いろ(紅葉)いろ(黄葉)

西湖根場(さいこねんば)集落の紅葉が美しい。

楓(かえで)と銀杏(いちょう)のコントラストが鮮やか。

秋、いっぱい。

秋が作り出す「赤、青、黄」。

住所は、
山梨県南都留郡富士河口湖町西湖根場2710

見慣れない漢字の配列が新鮮だ。^ ^

ああ、伊豆は雨だった〜修善寺温泉から三島へ

修善寺温泉に宿泊。

歌舞伎「修善寺物語」とか、川端康成「伊豆踊り子」などで「修善寺」という地名は知っているが、実際に訪ねるのは初めて。

この桂川を挟んで、温泉街が続く。竹林、赤い欄干の渡月橋があり、温泉風情を醸し出す。静かな佇まいの温泉だ。

温泉マップで見ると、22軒の旅館がある。考えて見ると、我が城崎温泉は、温泉情緒を保ちながら大きな温泉であることを再認識する。チェックアウトしタクシーの運転手に聞くと、「廃業したりしてもっと少ないですよ」と。

修禅寺

桂川を少し登ったところに「修禅寺」がある。
こちらは「禅」の字。

三島スカイウォーク

日本一高い富士山と、日本一深い駿河湾を、日本最長の大吊橋から眺める。
「日本一の景色」だそうだが、この日は雨。(t_t)
想像力を逞しくして観賞(感傷)。

完成オープンして3年。吊橋のスタート地点には「300万人突破」との看板がある。この橋だけで年間100万人とは凄い。中国人らしき観光客も多いのでインバウンドの来訪も多いのだろう。

三嶋大社

「御由緒」によると、
・創建時は不明。古くより三島大明神と称せられ、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神として信仰される
・中世以降、武士の崇敬を集める。源頼朝の旗揚げの地でもある。
・東海道五十三次「三島宿」(安藤広重)には、この鳥居が描かれている。

三嶋大社本殿

「権現造り」の本殿。本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級で高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なもの。
(見難いですが、奥の本殿に注目)

三島の名物は「うなぎ」ということで、人気店「うなぎ 桜家」で鰻重をいただく。レギュラー(鰻一匹)で4700円と、やはり鰻は高価な食材。
1.5匹、2匹という大盛りメニューもあるから驚きだ。
(手が滑って、ちょっと山椒かけ過ぎました)(^ ^;)

タレはあまり甘くなく、私にはちょうどいいお味でした。

「うなぎ 桜家」から徒歩1分、伊豆箱根鉄道駿豆線「三島広小路」駅。
一見、路面電車かと思える民家やビルが密集している間をぬって電車がやってくる。(のんびりして懐かしい風景だ)

JR三島駅まで一駅。
無性に「鰻」食べたくなる時があるが、「新幹線で「三島」途中下車して食べに行く」ってこともできそうだ。(^_^)

初・富士五湖めぐり

山中湖

「富士五湖めぐり」をすることになった。
「お弁当コウノトリの里」の理事役員旅行に途中から合流。

御殿場を出発し、山中湖からスタート。
あいにくの雨模様だが、徐々に天気が回復するのを期待できそうだ。

忍野八海

山中湖から河口湖へ向かう途中にある「忍野八海」(おしのはっかい)。

真ん中にある中池は水深7mの珪藻土で出来ている。
富士山からの湧泉で出来た池。
それぞれの池は深いところで繋がっていて魚が行き来しているそうだ。

ほとんどが中国人観光客。お土産物屋さんも賑わっている。
「日高の昆布」「南部鉄瓶」など、ちょっと産地が違うのでは?
「何でもあり」の特産品にはちょっと躊躇する。

北口本宮富士浅間神社

富士山登山者は、この「富士浅間神社」で安全祈願をしてから登る。
樹齢1000年以上と思えるたくさんの杉の巨木が印象的だ。

西湖

五湖のうち、リゾート地、観光地として開発されているのは「山中湖」と「河口湖」の二つ。

残りの「西湖」「精進湖」「本栖湖」は、湖畔のキャンプ場や数件の旅館などが点在する。ゆったりとオフを楽しむには、こちらの方が良さそうだ。

西湖いやしの里根場

西湖の西北に位置する根場(ねんば)集落。昭和41年の台風災害により集落毎移転し、その後、伝統の茅葺民家を復元したもの。

「かぶと造り」と呼ばれる茅葺民家は、京都・美山や白川郷のそれとは違う風情があってとても興味深い。

正面には富士山が見える(はず)。

紅と黄の紅葉が美しい。
入り口近くの茅葺民家が食事処担っている。

 

ほうとう

甲州名物の「ほうとう」。
初めて食べたが、なかなか美味しい。
きしめんのような、平たい麺と味噌味が特徴。

「本栖湖」。
こちらの人気スポットは、千円札富士山のビューポイント。
千円札をチェックする。

ちょうどこの瞬間、雲間から富士山頂が見える。
なるほど、ぴったりと一緒。
(どうぞ、千円札を取り出して、この写真と比べて見てください)

白糸の滝

五胡を巡った後、山梨県から静岡県に入る。

富士宮市の「白糸の滝」に立ち寄る。
富士山の湧水が約150mにわたって流れ出て滝となる。

この辺りの地層は、下部に不透水層の古富士泥流堆積物が、上部に透水性の新富士溶岩流。
白糸の滝は、崖面として露出し、幾筋もの滝となって流れ落ちている。

最近、地形、地質に興味がある私にとって、富士五湖めぐりは、なかなか面白い小旅行となった。

利賀村(その2)〜演劇の舞台・建築・施設

円形劇場

『世界の果てからこんにちは』の舞台になった「円形劇場」。

設計は建築家・磯崎新氏。

ギリシャ悲劇が演じられたギリシャの円形劇場がモチーフになっているのだろう。観客席から見た舞台の後ろには池。池の向こうには、向こう側の山が背景となっている。ちゃんと利賀村なのである。

新利賀山房

こちらは「新利賀山房」。
こちらも磯崎新氏の設計による。

この会場で行われるイベントの開始を待つ観客。
山に囲まれ、利賀村の茅葺き屋根に合わせた外観は、まるで村の祭りを見物に来た人たちにようだ。

総合案内所。開演を待つ平田オリザ氏、中貝豊岡市長夫妻と妻。

利賀芸術公園の中央にある「総合案内所」。
SCOTのオフィス、休憩所、トイレなどが集中して設置してある。

戸建になっている宿泊施設

ユニークなデザインの宿泊施設。1階部分は駐車場にも、テーブル、ベンチを置いてミーティングもできそう。ドアから中に入って2階に一部屋がある。

ゲストハウス

演劇祭のシーズンには、世界から多くのアーティストや演劇関係者やファンがやってくる。舞台ばかりでなく、長期滞在型の宿泊施設は必須。

地元行政や経済界からの支援の積み重ねか。インフラの整備は一朝一夕でできるのものではない。40年の歳月の重みを感じる。

鈴木忠志トーク(新利賀山房のステージ)

チラシには「毎夏恒例、鈴木忠志が観客の皆さんのどんな質問にも答えます」とある。

出だしから、「はい、質問は?」で始まるのでびっくり。

満員の会場のアチコチから手が上がる。鈴木さんがアトランダムに指を差して質問者を決め、その問いに答える。

「女優の声の低いのはなぜ?」「異なった言語(中国語、マレーシア語、日本語など)で演じる芝居の意図は?」「後継者は?」など具体的でストレートな質問が立て続けにでる。

全ての質問に真摯に答える鈴木氏。
具体的な質問ではあるが、その背景、その奥に潜む本質を語る鈴木氏。

結果として、鈴木忠志の演劇論、日本論、世界観そのものが浮き上がる。

42年ぶりの利賀村へ〜劇団SCOT

ここは富山県南砺市の渓谷。
あと10kmで利賀村に到着する。
劇団SCOTのサマーシーズン公演の観劇である。

1976年、鈴木忠志率いる早稲田小劇場が突然、利賀村に拠点を移す。その第1回公演にこの利賀村に来て以来、42年ぶり。

その後、SCOT(Suzuki Company of Toga)として利賀村にて演劇活動を行なってきた。

4月に鈴木忠志さんが「舞台芸術財団演劇人会議」(豊岡市KIAC)に来られた時に、「利賀村においで」とお誘いを受けたのがきっかけ。それでなくても、行きたい、行きたいと思っていましたが。

会場は巡回バスが走っている

会場は、利賀山房、野外劇場、岩舞台、利賀大山房など、芸術公園として歩いて巡回もできるし、巡回バスに乗って移動もできる。

鈴木忠志(早稲田小劇場)が引っ越してきた当時は、村の人口は1500人だったそうだが、今は500人。加速しながら過疎が進んでいる。

「みんな東京へと向かうのに、東京から誰が何のために来たのか」と当所、村民の人たちは訝しんだそうだ。(そりゃあ、そうだな)

利賀村の「体育館」は「利賀大山房」となり、ここでも公演される。

もともとある村の施設を使用し、芝居もできる空間に舞台や客席が設えてある。

「利賀大山房」から百瀬川を渡った所にある「グルメ館」。

グルメ館の中は、麺類、カレー、パン類、中華、デザートなどどれも丁寧に調理された美味しい食事ができる。

特に、中華は北京郊外の「古北」から料理人が来て、本場の北京ダックや餃子、炒飯など舌鼓を打つ料理がズラリ。

夜は、野外劇場で『世界の果てからこんにちは』

まさに「夢を見てるのか」と思うほど、幻想的シーンが続く。

1991年から、毎年演じられる人気の演目。照明器具会社の社長の友人である江戸時代から続く「花火師」の一言からこの芝居ができたそうだ。

「ここで花火を使った演劇が考えられませんか」

花火の上がる芝居が観られるのは世界でここだけだろう。
野外、劇場のある環境、住民の理解、消防法などの様々な規制をクリアしないと実現しない。

「日本人の特質は何か」を問題定義する意図で鈴木忠志の作・演出。

コラージュの手法で、第二次世界大戦の敗戦、戦後の復興での日本人の精神性を表現する。

戦後の一つ一つの記憶を切り取り、非日常的世界を創出する。
慣れてしまった日常への疑問、別の視点を目覚めさせる。

私がかつて観た「早稲田小劇場」は、まさにここに生きていた。

ひょんなことから念願かなう叶う〜京都・祇園/割烹『「大神』

厚い雲に覆われる京都四条鴨川。

午後出発で富山県へ向かう予定が、北陸地方の大雨の影響で、全ての特急サンダーバードが運休。すでに山陰線で京都へ向かっていたので、急遽、京都で一泊することに。

そうなると、パッと頭を切り替えて、ホテルと今夜の食事の予約。どちらも思ったところにバッチリ予約完了。

食事は、過去何度も満席で行ったことがなかった祇園・割烹「大神」。京都の知人おススメの店。

日本料理。食材は季節の物が中心になるのは当然だが、その組み合わせが絶妙。「ちょっと季節が遅くましたが、鮎を」と出てきたのがこれ。鮎の内臓の苦味をうまく仕込む。

お料理の盛り付けも素晴らしい。

料理に合わせてどの器も凝っている。

釣りが大好き。昔は猟もしたというマスター。料理の腕とセンスが抜群で独創的。

最後に、土鍋ご飯。中身はたくさんの食材のなかからお客のリクエスとに応えてくれる。こちらは4人にいるので、特別に、レンコンと小エビの2種類で炊いてくれた。

あっという間の3時間半。
本当なら金沢・富山へいるはずの夜。
天候のせいで、京都での思わぬご馳走となる。

京都/祇園 割烹
『大神』
京都市東山区末吉町88
電話: 075-533-1611

建て替え中の大丸心斎橋店

大阪・大丸心斎橋店の建て替え工事が続いている。

既存は、1933年(昭和8年)完成、アメリカの建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計によるクラシックな建物であった。内装はアール・デコ調のデザイン、外装はゴシック調の格調高いものであった。

御堂筋の反対側の心斎橋商店街のアーケード。通りに沿って工事の為の壁面が張り巡らされている。

私はハンガーの仕事をする前に、大阪のあるディスプレイ会社に勤務し、この心斎橋大丸店を担当していた。今から、約40年前の話である。大学卒業し、社会人として第一歩を踏み出す。全てが初めての体験。胸をドキドキさせながら、このアーケードの下を何百回、何千回、往来しただろう。今でも、ここを通るとその頃の心境が蘇ってくる。仕事の厳しさと、顧客に喜んでいただいた時の達成感とが入り混じる「私の仕事の原点」でもあった。

完成予想図。ヴォーリズの設計した外観を残し、その内側に高層建物を建てる計画のようだ。

今は、梅田(キタ)と難波(ミナミ)に挟まれた心斎橋。
その中心は、この大丸。
2019年の完成、開業を楽しみにしよう。

神戸に再接近

フラワー道路から北を向く。

神戸を意識する。

豊岡市生まれの私にとっての神戸。

県庁所在地、小学生時代は合唱県大会で神戸国際会館へ、カブスカウトで須磨のお宅へホームステイ、中学生時代は軟式テニスで神戸遠征。浪人時代は阪急六甲の下宿に1年間。

特に、親しみを感じたのは、大阪サラリーマン時代(阪急塚口に住む)に休日と言えば、三ノ宮や御影あたりをベビーカー押しながら散策。大好きで憧れの神戸でした。

豊岡に戻り、木製ハンガーの仕事を継いだ頃も、市場調査を兼ねて買い物(旧居留地、海岸通り、北野あたりのブティック)、食事(フレンチの「ジャンムーラン」、中華の「タオ」よく行来ました)にと神戸通いが続きました。

なぜか東遊園地にはモーツァルト像。

ところが、1990年代に入り、アパレルの中心が東京に移行すると共に神戸と疎遠に。1995年の阪神淡路大震災の時には、ハンガーの木端材を持って避難所での燃料にと通いました。それ以来20年以上、ご無沙汰状態。

昨年より、神戸経済同友会に入会する機会を得たので、再び神戸とのアクセスを強くして行きたいと思っている。地元紙の神戸新聞、兵庫県の機関との接触、など大好きな神戸に最接近。

山陰線の車窓から季節を感じる

JR山陰線の車窓からの風景がいい。
季節ごとに変わる山里の風景にはいつも魅了される。

もう20年も30年も、豊岡と東京の往復は続く。
JR山陰線を利用し、京都乗り換えで新幹線で東京へ。

この4時間半の時間を利用して読書タイム。
時折り、眺める車窓からの風景に毎回癒される。

山陰線の風景は、私の宝物だ。