冬の合間

ぐずぐずする天気が続くが、どちらかと言えば暖かい冬。
周期的に快晴の日がやってくる。

自宅裏の円山川。
静かな佇まいに心が和む。

ケヤキの葉が落ちて、江原河畔劇場が透けて見える。
川面にはカモが群れている。

ツバキ 白玉〜ひっそりと

ツバキ 白玉(ツバキ科)
名とイメージの一致するのは蕾。小ぶりの蕾が、丸くて白い。花の咲き始めは開き切らない筒咲きながら雄しべは、やや展開する。蕾の色や形は加茂本阿弥に似るも、一回り小さい。古くから茶花に好まれ、森富夫氏によれば、白玉椿の名は室町時代、堺の天王寺屋宗達の茶会記に四回出るという。
『花おりおり その五』 湯浅浩史・著

どうもツバキは我が家の庭では育たないジンクスがある。確かにここぞという場所に植えていないというハンディ(?)はあるものの、普段からあまり目にすることがない。妻も茶花にツバキをと庭に出るが、どうもこれぞというのがなくて残念がっていることが多い。

神戸経済同友会幹事会〜兵庫の発展と神戸港の歴史

神戸経済同友会の幹事会と車の定期点検を兼ねて神戸へ。
会場はホテルオークラ神戸。往時の神戸を連想しながら海岸通りを歩く。昔から神戸は好きな街なんだけど、人口減少(転出増)が気になる。なぜなんだろう?

代表幹事の井谷憲次氏(TOA(株)取締役会長)より「令和6年度 事業計画(案)」の発表があり了承される。

一貫して兵庫経済の発展を目的とするのが神戸経済同友会。会員自身と各社の成長そのものが地域課題を解決し経済の活性化に繋がる、という趣旨。(言わずともその通りなのですが)。
今回特に強調されたのは、企業規模、個人や地域の特性を超えて、多様な交流の場を設けて活動すること。

2025年の大阪・関西万博を控えて兵庫経済も活性化し万博の成功に寄与したいものです。特に兵庫県北部に位置する但馬への誘客が重要なポイント。私たちにとってもインバウンドにとっても兵庫県の多様性を知ってもらい楽しんでもらいたい。

今月の会員講話は、(株)大森廻漕店の須藤明彦 代表取締役会長。

昨年、創業150年を迎えられた会社と神戸港の歴史を重ねながらのお話。明治維新(1968年)と共に開港した兵庫港(現・神戸港)。大森廻漕店は5年後の1873年に創業。

興味深かったのは、神戸港は「戦争と災害」により発展成長してきたこと。有事に発展するのは必要とされる裏返しでもある。平時では意識しないが、まさに重要な役割を果たしている証でもある。

西南戦争(明治10年、下関へ兵士、物資を運ぶ)、日清戦争(明治27年)日露戦争(明治37年)、第一次世界大戦(大正3年〜7年)、関東大震災(大正12年)、満州事変(昭和6年)、朝鮮動乱(昭和25年)と続く。

大森氏は「皮肉にも」と前置きして発表されましたが、まさに戦争と災害時に人的物的輸送が急増する。その度に、港湾が増強され、整備され、拡大していく因果関係がある。

昭和43年に摩耶埠頭に日本初のコンテナターミナルが完成し、神戸港は日本を代表する港湾として飛躍していく。ポートアイランド(昭和45年)、六甲アイランド(昭和60年)へと続く。

そして阪神淡路大震災(平成7年)が発生。
神戸港の復権へと現在に繋がる。
港から見た近現代史はなかなか興味深いお話であり、多くの学びとなりました。

舞踏 但馬風土記『城嵜霊湯縁起』〜大駱駝艦・田村一行舞踏公演

大駱駝艦・田村一行さんの舞踏公演が今年も2月にやってくる。

豊岡市民プラザ自主事業で今年で9回目。
(うち7回は観ている)毎年楽しみにしている公演。

振り返れば毎年この時期にこの舞踏公演のことを書いている。私が舞踏に嵌まった経緯は昨年の『但馬夜話蒐集録』〜舞踏 但馬風土記 に書きました。初めて観た衝撃は今でも忘れられない。

昨年6月にも但馬コネクションのゲストとしてお迎えし『但馬を踊る』というテーマで講演いただく。予定時間超過する熱い熱いお話でした。

このシリーズは市民参加型の公演が特徴。毎回、何人かの知人・友人も出演。今年はシェアハウス「江原101」に住んでいるRちゃんが出演する。さてさて、どんな身体表現か、今から楽しみにしています。

舞踏公演、未体験の方もぜひ観に行きましょう。

舞踏 但馬風土記 『城嵜霊湯縁起』
2024年2月18日(日) 14時開演
豊岡市民プラザ

一般2,000円 大学生1,000円 高校生以下 無料

今朝の主役は月

朝7時。
薄っすらと白くなった2階ガーデンと裏山。
月が見えますか?

もう少し上に向けると。
見えますね。

有明の月。

我が家の初釜 2024年

我が家の初釜(1月7日)。
今日庵の初釜と重なり、一目散で京都から帰宅する。

腰掛け待合は囲炉裏。

コロナ以来、濃茶本来の回し飲みを止め、今は各服点(かくふくだて)で一人一碗で戴く様になっていることが多い。

先日の京都での茶事でヒントを得て、一碗で人数分の濃茶を練り、小ぶりな茶碗に分ける。そこで登場したのがこの片口の茶碗。この為にあったのではないけど、作者は今日の亭主の陶芸家Mさん。なかなかいいアイデアだ。

後炭。

薄茶は和気藹々と。
お干菓子も楽しく。

裏千家今日庵にて初釜(令和6年辰年/2024年)

昨年に続き、裏千家今日庵初釜に行って参りました。

初釜の「会記」(茶会の記録)。
(許可を得て撮影しています)

今年も「立礼」(りゅうれい)のお席。
最初に坐忘斎家元と今年101才になられる鵬雲斎千玄室様の新年のご挨拶で始まる。
濃茶席の亭主は坐忘斎家元。
干支にちなんでお軸は「龍虎」。

主菓子は、恒例により川端道喜の「花びら餅」。
薄茶席は、薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)。

コロナ以前は、茶席で御神酒もいただきながら食事をしました。現在は、お土産と共にお弁当をいただき持ち帰る。

簡素化する初釜。
時代の変化と共に茶会のやり様も変わっていく一つの動きかもしれない。

“An Evening With Herbie Hancock and Chic Corea in Concert”

“An Evening With Herbie Hancock and Chic Corea in Concert”

1 Someday My Prince Will Come
2 Liza
3 Button Up
4 February Moment
5 Maiden Voyage
6 La Fiesta

Recorded in 1978

ハービー・ハンコックとチック・コリアのアコースティック・ピアノ2台によるデュオ・コンサートの録音。当時、マイルス・ディビスのコンボに入れ替わり参加していた2人。エレクトリックピアノも駆使していた2人が、アコースティック、しかもデュオでとセンセーショナルなコンサート。曲も”Maiden Voyage”や”La Fiesta”など、ハービーとチックの代表曲を演奏する。スペシャルな企画。

1978年に突如組まれたツアーで、サンフランシスコ、ロサンゼルス、アナーバー、サンディエゴと回り、そして日本武道館で唯一の公演が行われた。

しかし1978年の武道館公演は、もちろん沢山の観客を動員したのですが、1公演のみということもあり幻の公演となってしまいました。翌年には先のライヴ2作が発売され、そんな事があったのかと後で知ったファンが地団駄を踏んだという逸話が残っています。しかし翌1979年には”ライブ・アンダー・ザ・スカイ”で再度ここ日本で二人のピアノ・デュオが実現し、多数のファンが溜飲を下げたのでした…本作は、その未だに伝説として語り継がれる1978年2月15日東京武道館に於けるたった一夜限りの幻の公演
(Herbie Hancock and Chic Corea DUO BUDOKAN 1978 解説より)

実はこれ「幻の公演」のチケット。(ぇへん!)
1階D列(ここまでは覚えていませんでしたが、いい席で聴いているんだ)

このただ1回の武道館公演に行きました。公演のセットリストを見ると”Someday My Prince Will Come”、”Maiden Voyage”、”La Fiesta”もみんなライブで聴いているんです。(自慢)

なんか当時の感動が蘇ってきました。上記3曲、聴いてみてください。
“Someday My Prince Will Come”(音声)
“Maiden Voyage”(音声)
“La Fiesta”(音声)

『誰が国家を殺すのか』 塩野七生・著

この頃では大衆迎合政治という意味でポピュリズムというらしいが、昔の日本人が翻訳した「衆愚政」のほうが的を射ているのではないか。愚かになったのは大衆だけでなく、指導者たちまでが愚かになったのだから。それに、大衆の考えが正しければ迎合してもいっこうに不都合ではないが、怒りと不安に駆られ、それを他者に責任転嫁する一方になってしまっては、正しいはずはないのである。ポピュリズムという、誰に責任があるかはっきりしない名称よりも、衆愚政としたほうが適切と思う。政治家も有識者もマス・メディアも行政担当者もふくめたわれわれ全員が、「愚か」になってしまったという意味で。
『誰が国家を殺すのか』 塩野七生・著
(「民主政が「取り扱い注意」と思う理由」より p73)

『文藝春秋』2017年10月号〜2022年1月号に投稿したもの。

2000年前のローマでは、4年でコロッセウムを完成させたのに、現代のイタリアは病院一つ建てるのに30年かかってしまう、と嘆く。公共事業を採算度外視してもやるのか、需要の見込みがたたないとやらないのか。つまり「政治」と考えるか、「経済」と考えるかの違い。

との命題から始まる。

「諸行無常、盛者必衰」の人間世界の「理」を、歴史上の政治家や民衆を例に出しながら「国家」を問うていく。

現在は私たちは、日本政治の朽ちた現実を目の当たりにしている。
「選挙のための政治ではなく、日本のあるべき進べき道を示す政治」にしなくてはならない。