自転車のこといろいろ〜神鍋高原で一漕ぎ

クイーンの映画を観たからではないが、BICYCLE、BICYCLE、と口ずさみながら自転車の埃を払って、車へ。

2016年3月の台湾での事故後、2年ほど車の運転を自粛していた。その間に始めたのが自転車。ウォーキングとサイクリング(と言っても自宅周辺を30分程度)を繰り返しながら、体力の回復を図った。

自宅周辺にはサイクリングに適した道路がないので、少し遠ざかっていたが、何とか復活したいと心の奥では思っていた。

今年10月、レンタカーでのドイツの旅では地方の小さな町もいくつか訪ねました。どの町を訪ねても自転車を楽しんでいる人たちがいて、特に週末などは、家族や友人たちと自転車専用レーンを颯爽と走る姿が目に止まりました。よーし、帰国したら自転車を再開しようと決意。

そこで考えついたのが、自転車を車に積んで、自転車に向いている気持ちのいい場所に行こう。そこで、漕げばいいじゃあないか。

と、言うことで、まずは車で15分ぐらいの神鍋高原へ。久しぶりに全身に受ける風が心地よい。ただ、アップダウンがキツイので、徐々に始めないと。

冬が近いので、さてどこまで復活できるか?。
頑張ってみよう。

ウォーキングで見つけた秋

毎年この時期になると、庭のモミジの落ち葉が一面を赤に染める。竹箒で掃いてしまうのを躊躇する。我が家の秋の一場面。ウォーキングはここから始まる。

出張や雨のため、今年の秋のウォーキングは、飛び飛びになっている。その分、季節が進んでいるのを見つけるのが楽しみだ。

この実はなんだろう?
ナナカマド?
沈む夕陽をバックに。

ウォーキングのご褒美は沈みゆく夕陽と山々の稜線

草刈りを終えた円山川堤防。

9〜10月のドイツ旅行や仕事・プライベートの用事などで久しぶりのウォーキングコース。どんな「秋」に出会えるか探しながら歩く。

日が落ちる山の稜線が美しい。
四季折々の美しい夕陽と稜線が、ウォーキングのご褒美。

秋、見つけられるかな?

大阪、神戸、東京、と移動の多い2週間だったので、ウォーキング・コースを歩くのは久しぶり。

秋、見つけられるかな?
と、そんな気持ちで夕暮れのウォーキング。

できるだけ遅くスタートして、夕陽が落ちるのを見たいと思った。

18時を越してスタート。
確実に日暮れは早くなっている。

待望の雲

おおぅ、雲だ!

新鮮(久しぶりに出会う黒い雲)、
有難い(みんな干上がってる)。

このアングルから見える夕焼け、ひこうき雲、新緑の山々など数々アップ。
一面の雲の写真はこれが初めて。
それだけ、待望していたということか。

ひこうき雲〜♫ゆらゆらかげろうか

台風が去ったからでもないだろうし、
火星が接近しているからでもないだろうし。

夕焼け空が「ひこうき雲」で賑やかだ。

豊岡市上空は、関空着陸前の国際便飛行ルートなんですよね。

ちょっと秋っぽい雲に見えるのは、
猛暑の終わりを期待する願望からか。

大岡山に日が落ちる。

夕暮れに救われる〜豊岡は38.9℃

豊岡の最高気温38.9℃、本日の全国一。
日中は、肌を刺すような熱射。

夕暮れどきを待ってウォーキングに出かける。
川風に吹かれて少し涼しさを取り戻している。

大岡山に陽が落ちる。
透き通るような山々の稜線が美しい。
猛暑続きのせいか、夕暮れの空気感が違う。

酷暑の中の幸せな一瞬です。

ムラサキツメクサ〜猛暑にも負けず

ムラサキツメクサ(マメ科)
明治初期に牧草として北海道に導入され、日本全土で野生化している多年草。赤紫色の花を咲かせるのでアカツメクサと呼ぶが、ムラサキツメクサが正式名称の和名として使われている。花の咲く時期には立ち上がりよく枝分かれする。葉腋に長さ1.5cmほどの花が球状に集まって咲く。草丈は20〜60cmで、茎には白い毛がある。小葉は長だ円形で先がとがり、V字形の薄い斑紋が入ることが多い。日当たりの良い道端や荒れ地、田畑の周りなどに生える。
『色でみわけ五感で楽しむ野草図鑑』 高橋修・著

いつものウォーキングコースは四季折々の風景が楽しみの一つ。早春には可憐な花があちこちで咲き乱れる。しかし、この猛暑の中では花も一段落。

そんな風景の中で、ただこのムラサキツメクサが足元を楽しませてくれる。目立つには咲く時期も大切かも、と人間の勝手なエゴを胸に押し込みながら歩く。

大雨後の河川ゴミ

先週の大雨は、西日本各地で死者200名を超える甚大な被害がでた。梅雨の大雨で今回のように増水した記憶は確かにない。「100年に一度」「50年であるかないか」などと表現するが、ここ数年で何度も発生しているので、災害への認識を変えることの方が大切のようだ。

いつものウォーキングコースは、平常の水位に戻っているが、増水で流れてきたゴミが木にひっかかる。いつも畑で作業している人の姿が見えない。