#3 New York Manhattan 夜景

この夜景だけでニューヨーク! (とわかる)

ニュージャージー側からマンハッタンを見る。

これって「廬山」だね」と??

「廬山の真面目」。
宋代の詩人 蘇軾(蘇東坡)の詩。
廬山の本当の姿がわからないのは、私がその山の中にいるからだ」

まさに、マンハッタンにいるとこの夜景は見ることができませんね。

#2 New York ワールド・トレード・センター駅

何とも衝撃的な建物だ。
グラウンド・ゼロ跡地にあるワールド・トレード・センター(WTC)駅。正式名称は、World Trade Center Transportation Hub。

建築家は、スペイン人のサンティアゴ・カラトラバ(Santiago Calatrava)

白い鋼鉄製の構造体は「Oculus(オキュラス)」と呼ばれる。ラテン語で「目」を意味する。
カラトラバは、平和の鳩が飛び立つ姿をイメージしているそうだ。

魚の骨のような、肋骨のような。

側面には、ショップが並ぶ。
2フロア使ってApple Shopもある。

改札口もプラットホームへのエスカレーターもちゃんとある「駅」なのだ。
(駅であることを忘れてしまいそう。

#1 New York Jersey City → Lower Manhattan

ニューヨーク州の友人宅を出発。いよいよマンハッタンへ向かう。
家の周囲の森もハイウェイも紅葉が最高に美しい。

出発して50分。マンハッタンの対岸ニュージャージーにやってきた。

ジャージーシティ(Jersey City)のマンションに到着。ベランダから自由の女神像(Statue of Liberty)が見える眺めが良い。こちらのマンションも最高のロケーションだ。

フェリーでマンハッタン南端へ。

フェリー降りるとすぐに近くにあるIrish Hunger Memorial。

1845年から1852年の間に100万人以上が餓死したジャガイモ飢饉の認知を高めるために設置された。1845年以降の10年間で、90万人以上のアイルランド人移民がニューヨーク港から入国しており、1855年時点でアイルランド出身の人々がニューヨーク市の3分の1を占めていたことになる。

マンハッタン最初は生牡蠣からスタート。
夕陽が差し込む落ち着いたレストランで少し早い夕食だ。

秋のニューヨーク州(その2)

Cold Spring

Benmarl Winery

Cold Springの街を散策。あちこちハロウィーンの飾り付けだらけだ。

Chapel Restoration で弦楽四重奏のコンサート聴く。
https://chapelrestoration.org/events/sunday-music-series-24/

上流とは言え滔々と流れるハドソン川。

初代大統領ワシントンも宿泊したというレストラン THE BIRD & BOTTLE Innで夕食。
ここまでの旅を振り返りながらゆっくりとくつろぎながらいただく。

ニューヨークの友人宅が素晴らしい

夜にJFK到着。
車で約80分(JFK近くのハイウェイはいつも渋滞)。マンハッタンを左に眺めながら北へ。

時差もありぐっすり眠って朝起きるとなんとそこは森の中。
秋の紅葉に囲まれた素晴らしい環境。

紅葉に囲まれたキッチン。

リビング、ベランダ。

360度木々に囲まれている。
8年前に購入し、建築家といろんな構想を練りながらこの夏に完成したところ。
運び込んだ本はこれから本棚へ収納する。

現在のニュージャージーの家からこちらに引っ越してくるそうだ。

彼らと家の趣味は似ているが、光が差し込む窓、くつろぎを与える間取りなど、
彼らのライフスタイルには大いに刺激を受ける。

帰国するといろいろと家の整理整頓、家具など考えよう。

ニューヨークへ

17年ぶりのニューヨークへ。今回は自宅の設計を依頼した象設計集団のアメリカ人建築家夫婦の娘ベロニカの結婚式に出席するのが目的。我が家の完成と同じ年に、日高病院(豊岡市)で生まれた赤ちゃんが33歳になる。そのお祝いに駆けつけない訳はない。

出発して約20時間。時差でまだ同日の夜にJFK到着。

マンハッタンから北の村にある友人宅へ到着。

友人が案内してくれる今回のNYは特別なものになりそうだ。

慶州・釜山の食は宝物だ

コンドゥレ釜飯
コンドゥレとは高麗アザミ。
釜からご飯を取った後、釜にお湯を入れてお焦げも食べる。

韓定食
定食といえば、焼肉定食、天ぷら定食など、メイン料理にご飯やおかずが付いてるイメージですが、「韓定食(ハンジョンシッ)」は、おかずがたくさん出てくるご膳系メニューのこと。宮廷料理 、家庭の味を数十種類味わえる”田舎定食、伝統韓定食など。

海鮮料理
生の貝類、エビ、タコ、アワビ、ムル貝、、、韓国だけの日本名のないもの。
アワビご飯は絶品。

サムギョプサル
豚バラ肉の三枚肉のみに特化。厚切りの肉を全く味付けせずに焼く。
ハサミで切りながら焼き、いろんな薬味を付けながら食べる。生のタマネギにタレを乗せてガブリといくのがメチャ美味しい。最後は冷麺をハサミで切りながら。

ワカメスープ定食
韓国語で「ミヨック」。 「ミヨ」はワカメ、「クッ」はスープ。誕生日やお祝いの時にワカメスープを食べるそうです。
ともかくヘルシー。生野菜、様々なキムチ、豆腐などなど。小皿に入ってつまみながら食べるスタイルは最高です。この店では、ワカメスープの出汁に貝かカレイを選べるので、私はカレイを選んで注文。最高でした。

甘川文化村〜 “gentrification”って?

こんなカラフルな集落があるの?

韓国釜山の西側にある甘川文化村。

最初からあった集落ではなく、1950年の朝鮮戦争により北朝鮮から避難してきた人々が移り住みつくられた集落。 住民は貧しい生活を送っていたところ、家賃が安いこともあって、芸術家たちが移り住み、村の景観が変わって行く。

徐々に観光客の人気を呼び、やがて商業資本や資本家が目をつけ、現在の観光名所になっている。逆に、当初の芸術家たちは、家賃が高騰し離れていくことになる。

gentrification(ジェントリフィケーション)

高級化。中産階級化。劣悪化している区域に中流階級あるいは裕福な階級の人口が流入して行くのを伴った区域再開発・再建プロジェクトのことで、通常それまでの貧困層の住民が住む場所を失う。

ニューヨークでも上海でも、世界各地で見られますね。

朝鮮通信使歴史館〜文化交流と平和

「朝鮮通信使」は、高校時代に大学の受験勉強で覚えている。朝鮮からの使節団が江戸まで行く道中の行列の絵図もありました。

ただその時は、使節団を送る経緯や目的、それは日本にとって、朝鮮にとってどういう意味を持っていたのか、など、考えもしなかった。

朝鮮通信使が通った道を示す図

念の為の確認。
現在は「通信」と言えば、郵便・電話・電信・パソコンなどを使って情報をを伝達することを指すことが多いが、朝鮮通信使は「信義を通じる使節」の「通信」である。

朝鮮通信使は,足利・豊臣・徳川の武家政権に対して、朝鮮国王が国書や進物をもたらすため派遣した外交使節団のこと。

1回の派遣人数は450名〜500名。正使・副使・書状官、輸送係、医師、通訳、軍官、楽隊など。さらに旗手、銃手、料理人、馬術師、馬の世話係、贈物係、旅行用品係、画家、水夫なども随行した記録がある。


この歴史館は、1592年の秀吉による朝鮮征伐(文禄・慶長の役)の以後の朝鮮時代後期の通信使を紹介している。

江戸時代の朝鮮通信使は、主に将軍の代替わりを祝うために江戸幕府が朝鮮に要請したもの費用は通信使が通過する諸藩が負担(筑前、長門、備前、播磨、摂津、近江、、、、、)、ソウルから江戸までの往復を8〜10ヶ月かけて行なったもの。江戸時代に12回の通信使が派遣される。

1回目は1607年、国交再会の回答と被虜人の返還
3回目は1624年、徳川家光の将軍就任
5回目は1643年、徳川家綱の誕生祝い
9回目は1719年、徳川吉宗の将軍就任
・・・・
12回目は1811年、徳川家斉の将軍就任

特に国書の伝達と文化交流に重点が置かれる。
朝鮮通信使が派遣されていた約200年間は、日本と朝鮮との間での争いはなかった。隣国同士がこれほどの長期にわたって戦争がなかったのは世界史的に見ても異例であること。

現代で言えば、対話(コミュニケーション)と文化(カルチャー)の交流ということになる。日本は80年前は隣国と戦争していた訳だから、200年間の隣国との平和を保てたことがいかに重要かが分かる。