台湾へ〜喜びの再会

ドイツ滞在中に台湾出張の予定が入る。帰国後まもなく、台湾のビジネスパートナーとの急ぎの打合せが必要となった。

前回2016年3月、仕事とプライベートの用事を兼ねて滞在していた台湾(台北)で九死に一生を得る大事故にあった。(日課の早朝ウォーキング中、横断歩道で車に跳ねられる大事故。その後1年間は療養)。この2年半、「生かされた」自分と向き合ってきた。

そして、再び台湾へ。

前回もこのメンバーに加えて、その家族、友人たちと楽しく夕食を共にした翌朝のことであった。私の事故で大きな衝撃を受け、台湾での入院中は毎日お見舞いにきていただいた。

今回の再会は、お互いに言葉にならない、言葉に出せない、言葉に出さない、感慨深いものとなりました。

私もまだこの瞬間をどう表現したらいいのか戸惑う。
ともかく心配してくれた人たちに、再び元気を取り戻せた自分の姿を見せることができたことは、何よりもの喜びでした。

本格的な秋がじわじわとやってくる

9月下旬からのドイツの旅を終え、その間の仕事関連の郵便物や書類のチェックを終え、久しぶりに庭をチェック。

まず目を引くのは、鮮やかな白い花を咲かすシュウメイギク。秋の花にしては明るく元気溌剌と言った感じで嬉しくなる。

庭の紅葉は、まだまだこれから紅葉といったところ。
冷え込みと同時に、これからみるみる紅くなって行くのが、楽しみだ。(そも後の清掃が待っているが)

裏庭の塀の蔦。
毎年、黄と紅が混じり合った美しい表情を見せてくれのを楽しみにしているが、今年はどうも元気がない。猛暑のせいか。

こちらは、いち早く紅葉するナツハゼ。
ブルーベリーの紅葉と競うように紅くなる。
どうも今年の紅葉は、ナツハゼに軍配が上がる。

『ベートーヴェンの生涯』青木やよひ・著

その研究の過程で、極めて人間的で徹底した自由人で会ったベートーヴェンの相貌に接した私は、陰鬱なウィーンの場末で生涯を過ごした「陰気で悲劇的な英雄」という従来のベートーヴェン像を一掃したい思いに駆られた。シントラーの捏造やマリアム・テンガーの偽書にもとづいてこうした誤ったベートーヴェン像を世界的に流布したのは、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』に他ならなかった。戦後の一時期、ロランから生きる力を与えられた私にとって、彼を批判することは辛いことであったが、先入観の恐ろしさを自戒するためにも、本書ではあえてそれを行った。
『ベートーヴェンの生涯』 青木やよひ・著(「あとがき」より p289)

今回のドイツ訪問の目的の一つは、ベートーヴェンを訪ねることだった。2年半前の台湾での交通事故により私自身の左耳聴力が半減し、耳鳴りと戦った日々を体験。治療の間、聴力を失ったベートーヴェンの苦悩を思いながら過ごしました。遺書を書いたというハイリゲンシュタットを訪ねてみたかった。

動機はともかく、交響曲第6番《田園》やヴァイオリン ソナタやピアノ ソナタが大好きな曲なのでよく聴いていた。一度、その作曲の舞台となったウィーンへ行き、確認したいと思っていました。

そんな折に読んだのがこの著書。

著者の青木さんは、人生の50年以上をかけて、諸説あり謎とされていたベートーヴェンと相思相愛の女性は誰か、を追い続けた人。執念とも言えるその探求の過程でベートーヴェンの人となりを明らかにしていく。

現地を何度も訪れ、丁寧に貴重な一次資料を解読し、研究者を数珠つなぎのように訪ねた情熱は特筆もの。

ベートーヴェンのファンなら一読すべき、本と言える。

ベートヴェンとモーツァルトの直筆スコア

ベートーヴェン直筆の楽譜。

プラハ城内のロブコヴィツ宮殿内にある博物館所蔵。ロブコヴィッツ家は代々芸術家のバックアップを行ってきた。多くの絵画や、特筆すべきは、ベートーヴェンやモーツアルトの直筆の楽譜や、ベートーベンが曲を提供した時に受け取った領収書(?)もあったりする。

交響曲第4番(?)の表紙。
サインもあり。

ベートーヴェンの直筆サインが大きく。

こちらはモーツァルトの直筆スコア。
ヘンデルのメシアをモーツァルトが編曲したもの。

こんな楽譜が見られるなんて全く予備知識がなかったので、驚きと感動とで、とうとう閉館まで立ち止まってしまいました。
(私が最後の客なので、係員の方がすぐ後ろに立っていました)

なんかミーハーっぽいけど、鳥肌モンでした。

ライン川の流れと共に〜ドイツ・ウィーン・プラハの旅

近ずく旅の終わりにライン川の村を訪ねる。
リューデスハイム(Ruedesheim)。

ゴンドラリフトで山頂へ。
見渡す限りのブドウ畑。

 

山頂からのライン川。

ドイツは森の国だと実感する小道。
(リューデスハイマーから隣町アスマンスハウゼンへ)

ドイツ統一のシンボル「ゲルマニアの像」(1883年建立)

地元産のブランデーを注いだリューデスハイマー・カフェ。
(かなりブランデーがたっぷり)

帰りは船で、アスマンスハウゼンからリューデスハイマーへ、「ライン川上り」

いよいよドイツともお別れが近ずく。
宿泊させていただいているペーターさんの家からすぐのワイナリーへ。

ミュンヘンのビールで始まった今回のドイツ・ウィーン・プラハの旅の最後は、フランクフルト近郊のフレアースハイムのワインでお別れだ。

自転車のツーリング途中で一杯。
と思ったら、馬でやって来て一杯。
こんな豊かでお洒落な風景ってあるんだね。

フランクフルト空港へ向けて着陸体勢の飛行機が次から次へ。

滔々と流れるライン川、雄大に沈む夕陽。
今回の旅で会ったすべての友人を思い出しながら眺める。

一緒に旅をした親友Bさんに最大の感謝を込めながら家路に。

Fluersheim(フレアースハイム)の古民家

フランクフルト近郊のフレアースハイムの家に泊めていただいた。
この家も友人Bさんの大学時代の友達の家。
(何から何までBさんさまさまの旅である)

1749年に建てた家というから築270年。
日本で言えば、江戸時代「享保の改革」の頃。
(この比較、あまり意味がありませんね)

当然ながら、この地域の重要建造物となっているそうだ。

住人のぺーターさんとピアさん夫婦。
4年前に来日し、私の自宅で抹茶を一服差し上げ、ちょうど開催していた「おんぷの祭典」(豊岡市)のファイナルコンサートにも来てくれました。

泊めていただいている部屋の窓から。
かつては、農機具の倉庫、馬小屋や豚小屋。農作物(小麦や大麦、ジャガイモ)の倉庫であった。

古い建物を今でも生かしながら生活しているペーターさん家族には大いに刺激をいただいた。

ケルンとハイデルブルクを訪ねて

ケルン大聖堂。
(外観の写真がない。iPhoneでは撮ってるのにPCに同期してない)(>_<)

フレアースハイム(フランクフルト近郊)の家を拠点に近隣都市を訪ねる。

530段の垂直螺旋階段を決死の思いで登り切ったので、ハアハア言いながらの眺望。

大学の町ハイデルブルク。ライトアップされたハイデルブルク城。

ハイデルブルク大学は、友人Bさんの母校。
ドイツで一番(世界で二番目)に古い大学。ノーベル賞受賞者もたくさん輩出している名門大学。

彼女が学んだ教室のある建物、住んでいた寮などを教えてもらいながら見学。大学の建物と言っても、町の中にある建物はほとんどが大学の教室や図書館や学食などになっている。(キャンパスではなく町そのもの)

Bさんが学生時代によく利用したレストラン。
壁には、古き時代からこのレストランを利用した学生達の額縁に入った写真がぎっしり。テーブルにも壁にも、落書きだらけ。学生の町を実感。

つい自分の大学時代を思い出しながらビール。

(この期間の写真が同期されず。写真の追加が必要だ)

シュヴァインフルト(Schweinfrut)〜充実の2日間

ドレスデンからシュヴァインフルトへはレンタカーで。
借りるのなら、せっかくだからベンツ。

ドレスデンから2時間程でザールフェルト・サーレ(Saalfeld Saale)へ到着。
一緒に旅するBさんの友人宅にお邪魔する。
Bさんの友人Mさんは弁護士、そのご主人のPさんは機械部品を作る会社に勤め、今は引退。
Pさんの趣味(それをはるかに超えていますが)は、クラシックカーのレーサー。古い中古車を手に入れ自分で完成させてレースに出る。

お昼をご馳走になったので、お礼にお茶を一服、振舞う。

アウトバーンを真っしぐら。
沈む夕陽が美しい。

いたるところに風力発電の風車がある。
ドイツは、2022年までに全ての原発を停止する。

夜7時過ぎにシュヴァインフルトに到着。

シュヴァインフルトは、一緒に旅するBさんの生まれ故郷。
さっそく、お兄さんや幼なじみ友人と合流。
ワインで乾杯。

泊まっているホテルは、元・地元金融機関の古い建物。
(オーベルジュ豊岡1925と言ったところか)
改装して、とても快適なホテルとなっている。大金庫や部屋のあちこちに銀行だった名残りが上手にレイアウトされている。

シュヴァインフルトから車で40分ぐらい郊外に出ると、ワイン畑が続く。
フォルカッファ(Volkach)にあるマリアの教会(Maria im Weingarten)。

マリアの教会から車でさらに10分ぐらいでNordheimの山城にあるワイナリー。

山城から観る眺めは最高。ワインも最高。気分も最高。

山城から歩いて下山(丘?)。
さらにBさんの友人夫婦が加わってワイン。
ワイン農家が、ある一定時期(収穫後、1ヶ月程度)、特別の許可をとって、自宅でワインを振舞う。特別なワインの味は格別だ。

シュヴァインフルトの動物園。
前回来た時も思ったのですが、24時間オープンなのが不思議でならない。
入場料はもちろん無料。市が管理している。
森の中で大きな面積のスペースが与えられ、動物たちはとても生き生きしているようだ。

コウノトリならぬシュバシコウ。
コウノトリの郷公園と姉妹提携できれば、自然環境をテーマに相互訪問し、意見交換するのもいいかも。

いよいよシュヴァインフルトを離れる時が来た。
郊外に住む兄Dさんの家に立ち寄る。
ちょうど収穫祭のパレード。村の広場ではそれぞれの村の伝統的な服装でダンスが繰り広げられる。ビールにワイン、出来上がる直前のワインなど、みんなガブガブと楽しそう。偶然のタイミングでラッキーな時間を過ごす。

次の目的地フレアースハイム(Fluersheim)に到着。
着陸体勢に入った飛行機が次々と飛んでいる。
フランクフルトから30分ぐらいの町に到着。

ドレスデン〜東ドイツ復興の町

ドレスデン駅に到着。
プラハから鉄道で再びドイツへ。
(鉄道の旅は本当に楽しい)

ホテルにチェックインして、さっそく散策へ。

ツヴィンガー宮殿。
17世紀、ザクセン王フリードリッヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)の時代に建てられる。バロック建築。

 

ツヴィンガー宮殿内にある「アルテ・マイスター絵画館」へ。

『聖母子と聖ヨハネ』(ボッティチェリ)

『The Virgin and Child with the Young Saint John the Baptist』
(ボッティチェリ)

『遣り手婆』(フェルメール)

ヤン・ブリューゲル(父)

ツヴィンガー宮殿を出てエルベ川へ向かう途中にある「三位一体大聖堂」。
ザクセン州最大の教会建築。
亡きアウグスト強王の心臓が銀製の小箱に保存安置され、美女がそばを通り過ぎると鼓動を始めると伝えられている。

レジデンツ宮殿の中庭には『君主の行列』が描かれている。
戦災から奇跡的に残った。

第2次世界大戦の空襲で壊滅したドレスデン。ツヴィンガー宮殿も教会も破壊された瓦礫を使って再建され、それは今も続いているという。

プラハ城〜中世から現代へ

フラッチャニ(城地区)を訪れるために、ヴルタヴァ川に掛かるカレル橋を渡る。カレル橋の像の向こうにはプラハ城。

プラハ城正門前のフラッチャニ広場は、2009年にオバマ大統領が核なき世界を宣言した「プラハ演説」を行なった場所として記憶に新しい。

プラハ城内には、宮殿、大聖堂、修道院、貴族の館、牢塔などいくつも見所がある。「通し券」を購入し、入場する。

まずは、目の前にある聖ヴィート大聖堂から。

大聖堂の中に入った途端に、この荘厳な空間に圧倒されてしまう。

ムハが描いたステンドグラス。
ムハ(1860年〜1939年)は、ミュッシャ(Alfons Mucha)のチェコ語読み。

様々な意匠のステンドグラスに見惚れる。

聖ヤン・ネポムツキーの墓。
頭上に五つの星が描かれる。14世紀の聖人。

聖ヴァーツラフ礼拝堂。

大聖堂を出て「黄金の小道」へ。
錬金術師が黄金を作るための小屋があったためにこの名前がついている。
「No22」と書かれている小屋は、かつてフランツ・カフカが仕事場としていた。今は、カフカの本が販売されている。

「ロブコヴィッツ家の宮殿」に移動。

特筆は、なんと言ってもベートーヴェン直筆の楽譜。
7代目ロブコヴィッツ侯爵は、ベートーヴェンのパトロンとしても有名。
交響曲第3番「英雄」は、ロブコヴィッツに捧げられた。

ベートーヴェン「交響曲第4番」「交響曲第5番」の楽譜に、モーツァルト直筆の楽譜も展示されているので、思わず長時間立ち止まってしまう。

宮殿からプラハほぼ全域の眺め。

プラハ城からの帰りは、マーネス橋を渡ってユダヤ人街へ。

橋を渡るとドヴォルザーク・ホール。
ホールの前に建つドヴォルザーク像。

夕焼けを見ながら交響曲第9番《新世界》の第2楽章を口ずさむ。
♪遠き山に ♪日は落ちて
(あまりにもピッタリとハマってしまいました)(^ ^)v