
一休寺(京田辺市薪里ノ内102)を訪ねる。
「一休さん」で親しまれている一休和尚。
室町時代の臨済宗の僧、一休宗純(1394年〜1481年)の愛称。江戸時代に説話『一休咄』が作られ頓知で有名。絵本や紙芝居、アニメになって詳しく知っていても知らなくても身近に感じる一休さんだ。


案内板の「一休寺の沿革」によると
元の名は「妙勝寺」。臨済宗の高僧 大應国師が中国の虚堂和尚に禅を学び帰朝後、禅の道場をこの地に建てたのが始まり。元弘の戦火により復興もならずにいたものを六代の孫にあたる一休禅師が康生2年(1456年)に御堂を建て、宗祖の恩に報いるという意味を込めて酬恩庵と名付けたとあります。


「慈楊塔」と名付けられた墓所。
一休禅師は後小松天皇の皇子であるのでこの一画は宮内庁の管轄となっている。
禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのである。
(「酬恩庵 一休寺HPより)


方丈とその方丈庭園(南庭)。


一休さん像。

ご存知、有名な小噺。
端っこは苔が生えて、橋の真ん中が少し白くなっていますね。(^ ^)v
酬恩庵 一休寺
610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102
電話_ 0774 62 0193
拝観時間_ 9:00〜17:00(宝物殿 9:30〜16:30)