『全ロック史』 西崎 憲・著

一般的な本三冊分ほどの分量になるので気の長い読書になるだろう。あるいは短い旅のようなものになるかもしれない。そして旅が人間を少し変える可能性があるように、本書もあるいはあなたを少し変えるかもしれない。いずれにせよ本書はロックミュージックについて書かれた本であるが、同時にロックミュージックに魅力を覚えたあなたについて書かれた本でもある。
『全ロック史』 西崎 憲・著
(「はじめに」より p10)

500ページの分厚い本。確かに三冊分、いやそれ以上あるのが実感。
夜寝る前にベッドに潜り込んでちょっとずつ読む。
2ヶ月ぐらいかかっただろうか。
睡魔がすぐにやってくる性分となんせ本が重いので。^ ^;;

19世紀後半から20世紀初頭のアメリカの大衆音楽から「旅」は始まる。ロックの始まりに直結したのはブルースとカントリーミュージック。そこに第一次世界大戦前後に黒人たちが南部から北部へ移動し、多数を対象にした路上やクラブでの演奏、電化した楽器を使う。「都市」がロックの萌芽となる。

ロックの最初の形は、ロックンロール。ビル・ヘイリー、チャック・ベイリー、エルビス・プレスリーへと繋がる。

ブルースやロックンロールが1950年代にイギリスへ渡り、1950年代にジョン・レノン(後にビートルズ)、グラハム・ナッシュ(後にホリーズ)、ジミー・ページ(後にレッドツェッペリン)たちがバンドを結成。(まだまだたくさんのロックミュージシャンも)
ここから、ビートルズ、ローリングストーンズ、フーへと繋がる。ギターのエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ページ、、、、(ああ、全盛時代の幕開けですね)

アメリカは1960年代にイギリスから逆輸入のような形で、ボブ・ディラン(エレキギター)、ジミ・ヘンドリックス、ビーチ・ボーイズが活躍。

などなどなど、こんなの書いていたら何百行にもなってしまう。
どうしよう??

私が付箋をつけたところのミュージシャンだけ紹介(名前だけだけど)していきますね。

・グラムロック〜マーク・ボラン(T・レックス)、デヴィッド・ボーイ、ロキシー・ミュージック
・パンクロック〜ニューヨーク・ドールズ、パティ・スミス、セックス・ピストロズ 
・現代音楽〜ジョン・ケージ、シュトックハウゼン、ブーレーズ
・ミニマルミュージック〜テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、ブライアン・イーノ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、マイク・オールドフィールド
・分野不能のバンド(??)〜クィーン
・ヘヴィーメタル〜ヴァンヘイレン、ガンズ・アンド・ローゼズ
ソフトロック〜キャロル・キング、ビリー・ジョエル、エルトン・ジョン、ジャーニー

ロックのジャンルは厳密な分け方は理解していませんので、筆者の著述通り。
後半はジャンルにも、時代とロックの繋がりにも、バンドにも、全ていけない。( ; ; )

ハード・コア、プログレッシブメタル、マッド・チェスター、シューゲイジング、、、まだまだあるある。ジャンル名そのものを初めて目にする。地図のない世界に入り込んだよう。(これが筆者が言う旅でしょうか)

最終番に「ロックと人種・階級・ジェンダー」「ロックと経済」、最後の章は「ロックとは何か」で締めくくられているが『全ロック』を一括りにするのは不可能。

筆者も最後のページで「結論のないのが結論のようなもの」と記述し、認めている。

聴き込んだバンドもいっぱいあるが、全て知っていたわけではないので、紹介されているアルバムで気になったものを聴いてみようと思う。
(今日のブログも何を書きたいのか、伝えたいのか、分からないものになってしまいました。そもそもその混沌がロックですね。)

懐かしの”グロービス”時代

書斎の本棚が本と書類でいっぱい。
いよいよ一部移動しないと新たな本やファイルが収まらなくなってきた。

何を移動するか悩んだ末に、まずはグロービス時代の教材ケース・スタディを移動しよう。
もちろん捨てられない。

2001年〜2005年にビジネス・スクールのグロービス東京校に通う。
この5年間は集中して経営について学ぶ。1992年に先代社長(父)から経営を引き継ぐ。バブル崩壊の厳しい舵取りをしながら、改めて経営の基本を学びたいと言う思いでグロービスに入学。いわゆるMBAの教科を受講する東京通いが始まった。

1ヶ月に最低2回東京へ、と言う生活が始まる。
その2、3年前に借りていたマンションが大いに役立つ。一緒に学ぶのは基本的に大手企業の若手中堅ビジネスマン。名刺交換するとみんな知っている有名企業ばかり。三菱商事、伊藤忠、ゴールドマンサックス、ソニー、リクルート、ベネッセ、沖電気、新日鐵、伊勢丹、資生堂、、、、。特に三菱商事のS君とは、その後家族ぐるみで一緒にイタリア旅行に行ったりと、今でもかけがえのない仲間。毎回クラスが終わると近くの居酒屋でいっぱい飲んで帰ったのが懐かしい。

KOH’s VIEW 「グロービスで学ぶ」 2005/4/21

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2週間毎にクラスがあり、最終講はレポートを提出して3ヶ月で1教科が終了する。

教材はすべてハーバード・ビジネス・スクールのケース・スタディ。
英語原本もすべて配布されるが、日本語訳のものでクラスは進む。

人生で何かに集中して取り組むことはいくつかあるが、40代のこの時期はこのグロービスにコミット。ケース毎に「あなたがこの会社の社長ならどうする?」と言う形式。ケースを読み、データを読み込み、着目点を決め、実行するための戦略・戦術を練る。週末の土日はほとんどケースと向き合い、結論を導き出し、次回のクラスに臨む。クラスではディベート形式でそれぞれの意見を述べ合う。正解はない。

これはBusiness Strategy(経営戦略)の私の最終回レポート。(思い出いっぱい!)
「英国EMIのスキャナー事業はアメリカにいかに進出すべきか?」と言うケース。

今回の移動は、このケース・スタディの教材とそれに対するレポート。今、久しぶりにパラパラとページを繰って見ると、これだけやったのかと我ながらに驚く。

私にとって有意義に過ごした大切な人生の1ページ。

『誰が国家を殺すのか』 塩野七生・著

この頃では大衆迎合政治という意味でポピュリズムというらしいが、昔の日本人が翻訳した「衆愚政」のほうが的を射ているのではないか。愚かになったのは大衆だけでなく、指導者たちまでが愚かになったのだから。それに、大衆の考えが正しければ迎合してもいっこうに不都合ではないが、怒りと不安に駆られ、それを他者に責任転嫁する一方になってしまっては、正しいはずはないのである。ポピュリズムという、誰に責任があるかはっきりしない名称よりも、衆愚政としたほうが適切と思う。政治家も有識者もマス・メディアも行政担当者もふくめたわれわれ全員が、「愚か」になってしまったという意味で。
『誰が国家を殺すのか』 塩野七生・著
(「民主政が「取り扱い注意」と思う理由」より p73)

『文藝春秋』2017年10月号〜2022年1月号に投稿したもの。

2000年前のローマでは、4年でコロッセウムを完成させたのに、現代のイタリアは病院一つ建てるのに30年かかってしまう、と嘆く。公共事業を採算度外視してもやるのか、需要の見込みがたたないとやらないのか。つまり「政治」と考えるか、「経済」と考えるかの違い。

との命題から始まる。

「諸行無常、盛者必衰」の人間世界の「理」を、歴史上の政治家や民衆を例に出しながら「国家」を問うていく。

現在は私たちは、日本政治の朽ちた現実を目の当たりにしている。
「選挙のための政治ではなく、日本のあるべき進べき道を示す政治」にしなくてはならない。

『戦争と外交の世界』 出口治明・著

僕たちひとりひとりは、単なる揺れる草木の一本かもしれません。しかし、どこの国でも市民みんなが賢い草木になれば、軽はずみに隣国の指導者をポカリと殴るような支配者が、選ばれることは少なくなるように思います。戦争と外交の歴史は、僕たちの人生の歴史と合わせ鏡のような関係にあるような気がします。
財産や恋人をめぐる争い、横暴で強欲な隣人や上司との人間関係など、それに対応する知恵もまた、戦争と外交の歴史の中に隠されています。
『戦争と外交の世界史』 出口治明・著
(「おわりに」より p430)

「1万2000年前のドメスティケーション(定住し支配する)ことに目覚めて以来、人間はその後の進化がない」で始まり、日露戦争の時に伊藤博文がとった作戦(アメリカに終結の斡旋を依頼)の事例までを紹介している。人類の戦争、殺戮と終結するため、あるいは終結後にとった条約などの外交の成功と失敗、その難しさが書かれている。

古代エジプトとヒッタイト(BC13世紀)、宋とキタイ(11世紀)、帝国とオスマン朝(15世紀)、フランス革命、アメリカ南北戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、と続く。

戦争の終結のための条約の難しさ(双方の思惑が交錯するいい加減さ)、終結のための条約が次の新たな紛争を生じさせる、その繰り返しであることがよく理解できる。

ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとハマス(パレスチナ)の殺戮と同時代に生きている現在、その終結に結びつくためには。政治の責任は大きい。政治家を選ぶのは市民である。

さて。

『但馬日記』 平田オリザ・著

新しい風が吹く
東京から兵庫県の小さな町に移住した理由は「転勤」⁈
文化による地域の再生は可能か?
濃密に語られる3年半の記録!
『但馬日記』 平田オリザ・著 
帯紙より

9月12日に発刊された『但馬日記』。オリザさんから発刊直後に頂き読了。ブログにアップしようと思ったまま日にちが経ってしまいました。語られた3年半の記録の傍には、結構ご一緒させていただいていたので、何をご紹介しようかと逆にハードルが高くなってしまいました。

オリザさんが初めて豊岡に来られることになった市民プラザ主催のワークショップに参加し、ご挨拶したのが最初の出会い。その後の展開が記録されています。

城崎国際アートセンター、小学校のコミュニケーション教育、江原河畔劇場、そしてオリザさん家族と主宰する劇団青年団の豊岡市への引越し、豊岡演劇祭、そして芸術文化観光専門職大学設立、学長就任へと続いていく一連の流れが「日記」として綴られています。

一筋縄ではいかないのが世の常。
その間にコロナ禍に直面し演劇界大打撃を受け、2021年の豊岡市長選の対立構造に巻き込まれていく過程が、生々しく語られています。

「日記」風に語られていますが、地域再生に果たす芸術や文化の役割論、さらに芸術文化観光専門職大学の第1期生を迎える入学式での「学長挨拶」は必読。オリザさんの生き方、哲学が書かれています。

『コモンの「自治」論』 齋藤幸平+松本卓也・編

ところが、「自立・自律・自己責任」を人々に要求する新自由主義こそが、「自治」に必要な人間の「成熟」を阻害しているのではないか、という矛盾、逆説がある。ここが重要なポイントです。
『コモンの「自治」論』
(「新自由主義が損なう「自治」の能力」より p22)

行きつ戻りつの考察ですが、まさに今社会は大きなジレンマを抱えているとも言えます。

新自由主義=「人々の間の平等」<「経済的な自由の重視」
     =公共事業の民営化、小さな政府、規制緩和による市場原理の強化
     =勝ち負けは自己責任。
      生き延びるための「自立・自律・自己責任」が高水準で求められる

自治   =自立・自律した人が責任ある態度がとれる。責任ある主体が「成熟」

と言う構造の中で話は展開していく。

7人の執筆者から異なった視点で考察がなされる。

 

『茶碗』〜茶を飲む器の変遷と多様性

野村美術館開館40周年記念シンポジウム(会場:京都国際交流会館)に参加。
テーマは『「茶碗」〜茶を飲む器の変遷と多様性〜』。

開館40周年と書籍『茶の湯の茶碗』(全5巻)の完結を記念して開催される。登壇者は、各巻の責任編集者。コーディネーターは、野村美術館の谷晃 館長。ただ、第五巻の「楽茶碗」の楽 直入氏は創作活動のため欠席。

まず最初に、谷館長からこのシンポジウムに至るまでの経緯と、登壇者は「まさにこれからの茶碗研究の第一線で活躍することが期待され、今後を担う若手研究者であると紹介される。

第一巻から「唐物(曜変を含む様々な唐物天目)」。「高麗(雲鶴、三島、粉引、井戸、高麗、伊羅保など紹介」。「和物I(桃山期を代表する瀬戸、美濃、唐津などの国焼茶碗を紹介)」。「和物II(仁清、乾山などの京焼、諸国茶陶窯を紹介)」。「楽茶碗(楽家の歴代、田中宗慶、大樋焼などを紹介)」。全部で五巻。各館6930円(税込)。

私的な話題ですが、第一巻「唐物茶碗」の責任編集者の徳留大輔氏(出光美術館学芸課長)と久しぶりの再会。(実は登壇者であるのを知らずびっくり)

2011年に、谷 晃館長の「お茶のルーツを訪ねる雲南省の旅」でご一緒しました。昆明(コンメイ)→西双版納(シーサンパンナ)→大理(ターリ)の茶馬古道を訪ねる。ツインの同部屋だったので、よく話、よく飲み、いろいろと美術品(当時は山口県立萩美術館の学芸員)のことを教えていただいた。

当時のブログ記事(2011年)
昆明
西双版納
大理

懐かしい。
今度、出光美術館にぜひ寄ってみよう。

『天変地異の地球学』 藤岡換太郎・著

面白いことに、4つのプレート、4つの気団、4つの海流が、日本列島を作っているです。すなわち、地球システムでいえば個体、流体、気体が相互に、あるいは複雑に作用して、エネルギーのやりとりをしているのです。そのため、いくつかの災害が連鎖反応を起こしたり、いくつかの天変地異のサイクルが連動したり、と言うことが、世界の中でも非常に高い確率で起こる場所になっていると思われます。したがって、災害が「束になる」状態になりやすいのです。
『天変地異の地球学』 序章:天変地異とは何か (p44)

この数年、いや太古より日本は自然災害に遭い、災害との戦いの歴史とも言えますね。以前、「日本の自然が豊かで美しいのは、災害あるからだ」という話を聞いて、そう言う見方もあるんだと感心したことがあります。

この著書にも「世界でも稀な変化に富む美しい国に、世界でもとりわけ災害が多くなっているのは、このように必然なのです」と言う記述があり、さらに納得。

4つのプレート=太平洋プレート、北米プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート
4つの気団=オホーツク海気団、シベリア気団、揚子江気団、小笠原気団
4つの海流=黒潮(日本海流)、対馬海流、親潮(千島海流)、リマン海流

なるほど、天気予報などでいつも耳にする海流や気団も、俯瞰して整理すると、なるほどそれらに囲まれて複雑に影響しあって、寒気暖気、前線、台風などの発生と進路が決まるんだなとこちらも納得。

最近「プレートテクトニクス」という言葉をよく耳にする。簡単に言うと、地球表面を覆う厚さ数十kmの岩盤(プレート)がマントルの対流によって移動する。その変動により地震や火山噴火などが発生すると言う説。

今回、マントルの対流はなぜ、どのように発生しているのかという解説があり知ることができたのが良かった。それは「プルームテクトニクス」。「プルーム」とはマントルの流れのことで、ホットプルームとコールドプルームがあり、プレートが降下と上昇を繰り返すことになる。

私たちは「豊かな自然」と「多発する自然災害」する日本に住んでいる。
その「恵み」と「脅威」の原理は知っておきたいですね。

現代詩×現代美術×コンテンポラリーダンス(名古屋)

愛知県芸術劇場 小ホールでのコンテンポラリーダンス公演に行く。

ダンスカンパニーのMonochrome Circusの名古屋公演。
「TSUBUTE」と「レミング」の2作品。

コンテンポラリーダンスってどんなものなのか(ある程度は想像していますが)、興味津々で名古屋へ。シェアハウス「江原_101」に住むCAT学生の山瀬茉莉さんが「レミング」に出演する。

「TSUBUTE」は、福島県出身の詩人 和合亮一さんの詩(東日本大震災で被災した時の体験をリアルタイムでツイッターに投稿したものを『詩の礫』として発表)をご本人が朗読し、坂本公成さん(Monochrome Circus主宰、ダンサー)が演出した作品。

「レミング」は、パンデミックの到来を予言したかのような、舞台をダンサーが激しく動き回り、身体同士がぶつかり合う。Monochrome Circusの代表作の一つ。

初めて作者を知り、ほぼ初めて観るコンテンポラリーダンスなのでそれぞれ解説するのは困難なので、リンクをご覧ください。

Monochrome Circus  オフィシャルサイト
和合亮一        オフィシャルサイト  Wikipedia
           『詩の礫』

上演後のアフタートークでは、モノクロームサーカス主催の坂本公成さん、詩人の和合亮一さん、作曲家(作品音楽)の山中透さんが登壇。トークでの発言の一つ一つに、全て納得、大いなる刺激を受けました。

『膚』(はだえ) 岩田奎句集 

ありきたりの身体感覚を彼は言語にしない。
自らの体も心も凌駕する言葉を、力強く選び取る力が
岩田奎にはある、天才とは呼びたくない。
俳壇は今、畏るべき青年をたしかに得たのである。
櫂未知子(表紙 帯 より)

『膚』 岩田奎句集

岩田奎くん。(あえて君と呼ばせてもらお方)

岩田君との出会いは、芸術文化観光専門職大学の学生たちと一緒に、どこに住もうか彼らが悩んでいる時に、私に声がかかった2021年ごろだろう。岩田君は(当時)東大生で、豊岡の演劇のまちづくりに興味を持ち、半年ほど豊岡に引っ越してきて住んでいた。そこで学生同士が出会い、一緒に住もうということになったらしい。

その後、大学を卒業し、大手広告会社に就職して豊岡を離れても、住民票は置いておきたいと、現在もシャアハウス「江原_101」にある。

そんな岩田君だが、彼は俳壇の芥川賞と言われている「角川俳句賞」を史上最年少で受賞。一躍に登場する。そして、記念すべき句集『膚』が出版された。

櫂未知子氏の帯にもあるように、「体も心も凌駕する言葉」で句集は綴られている。(私にはその何たるかを説明することは到底無理。手にとって読んでいただくしかない)

そんな岩田奎君を9月の但馬コネクションのゲストに迎える。それまでに、少しでも彼の句に接し、その何かを感じようと思う。