生野銀山を見学。
義理の妹夫婦とその友人を案内して但馬巡り。義弟は火山・地質学者なので、玄武洞はじめ山陰海岸は案内したことがある。その友人は、長年仕事の関係で家族と共に30年以上にわたりヨーロッパ、オーストラリア生活。ちなみに「乗り鉄」(全国の在来線をほとんど網羅されている)。
生野銀山はまだ見学したことがないと言うので案内。
私もずっと以前にはあるが2回目となる。
ああ、これがあの「銀山ボーイズ」たちか。
超・スーパー地下アイドルたちである。
銀採取の作業を再現するマネキンたちが次から次に通路脇に登場する。なかなかリアルに作ってあって臨場感たっぷり。
生野銀山の歴史を復習しておきます。
807年 銀の鉱脈を発見
1542年 山名祐豊時代に銀鉱脈の本格的な採掘
1578年 織田信長 代官を置く
1600年 徳川家康 銀山奉行を置く
1716年 江戸幕府は、奉行を廃して代官を置く。
1868年 明治政府官営鉱山となる
フランス人技師ジャン・フランソワ・コワニェが着任
1896年 三菱合資会社に払い下げ
1973年 閉山
最深部は海面よりも下にある。採掘の技術と苦労を思う。
坑道の出口に近づいたところでコウモリを発見。
地中に掘った通路を通り、マネキン人形の作業風景をずっと見てきたので、生きたコウモリに出会うのが何か新鮮な気分。
右の写真は、まるでアリの巣のような坑内の立面模型。
江戸時代初期には、世界有数の銀の産出量を誇り最大の輸出品であった。
改めて、但馬は鉱物資源の宝庫だったことを実感しました。
「但馬は鉱物資源の宝庫」~但馬学4月例会 in 大屋(2011/4/28)