田植えと夕暮れの車窓

青山界隈をウロウロとした後、豊岡へ帰る山陰線の「特急きのさき」の車窓風景。水を張った田んぼの風景にホッとする。

沈む夕陽に向かって由良川の横を行く。

東京から地方へ移動する時のダイナミックな風景の変化も楽しいもんだ。

もう田んぼに水を

急遽、東京へ。
新幹線の窓からの風景は、もう田植えの準備。
あちこちの田んぼに水が入る。

田の水面に映る景色が美しい。
この光景を見るのが楽しみだ。

初めての山口市〜中国・九州の旅(6)

最後の訪問(宿泊)地、山口市。今回は自由に行程を組み、移動距離をみながら宿泊地を決め、前日にネットでホテル予約。最後は、ここ湯田温泉。えっ?市内に温泉と思ったが、なるほどこういう立地かと眺める。城崎温泉の近くに住む者としては少し馴染めない。

ホテルを出発して車で約10分。曹洞宗の寺院「瑠璃光寺」。満開の梅が迎えてくれた。ここは梅と桜の名所。

国宝の五重塔。大内氏全盛期の象徴でもある。1442年(嘉吉2年)ごろに建立。

大内弘世公之像。
大内弘世(1356年〜1400年)。室町時代、大内家第25代当主。
足利義満に対し、応永の乱を起こし、敗れ没す。

京を愛し、京を模してこの山口の町を作り上げる。まさに山口は「西の京」と云われる所以である。

「枕流亭」。幕末にこの「枕流亭」で薩長連合を組むための密談を重ねたという。

元々は、豪商阿部家の「離れ」として存在。藩主毛利氏の参勤交代の時に山口での本陣に使われた。1960年に現在の瑠璃光寺横(香山公園)に移築された。

幕末、この枕流亭で薩長連合の密談が交わされた。

薩摩藩からは西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らがここに宿泊し、長州藩からは木戸孝允、伊藤博文、品川弥二郎、広沢真臣らがここに迎えた。

この2階の部屋は、ほとんど当時のままだそうだ。周りの風景こそ違え、この部屋で薩長連合の相談をし、倒幕、そして明治維新へと邁進した日本を思い浮かべる。

今回の旅の最後に相応しい訪問となった。

八女から門司へ〜中国・九州の旅(5)

今回のテーマは「茶の湯」。
柳川から八女市星野村へ車で約1時間。
山の斜面に茶畑と集落がある。

日本茶の最高峰と云われる「星野玉露」。星野川沿いの霧深い気候と立地。肥沃な土壌が最上の茶葉を育てるのだろう。

星野村の中心部へ行く途中で、脇の道に入ると星野製茶園がある。ここでは本格的に抹茶の製造も行なっている。玉露と共に、抹茶も購入。

星野製茶園
福岡県八女市星野村8136-1
0943-52-3151

旅も後半。帰りの方向に車を進めねばならない。八女茶の賞味もそこそこに出発。九州自動車道で北上し、門司へ。

来るときに本州側の突端「壇ノ浦パーキング」から眺めた関門海峡を、今度は九州側の門司から眺める。

門司港レトロ展望室(地上103m)から眺めた門司港。

日が沈みかけた海の向こうは、あの宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った「巌流島」が見える。来てみて初めてわかるのが旅のいいところ。壇ノ浦の合戦といい、現場を見るとまた興味が深まる。

しっとりと柳川〜中国・九州の旅(4)

今回は車での旅。ここまで来るかどうか迷ったが、やはりどうしても訪ねたい響きが柳川にはある。

柳川と言えば、柳川城のお堀を回る「川下り」だが、この日は雨。そこは割り切って、他の資料館を訪ねることにした。「柳川藩主立花邸 御花」。

1738年(元文3年)、柳川藩五代藩主、立花貞俶(さだよし)が移築。別邸となる。

7000坪の立花氏庭園。雨に煙る静かな佇まいが印象的。藩主立花氏が家族と和やかな時を過ごす為に設けた屋敷、というのが伝わって来る。

毎年2月11日〜4月3日に繰り広げられる「おひな様始祭」。ここ「御花」の西洋館の一室にも飾られている。柳川の習わしと聞く「さげもん」が飾ってある。

うちの庭師Kさんから柳川の名物は「うなぎ」、食べるなら「本吉屋」と出発前に聞いていたので(それもあって)、どうしても柳川に来ると「うなぎ」を食べて帰ろうと心に決めていた。

Kさんは、柳川で庭師の修行し、親方とした最初の仕事がこの「本吉屋 本店」の庭だそうだ。(それは深い思い入れがあるでしょう)

茅葺き屋根が残り、立派な建物にびっくり。さすが300年の伝統をもつ「元祖」であることに納得。

これが名物「うなぎのせいろむし」。初代からの秘伝のタレと蒸し方の技術を300年の間、忠実に継承してきたという。

「蒲焼」ではなく「せいろ蒸し」なので、フワッと、トロッと、口の中でとろけるような食感。そこに秘伝のタレが馴染んで、独特の風味がある。満足の「うなぎ」でした。

元祖 本吉屋
福岡県柳川市旭町69
tel : 0944-72-6155

秀吉のゆかりへ(唐津、名護屋、有田)〜中国・九州の旅(3)

博多を発ち唐津へ。約1時間半の運転で唐津へ到着。
白梅が咲き、一面にスイセンの花。
春だ。

「中里太郎衛門」」
静かな佇まいの家並みの中に陳列館がある。

400年の歴史を持つ唐津焼。中里太郎衛門は当代で14代目。
最初のコーナーは、陶房の職人さん達の作品(窯もの)が置かれ、奥から別棟に行くと代々の中里太郎衛門の作品(作家もの)が展示されている。

御茶盌窯跡(おちゃわんかまあと)。

国指定史跡。1734年(享保19年)にこの唐人町に築窯され、御用窯として用いられる。大正13(1924)年まで使用されていたものを保存。現在、中里家が引き継いで管理している。

「あや釜」に掲げてある資料

御茶盌窯跡の見学をしていると、そのお隣で陶芸をされている中里文子さんにお声をかけられ、唐津焼の歴史や中里家の陶芸の歴史をお聞きする。

唐津を出て約40分で「名護屋城跡」に到着。豊臣秀吉が大陸侵攻(文禄の役)の為に築城を命じ1591年(天正19年)に完成(わずか7ヶ月の期間で)。1598年(慶長3年)秀吉の死と共に廃城となる。わずか7年間の隆盛であった。

今回の旅の一番の目的地であった名護屋城跡。ここはボランティアのガイドさんをお願いして説明を聞きながら見学だ。

見えますでしょうか?
半島の中央あたりに名護屋城本丸。その周りをぐるりと全国から召集された大名の陣屋が配置されている。

本丸の東側から時計回りに見ると、
徳川家康、小西行長、前田利家、古田織部、鍋島直茂、加藤清正、福島正則、上杉景勝、島津義弘、湾を挟んで、黒田長政、毛利秀頼、真田信幸、石田三成など、藩主自身が皆、名護屋に集合。

名護屋城の一番高い天守台。(実際にはこの高さからさらに高い天守閣がある。)
ここに立つと、遠く対馬が観えるという。その先70kmで釜山。
秀吉の野望が現実的な距離で実感できる。

名護屋城跡の興奮冷めやらないまま、次の訪問地、有田焼の有田町へ。

柿右衛門

夕暮れ迫る中、有田焼の皿山通りをさっと見学。

一軒、一軒、立ち寄れなかったのは残念だが、17世紀前半から始まった有田での焼き物の立地、街の佇まいを知ることができた。

歴史をさかのぼりながら〜中国・九州の旅(2)

広島の朝。九州へ向かう前に「平和記念公園」へ。到着すると資料館の上空を何やら鳥の大群が飛んで来る。ハトはこんな編隊で飛んだりしないし、何だろう?とよく見ると「鵜」。カワウかウミウか分からないけど、これだけの数で飛ぶ姿は見たことがない。

まずは慰霊碑で手を合わす。原爆ドームを眺め、その時の人々を想う。

「平和記念資料館」で被曝の惨状を見る。広島市街地の原爆前と後と対比して見ることができる展示では、一瞬にして56万人の人々が被曝し、10万人以上の方がなく亡くなるという現実が示される。

資料館には外国人の来館者が目立つ。特に欧米からと思える若い人たちが多いように思う。今、世界は再び不穏な空気が漂い始めている。どんな思いで観ているのか。二度と繰り返してはならない。

関門橋(壇ノ浦PAより)

広島をあとにして西へ。関門海峡に差し掛かる。関門橋の手前にある壇ノ浦PAで一服。しばし、源平合戦に思いを馳せる。本州と九州を隔てる海峡がわずか600m。ここをタンカーや貨物船が行き交うとはちょっと信じられない。

今回の旅の最大のテーマは茶の湯。

「芦屋釜の里」(福岡県遠賀郡芦屋町)へ到着。こちらは福岡の「芦屋」。茶道では、室町時代に栄えた芦屋釜を復興させる事業が始まっている。

庭園には、工房や茶室、あずま屋、資料館がある。どれも隅々まで清掃管理されていて、芦屋釜の復興の熱意が伝わって来る。九州北部へ行かれる方は、ぜひ立ち寄って欲しい。

芦屋釜
南北朝時代から製作がはじまり、室町時代には茶の湯釜の名器として一世を風靡した芦屋釜。その歴史は江戸時代初期に終わったといわれていますが、芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、国の重要文化財に指定されている茶の湯釜9個のうち8個までを芦屋釜が占めています。
(芦屋釜の里パンフレットより)

「芦屋釜の里」から200mぐらい離れたところにある「芦屋歴史の里」(芦屋町歴史民俗資料館)。

研究員の方から、芦屋町の歴史を詳しく聴く。芦屋町は遠賀川を挟んで、芦屋地区と山鹿地区がある。居が山鹿にあったため「山鹿左近丞」と呼ばれた鋳物師の末裔が各地に散り、やがて山鹿素行→山鹿流(兵法)→赤穂山鹿流→山鹿陣太鼓(忠臣蔵の物語の中の創作)→吉田松陰(吉田家は代々山鹿流師範家)などと、時代と共に山鹿の名が繋がっていく。(歴史って面白いですね)

夕方になり、今夜宿泊の博多に向かうが、ちょうど同方向の途中にあるので「宗像大社」に立ち寄る。

天照大神御神の三女神を祀る。多数の古代祭祀の国宝、そして2017年に世界文化遺産(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群)に指定される。

夕闇迫り、短時間だったのが残念。機会があればまたゆっくりと訪ねたい。

博多のホテルチェックイン後、夕食。今夜はネット検索で美味しいレストランを見つけようと出かけるが、予約でいっぱいだったり、ラストオーダー間近だったりで難航したが、途中で見つけたイタリアンにする。カジュアルで素敵な雰囲気、出て来る料理もワインも本日の食欲にぴったりで大正解。ワイン食堂「根」

博多の夜の風景かな。

今日を振り返りながら。

初めての呉〜中国・九州の旅(1)

「てつのくじら館」(海上自衛隊呉資料館)

今冬の旅は、九州北部と決めた。テーマは、茶の湯に関係した場所を重点に訪ねる。とは言え、車で一気に九州までとは行かないので、広島泊の予定で出発。

まず、目指すは呉、戦艦大和。茶の湯とヤマト。直接関係ないが、日本の歴史を辿ることが重要だ。

「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)

「てつのくらじ館」と向き合って建つ「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)。戦戦前は東洋一の軍港。戦後は世界最大のタンカーをたくさん建造してきた造船所としての呉の歴史を辿る。

企画展『戦艦「長門」と日本海軍』を開催中。甲板で記念撮影する一般の人々の写真が印象的。

戦艦大和(10分の1スケール)

入館するとまず始めに目に飛び込んで来るのが「戦艦大和」。10分の1のスケール(全長26.3メートル)。戦艦大和の実際の戦闘を知らなくても、その巨大で当時世界最強と言われた戦闘能力、そしてその最後。なんとなく知っている大和の実戦記録、建造図面、写真などで学ぶ。

広島市内夕暮れ(ホテルの窓より)

呉の見学を終え、広島市内のホテル。ずっと昔、子供たちと一緒に中国地方を旅した時、経営者仲間と宮島に訪れた時、そして今回と3回目の広島。

料理「むら上」

旅の楽しみの一つは、その地方の美味しい食べ物。たまたま出発前の経営者倶楽部の知人から候補として聞いていた割烹に行く。丁寧な料理、味付けは京風。(マスターは京都出身)、地元の特別な日本酒(発酵途中)、これまた、こだわりのドイツワイン(ワインそのものではなく、お料理に合うワインとしてのこだわり)、どれもバランスよく、大正解の食事でした。知人に感謝だ。

料理「むら上」
広島市中区流川町2−24 ビトウビル
tel : 082-240-5188

但馬コネクション打合せ〜神戸

神戸のドイツ料理「エルナ・アドリアーン」で但馬コネクション3月セッションのゲストとの打合せ。

南ドイツ料理のレストランということで、昨年訪ねたミュンヘンを思い出しながらのランチタイム。

やっと本題 (^ ^;; 。

3月は「アイヌ文化」がテーマ。実際に北海道を何度も訪ねて得た資料やビデオ映像を紹介していただきながら本番の流れを確認しました。

2月下旬に「但馬コネクション」ウェブサイトでご案内しますのでお楽しみに。