Fluersheim(フレアースハイム)の古民家

フランクフルト近郊のフレアースハイムの家に泊めていただいた。
この家も友人Bさんの大学時代の友達の家。
(何から何までBさんさまさまの旅である)

1749年に建てた家というから築270年。
日本で言えば、江戸時代「享保の改革」の頃。
(この比較、あまり意味がありませんね)

当然ながら、この地域の重要建造物となっているそうだ。

住人のぺーターさんとピアさん夫婦。
4年前に来日し、私の自宅で抹茶を一服差し上げ、ちょうど開催していた「おんぷの祭典」(豊岡市)のファイナルコンサートにも来てくれました。

泊めていただいている部屋の窓から。
かつては、農機具の倉庫、馬小屋や豚小屋。農作物(小麦や大麦、ジャガイモ)の倉庫であった。

古い建物を今でも生かしながら生活しているペーターさん家族には大いに刺激をいただいた。

プラハ城〜中世から現代へ

フラッチャニ(城地区)を訪れるために、ヴルタヴァ川に掛かるカレル橋を渡る。カレル橋の像の向こうにはプラハ城。

プラハ城正門前のフラッチャニ広場は、2009年にオバマ大統領が核なき世界を宣言した「プラハ演説」を行なった場所として記憶に新しい。

プラハ城内には、宮殿、大聖堂、修道院、貴族の館、牢塔などいくつも見所がある。「通し券」を購入し、入場する。

まずは、目の前にある聖ヴィート大聖堂から。

大聖堂の中に入った途端に、この荘厳な空間に圧倒されてしまう。

ムハが描いたステンドグラス。
ムハ(1860年〜1939年)は、ミュッシャ(Alfons Mucha)のチェコ語読み。

様々な意匠のステンドグラスに見惚れる。

聖ヤン・ネポムツキーの墓。
頭上に五つの星が描かれる。14世紀の聖人。

聖ヴァーツラフ礼拝堂。

大聖堂を出て「黄金の小道」へ。
錬金術師が黄金を作るための小屋があったためにこの名前がついている。
「No22」と書かれている小屋は、かつてフランツ・カフカが仕事場としていた。今は、カフカの本が販売されている。

「ロブコヴィッツ家の宮殿」に移動。

特筆は、なんと言ってもベートーヴェン直筆の楽譜。
7代目ロブコヴィッツ侯爵は、ベートーヴェンのパトロンとしても有名。
交響曲第3番「英雄」は、ロブコヴィッツに捧げられた。

ベートーヴェン「交響曲第4番」「交響曲第5番」の楽譜に、モーツァルト直筆の楽譜も展示されているので、思わず長時間立ち止まってしまう。

宮殿からプラハほぼ全域の眺め。

プラハ城からの帰りは、マーネス橋を渡ってユダヤ人街へ。

橋を渡るとドヴォルザーク・ホール。
ホールの前に建つドヴォルザーク像。

夕焼けを見ながら交響曲第9番《新世界》の第2楽章を口ずさむ。
♪遠き山に ♪日は落ちて
(あまりにもピッタリとハマってしまいました)(^ ^)v

プラハ街歩き〜建築が面白い

プラハ街歩きを開始。何と言ってもまずは、ヴァーツラフ広場へ。
その突き当たりにある「国立博物館」。
(1回目のプラハ訪問時に入館。今回は時間の都合外観だけ)

ヴァーツラフ広場の「ヴァーツラフ像」。

ヴァーツラフ広場は、チェコ現代史のシンボル。
1968年「プラハの春」で民主化を叫んだ市民をソ連のワルシャワ条約機構軍が侵攻し、弾圧。1989年の「ビロード革命」でも、この広場に市民50万人が集まり、民主化を実現した。

プラハの街には、中世ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、アール・ヌーヴォー、アール・デコの様式の建物が目白押し。建築を観て回るだけでも訪れる値打ちがある。

まだまだある。

私にとって特別なウィーンの1日

SCHONBRUNNの文字。
地下鉄U4のシェーンブルン駅に到着。

駅から4〜5分歩くと、シェーンブルン宮殿の正門にやってくる。朝9時半と言うのに、もう待ちかねたように続々と宮殿に向かう観光客。

シェーンブルン宮殿は、ウィーンの森の裾野にできた宮殿。16世紀にハプスブルク家の所有になり、以後手を加えられ、18世紀には、マリア・テレージアによって大規模に改築された。

圧倒される建築、室内、宝物、絵画など、いくら頑張っても要約して書くことなど到底無理。もちろん撮影ダメなので、どう考えてもここで紹介できないのが悔しい。

シェーンブルン宮殿の裏手(と言っても広大な庭園)にある「ネプチューンの泉」

庭園の丘の上に建つ「グロリエッテ」。(対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊のために立てた記念碑)

ここのチケットも購入していたが、シェーンブルン宮殿の見学に時間がとられて、次の約束時間に間に合わないので見学は断念。
(「もう一度来なさい」と言うことにしておこう)

「約束」と言うのは、昨夜オペラ座で鑑賞したウィーンフィルのチェリストのシュテファンが、自宅の庭でバーベキューしようと、誘ってくれたこと。

シェーンブルン駅から2つ先の駅で下車。静かな住宅街だ。ウィーンの旅行客はたくさんいるが、ウィーンでのバーベキューを経験する人はなかなかないんじゃあないかと、少し自慢したくなる。

気持ちのいい庭だ。

シュテファンが焼き係。奥様は日本人のMさん。Mさんはヴァイオリニスト。現在は3人の子供たちの子育て中。

そこへ、同じくウフィルのチェリストのセバスチャンが家族で遊びに来る。こちらも男の子2人の子育て家族。

世界中を回って演奏活動するウィーンフィル。だからシュテファンもセバスチャンも家を留守にすることも多い。こんな家族との時間が大切なんだろう。ともかく元気のいい子供たちだ。

シュテファンもセバスチャンも日本が大好き。次回の来日での再会を約束して記念撮影。時間があれば、豊岡にも遊びに来てもらおう。

フォルクスオーパー歌劇場。

オペラ座に次ぐ、ウィーンで2番目に大きな歌劇場。約1500名入る客席。バレエ公演やオペレッタも上演される「大衆オペラ座」と言う意味らしい。

オペラ座に比べ、こちらはもっと市民に身近な感じがする。実際に来ている人たちは、夫婦、子供づれ、ちょっと聴きに行こう、みたいな片意地はらずな雰囲気がとてもいい。

今日はヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」。

招待してくれたのは「子供たちが豊岡で世界に出会う音楽祭」(兵庫県豊岡市)で毎年、豊岡に来るチェリストのマイケル・ウィリアムズさん。(写真中央やや右のチェリスト)

ウィーンに来て、オペラ座で「ドンパスカーレ」(ドニゼッティ作曲)とフォルクスオーパーで「こうもり」(ヨハン・シュトラウス2世作曲)の2本のオペラを、しかも、最高の席で鑑賞できるなんて、なんと言う贅沢で幸せな時間。ウィーンに、そしてウィーンの友人に大感謝!

「建築の日本展」〜森美術館15周年記念展

「建築の日本展」森美術館15周年記念展チラシより

「日本の建築展」ではなく、「建築の日本展」。つまり、建築を通して日本文化、日本人の美意識、生活感を検証する試みが興味深い。

六本木ヒルズ・森美術館で開催されている「建築の日本展」に行ってみた。

撮影が許可されているのは、指定された5ヶ所の対象物と、それぞれの展示物の横にあるキャプションのみ。

北川原温《ミラノ国際博覧会2015日本館 木組インフィニティ》

全体は、9つのテーマによって構成されている。

01 可能性としての木造
02 超越する美学
03 安らかなる屋根
04 建築としての工芸
05 連なる空間
06 開かれた折衷
07 集まって生きるかたち
08 発見された日本
09 共生する自然

待庵(制作:ものつくり大学/2018年)

原寸大で再現された茶室「待庵」。

いつか行ってみたいと思いながらまだ実現していない千利休が作ったとされる「待庵」(京都府大山崎町)。

2畳の空間を味わってみる。

丹下健三研究室《香川県庁舎間仕切り棚》

テーマ「04 建築としての工芸」。

建築コンセプトと家具がどのように結びつき、補完したり、主張したりしていることが解って興味深い。

丹下健三《住居(丹下健三自邸)》製作監修:森美術館、野口直人 製作:おだわら名工舎

「05 連なる空間」では、桂離宮などの古建築を再解釈し設計されたという丹下健三の自邸(1953年、現存しない)を1/3スケールで再現。

部屋の繋がり、廊下、光と風がどのように通ったのだろうかと興味津々。

象設計集団《名護市庁舎》

ありました!

象設計集団の代表作「名護市庁舎」(沖縄県名護市)の紹介キャプション。作品の粘度模型、図面などがあるが、撮影できないので紹介できないのが残念。

齋藤精一+ライゾマティクス・アーキテクチャー《パワー・オブ・スケール》

古建築から現代建築まで、日本建築の内部空間を3Dで原寸再現するインスタレーション。細い線でスケールが表示されたり、移動したり、拡大したり、実際には味わえない空間感覚が表現されていて面白い。

タイトルである「建築の日本」。
建築を通して日本文化を考えてみるということにとても示唆に富んだ展覧会でした。ぜひ、行ってみてください。

森美術館(六本木ヒルズ)
『建築の日本展』〜その遺伝子のもたらすもの
“JAPAN in ARCHITEKTURE”  Genealogies of Its Transformation
2018.4.25 – 9.17

ちょっと「象設計集団」に立ち寄って

象設計集団の事務所に寄ってみた。

小田急線の喜多見駅から瀟洒な住宅街を通り抜けること約10分。細い通りが交錯している場所にあある。庭も含めるとほぼ四方から風が吹き抜けることのできるそうで、気持ちが良い。

設計、図面をひく部屋の奥には「サンルーム」がある。ガラス天井を通して庭の大きな木が見える。これまで東京の事務所だけでも4〜5回移動している(私はそのどの事務所にも訪問)が、共通項は、土や緑が近いこと。実際に庭があったり、木々を眺めたり、風通しの良いこと。「自然を感じる」ことにこだわりがあるのでしょう。

思えば、私の自宅の設計を依頼するために初めて象設計集団を訪ねたのが1987年。今からもう31年前のこと。当時は中央線の東中野にあり、やはり庭のある古い住宅を改装して事務所にしてあった。以降、家が完成する1992年の間に、事務所が北海道の音更町(帯広郊外)の廃校になった校舎に移転。私はその両方を訪ね、象設計集団の人たちとあう。もちろん設計の打合せであるが、温泉に行ったり、バーベキューしたり、近くの湖に行った理、よ〜く「遊んだ」もんです。だから自宅建築に5年かかったって?(そうかも知れない)^ ^

タイルを砕いてモザイクを作った時のお話

今回は、象設計集団の富田玲子さんに会いに。私の自宅を設計していただいた富田さん。象設計集団の設計スタイルは、複数のメンバーで協働しながら行うこと。でも、その根幹となるコンセプトから始まって、富田さんが一貫して設計に関わっていただいた。

ということで、富田さんとは30年を超えてお付き合いしていただいていることになる。昨年、我が家でお会いして以来1年ぶり。お願いしたいことがあって訪問しました。