ドレスデン〜東ドイツ復興の町

ドレスデン駅に到着。
プラハから鉄道で再びドイツへ。
(鉄道の旅は本当に楽しい)

ホテルにチェックインして、さっそく散策へ。

ツヴィンガー宮殿。
17世紀、ザクセン王フリードリッヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)の時代に建てられる。バロック建築。

 

ツヴィンガー宮殿内にある「アルテ・マイスター絵画館」へ。

『聖母子と聖ヨハネ』(ボッティチェリ)

『The Virgin and Child with the Young Saint John the Baptist』
(ボッティチェリ)

『遣り手婆』(フェルメール)

ヤン・ブリューゲル(父)

ツヴィンガー宮殿を出てエルベ川へ向かう途中にある「三位一体大聖堂」。
ザクセン州最大の教会建築。
亡きアウグスト強王の心臓が銀製の小箱に保存安置され、美女がそばを通り過ぎると鼓動を始めると伝えられている。

レジデンツ宮殿の中庭には『君主の行列』が描かれている。
戦災から奇跡的に残った。

第2次世界大戦の空襲で壊滅したドレスデン。ツヴィンガー宮殿も教会も破壊された瓦礫を使って再建され、それは今も続いているという。

プラハ城〜中世から現代へ

フラッチャニ(城地区)を訪れるために、ヴルタヴァ川に掛かるカレル橋を渡る。カレル橋の像の向こうにはプラハ城。

プラハ城正門前のフラッチャニ広場は、2009年にオバマ大統領が核なき世界を宣言した「プラハ演説」を行なった場所として記憶に新しい。

プラハ城内には、宮殿、大聖堂、修道院、貴族の館、牢塔などいくつも見所がある。「通し券」を購入し、入場する。

まずは、目の前にある聖ヴィート大聖堂から。

大聖堂の中に入った途端に、この荘厳な空間に圧倒されてしまう。

ムハが描いたステンドグラス。
ムハ(1860年〜1939年)は、ミュッシャ(Alfons Mucha)のチェコ語読み。

様々な意匠のステンドグラスに見惚れる。

聖ヤン・ネポムツキーの墓。
頭上に五つの星が描かれる。14世紀の聖人。

聖ヴァーツラフ礼拝堂。

大聖堂を出て「黄金の小道」へ。
錬金術師が黄金を作るための小屋があったためにこの名前がついている。
「No22」と書かれている小屋は、かつてフランツ・カフカが仕事場としていた。今は、カフカの本が販売されている。

「ロブコヴィッツ家の宮殿」に移動。

特筆は、なんと言ってもベートーヴェン直筆の楽譜。
7代目ロブコヴィッツ侯爵は、ベートーヴェンのパトロンとしても有名。
交響曲第3番「英雄」は、ロブコヴィッツに捧げられた。

ベートーヴェン「交響曲第4番」「交響曲第5番」の楽譜に、モーツァルト直筆の楽譜も展示されているので、思わず長時間立ち止まってしまう。

宮殿からプラハほぼ全域の眺め。

プラハ城からの帰りは、マーネス橋を渡ってユダヤ人街へ。

橋を渡るとドヴォルザーク・ホール。
ホールの前に建つドヴォルザーク像。

夕焼けを見ながら交響曲第9番《新世界》の第2楽章を口ずさむ。
♪遠き山に ♪日は落ちて
(あまりにもピッタリとハマってしまいました)(^ ^)v

プラハ街歩き〜建築が面白い

プラハ街歩きを開始。何と言ってもまずは、ヴァーツラフ広場へ。
その突き当たりにある「国立博物館」。
(1回目のプラハ訪問時に入館。今回は時間の都合外観だけ)

ヴァーツラフ広場の「ヴァーツラフ像」。

ヴァーツラフ広場は、チェコ現代史のシンボル。
1968年「プラハの春」で民主化を叫んだ市民をソ連のワルシャワ条約機構軍が侵攻し、弾圧。1989年の「ビロード革命」でも、この広場に市民50万人が集まり、民主化を実現した。

プラハの街には、中世ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、アール・ヌーヴォー、アール・デコの様式の建物が目白押し。建築を観て回るだけでも訪れる値打ちがある。

まだまだある。

プラハ〜鉄道で到着するのもいいもんだ

ウィーンから鉄道でプラハへ移動。
ウィーン中央駅を9:10発、約4時間足らずでプラハの街へ。
建物は、ミュンヘン、ウィーンとも、明らからに異なる。

2回目のプラハ。
前回は東西冷戦時代のプラハだったので、「何が変わったのか?」を見るのも楽しみだ。

プラハ駅へ定刻通り到着(13時10分)。

ヨーロッパを鉄道で故郷を超えてする旅は初めて。
「PRAHA」の表示を見て「来たぞ」と言う気持ちになるから、鉄道の旅もなかなかいいもんだ。

タクシーで旧市街にあるホテルに到着。
さっそく散策開始。
まずは、ホテルから10分ぐらいの所にある旧市庁舎へ。

旧市庁舎の壁には「天文時計」。15世紀に取り付けられて以来、ずっと時を知らせ、鐘を鳴らし続けている。観光客がいっぱいだ。

「天文時計」

ティーン教会。ヤン・フス像(左下小さく)

旧市庁舎のエレベーターに乗って塔に登ってみる。
塔からはプラハが一望できる。

すぐ下に見える旧市街広場。

茶色が瓦が美しい。

ヴルタヴァ川の方向を眺めるとプラハ城と聖ヴィート大聖堂が見える。
美しい街並みに、しばらく見惚れる。

塔から降りて、再び旧市街を歩くと、市場が出ている。
フルーツの盛合せが面白い。食べるのもったいない。

最後は、やはりビール。

ミュンヘン、ウィーン、そしてプラハと、美味しいビールをいただく。
「ビールの旅」とも言える。

ハイリゲンシュタットを訪ねて〜ベートーヴェンとホイリゲの1日

どうしてもハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)を訪ねようと思っていた。

U4線の終点ハイリゲンシュタット駅。もっと牧歌的(?)なところと想像していたが、何やら近代的な建物が取り囲む。

お目当は「ベートーヴェンの家」。ガイドブックによれば、バス38Aに乗って約20分とある。

バス停から10分ぐらい歩くとありました。
これがベートーヴェン・ハウス。

このハイリゲンシュタットの街でも、数回引っ越したというベートーヴェン。

これが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたと言うベートーヴェンが住んだ家。(なんか綺麗すぎてイメージとは違うので気持ちの整理が必要だ。)

左側の白っぽい建物がベートーヴェン・ハウス。狭い通りは直線で、隣どうしが繋がっている。この道を歩いて散歩に出かけたのだろうか。200年前だから車はないにせよちょっと窮屈な感じ。でも、通りは石畳でその当時もそうなのだろう。

2016年3月に台湾で交通事故に遭い、まさに九死に一生を得る大事故であった。(今でも、よくぞ死ななかった、生きていて良かった、と頭をよぎる。)

その後、約1年間は療養第一の日々を過ごした。その時に、ベートーヴェンの音楽を毎日聴きながら過ごし、いつかハイリゲンシュタットには行ってみたいと思うようになった。

のんびりとした田園風景と想像していたが全然違うではないか。

でも、小川が流れ、周囲は緑の森に囲まれたとろこもある。この道を歩きながら、曲の構想を練る日々を送ったのだろう。この風景を記憶に留めておかなければ。

t会

「ベートーヴェンの道」の山手側に少し歩くと、ぶどう畑がある。振り向くとウィーンの中心部の高い塔が見える。

ぶどう畑から再び、ベートーヴェンの家に戻る。
その横にある「ホイリゲ」で待ち合わせ。
5時なので、まだお客さんは誰も来ていない。

※ ホイリゲ=オーストリアでワイナリーがやっている居酒屋。自家製ワインと家庭料理が楽しめる。

待ち合わせていたのは、「おんぷの祭典」(豊岡市)に初回から5年連続で演奏していただいているチェロのウィリアムズさん一家とヴァイオリンのミュラーさん一家。

それぞれの奥様もはチェリストとヴァイオリニスト。子どもたちは4才と6才、そして5才。家もウィーン中心部の近いところに住んでいる。

お母さん同士は、子どもたちがどんな楽器を習うのか、先生は誰がいいのか、などいろんな話をしている。

ウィーンの音楽家たちが何にを話しているのか、とても興味深いし、面白い。

今夜は、ウィーンの友人ファミリーに囲まれた気分で食事。途中で、中庭に出て椅子取りゲームなどしながら、食事を楽しんだ。

あっという間の時間。子ども達がいるので早めに切り上げて、ホイリゲをでる。

せっかくなので、ベートーヴェン・ハウスのドアの前で写真をもう一枚。

いつか訪ねようと思っていたハイリゲンシュタットのベートーヴェン。特別なメンバーたちと一緒に、さらに印象深いものになりました。

アートなウィーンの1日〜ヴェルヴェデーレ宮殿

ベルヴェデーレ宮殿。

1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアの手により夏の宮殿ととして利用される。バロック建築様式の宮殿。この宮殿の一角には、作曲家ブルックナーが過ごした家もあると言う。

宮殿からはウィーンの中心部が一望できる。

『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』

全ての絵画の写真撮影OKと言うことで、ダヴィッドのナポレオンの前でパシャ。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年〜1825年)は、フランスの新古典主義を代表する画家。

 

「ユディト」

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862年〜1918)。ウィーンの世紀末絵画を代表する画家。

「接吻」

題名は?(宿題)

エゴン・シーレ(Egon Schiele 1890年〜1918年)。

グスタフ・クリムトらのウィーン分離派、象徴派、表現主義の影響を受けつつも、独自の絵画を追求した画家。

(宿題)

モーツアルト像

オペラ座のあるKarlsplatz に戻って、周囲の公園を散策。

ゲーテ像の前でパシャ。

セセッション館は、残念ながら休館でした。

ウィーン分離派(セセッション)の展示施設。建築家ヨゼフ・マリア・オルブリッヒの設計により、1897年から1898年にかけて建設。

私にとって特別なウィーンの1日

SCHONBRUNNの文字。
地下鉄U4のシェーンブルン駅に到着。

駅から4〜5分歩くと、シェーンブルン宮殿の正門にやってくる。朝9時半と言うのに、もう待ちかねたように続々と宮殿に向かう観光客。

シェーンブルン宮殿は、ウィーンの森の裾野にできた宮殿。16世紀にハプスブルク家の所有になり、以後手を加えられ、18世紀には、マリア・テレージアによって大規模に改築された。

圧倒される建築、室内、宝物、絵画など、いくら頑張っても要約して書くことなど到底無理。もちろん撮影ダメなので、どう考えてもここで紹介できないのが悔しい。

シェーンブルン宮殿の裏手(と言っても広大な庭園)にある「ネプチューンの泉」

庭園の丘の上に建つ「グロリエッテ」。(対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊のために立てた記念碑)

ここのチケットも購入していたが、シェーンブルン宮殿の見学に時間がとられて、次の約束時間に間に合わないので見学は断念。
(「もう一度来なさい」と言うことにしておこう)

「約束」と言うのは、昨夜オペラ座で鑑賞したウィーンフィルのチェリストのシュテファンが、自宅の庭でバーベキューしようと、誘ってくれたこと。

シェーンブルン駅から2つ先の駅で下車。静かな住宅街だ。ウィーンの旅行客はたくさんいるが、ウィーンでのバーベキューを経験する人はなかなかないんじゃあないかと、少し自慢したくなる。

気持ちのいい庭だ。

シュテファンが焼き係。奥様は日本人のMさん。Mさんはヴァイオリニスト。現在は3人の子供たちの子育て中。

そこへ、同じくウフィルのチェリストのセバスチャンが家族で遊びに来る。こちらも男の子2人の子育て家族。

世界中を回って演奏活動するウィーンフィル。だからシュテファンもセバスチャンも家を留守にすることも多い。こんな家族との時間が大切なんだろう。ともかく元気のいい子供たちだ。

シュテファンもセバスチャンも日本が大好き。次回の来日での再会を約束して記念撮影。時間があれば、豊岡にも遊びに来てもらおう。

フォルクスオーパー歌劇場。

オペラ座に次ぐ、ウィーンで2番目に大きな歌劇場。約1500名入る客席。バレエ公演やオペレッタも上演される「大衆オペラ座」と言う意味らしい。

オペラ座に比べ、こちらはもっと市民に身近な感じがする。実際に来ている人たちは、夫婦、子供づれ、ちょっと聴きに行こう、みたいな片意地はらずな雰囲気がとてもいい。

今日はヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」。

招待してくれたのは「子供たちが豊岡で世界に出会う音楽祭」(兵庫県豊岡市)で毎年、豊岡に来るチェリストのマイケル・ウィリアムズさん。(写真中央やや右のチェリスト)

ウィーンに来て、オペラ座で「ドンパスカーレ」(ドニゼッティ作曲)とフォルクスオーパーで「こうもり」(ヨハン・シュトラウス2世作曲)の2本のオペラを、しかも、最高の席で鑑賞できるなんて、なんと言う贅沢で幸せな時間。ウィーンに、そしてウィーンの友人に大感謝!

オペラ『ドンパスカーレ』〜ウィーン国立歌劇場

初めてのウィーン。
マップを見ながら、中心市街を散策。

ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂。
もとは1137年に建てられた教会を14世紀にゴシック建築様式に建て替えられる。

今回のウィーン訪問の目的の一つは、ウィーン国立歌劇場(オペラ座)でのウィーン・フィルのコンサート。

到着した日の夜に、さっそくオペラ座へ。
ライトアップが美しいオペラ座。
ここぞと着物姿の妻。

場内へ入るまでの館内がまた豪華絢爛。

今夜のプログラムは、ドニゼッティのオペラ『ドンパスカーレ』。
開演前からステージでは、何やら出演者がもう登場している。

あとで紹介するウィーンフィル・チェリストのシュテファンが招待してくれた席は、なんとバルコニー席。しかも最下段の一番いい席。こんな風に、初めてのオペラ座で、ウィーンフィルの歌劇を観るなんて想像以上。

開演前のオーケストラ・ボックス。
チェロの右から二人目がシュテファン。

2002年、養父市のチェロ・コンクールの際に、我が家にホームステイ。その時に、チェロが壊れると言うとんでもないトラブルがあったり、すごいドラマが。

そんなご縁で、以来 16年のお付き合い。ウィーンフィルが来日した時は、サントリーホールでの演奏会に招待してくれたり。

ウィーンフィルのチェロの位置は中央。だから時々、NHKで放映されるウィーンフィルの演奏映像には、中央にシュテファンが映ることが多い。

今日は、生シュテファン、しかもウィーンで。

いつか来たいと思っていたウィーンのオペラ座。
夢のような時間でした。

ドイツ最高峰ツークシュピッツェ〜アルプスを楽しむ

ドイツ最高峰ツークシュピッツェへの登山口。ミュンヘンから電車で約1時間30分でガルミッシュ駅に到着。

ここがガルミッシュ・パルテンキルヒェンの町。
ガルミッシュとパルテンキルヒェンという二つの町が隣り合わせ。人口3万人足らずの小さな町だ。

ガルミッシュ駅を降りると、すぐにバイエルン・ツークシュピッツェ登山鉄道の駅がある。30分ほど待って登山鉄道でのろりのろりと山頂へ向かっていく。

前方には、ツークシュピッツェ(標高2962m)、そのすぐ手前にはアルプシュピッツェ(標高2628m)が見える。

登山鉄道は、ゆっくりゆっくりと進む。
途中、アイプ湖が藍色の湖水が目を引く。

標高2650mが登山鉄道の終着駅。
そこからさらに、山頂ロープウェイに乗り換えて山頂へ。

山頂からの眺め。
イタリア、オーストリアのアルプスの山々が観える。

こちらはドイツ側。
写真右側の町が、登山口となるガルミッシュ・パルテンキルヒェンの町。左側がアルプ湖。

下に見えるのはオーストリアの村々。
こちら側に降りるルートもある。

頂上にある展望レストラン。
空気が薄いので休憩したくなる。
新しい施設にもレストランがいくつか並ぶが、人気は俄然こちら。

私は迷わずコレ。
ソーセージとザワークラウトとポテト。
山頂で飲むビールは格別。

こちらはドイツの登山名物。
山に登ると甘い食べ物が欲しくなる。
(名前、確認中)

ビールで一息ついてから、山頂の展望台をもう一度ぐるりと回る。
時間が経ち、太陽の光の向きが変わると、観えてくる山々の表情も変わる。

あちらが本当の頂上。岩場のロープに捕まりながら登るルートがあるが、これは登山経験者でないと誰でもという訳にはいかない。

360度の山頂パノラマを堪能して、同じルートで下山。

帰りの電車までに少し時間があったのでガルミッシュ駅周辺を散策。

駅から徒歩10分ぐらいのところにある「リヒャルト・シュトラウス広場」。『アルプス交響曲』を作曲したのは、ここガルミッシュだったのだろうか。(宿題とする)

快晴に恵まれたドイツ・アルプス。
充実した1日だった。

ノイシュヴァンシュタイン城〜ルートヴィッヒ二世への旅

今日は、ルートヴィッヒ2世への旅。

リンダーホフ城(Schloss Linderhof)を訪ねる。 ルートヴィッヒ2世がフランスのロココ様式で造らせた城。1874年〜1878年の4年かけて完成。

建設の目的は隠遁用という私的なもので、威嚇しようとしたものではない.

噴水池からは、数分ごとに高さ30mにもなる水柱が立つ。

庭園の噴水横にはあるヴィーナス像。

当然ながら、城内は撮影禁止。中にこそルートヴィッヒ2世の人となりが伺える空間や品々があるのに、紹介できないのは残念だ。

アルペン街道と呼ばれる道をバスで東へ移動。
切立つ山の間にある平らな草原。
日本であれば、渓谷となり川が山を削る。しかし、こちらはかつて氷河が大地を削ったから、平地となったとの理解でいいのだろう。

1時間弱バスで走ると、フレスコ画が描かれた小さな村に到着する。
村の名はオーバーアマガウ。

10年に一度、上演される『キリスト受難劇』(Passionsspielen)で有名な村。

1632年にドイツではペストが猛威を振るい多くの人々の命を奪ったが、ここオーバーアマガウは、被害が少なかった。村の人は神に感謝するために村人総出で上演して来た。1634年以来、380年余り続く。上演の年には50万人の人が村を訪れる。

村の散策。

シュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)。

ルートヴィッヒ2世が17年の歳月をかけて、19世紀後半に築城。
城へと続く道の途中にかかるマリエン橋からの光景。

作曲家リヒャルト・ワグナーのパトロンとしても有名なルートヴィッヒ2世。城の名前となったのは「ローエングリン」から来ている。

ノイシュヴァンシュタイン城から見た風景。