江原地区「樋管」の話

江原の水門(昔から近所の人はそう呼んでいた)。約50年前に円山川の築堤の時にできた江原地区の排水溝(内水)の出口。台風などで円山川が増水した時に本流からの逆流を防ぐためにできた樋門。(さらに規模の小さいものを「樋管」というらしい)。

50年経って鉄骨でできたブリッジのペンキは剥がれ、溶接部分が錆びて弱くなっている。ブリッジの突端にはハンドルがあり、増水した時に、人力で回し溝を塞ぐ門が降りる仕組み。かつては地元の消防団が巡回して事に当たったと思われるが、現在はその役割はどうなっているのかわからない。(そもそも、これを稼働させたのを見たことがない。)2004年10月のこの地域を襲った台風23号の時はどうだったのだろう?この水門の開閉について話は聞いたことがない。

今回の工事は、人力の水門開閉式(スライドゲート)を本流が増水するとその水圧で自動で閉まるゲートに変更するというもの。これで増水時に「誰が閉めるの?」の課題は解消されそうだ。

円山川沿いの風景を少し損ねていると思っていたので、景観の面からも歓迎だ。コンクリート部分の撤去は重機などを必要とするちょっとした工事になるので、最低でも鉄骨部分の撤去を、と願っていたが、コンクリート部分も撤去という通知が江原地区の回覧板で回ってきた。

ちなみに、私が子どもの時には堤防はなく、水門の向こうに見える平地に、私の祖父母の家が建っていた。夏休みには、その縁側で宿題をしたり、将棋を打ったり。川からの涼しい風が懐かしい。