えっ!乗れるんだ〜YS-11(但馬空港)

但馬空港ターミナルビルの横に展示してある飛行機YS-11。
車で通過する時にいつも目にしている。

YS-11を簡単に説明しておきます。
・第二次世界大戦の敗戦後、日本は航空機の開発・製造・研究を禁止される。
・1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約で解除される
・1959年(昭和34年)半官半民の「日本航空機製造(株)」を設立し開発開始。
・1965年(昭和40年)初の国産実用機として国内線に就航
・1973年(昭和48年)182機生産され、世界の航空会社に採用される
・2006年(平成18年)最終運航(沖永良部島〜鹿児島)

昨日の但馬空港視察の一環として「搭乗」する。
外から見ているより、中は意外とゆったりと見える。シートは意外とふわふわと柔らかい。蓋は固定してあるが、座席アームには灰皿があったのがわかる。頭上の荷物棚には蓋は付いていない。

頭上のボタン類は、なかなか年季が入っている。
左右の席の読書灯ボタンが両脇に。
赤いボタンは「スチュワデス呼び出し」と表示。
スチュワデスだったですね。

これだけのボタン(スイッチ)、レバー、計器、どうやって操作するんだろう?ぐらいいっぱい。

「日本航空機製造(株)」のその後がちょっと残念(面白いと言ってはいけないけど)。
・特殊法人ゆえの経営の甘さ、技術偏重体質が、民間メーカーの体をなしていない
・機体のコストダウン、操縦性の改善、経済性や快適性、販売網が確立できなかった。
・1973年(昭和48年)生産終了、1982年(昭和57年)に会社は解散。

現在、ここまで極端な(まずい)ことはないが、民間の企業としても再チェックしないとならない経営体質。ちゃんと結果が出ていることを改めて肝に銘じなければなりません。

話はターミナルビルに戻りますが、2階オフィスと会議室に通じる廊下の掲示板で写真を発見。

今年の「おんぷの祭典」に来られた駐日大使・大使夫人、岸田首相夫人を但馬空港でお迎えした時の記念写真。レッドカーペットでお迎え
駐日大使・大使夫人をお迎えして(2)

但馬空港にとっても記念になるフライトだったのでしょう。

“えっ!乗れるんだ〜YS-11(但馬空港)” への2件の返信

  1. 平成5年頃帰省のため、伊丹から松山まで搭乗したのが、全日空のYS11で機体番号はJA8732 だった。
    力強く伊丹空港を離陸したが、伊丹空港離陸後の左旋回後左側に見える日本列島の地図(実は池の中の植物)に感激した後、しばらくして水平飛行に移ったがヒラヒラと飛んでいるような気がしたが高度が低いので地上の景色がよく見えた。
    神戸市街地、明石大橋、瀬戸大橋、瀬戸内海の島々に感激しているうちに高度が下がり始めやがて海側から松山空港に着陸した。
    このYS11は後に引退後、埼玉県の所沢航空記念公園に展示されているとわかり、早速見学にいった。
    機内には入れなかったが、間近に見る大きな機体に圧倒されたが、海外に売却されずに日本に残り、解体されないで残った数機のYS11 。
    今後、美しく永遠に日本国内に残ってくれるように願わずにはいられなかった。

  2. にわか航空ファン様へ

    YS-11愛に満ち溢れるコメントありがとうございます。
    普段は、このYS-11展示場所の横を通り過ぎるばかりでしたが、いざ、内部を見学させてもらうと「昭和の国産機」として感慨深いです。低い高度で飛ぶYS-11からの景色はどんなものだったのか、想像しながらコメント読みました。

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