石の上にも??? 苔?

生ゴミをコンポスターに入れたあと、ふと目に入ったのは石の苔。

昨年までは確かなかったけど、苔が生えてきた。
続けて頭を過ったのは「石の上にも三年」という諺。
待てよ?
「苔」の文言は出てこない。

「石の上にも三年」は、
冷たい石の上でも3年座り続けていれば暖まってくることから、辛くても我慢強く耐えていれば必ず成功することのたとえ。

苔と関係ないですよね。

苔の言葉が出てくる諺は「転石苔を生ぜず」。
転がり続ける石には苔が付かないことから、世の中に合わせ行動を軽々しく変える人は結局成功しないとの警句。英語の諺「A rolling stone gathers no moss.に由来する。

「辛くても我慢強く耐えていれば、いつかは必ず成功すること」(石上三年)
「転がり続ける石には苔が付かないことから、世の中に合わせ行動を軽々しく変える人は結局成功しない」(転石)
一方で、ポジティブな意味も、
「活発に活動している人は時代遅れにならない」(転石)

じ〜っとしていたのが良いのか、苔は生えた方が良いのか、生えないようにすべきか。

一体どっちなんだ?

石と苔を間違ってごちゃぜにした私に問題がありそうだ。> <

捨てられない画面

やっぱり捨てられない。
旧iMacのデスクトップ・ピクチャー。

約15年前の1月ある日の朝。
円山川にかかる霧の中に太陽が昇る。
うっすらと裏山と進美寺山が見える。

左が亡き父母の住んでいた家の屋根。
5年前にリフォーム(屋根も更新)して息子家族が住む。
右は祖父母が住んでいた家の屋根。
6年前に取り壊し、今は庭と畑になっている。

このレイアウトの写真は二度と撮れない。

ということで、新旧iMacの移動中なのだが、
なんだか旧マックが愛おしくなる。

門の脇で〜ユズリハ

ユズリハ(ユズリハ[トウダイグサ]科)
『枕草子』にユズリハの不思議な使用法が書かれている。大みそかに亡き人への供物の敷物にするという。平安時代には、お盆のように大みそかに祖霊が帰ってくると信じられていたのである。ユズリハの葉柄は赤く、得意的。この赤がいわれのある木にさせたのか。正月の歯固めの植物にも敷いた。
『花おりおり』 湯浅浩史・著

朝の陽光浴びて、ひときわ輝く葉が目に入りドキッとする。
毎日、眺めている(目に入っている)のに、あまり気づくことがないのに。
門を入ってすぐのところに生えている。名の通り周囲の木々に囲まれその存在を「ゆずって」いるのか。

よく知られているのは、名の由来は新しい葉が開くと古い葉が垂れ下がるから、と。
子に座を譲るという意味で一家の繁栄を願い新年の縁起物として正月に飾る。

今の我が家にぴったりかもしれないユズリハ。
気づいて良かったです。^ ^;;

ツバキ 白玉〜ひっそりと

ツバキ 白玉(ツバキ科)
名とイメージの一致するのは蕾。小ぶりの蕾が、丸くて白い。花の咲き始めは開き切らない筒咲きながら雄しべは、やや展開する。蕾の色や形は加茂本阿弥に似るも、一回り小さい。古くから茶花に好まれ、森富夫氏によれば、白玉椿の名は室町時代、堺の天王寺屋宗達の茶会記に四回出るという。
『花おりおり その五』 湯浅浩史・著

どうもツバキは我が家の庭では育たないジンクスがある。確かにここぞという場所に植えていないというハンディ(?)はあるものの、普段からあまり目にすることがない。妻も茶花にツバキをと庭に出るが、どうもこれぞというのがなくて残念がっていることが多い。

今朝の主役は月

朝7時。
薄っすらと白くなった2階ガーデンと裏山。
月が見えますか?

もう少し上に向けると。
見えますね。

有明の月。