「天明六年」と刻んだお墓を調べると

お墓参り。江原地区の墓地奥には、それなりに太い幹に育った何本かの古木がある。枝は伸び放題、地面からはササと雑草で覆われてしまう。今年は念入り(と言っても私なり)に、お墓の掃除をしてお盆を迎えた。

江原墓地内に3ヵ所に別れてお墓がある。

古い墓石をよく見ると「天明六丙年」と刻んである。「六」と「丙」と「年」の間隔と左右のズレが少し気になるが、ともかく調べてみよう。

「天明6年」は、確かに「天明六年丙午(ひのえうま)」とある。西暦では1786年。今から236年前。

私は13代目なので、1世代の年数を30年として約8世代前。つまり、わが家の第5代目ぐらいの先祖さん(こんな計算したのは始めてだ)。上部にある梵字(?)戒名(?)読めないのが情けない。

ついでに「天明六年」はどんな年だったのだろうか。

田沼意次(66才)、杉田玄白(53才)、伊能忠敬(41才)、鶴屋南北(31才)、松平定信(28才)、葛飾北斎(26才)、、、こんな人たちが現役で活躍した時代なんだ。3年後には寛政元年、つまり老中松定信が主導した「寛政の改革」の幕政改革真っ只中なんだ。

1786年、世界は?
10年前の1776年は、アメリカ独立宣言。ヨーロッパでは英仏通商条約の締結。英仏植民地戦争の末、英仏間の自由貿易協定を結ぶ。結果としてフランス国内産業が大打撃を受け、フランス革命への伏線となる。ナポレオンは17才(砲兵士官として任官)、もう一つにおまけに、モーツァルトがオペラ『フィガロの結婚』を初演した年。

お墓に刻まれた年号「天明六年」をキーにして調べてみると、日本と世界の歴史が身近に感じられる。

もう2つ、もっと古い墓石があるが、残念ながら年も名も分からない。

その時代を探ってみながら、先祖がどんな時代をどんな風に生き抜いて来たのかを思い浮かべてみる。こんな風にお盆を過ごすのもいい。

多湿が創り出すグラデーション

以前、テキサス州から来た友人が「美しい!これが日本の美しさ」と何度も何度も述べる。乾燥地帯のテキサス州では、遠くの山も近くの山も同じ色なのだ。(確かに私も実感したことがある)

多湿の日本では、山々の重なりは紫色がかった山が遠くになるごとに、その色を薄くしながらグラデーションを描く。日本画に描かれる「ぼかし」の感性もここから来ているのかもしれない。

海抜650mの大岡山から豊岡盆地を見下ろす。東北地方に大雨を降らしている前線が伸びる。但馬地方では雨が降り続くことはないが、前線にともなって発生する雷が時々遠くで聞こえる。平地はきっと蒸し暑いだろうが、ここは気持ちの良い風が通り抜ける。

打ち下ろしのゴルフコースの緑とのコントラストが美しい。

毎日のように夕立がやってくる今年のお盆。
不安定な天気だがこんな美しい光景も創り出す。

『地獄変』〜劇団「遊学生」江原(立光寺)公演

私たち『遊学生』は、元文部科学大臣補佐官・鈴木寛が東京大学と慶應義塾大学においてそれぞれ主宰する二つのゼミの合同プロジェクトとして、但馬地域において公共と芸術の接続可能性を模索することを目的に2020年に発足した団体です。
出石藩出身の東京大学初代総長・加藤弘之を補佐し、のちに自身も第3代総長を務めた濱尾新のキャリアは、豊岡藩の藩費遊学生として慶應義塾の門を叩いたことから始まります。
但馬と東大・慶應のこうした深い縁にちなみ、今度は逆に東京から但馬へ来て遊動的・実践的に学ぶ若者、そのような意味が「遊学生」という団体名には込められています。
『地獄変』劇団遊学生フライヤーより抜粋

取材で訪ねた出石の柳行李職人さんのお話をモチーフに、芥川龍之介の短編小説『地獄編』を改作したもの、とある。柳行李と地獄変が結びつくとどうなるのか興味津々です。

公演内容も興味があるけど、そもそもなぜ東大生の劇団が豊岡(江原)で公演をするの?どんな経緯なの?そちらにも興味がありますね。それは上記公演フライヤー(チラシ)の一節をご覧ください。端的に説明してあります。

昨年の豊岡演劇祭に合わせて公演を予定(豊岡と但東町)されていたものですが、コロナで中止になり、再チャレンジとして今年の豊岡演劇祭に合わせて、その開幕前(9/6〜9/8)に公演をします。昨年、ゼミ主宰者の鈴木寛さんが豊岡に来られ、豊岡アートアクションでお迎えして交流が始まりました。中止は残念でしたが、学生メンバーを豊岡市のあちこちに案内し、その中から、今年は江原でやりたい、と企画がスタートしました。

江原には、東京から「劇団青年団」が引っ越してきて「江原河畔劇場」が2020年オープン。芸術文化観光専門職大学(CAT)が2021年に開学し、その学長平田オリザさんも江原とご縁ができ、CAT学生(1期生)たちが、江原周辺にアパートやシェアハウスに移り住んできている。

そんな背景の中で江原公演が実現しました。

「遊学生」たちが所属する「すずかんゼミ」の鈴木寛さん(現・東大 / 慶大教授)とは20年ほど前、私が東京のビジネススクール(グロービス)に通っていた頃、何度か講義(講演)をお聞きしたことがありとても印象に残っているのですが、巡り巡って、豊岡で再会し、しかも演劇好き同士と知ったのも、何かのご縁かもしれません。

劇団は、東京大学、慶應義塾大学、早稲田大学の現役学生たちで構成されています。

チケットは、Web予約(8/10から)と電話予約(9/1から)。

会場の「立光寺(りゅうこうじ)」さんには、学生たちの宿泊場としてもご提供いただいています。地域行事や文化活動にもご理解が深いお寺さんです。

“Hubris” Richard Beirach

Richard Beirach  “HUBRIS”

Richard Beirach  : piano

1. Sunday Song
2. Leaving
3. Koan
4. Osiris
5. Future Memory
6. Hubris
7. Rectilinear
8. The Pearl
9. Invisible Corridor/Sunday Song – Monday

Recorded on June 1977

今年のピアノ発表会はリッチー・バイラークの”Sunday song”を演奏します。ピアノを始めて4年目。現在、猛練習中と言いたいが、その日によって途切れ途切れ。

人生でいつの日かピアノを弾いてみたい、ジャズのアドリブをやってみたい、との思いを今実行している。(告白した以上、もう後には引けないぞとの決意表明)

1年目は、Sonny Clarkのアルバムで有名な”Cool Struttin'”、2年目は、誰もが知っているスタンダード”Autumn Leaves”、3年目は、”When You Wish Upon a Star”を弾き語りで。

発表会の前は必死で練習してなんとか弾けた(と思う)のに、終わると途端に弾けなくなるから情けない。まだまだ、精進が足りない(理想とほど遠い道のり)と痛感の日々。

この曲”Sunday Song”には、思い入れがある。自分の子どもが産まれたら「その子の曲」と決めて毎日それを聴かせて、音楽を愛し楽しんで欲しいとの願いを込めて。もう40年以上前の話だが、長男も次男もどうやら音楽好きな生活を送っているようだから、まあ良しとしよう。

そんな話題をもう17年前のこのブログ”KOH’s VIEW”にも書いている。まさか、その曲”Sunday Song”を自分で弾くことになる(する)とは。これも新たなチャレンジ。

早朝のお参りと和室

朝7時。
ピンポーンと玄関のベルが鳴る。宅急便にしては早すぎるし、誰?

お寺さんがお盆のお経を挙げに来られる。
1年中で一番忙しいお盆。それにしても早い始動。
こちらは朝起きたままの格好で失礼しました。^ ^;;

仏壇のある和室は、私が生まれ育った古い家の和室をそのまま復元したもの。
現在の自宅(ドーモ・キニャーナ))を建てる前に、復元を前提に丁寧に解体。
床の間、天井、梁、障子、襖、縁側の戸は、すべて古い家の材料をそのまま組み立て直し、利用したもの。

30年前、両親のリクエストもあり、愛着のある和室は復元することにした。
当時、両親が喜んだように、私も今、どこか温かい懐かしさを覚える部屋。
すべてが真新しい住宅も良いが、家族の歴史を刻んだ古いものを継いでいくことも大切だな、いいもんだな、と最近感じる。

『行く川の流れは、動的平衡」 福岡伸一・著

行く川の流れは、動的平衡』 福岡伸一・著

あったものがなくなる。なかったものが現れる。動きこそが生命にとって本来の情報である。それによって環境の変化を察知し身構える。情報は常に好意を引き起こすものとしてある。だから同じ匂い、音、味が続いたらそれはもう情報ではない。私たちは自分の唾液を塩っぱいとは感じない(が、キスの味は分かる!)。新しい情報の創出のためには、環境が絶えず更新され、上書きされなければならない。そうでないと変化が見えない。ネット社会の不幸は、消えないこと。小さな棘がいつまでも残る。情報は消えてこそ情報となる。
(「トカゲを振り向かせる方法」 p30)

朝日新聞に連載されていたエッセイ集。日常の出来事、自然界の現象を生物学者としての見識を散りばめながら、その本質を明らかにしていく。当たり前と思っている事象も、なぜ?と疑問を持つと分からないことは結構ある。逆に「腑に落ちない」「納得いかない」などの社会問題、人生経験、人間関係のトラブルなど、生物的に、生命の必然として解き明かしてくれる。

マップラバー(Map Lover)とマップヘイター(Map Hater)の話も面白い。

マップラバーは、地図大好き、何をするにも全体像を把握し、自分の場所を確認してから目的地に向かう人。マップヘイターは、地下鉄の改札を出ても百貨店に入ってもいきなり歩き出す、でも目的地には到達する。

秀才のマップラバーは、密かにマップヘイターを恐れる。マップヘイターの方がより逞しく、危機に強いから。私たちの身体は細胞のマップヘイター的な行動によって形成された。しかし、脳は地図を欲しがってしまう。

あなたはどっち?身体と脳の関係はなぜ?

こんなお話がいっぱい。優しい言葉を使いながら刺激いっぱいの本です。

“魚返明未 & 井上銘”

”魚返明未&井上銘”

魚返明未 : piano
井上銘 : guitar

1 きこえない波
2 サイクリングロード
3 もず
4 かなしい青空
5 丘の彼方
6 隔たり
7 Herbie Westerman
8 縮む
9 静かな影

アルバムタイトルは至ってシンプル。2人の名前。同い年(1991年生まれ)で高校時代から旧知の2人がデュオで演奏する。久しぶりに購入した月刊誌「Jazz Life」の最初の記事がこのアルバムだった

最初はなんとなく聴いていたのだが、「きこえない波」「サイクリングロード」「もず」と静かに滑らかに曲が進むにつれて、気がつくと2人の演奏に浸かりきっている。聴くたびにどんどん惹き込まれていく演奏。久しぶりの体験。

このアルバム・リリース記念の東京でのライブ(天王洲アイルの「KIWA」)に行き、さらには大阪でのライブ(北区曽根崎の「Mister Kelly’s」にも)1曲、1曲がよりアドリブが長く、圧倒的な熱量で迫ってくる。まさにライブの醍醐味。「サイクリングロード」(at KIWA)

持っていたノートの表紙にサインをもらう

大阪でのライブの後は、2人と少しお話ができた。
「次はどこで?」と訊ねると「秋にコットンクラブ東京で」と。
むむーっ、どうしよう。

『ビジョンとともに働くということ」山口周×中川淳

投資はかなりの額が必要になるんです。しかし、儲からない工芸の世界で誰がそれをやるのか。実現はなかなか難しいですよね。そこで思いついたのが、「産業観光」というアイデアでした。垂直統合だけでは投資に見合うリターンがえられないので、プラス・アルファの要素として「観光」を持ち込む、というものです。
ビジョンとともに働くということ』山口周×中川淳
「産業観光と垂直統合が産地の生きる道」 p 217

ここの「垂直統合」とは、様々な製造工程を別々の会社がやっていると、どこかひとつの工程の会社が潰れると製品が造れなくなるので、ひとつの会社で内製化してしまう、という意味。かつてバブル崩壊後の1990年代、外部委託、ファブレス(工場を持たないメーカー)と言った、自社の資産(固定費)を下げて、総資産利益率を上げよう、と言った経営がもてはやされた時代もあった。私もその方針の基に経営を行なった時期もある。

しかし、時代はより変化を加速し、不安定、不確実、予測不能の時代になり、サプライチェーンの崩壊リスクも高まる。自社のアイデア、ブランド構築が優先する時代が到来したと言える。

今やブランドの構築には、自社の経営理念、ビジョンはもちろんのこと、その地域、自然環境、歴史、風土を巻き込んだコンセプトがとても重要になっている。それこそがこれからの「観光」にもとても重要な要素となる。

ビジョン(こうありたい)を追求しなければならない。

飛行機(to)雲

青空見上げると、但馬空港へ着陸態勢に入った飛行機が。
遠くでゴロゴロと雷音が聞こえる。

日高小学校グランドから

雷の発生源はこの入道雲?

入道雲に突っ込む?

ゴロゴロが急接近。
急いで帰らねば。

『復活への底力』 出口治明・著

僕自身はと言えば、「人生は変化に富んでいるなあ。川に流されるように生きていても、岩にぶつかったりする。思わぬ展開にも一所懸命に対応する方が面白いし」などと作業療法士の方から見れば大変な作業も、とにかくやり続けようと楽観的に考えていました。
『復活への底力』 出口治明・著
(第3章 「リハビリ開始と折れない心」 p72)

私がいつも注目している出口治明氏の闘病期の一コマ。出口氏は2021年1月に突然に脳卒中に見舞われ、右半身麻痺の状態になる。その後復帰するまでの顛末をこの本にされている。

私自身も、2016年に台湾で交通事故(朝ウォーキング中に車に撥ねられる)にあう。突然の事故で「死」と直面した経験がある。3日間集中治療室に入れられ、台湾で入院、帰国後頭部手術、入院と続き、元に戻るのに約2年間を要した。

病気と事故との違いはあれ、突然発生した「変化」(岩にぶつかる)に、私も向き合った。「思わぬ対応」を強いられるが、これも人生の流れと思い、楽観的にいられる自分が不思議でもあった。加害者を憎むわけでもなく、一歩立ち止まって人生を見つめ直す時間を与えられたと感謝する気持ちすら湧いてきた。

・「流れ着いた場所では、運と適応が大切。どんな意欲を持ってどんな世界にしたいと思って動くか、自分の意思次第」
・「生きていくための知恵は、不幸といかに向き合っていくかの知恵とも言える」

出口氏の普段の好奇心、教養、迷った時はやるの決断、ポジティブな生き方は私の目標でもある。

副題の「人生は楽しまなければ損です」に、出口氏の思いが集約されていますね。