没40年、植村直己は何を残したのか

植村直己没40年を迎え、追悼と植村スピリットの継承を願う会が江原河畔劇場で開催されました。

イベントのタイトルは、『「語り」と「手紙」で綴る植村直己が残したもの』

第一部は、植村直己の学生時代からの友人である廣江 研氏。廣江氏は植村さんとは明治大学山岳部の同期。学生時代のエピソードを中心に語る。山岳経験も人付き合いも下手で一番ビリだった植村さんは、悪びれるわけでもなくコツコツと努力を続け、やがて登山仲間の困難、苦しい荷駅を買って出る体力と気力を身に付け、尚且つ、その謙虚な人柄に周囲は植村さんに一目を置くようになった。

その後、1970年代の植村の冒険時代(エベレスト登頂、アマゾン筏下り、五大陸最高峰登頂、グリーンランド犬ぞりなど)を友人ならではこそ知る数々のエピソード、また、妻・公子さんとの出会いや結婚生活のプライベートな一幕も披露。

どの話も植村直己の人物像を彷彿とさせる。

第二部は「妻への手紙」 朗読と演奏。

植村さんが冒険の最中に妻・公子さんに送った多数の手紙の中から選んだ文を朗読する。
なぜ冒険に出かけるのか、公子さんと一緒に暮らしていたい、など植村直己の心の葛藤が朗読から浮かび上がってくる。

朗読は、劇団青年団の知念史麻さんとCAT学生2人。
演奏はCATの音楽サークル「なまおと」のメンバー4名。

第三部は、「植村直己の生き方を語る」。平田オリザ(芸術文化観光専門職大学学長)の講演。

平田オリザさんは、高校時代に自転車で世界一周旅行を実行。その冒険の原点には植村直己への憧れがあ離ました。東京に生まれ育った平田さんが、青春時代からの憧れの植村直己の故郷の豊岡市日高町に引っ越してきて、そして植村さんの没40年の追悼の会で話をするのは、人生ってわからないものだな、と。

オリザさんのお話で、世界史の中で「冒険」「探検」の意味、背景は異なっているとの解説が興味深かった。

マルコ・ポーロ(東方見聞録)、コロンブスの新大陸発見、ヴァスコ・ダ・ガマ(希望峰、インド洋)、大谷探検隊(中央アジア)、リヴィングストン(アフリカ探検)

中世・近世の冒険・探検は、領土拡大、貿易、宗教の布教など、帝国主義的(政治的、経済的)は要素が強かった。20世紀に入り、エドモンド・ヒラリー(エベレスト初登頂)、堀江謙一(無寄港単独太平洋横断)など、より困難な方法で目標に挑んだり、人間や技術の可能性に挑戦したりする。

植村直己の冒険は、まさに日常から離れ、人間の可能性、未知の世界を探求する精神に溢れている。詩の賞「歴程」を受賞。植村直己の「冒険自体が詩の表現である」との理由。

平田オリザさんならではの「冒険」「探検」の考察でした。

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