリザさん主宰の劇団青年団の江原河畔劇場を拠点として移り、劇団関係者の一部は既に移住、さらにCATの学生たちが住み、集い、活動する、そんな場所に。空き家も多くあり、まだまだ学生たちを受け入れる余地はある。

昨年は、東大生たちの劇団公演が江原の立光寺であり、合わせて約3週間に渡りお寺に合宿し、本堂で公演を行なった。また、友田酒造(江原)では、豊岡演劇祭のフリンジ公演(インスタレーション)もあり、近隣住民の人たちの評判も良かった。

演劇と関連しながら、ヒト(劇団、学生、観客)・モノ(イベント)・カネ(経済効果)・情報(市民参加)が絡み合う面白い街にしていきたいものです。

雪の朝

朝7時。
凛とした空気。
くっきりとした進美寺。

定点観測(書斎の窓の外)している温度計はマイナス4.5度。
大きい氷柱(つらら)が垂れ下がる。

夜の雪

夜の雪。
庭のヤマボウシ、トネリコ、サイフリボク。
葉を落とした木々に積もる雪。

雪が積もったカエデ。
小枝が美しい。

今シーズン最大寒波〜本格的な降雪

「この冬最大の寒波」と連日のニュース・トップはこれ。
朝は晴れていたけど、午後3時ごろから冷たい風が強くなり雪が降り始める。
1時間もしないうちに街中が雪に覆われる。
雪が降る時、積もる時ってこんなもの。

円山川方向を見ると屋根は真っ白に。
午後5時で積雪はまだ5cm〜10cm。

夜10時。

フットライトが半分ぐらい埋まる。

午後11時。

結構降るが、これは想定内と言ったところ。

神は細部に宿る〜『松泉館』の左官とステンドグラス

暖炉上部の棚部分

まさに『神は細部に宿る』(God is in a details.)。

昨日見学の「松泉館」の感想。
左官の久住章さんの真骨頂。ご本人からその技法、土の種類、その他材料、直接説明を聞きながら見学する。しかし、目の前の現物に圧倒されつつメモすることもできず、記述できないのは残念。(申し訳ございません)

蔵に通じる廊下の壁

かろうじてメモしたのが「切り返し仕上げ」。
中塗りと仕上げ塗りの中間の工法。この頃合い加減がセンスの問題。
まさに細部である。

ステンドグラス

こちらはステンドグラス。
鮮やかな色のガラスの向こうが透けて見える。
ステンドグラスを透かして外を見るのは始めてだ。

画像をクリックして見てください。

今回の修復(改築)で新たに設えたステンドグラス。
厚さ20cm近くある土壁の部屋の開いた直径20cm足らずの小さな窓。
この部屋は子供たちの図書館であったり、ミニコンサートができる落ち着いた空間。

一つひとつの細部が全体を造り上げる。
「松泉館」に現在から未来へ向けて新たな価値が宿されていく。

『松泉館』〜大正〜令和に継なぎ育む美意識

松泉館玄関 (若林純仁理事長)

『松泉館』(神戸市灘区宮山町3丁目)を訪ねる。
7年に渡って修復工事を請け負っている左官の久住章さんから、丹波佐官組合の見学会に便乗する形でお誘いいただいた。

『松泉館』は、造り酒屋「忠勇」創業の若林家が1921年(大正10年)に建てた建物。
現在、敷地内にある「学校法人松泉館 六甲幼稚園」を経営。理事長であり、オーナーの若林純仁氏から建物の説明をしていただく。

華やかさもありながら、落ち着いた趣がある漆喰壁

久住さんの解説が始まる。
玄関前の永源寺石の石畳。滋賀県東近江市を流れる永源寺川の石。京都に運ばれて庭石として使用される。すでに手に入らない貴重な石。

永源寺石は、鉛の鉱石(方鉛鉱)の輝きのある銀白色と緑色が特色。マンガンを含むバラ輝石はピンク色が入り混じる。

『清酒 忠勇』
残っている当時の広告看板が飾ってある。

工事を請け負ったのが長尾 健氏(株式会社いるか設計集団代表)、家具を納めたのは永田 泰資氏(永田良介商店6代目)。縦長のアンティークな窓は、まるでブルーの椅子の背もたれのよう。

画像クリックして見てください。

これだけの表情を見せる土。
それを表現していく匠の技。
まさに久住章さんの真骨頂。ただ圧倒される。

勝手口の床のタイルは建築当時の大正時代のもの。洗面台に使用されているタイルはガラスタイル。

松泉館の裏手にある蔵。こちらの修復も久住さんが手がける。

随所に優れた左官技術が施されている。
見学を終えて久住さんは「50年後にこれらの左官技術を継承していけるか心配だ」とも。
この「土と左官」必ずや継承していかなければならないと強く思う。
久住さんが私に語ってくれた言葉「大切なのは美意識やで」。
我が家の「久住語録」に加えておかなければ。