『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』山口周・著

まず「論理と理性」に軸足をおいて経営をすれば、必ず他者と同じ結論に至ることになるり、必然的にレッドオーシャンで戦うことにならざるを得ない。かつての日本企業は、このレッドオーシャンを、「スピード」と「コスト」の二つを武器にすることで勝者となった。しかし、昨今では、この二つの強みは失われつつあり、日本企業は、歴史上はじめて、本当の意味での差別化を求められる時期に来ているということです。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』 山口周・著

昔から日本の経営は、左手に「そろばん」右手に「情け」が大切だとよく聞いた。「論理」と「感情」ということになるのだろう。MBAではスタディケースを論理的に考え、答えをを導き出す。いわゆる「正解」はないにせよ、説得ある「解」には論理的裏付けがないといけない。

「論理的結論」が「正解」を量産し、コモディティ化し、やがてレッドオーシャンとなる。著者は、そこに焦点をあて、経営には「美意識」つまり「真・善・美」が必要だと説く。

「真=直感」「善=倫理・道徳」「美=審美完成」という、主観的な内部のモノサシを持つことが大切であると。

単なる「経営ノウハウ本」ではなく、高度成長後の価値基準の変化、グローバル競争の本質は何か、など考えさせられる良書。じっくりと考えてみたい。

第3次から第4次へ〜豊岡市行革委員会

豊岡市の行政改革委員会に出席。

現在は第3次行革と位置付け、委員会で議論している。
第1次は、2005年の1市5町の合併後に開始され、主に、職員定数削減、補助金の削減と取り組む。第2次は、事務事業評価を行ない業務の効果を判定し、提言。第3次は、これまでの行革での歳出削減中心から、収支を均衡させながら戦略性を持った政策立案ができているかどうかに重点を置いてきました。

中貝市長から第4次行財政改革の委任状が石原俊彦委員長へ

第3次行革は、効果額目標を設定せず行ってきたせいもあり、その成果を判定しずらく、ややもすると、何のための行革なのか、目的と手段が混同する一幕もあったように思う。

近年の歳入減、歳出増から新たなに財政の危機を迎える試算が出ている。第3次を切り上げ、次回より第4次として行なう方針が示され、委員も同意。

次回からは「財政」の文字を加え、「第4次豊岡市行財政改革委員会」として活動をしていくことになる。

第6回目を迎える「おんぷの祭典」準備

今年で6回目を迎える「子どもたちが豊岡で世界と出会う音楽祭」(おんぷの祭典)。テーマを決め、出演者を決め、曲目を決め、市民参加の企画を考え、とやっていたら、1年間があっという間に過ぎ、次回の祭典がすぐにやってくる感じがする。

今年の開催は、
6月4日(火)〜9日(日)の6日間。
市内での小中学校訪問コンサート、街角コンサート、サロンコンサート(城崎温泉招月庭)、グランドフェスティバルと、それぞれ開催します。

今回初めての企画は、期間中毎日開催する「稽古堂イブニング・コンサート」、そして最終日には、キッズ、プレミアム、ファイナルと子ども、プロ、市民参加のそれぞれ特徴を持った演奏を1日を通して行うフェスティバル。食べ物の屋台も出店します。

音楽をとことん楽しむ1週間に。

本気の文化による街作り〜神戸経済同友会での講演

「神戸経済同友会 2018年度活動報告会」を神戸・ポートピアホテルで開催。

國井総一郎代表幹事の開会挨拶に引き続き、13の委員会の活動報告がなされた。13時〜16時30分までの長丁場だが、会員みんな熱心に聴く。

今回の目玉は、劇作家・演出家の平田オリザさんの講演会。

テーマ「本気の文化による街作り〜但馬に大学をつくる〜」。スキー人口の減少を例に取りながら、全人口が減っているためなのか?楽しみの多様化のせいなのか?若者の趣味の変化なのか、と問いながら、男女の出会う場の減少が問題なのだ、と問題提議。

小中学校における、コミュニケーション教育、英語教育、ふるさと教育の重要性や、アートで活性化を図る豊岡市の取り組みなどを紹介。

中でも、平田オリザさん主宰の「劇団青年団」を豊岡市に移転して、劇団員の家族、そして自らも江原(豊岡市日高町江原)に移住してくる話をされる。

現・豊岡市商工会館を劇場に改築し、青年団の劇場として再生する。その名も「江原河畔劇場」。まだ仮称だが、円山がわの美しい流れを目前にできる劇場は、都市の劇場とはまた異なった異空間を作り出すのだろうと期待する。

春の気配

九州の旅を終え、久しぶりの裏山と円山川の風景。
柔らかい朝の陽。

庭の木々の芽が膨らみ始めているのが分かる。

初めての山口市〜中国・九州の旅(6)

最後の訪問(宿泊)地、山口市。今回は自由に行程を組み、移動距離をみながら宿泊地を決め、前日にネットでホテル予約。最後は、ここ湯田温泉。えっ?市内に温泉と思ったが、なるほどこういう立地かと眺める。城崎温泉の近くに住む者としては少し馴染めない。

ホテルを出発して車で約10分。曹洞宗の寺院「瑠璃光寺」。満開の梅が迎えてくれた。ここは梅と桜の名所。

国宝の五重塔。大内氏全盛期の象徴でもある。1442年(嘉吉2年)ごろに建立。

大内弘世公之像。
大内弘世(1356年〜1400年)。室町時代、大内家第25代当主。
足利義満に対し、応永の乱を起こし、敗れ没す。

京を愛し、京を模してこの山口の町を作り上げる。まさに山口は「西の京」と云われる所以である。

「枕流亭」。幕末にこの「枕流亭」で薩長連合を組むための密談を重ねたという。

元々は、豪商阿部家の「離れ」として存在。藩主毛利氏の参勤交代の時に山口での本陣に使われた。1960年に現在の瑠璃光寺横(香山公園)に移築された。

幕末、この枕流亭で薩長連合の密談が交わされた。

薩摩藩からは西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らがここに宿泊し、長州藩からは木戸孝允、伊藤博文、品川弥二郎、広沢真臣らがここに迎えた。

この2階の部屋は、ほとんど当時のままだそうだ。周りの風景こそ違え、この部屋で薩長連合の相談をし、倒幕、そして明治維新へと邁進した日本を思い浮かべる。

今回の旅の最後に相応しい訪問となった。

八女から門司へ〜中国・九州の旅(5)

今回のテーマは「茶の湯」。
柳川から八女市星野村へ車で約1時間。
山の斜面に茶畑と集落がある。

日本茶の最高峰と云われる「星野玉露」。星野川沿いの霧深い気候と立地。肥沃な土壌が最上の茶葉を育てるのだろう。

星野村の中心部へ行く途中で、脇の道に入ると星野製茶園がある。ここでは本格的に抹茶の製造も行なっている。玉露と共に、抹茶も購入。

星野製茶園
福岡県八女市星野村8136-1
0943-52-3151

旅も後半。帰りの方向に車を進めねばならない。八女茶の賞味もそこそこに出発。九州自動車道で北上し、門司へ。

来るときに本州側の突端「壇ノ浦パーキング」から眺めた関門海峡を、今度は九州側の門司から眺める。

門司港レトロ展望室(地上103m)から眺めた門司港。

日が沈みかけた海の向こうは、あの宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った「巌流島」が見える。来てみて初めてわかるのが旅のいいところ。壇ノ浦の合戦といい、現場を見るとまた興味が深まる。

しっとりと柳川〜中国・九州の旅(4)

今回は車での旅。ここまで来るかどうか迷ったが、やはりどうしても訪ねたい響きが柳川にはある。

柳川と言えば、柳川城のお堀を回る「川下り」だが、この日は雨。そこは割り切って、他の資料館を訪ねることにした。「柳川藩主立花邸 御花」。

1738年(元文3年)、柳川藩五代藩主、立花貞俶(さだよし)が移築。別邸となる。

7000坪の立花氏庭園。雨に煙る静かな佇まいが印象的。藩主立花氏が家族と和やかな時を過ごす為に設けた屋敷、というのが伝わって来る。

毎年2月11日〜4月3日に繰り広げられる「おひな様始祭」。ここ「御花」の西洋館の一室にも飾られている。柳川の習わしと聞く「さげもん」が飾ってある。

うちの庭師Kさんから柳川の名物は「うなぎ」、食べるなら「本吉屋」と出発前に聞いていたので(それもあって)、どうしても柳川に来ると「うなぎ」を食べて帰ろうと心に決めていた。

Kさんは、柳川で庭師の修行し、親方とした最初の仕事がこの「本吉屋 本店」の庭だそうだ。(それは深い思い入れがあるでしょう)

茅葺き屋根が残り、立派な建物にびっくり。さすが300年の伝統をもつ「元祖」であることに納得。

これが名物「うなぎのせいろむし」。初代からの秘伝のタレと蒸し方の技術を300年の間、忠実に継承してきたという。

「蒲焼」ではなく「せいろ蒸し」なので、フワッと、トロッと、口の中でとろけるような食感。そこに秘伝のタレが馴染んで、独特の風味がある。満足の「うなぎ」でした。

元祖 本吉屋
福岡県柳川市旭町69
tel : 0944-72-6155

秀吉のゆかりへ(唐津、名護屋、有田)〜中国・九州の旅(3)

博多を発ち唐津へ。約1時間半の運転で唐津へ到着。
白梅が咲き、一面にスイセンの花。
春だ。

「中里太郎衛門」」
静かな佇まいの家並みの中に陳列館がある。

400年の歴史を持つ唐津焼。中里太郎衛門は当代で14代目。
最初のコーナーは、陶房の職人さん達の作品(窯もの)が置かれ、奥から別棟に行くと代々の中里太郎衛門の作品(作家もの)が展示されている。

御茶盌窯跡(おちゃわんかまあと)。

国指定史跡。1734年(享保19年)にこの唐人町に築窯され、御用窯として用いられる。大正13(1924)年まで使用されていたものを保存。現在、中里家が引き継いで管理している。

「あや釜」に掲げてある資料

御茶盌窯跡の見学をしていると、そのお隣で陶芸をされている中里文子さんにお声をかけられ、唐津焼の歴史や中里家の陶芸の歴史をお聞きする。

唐津を出て約40分で「名護屋城跡」に到着。豊臣秀吉が大陸侵攻(文禄の役)の為に築城を命じ1591年(天正19年)に完成(わずか7ヶ月の期間で)。1598年(慶長3年)秀吉の死と共に廃城となる。わずか7年間の隆盛であった。

今回の旅の一番の目的地であった名護屋城跡。ここはボランティアのガイドさんをお願いして説明を聞きながら見学だ。

見えますでしょうか?
半島の中央あたりに名護屋城本丸。その周りをぐるりと全国から召集された大名の陣屋が配置されている。

本丸の東側から時計回りに見ると、
徳川家康、小西行長、前田利家、古田織部、鍋島直茂、加藤清正、福島正則、上杉景勝、島津義弘、湾を挟んで、黒田長政、毛利秀頼、真田信幸、石田三成など、藩主自身が皆、名護屋に集合。

名護屋城の一番高い天守台。(実際にはこの高さからさらに高い天守閣がある。)
ここに立つと、遠く対馬が観えるという。その先70kmで釜山。
秀吉の野望が現実的な距離で実感できる。

名護屋城跡の興奮冷めやらないまま、次の訪問地、有田焼の有田町へ。

柿右衛門

夕暮れ迫る中、有田焼の皿山通りをさっと見学。

一軒、一軒、立ち寄れなかったのは残念だが、17世紀前半から始まった有田での焼き物の立地、街の佇まいを知ることができた。