2025年の幕開け。日本の始まりを訪ねて神武天皇を祀る橿原神宮へ向かう。
が、初詣の渋滞に巻き込まれて自動車から畝傍山を横目に眺めながら遅々として進まない。自動車道から橿原神宮へ向かう道路も渋滞しているのが見える。
と言うことで、橿原神宮をパスしてもう一つの訪問予定である、すぐ近くの「今井町」の散策に切り替える。
「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている今井町。
その歴史は天文年間(1532〜1555)にこの地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって「称念寺」を中心にした寺内町が建設されたことに発する。
1568年(永禄11年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛以来、本願寺は信長と敵対したが敗れる。今井も本願寺側として信長と戦ったが、1575年に明智光秀を通じて信長に降伏。その時には、今井町出身の茶人・今井宗久(三代茶人の一人)のとりなしもあり和睦に持ち込んだという。
「称念寺」を中心とした寺内町の今井は、江戸時代初期には、東西600m、南北310mの中に戸数1100軒、約4000人が住んでいたと言う。現在は約500軒になったとは言え、ほとんど全ての家は現在も人が住んでいらっしゃる。江戸時代の街並が外観だけでなく、実際に現在も生活されているところがなんとも凄いところです。文字通り「街が生きている」のがよくわかる。
お正月なので、中を見学できるのは「高木家」のみだったのが残念ではあったが、酒造業を営んでいた高木家は約200年前江戸後期のもの。もちろん現在も高木さんが住んでいらっしゃる。
「中澤家」の前に立つ案内板によると、
「豊臣秀吉が吉野へ花見の途中本陣として定められたお茶屋跡」
とある。今井町の当時の繁栄が偲ばれる。
江戸時代の建物が現存するだけではなく、実際に住んでいらっしゃる現役の町屋。
訪ねてみる価値大、お薦めの「今井町」でした。