「秀吉と利休」〜NPO碧雲カフェ講演会

NPO碧雲カフェ主催の碧雲セミナーに参加。
会場は京都経済センター(京都商工会議所7階)。
講師 : 谷昇(NPO碧雲カフェ理事長)
演題 : 「秀吉と利休」

豊臣秀吉も千利休も、どちらもこれまでにある程度知っているので、今回のセミナーで書き留めた私なりのポイントを記入しておきます。

・秀吉は、瞬間湯沸かし(短期な性格)とよく言われるが、実は用意周到。
 – 小田原攻め(道路を封鎖し、海上を封鎖し、持久戦に持ち込む)
 – 朝鮮征伐に際し、名護屋城(朝鮮出兵の基地を造る)
  倭城(ウェソン=日本式の城砦群)を朝鮮半島南部の各地に築く
・茶の湯の確立は1520年代、(茶室、茶道具、点前の三要素)
・「山上宗二記」(1588年)茶道具の秘伝。「侘び茶」を論じる上で重要資料。
・三大茶会記
  –「天王寺屋会記」〜堺の豪商 津田宗達、宗久、宗凡。桃山期の歴史的事実
  –「松屋会記」〜奈良の豪商 松屋源三郎久政。茶道全盛期、北野大茶湯の記述
  –「今井宗久茶湯日記抜書」or 「宗湛日記」

「利休の評価」の見直しが進んでいる箇所も興味深い。
(以下、レジメ資料)

・珠光→紹鷗→利休 の道統の再検討
・堺茶人グループ内における位置・評価
・堺派と京都派のヘゲモニー争い
・権力者、とりわけ秀吉への接近の意味と効果
・侘数寄成立に果たした役割
・目指した茶、守った茶
・後継はなぜ道安んでなく少庵であったのか
 (堺千家と京千家)

あまりにも有名な二人だが、考えてみると実際どのような関係だったのだろうか。お互いのメリットとは?役割はなんだったのか?など歴史から考えてみるのも興味深い。

胡銅と雲龍釜と〜茶の湯文化学会近畿例会

同志社今出川キャンパス クラーク記念館

茶の湯文化学会近畿地区例会に出席。
茶の湯文化学会に入会し10数年になり、これまで総会(通常6月開催)、茶に関連する海外視察(中国、韓国、台湾)にも参加してきました。ここしばらく欠席がちでなので、久しぶりの例会に出席。近畿地区の例会は、ここ同志社大学のキャンパスを利用されることが多い。

今回のセミナーの会場は「至誠館」の1階教室。

第一講は、「胡洞研究序説」と題して山本堯氏(泉屋博古館)の講義。

胡銅(こどう)とは、銅を主体とした錫(すず)や鉛の合金で、青銅の一種です。唐銅(からかね)とも呼ばれ、茶器などをつくるために珍重されました。
【特徴】
茶褐色をしており、時代が経ると錆味をもち、黒色に変化する
古くは「ことう」とも表記された
茶器などがこれで作られ、珍重された
【使用例】
桃山時代に人気があった胡銅製の花生「曾呂利」
正倉院宝庫には砂張製の水瓶・皿・匙など多数の胡銅製の食器がある
(「AIによる概要」より)

第二講は、雲龍釜の文様に関する一考察」と題して、伊住積禮次郎氏(茶道資料館)の講義。

雲龍釜(うんりゅうがま)
茶釜の一種。円筒形で、胴に雲に飛龍の図が鋳出してある。辻与次郎作の利休好みのものが有名。
(コトバンク より)

「胡銅」も「雲龍釜」も私にとっては、門外漢もいいところで、お話は珍紛漢紛。ただ、少しずつでも茶の湯文化について学ぶ機会があれば、可能な限り出向くのを今年の目標としている。いつかの茶会で遭遇した時を思い浮かべながら。

淡交会但馬支部2月幹事会

淡交会但馬支部の幹事会に出席。(会場は豊岡市民プラザ)
今年度より支部長をさせていただくことになり、その最初の幹事会。

会議の冒頭は支部長、副支部長の挨拶から始まるので、これまでも何の話題をお話しよかと悩ましい。しかも、今年からトップバッターなので尚更だ。

話題は、前日に訪ねた舞鶴のお話をしました。
細川幽斎は茶道にも通じていたこと(息子の細川忠興は、利休七哲に数えられる茶人)などと託けながら。両丹支部長さんにもご挨拶したことなど。地方にはそれぞれに掛け替えのない歴史と文化を持っている。それを大切にしたいものですね、といった趣旨で。

3月9日に控えた利休忌(但馬支部総会)の打ち合わせを行なう。
新年度で初めて役員をされる方が多いので、幹事長から年間行事の役割などの説明を丁寧に行なう。

なんとか「楽しい茶の湯」にしていきたい。
(首相の「楽しい日本」ではありませんが)(^_^;)

ちょっと舞鶴へ〜幽斎を訪ねて

田辺城址

思い立って、細川幽斎を訪ねて舞鶴へ。

納税協会の関連団体より講演の依頼をいただき舞鶴へ来たことがあるがその一度だけ。地名と場所は分かるが、どんな街なのか海上自衛隊基地があること以外、ほとんど知らないと言っても良い。一度、訪れてみたい近隣の街でした。

歴史、人物のポイント

細川藤孝(幽斎)〜足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉に仕えた安土桃山時代の武将。細川忠興(三斎)の父。和歌、古典、有識故実、音曲、茶道、料理などの学問・芸能を極めた当代屈指の文化人。

田辺籠城〜関ヶ原合戦(1600年)の前哨戦として西軍1万5千人の軍勢が細川氏の領国の丹後を攻める。この時、忠興率いる主力は東軍(徳川家康)の陣にある。幽斎は残された約500人ほどの兵で迎え撃ち、田辺城に籠城。52日間の籠城の折に、幽斎は「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であったため、廃絶を憂慮した後陽成天皇の勅令で包囲が解かれた。

田辺城〜1582年(天正10年)の本能寺の変の後、隠居した細川幽斎が住む城として築かれる。以後、細川→京極→牧野氏の居城として約290年間、領内統治の中心的存在。1873年(明治6年)に廃城され、城郭は解体、堀は埋められた。

心種園〜幽斎の田辺籠城戦の最中に詠んだ和歌「古も今もかはらぬ世の中に心の種を残す言の葉」にちなんで名付けらる。建物も壊され、堀も埋められたが、残る城内の庭園。

今回の訪問で知ったこと、思ったこと。
・信長、秀吉、家康のビッグスリーの時代で細川幽斎・三斎がどのような存在であったか、明智光秀とガラシャ(光秀の娘、三斎の妻)、戦国の世での文化(古今和歌集)伝承。
・舞鶴の地名の由来。元々この辺りの地名は「田辺」であったが、田辺城の別名「舞鶴城」(ぶかくじょう、城郭が鶴が舞っている様であった)から「舞鶴」(まいづる)となった。
・細川家の後、田辺城の城主は京極家になり(1600年)、さらに牧野家になる(1668年)時に、京極家は豊岡に転封(国替え)となる。現在、豊岡には京極家の末裔が住んでいらしゃ李、かつての豊岡藩の藩校「稽古堂」は、市役所の一部(旧市役所の建物)の名称にもなっている。
・明治維新の「廃城令」で取り壊された田辺城。全国で193あった城は一部を残して破壊する。新政府の財政悪化、廃藩置県により維持管理の負担、反抗運動の拠点になる可能性などの理由で壊された。(もっと各地方の城が残っていれば、地方都市の歴史的建造物、市民の拠り所として、文化遺産として絶大な存在価値があっただろうにと思うと残念)

夕闇迫る中、せっかくなので田辺城址の近くの桂林寺(田辺籠城の折に幽斎を支援)、東舞鶴に移動して舞鶴海上自衛隊基地に立ち寄る。

雲門寺

そうそう、もう一つ。
現在、裏千家淡交会両丹支部の支部長をされている雲門寺の住職さんにもご挨拶。

桂林寺さんも雲門寺さんも、大きくて立派な山門、境内で感心する。
地域が持つ歴史の深さがこう言うところにも現れているのだと、納得しながら帰路に着く。

「客ぶり」〜所作を学ぶ

ドーモ・キニャーナでは毎月、数回の茶道稽古がある。妻が教示しているが「社中」という意識ではなく、自ら「茶の湯を学ぶ」というスタンスで、興味を持つ友人やシェアハウス「江原101」で興味を持つ学生に教えている。みんなすごく熱心で毎回3〜4時間かかる。

私は、今年から裏千家淡交会但馬支部の支部長を務めさせていただくことになり、茶の湯の基本を少し学ぼうと今月から参加する。お点前は15年ほど前に数年習ったことはあるがほぼ初心者。亭主(お点前)よりも「客ぶり」(客の所作)を学びたいと思っています。

当然ながら、茶道は日本の文化。歴史、茶碗・釜などの道具、建築、庭園、お花、お軸など、私にとってハードルは高いですが、少しずつ知識として学び、日常生活にも活かしていきたい。

我が家の初釜 2025年

少し遅くなったけど我が家の初釜。
稽古仲間のみんなが15人集まって、代わり番子に亭主やったり、主客になったり、水屋番になったり、楽しい1日でした。

紹鷗棚(じょうおうだな)
茶の湯に用いる棚の一つ。武野紹鴎の好みと伝える、炉専用の大きな棚。檜ひのき材の春慶塗で、下に2枚引きのふすまのある地袋がつき、その上に4本柱で天板がのる。
板文庫(いたぶんこ)
草紙ばさみの類。二枚の板で書物をはさみ、ひもでしばっておくもの。

「コトバンク」より

人数が多いので、初炭、濃茶、薄茶と茶席は進んでゆく。
その後の「懐石料理」+α は立食形式で各自お皿にとっていただく。

皆んな一人ひとり、今年1年の抱負や目標を語り合う。

裏千家初茶会〜淡交会但馬支部2025年

裏千家淡交会但馬支部の初茶会を行いました。(会場:豊岡市民プラザ)

「行いました」と言うのも、今年度から但馬支部長をお引き受けすることになったからです。昨年まで約7年間は副支部長として関わっていましたので、一応の流れは承知しているつもりですが、副と長ではやはり気持ちも違うものです。

呈茶の後はホールに移り、新年の懇親会。

最初は、アトラクションとして落語を参加者の皆さんと楽しむ。
会員のツテで春歌亭丹馬さんにお願いをし、まさに「笑う門には福来る」で大いに笑う。
(写真撮るの忘れていました。一番前の席で撮りにくかったのもありますが)

主催者代表として挨拶をさせていただく。

先日の裏千家今日庵での初釜(初稽古)での鵬雲斎大宗匠の話「平和という言葉」をお伝えする。
今年は戦後80年に当たることに触れ、戦後の社会の大変化の中で「茶の湯」文化も大きく変わってきたのではないか。そもそも茶の湯の基本は茶事(大宗匠もおっしゃっています)。
人と人との交わり(交流)。量(数)より質(本来の意義)を大切にしながら、今年はお茶事にチャレンジしませんか、社中間の横の交流を活発にしませんか、とお願いをしました。

今日庵〜2025年初釜(初稽古)

裏千家今日庵の初釜。
昨年、家元ご家族のご不幸があり「初稽古」として執り行われました。
朝9時からの席にご案内いただく。

待合の床間の棚にはヒカゲノカズラ。我が家のお正月にも飾ったのですぐに分かる。

京都の和菓子店「川端道喜」の花びら餅。「御菱葩(おんひしはなびら)」と呼ばれ裏千家の初釜用に製造するお正月の和菓子。
川端道喜は、16世紀初頭に創業した老舗和菓子店。

濃茶席では、家元坐忘斎と大宗匠鵬雲斎の新年のご挨拶。
お家元からは、デジタル・インターネットなどの発展で文化が薄れていく時代となり、人と人のアナログの交流をより大切にしていきたい。
大宗匠からは「平和という言葉」を発してなくても良い世界になっていって欲しい。分断と紛争の時代を終わらせなければいけない。

薄茶席では若宗匠のお点前。
昨年の淡交会但馬支部80周年記念式典にお越しいただいたことのお礼を改めてさせていただきました。

今月6回目の茶事は夕暮れに

11月の「口切りの茶事」で始まった我が家の晩秋の茶事。
新茶を収めた「ルソンの壷」が今回の茶事の主役。
妻が亭主となり、ドーモ・キニャーナの個性的な空間を使って、友人を招いて数回行う。

京都からの客、大阪芦屋方面から、鳥取から、と妻が普段親しくお付き合いしている茶の湯仲間に声をかける。さらに、稽古をしている社中の仲間。

今日は、シェアハウスに住んでいる妻に茶を習っている芸術文化観光専門職大学(CAT)の学生が客に。夕方から始まるので「夕ざりの茶事」風にして行う。

カメラの感度のせいで明るく写っているが、辺りはかなり暗くなっている。
学生の客たちはお茶事は初めてなので、待合で少し茶事の流れを説明している。
学生たちは、妻の指導よろしく自分で着付けした着物。

若いから?演劇やっているから?
ともかく、お点前も着付けも覚えが早いと妻は感心している。

今月だけで6回のお茶事も今回が最後。
終わったのは夜の10時過ぎ。
妻の茶の湯好きは半端ない。

師走のお茶事(天空編)

「天空の茶室」
昨年のリノベーションで構想した3階で抹茶を一服差し上げるの「秋編」が実現。
春の茶会では山桜を眺めながら
今回は初冬の茶会となる。

正午から始まったお茶事は、1階の和室で懐石料理、なかだちの後は濃茶。
話が弾み、3階へは夕暮れ間近だ。

膝もとからは、2階の土壁が見える。