しっとりと柳川〜中国・九州の旅(4)

今回は車での旅。ここまで来るかどうか迷ったが、やはりどうしても訪ねたい響きが柳川にはある。

柳川と言えば、柳川城のお堀を回る「川下り」だが、この日は雨。そこは割り切って、他の資料館を訪ねることにした。「柳川藩主立花邸 御花」。

1738年(元文3年)、柳川藩五代藩主、立花貞俶(さだよし)が移築。別邸となる。

7000坪の立花氏庭園。雨に煙る静かな佇まいが印象的。藩主立花氏が家族と和やかな時を過ごす為に設けた屋敷、というのが伝わって来る。

毎年2月11日〜4月3日に繰り広げられる「おひな様始祭」。ここ「御花」の西洋館の一室にも飾られている。柳川の習わしと聞く「さげもん」が飾ってある。

うちの庭師Kさんから柳川の名物は「うなぎ」、食べるなら「本吉屋」と出発前に聞いていたので(それもあって)、どうしても柳川に来ると「うなぎ」を食べて帰ろうと心に決めていた。

Kさんは、柳川で庭師の修行し、親方とした最初の仕事がこの「本吉屋 本店」の庭だそうだ。(それは深い思い入れがあるでしょう)

茅葺き屋根が残り、立派な建物にびっくり。さすが300年の伝統をもつ「元祖」であることに納得。

これが名物「うなぎのせいろむし」。初代からの秘伝のタレと蒸し方の技術を300年の間、忠実に継承してきたという。

「蒲焼」ではなく「せいろ蒸し」なので、フワッと、トロッと、口の中でとろけるような食感。そこに秘伝のタレが馴染んで、独特の風味がある。満足の「うなぎ」でした。

元祖 本吉屋
福岡県柳川市旭町69
tel : 0944-72-6155

秀吉のゆかりへ(唐津、名護屋、有田)〜中国・九州の旅(3)

博多を発ち唐津へ。約1時間半の運転で唐津へ到着。
白梅が咲き、一面にスイセンの花。
春だ。

「中里太郎衛門」」
静かな佇まいの家並みの中に陳列館がある。

400年の歴史を持つ唐津焼。中里太郎衛門は当代で14代目。
最初のコーナーは、陶房の職人さん達の作品(窯もの)が置かれ、奥から別棟に行くと代々の中里太郎衛門の作品(作家もの)が展示されている。

御茶盌窯跡(おちゃわんかまあと)。

国指定史跡。1734年(享保19年)にこの唐人町に築窯され、御用窯として用いられる。大正13(1924)年まで使用されていたものを保存。現在、中里家が引き継いで管理している。

「あや釜」に掲げてある資料

御茶盌窯跡の見学をしていると、そのお隣で陶芸をされている中里文子さんにお声をかけられ、唐津焼の歴史や中里家の陶芸の歴史をお聞きする。

唐津を出て約40分で「名護屋城跡」に到着。豊臣秀吉が大陸侵攻(文禄の役)の為に築城を命じ1591年(天正19年)に完成(わずか7ヶ月の期間で)。1598年(慶長3年)秀吉の死と共に廃城となる。わずか7年間の隆盛であった。

今回の旅の一番の目的地であった名護屋城跡。ここはボランティアのガイドさんをお願いして説明を聞きながら見学だ。

見えますでしょうか?
半島の中央あたりに名護屋城本丸。その周りをぐるりと全国から召集された大名の陣屋が配置されている。

本丸の東側から時計回りに見ると、
徳川家康、小西行長、前田利家、古田織部、鍋島直茂、加藤清正、福島正則、上杉景勝、島津義弘、湾を挟んで、黒田長政、毛利秀頼、真田信幸、石田三成など、藩主自身が皆、名護屋に集合。

名護屋城の一番高い天守台。(実際にはこの高さからさらに高い天守閣がある。)
ここに立つと、遠く対馬が観えるという。その先70kmで釜山。
秀吉の野望が現実的な距離で実感できる。

名護屋城跡の興奮冷めやらないまま、次の訪問地、有田焼の有田町へ。

柿右衛門

夕暮れ迫る中、有田焼の皿山通りをさっと見学。

一軒、一軒、立ち寄れなかったのは残念だが、17世紀前半から始まった有田での焼き物の立地、街の佇まいを知ることができた。

歴史をさかのぼりながら〜中国・九州の旅(2)

広島の朝。九州へ向かう前に「平和記念公園」へ。到着すると資料館の上空を何やら鳥の大群が飛んで来る。ハトはこんな編隊で飛んだりしないし、何だろう?とよく見ると「鵜」。カワウかウミウか分からないけど、これだけの数で飛ぶ姿は見たことがない。

まずは慰霊碑で手を合わす。原爆ドームを眺め、その時の人々を想う。

「平和記念資料館」で被曝の惨状を見る。広島市街地の原爆前と後と対比して見ることができる展示では、一瞬にして56万人の人々が被曝し、10万人以上の方がなく亡くなるという現実が示される。

資料館には外国人の来館者が目立つ。特に欧米からと思える若い人たちが多いように思う。今、世界は再び不穏な空気が漂い始めている。どんな思いで観ているのか。二度と繰り返してはならない。

関門橋(壇ノ浦PAより)

広島をあとにして西へ。関門海峡に差し掛かる。関門橋の手前にある壇ノ浦PAで一服。しばし、源平合戦に思いを馳せる。本州と九州を隔てる海峡がわずか600m。ここをタンカーや貨物船が行き交うとはちょっと信じられない。

今回の旅の最大のテーマは茶の湯。

「芦屋釜の里」(福岡県遠賀郡芦屋町)へ到着。こちらは福岡の「芦屋」。茶道では、室町時代に栄えた芦屋釜を復興させる事業が始まっている。

庭園には、工房や茶室、あずま屋、資料館がある。どれも隅々まで清掃管理されていて、芦屋釜の復興の熱意が伝わって来る。九州北部へ行かれる方は、ぜひ立ち寄って欲しい。

芦屋釜
南北朝時代から製作がはじまり、室町時代には茶の湯釜の名器として一世を風靡した芦屋釜。その歴史は江戸時代初期に終わったといわれていますが、芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、国の重要文化財に指定されている茶の湯釜9個のうち8個までを芦屋釜が占めています。
(芦屋釜の里パンフレットより)

「芦屋釜の里」から200mぐらい離れたところにある「芦屋歴史の里」(芦屋町歴史民俗資料館)。

研究員の方から、芦屋町の歴史を詳しく聴く。芦屋町は遠賀川を挟んで、芦屋地区と山鹿地区がある。居が山鹿にあったため「山鹿左近丞」と呼ばれた鋳物師の末裔が各地に散り、やがて山鹿素行→山鹿流(兵法)→赤穂山鹿流→山鹿陣太鼓(忠臣蔵の物語の中の創作)→吉田松陰(吉田家は代々山鹿流師範家)などと、時代と共に山鹿の名が繋がっていく。(歴史って面白いですね)

夕方になり、今夜宿泊の博多に向かうが、ちょうど同方向の途中にあるので「宗像大社」に立ち寄る。

天照大神御神の三女神を祀る。多数の古代祭祀の国宝、そして2017年に世界文化遺産(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群)に指定される。

夕闇迫り、短時間だったのが残念。機会があればまたゆっくりと訪ねたい。

博多のホテルチェックイン後、夕食。今夜はネット検索で美味しいレストランを見つけようと出かけるが、予約でいっぱいだったり、ラストオーダー間近だったりで難航したが、途中で見つけたイタリアンにする。カジュアルで素敵な雰囲気、出て来る料理もワインも本日の食欲にぴったりで大正解。ワイン食堂「根」

博多の夜の風景かな。

今日を振り返りながら。

初めての呉〜中国・九州の旅(1)

「てつのくじら館」(海上自衛隊呉資料館)

今冬の旅は、九州北部と決めた。テーマは、茶の湯に関係した場所を重点に訪ねる。とは言え、車で一気に九州までとは行かないので、広島泊の予定で出発。

まず、目指すは呉、戦艦大和。茶の湯とヤマト。直接関係ないが、日本の歴史を辿ることが重要だ。

「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)

「てつのくらじ館」と向き合って建つ「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)。戦戦前は東洋一の軍港。戦後は世界最大のタンカーをたくさん建造してきた造船所としての呉の歴史を辿る。

企画展『戦艦「長門」と日本海軍』を開催中。甲板で記念撮影する一般の人々の写真が印象的。

戦艦大和(10分の1スケール)

入館するとまず始めに目に飛び込んで来るのが「戦艦大和」。10分の1のスケール(全長26.3メートル)。戦艦大和の実際の戦闘を知らなくても、その巨大で当時世界最強と言われた戦闘能力、そしてその最後。なんとなく知っている大和の実戦記録、建造図面、写真などで学ぶ。

広島市内夕暮れ(ホテルの窓より)

呉の見学を終え、広島市内のホテル。ずっと昔、子供たちと一緒に中国地方を旅した時、経営者仲間と宮島に訪れた時、そして今回と3回目の広島。

料理「むら上」

旅の楽しみの一つは、その地方の美味しい食べ物。たまたま出発前の経営者倶楽部の知人から候補として聞いていた割烹に行く。丁寧な料理、味付けは京風。(マスターは京都出身)、地元の特別な日本酒(発酵途中)、これまた、こだわりのドイツワイン(ワインそのものではなく、お料理に合うワインとしてのこだわり)、どれもバランスよく、大正解の食事でした。知人に感謝だ。

料理「むら上」
広島市中区流川町2−24 ビトウビル
tel : 082-240-5188

但馬コネクション打合せ〜神戸

神戸のドイツ料理「エルナ・アドリアーン」で但馬コネクション3月セッションのゲストとの打合せ。

南ドイツ料理のレストランということで、昨年訪ねたミュンヘンを思い出しながらのランチタイム。

やっと本題 (^ ^;; 。

3月は「アイヌ文化」がテーマ。実際に北海道を何度も訪ねて得た資料やビデオ映像を紹介していただきながら本番の流れを確認しました。

2月下旬に「但馬コネクション」ウェブサイトでご案内しますのでお楽しみに。

いろ(紅葉)いろ(黄葉)

西湖根場(さいこねんば)集落の紅葉が美しい。

楓(かえで)と銀杏(いちょう)のコントラストが鮮やか。

秋、いっぱい。

秋が作り出す「赤、青、黄」。

住所は、
山梨県南都留郡富士河口湖町西湖根場2710

見慣れない漢字の配列が新鮮だ。^ ^

ああ、伊豆は雨だった〜修善寺温泉から三島へ

修善寺温泉に宿泊。

歌舞伎「修善寺物語」とか、川端康成「伊豆踊り子」などで「修善寺」という地名は知っているが、実際に訪ねるのは初めて。

この桂川を挟んで、温泉街が続く。竹林、赤い欄干の渡月橋があり、温泉風情を醸し出す。静かな佇まいの温泉だ。

温泉マップで見ると、22軒の旅館がある。考えて見ると、我が城崎温泉は、温泉情緒を保ちながら大きな温泉であることを再認識する。チェックアウトしタクシーの運転手に聞くと、「廃業したりしてもっと少ないですよ」と。

修禅寺

桂川を少し登ったところに「修禅寺」がある。
こちらは「禅」の字。

三島スカイウォーク

日本一高い富士山と、日本一深い駿河湾を、日本最長の大吊橋から眺める。
「日本一の景色」だそうだが、この日は雨。(t_t)
想像力を逞しくして観賞(感傷)。

完成オープンして3年。吊橋のスタート地点には「300万人突破」との看板がある。この橋だけで年間100万人とは凄い。中国人らしき観光客も多いのでインバウンドの来訪も多いのだろう。

三嶋大社

「御由緒」によると、
・創建時は不明。古くより三島大明神と称せられ、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神として信仰される
・中世以降、武士の崇敬を集める。源頼朝の旗揚げの地でもある。
・東海道五十三次「三島宿」(安藤広重)には、この鳥居が描かれている。

三嶋大社本殿

「権現造り」の本殿。本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級で高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なもの。
(見難いですが、奥の本殿に注目)

三島の名物は「うなぎ」ということで、人気店「うなぎ 桜家」で鰻重をいただく。レギュラー(鰻一匹)で4700円と、やはり鰻は高価な食材。
1.5匹、2匹という大盛りメニューもあるから驚きだ。
(手が滑って、ちょっと山椒かけ過ぎました)(^ ^;)

タレはあまり甘くなく、私にはちょうどいいお味でした。

「うなぎ 桜家」から徒歩1分、伊豆箱根鉄道駿豆線「三島広小路」駅。
一見、路面電車かと思える民家やビルが密集している間をぬって電車がやってくる。(のんびりして懐かしい風景だ)

JR三島駅まで一駅。
無性に「鰻」食べたくなる時があるが、「新幹線で「三島」途中下車して食べに行く」ってこともできそうだ。(^_^)

初・富士五湖めぐり

山中湖

「富士五湖めぐり」をすることになった。
「お弁当コウノトリの里」の理事役員旅行に途中から合流。

御殿場を出発し、山中湖からスタート。
あいにくの雨模様だが、徐々に天気が回復するのを期待できそうだ。

忍野八海

山中湖から河口湖へ向かう途中にある「忍野八海」(おしのはっかい)。

真ん中にある中池は水深7mの珪藻土で出来ている。
富士山からの湧泉で出来た池。
それぞれの池は深いところで繋がっていて魚が行き来しているそうだ。

ほとんどが中国人観光客。お土産物屋さんも賑わっている。
「日高の昆布」「南部鉄瓶」など、ちょっと産地が違うのでは?
「何でもあり」の特産品にはちょっと躊躇する。

北口本宮富士浅間神社

富士山登山者は、この「富士浅間神社」で安全祈願をしてから登る。
樹齢1000年以上と思えるたくさんの杉の巨木が印象的だ。

西湖

五湖のうち、リゾート地、観光地として開発されているのは「山中湖」と「河口湖」の二つ。

残りの「西湖」「精進湖」「本栖湖」は、湖畔のキャンプ場や数件の旅館などが点在する。ゆったりとオフを楽しむには、こちらの方が良さそうだ。

西湖いやしの里根場

西湖の西北に位置する根場(ねんば)集落。昭和41年の台風災害により集落毎移転し、その後、伝統の茅葺民家を復元したもの。

「かぶと造り」と呼ばれる茅葺民家は、京都・美山や白川郷のそれとは違う風情があってとても興味深い。

正面には富士山が見える(はず)。

紅と黄の紅葉が美しい。
入り口近くの茅葺民家が食事処担っている。

 

ほうとう

甲州名物の「ほうとう」。
初めて食べたが、なかなか美味しい。
きしめんのような、平たい麺と味噌味が特徴。

「本栖湖」。
こちらの人気スポットは、千円札富士山のビューポイント。
千円札をチェックする。

ちょうどこの瞬間、雲間から富士山頂が見える。
なるほど、ぴったりと一緒。
(どうぞ、千円札を取り出して、この写真と比べて見てください)

白糸の滝

五胡を巡った後、山梨県から静岡県に入る。

富士宮市の「白糸の滝」に立ち寄る。
富士山の湧水が約150mにわたって流れ出て滝となる。

この辺りの地層は、下部に不透水層の古富士泥流堆積物が、上部に透水性の新富士溶岩流。
白糸の滝は、崖面として露出し、幾筋もの滝となって流れ落ちている。

最近、地形、地質に興味がある私にとって、富士五湖めぐりは、なかなか面白い小旅行となった。

利賀村(その2)〜演劇の舞台・建築・施設

円形劇場

『世界の果てからこんにちは』の舞台になった「円形劇場」。

設計は建築家・磯崎新氏。

ギリシャ悲劇が演じられたギリシャの円形劇場がモチーフになっているのだろう。観客席から見た舞台の後ろには池。池の向こうには、向こう側の山が背景となっている。ちゃんと利賀村なのである。

新利賀山房

こちらは「新利賀山房」。
こちらも磯崎新氏の設計による。

この会場で行われるイベントの開始を待つ観客。
山に囲まれ、利賀村の茅葺き屋根に合わせた外観は、まるで村の祭りを見物に来た人たちにようだ。

総合案内所。開演を待つ平田オリザ氏、中貝豊岡市長夫妻と妻。

利賀芸術公園の中央にある「総合案内所」。
SCOTのオフィス、休憩所、トイレなどが集中して設置してある。

戸建になっている宿泊施設

ユニークなデザインの宿泊施設。1階部分は駐車場にも、テーブル、ベンチを置いてミーティングもできそう。ドアから中に入って2階に一部屋がある。

ゲストハウス

演劇祭のシーズンには、世界から多くのアーティストや演劇関係者やファンがやってくる。舞台ばかりでなく、長期滞在型の宿泊施設は必須。

地元行政や経済界からの支援の積み重ねか。インフラの整備は一朝一夕でできるのものではない。40年の歳月の重みを感じる。

鈴木忠志トーク(新利賀山房のステージ)

チラシには「毎夏恒例、鈴木忠志が観客の皆さんのどんな質問にも答えます」とある。

出だしから、「はい、質問は?」で始まるのでびっくり。

満員の会場のアチコチから手が上がる。鈴木さんがアトランダムに指を差して質問者を決め、その問いに答える。

「女優の声の低いのはなぜ?」「異なった言語(中国語、マレーシア語、日本語など)で演じる芝居の意図は?」「後継者は?」など具体的でストレートな質問が立て続けにでる。

全ての質問に真摯に答える鈴木氏。
具体的な質問ではあるが、その背景、その奥に潜む本質を語る鈴木氏。

結果として、鈴木忠志の演劇論、日本論、世界観そのものが浮き上がる。

42年ぶりの利賀村へ〜劇団SCOT

ここは富山県南砺市の渓谷。
あと10kmで利賀村に到着する。
劇団SCOTのサマーシーズン公演の観劇である。

1976年、鈴木忠志率いる早稲田小劇場が突然、利賀村に拠点を移す。その第1回公演にこの利賀村に来て以来、42年ぶり。

その後、SCOT(Suzuki Company of Toga)として利賀村にて演劇活動を行なってきた。

4月に鈴木忠志さんが「舞台芸術財団演劇人会議」(豊岡市KIAC)に来られた時に、「利賀村においで」とお誘いを受けたのがきっかけ。それでなくても、行きたい、行きたいと思っていましたが。

会場は巡回バスが走っている

会場は、利賀山房、野外劇場、岩舞台、利賀大山房など、芸術公園として歩いて巡回もできるし、巡回バスに乗って移動もできる。

鈴木忠志(早稲田小劇場)が引っ越してきた当時は、村の人口は1500人だったそうだが、今は500人。加速しながら過疎が進んでいる。

「みんな東京へと向かうのに、東京から誰が何のために来たのか」と当所、村民の人たちは訝しんだそうだ。(そりゃあ、そうだな)

利賀村の「体育館」は「利賀大山房」となり、ここでも公演される。

もともとある村の施設を使用し、芝居もできる空間に舞台や客席が設えてある。

「利賀大山房」から百瀬川を渡った所にある「グルメ館」。

グルメ館の中は、麺類、カレー、パン類、中華、デザートなどどれも丁寧に調理された美味しい食事ができる。

特に、中華は北京郊外の「古北」から料理人が来て、本場の北京ダックや餃子、炒飯など舌鼓を打つ料理がズラリ。

夜は、野外劇場で『世界の果てからこんにちは』

まさに「夢を見てるのか」と思うほど、幻想的シーンが続く。

1991年から、毎年演じられる人気の演目。照明器具会社の社長の友人である江戸時代から続く「花火師」の一言からこの芝居ができたそうだ。

「ここで花火を使った演劇が考えられませんか」

花火の上がる芝居が観られるのは世界でここだけだろう。
野外、劇場のある環境、住民の理解、消防法などの様々な規制をクリアしないと実現しない。

「日本人の特質は何か」を問題定義する意図で鈴木忠志の作・演出。

コラージュの手法で、第二次世界大戦の敗戦、戦後の復興での日本人の精神性を表現する。

戦後の一つ一つの記憶を切り取り、非日常的世界を創出する。
慣れてしまった日常への疑問、別の視点を目覚めさせる。

私がかつて観た「早稲田小劇場」は、まさにここに生きていた。