「がっせぇアート展」が10周年を迎えた

記事にするタイミングを逸しましたが、先日10月6日まで(豊岡稽古堂にて)、10月9日まで(但馬13ヵ所の展示場所)にて、「がっせぇアート展10周年記念展」が開催された。「がっせぇアート」を主宰している茨木ご夫妻とは30年以上のお付き合い、娘の朝日ちゃん(「ちゃん」ではなく「さん」だな)の作品もずっと小さい時から観てきた。

NPO法人を立ち上げ、さらに積極的に活動されているのは凄いことだといつも鑑賞させていただいている。東京・表参道でのアート・ストリート展でギャラリーを紹介させていただいたことが、楽しい思い出。

新しい作者も加わっているという。毎回、カラフルで、緻密で、おおらかで、ユーモアがあって、驚くようなアイデアで、仰天してしまう、素晴らしい作品が鑑賞できるのが楽しみです。

展示の仕方を工夫すると作品が全く違った魅力を発揮するのでは、人の胸を打つ作品として評価も上がるのでは、とそんな可能性を思いながら鑑賞しました。

※ 特定非営利活動法人がっせぇアート

Amazon Prime DayとNAKATA HANGER

週刊ダイアモンド(9/28号)。
特集「アマゾンジャパン〜20年目の破壊と創造」のトップ記事として、
NAKATA HANGERが紹介されました。

7/15〜16日の2日間(48時間)開催された世界同時開催の「Amazon Prime Day」で大きな反響があったことが記事になりました。「48時間で前年同月比で3倍の売上」という驚異的な販売実績を残すことができました。

これは今年度は、アマゾンジャパンが「世界に通用する地方企業」にスポットをあてるという戦略の中で、NAKATA HANGER(中田工芸)を指名していただいたことも大きなインパクトがありました。アマゾンジャパンの担当部長との共同記者会見も行い、大々的にアピールしていたことも功を奏した。

一方、「破壊」という部分では、アメリカでは、この3年間で1万店減、〜2026年までに、さらに75000店舗が閉店するとの予測」(日経新聞、9/23)がでている。いわゆるアマゾン・エフェクトである。アメリカの後追いをする日本市場の数年後を暗示している。いや、5年後には日本の小売・流通市場の風景はすっかりと変わっている、と認識していることが大切だと思う。

“shuffleyamamba”〜余越保子ダンス作品

久しぶりに観た本格的な舞踏(私はそう呼びたい)と音楽と映像が入り混じったパフォーマンス。学生時代に観た芝居や暗黒舞踏、音楽とパフォーマンスの公演を思い出す。

演出は余越保子氏。3年前にKIAC(城崎国際アートセンター)で滞在創作活動をしている時に訪れた「永楽館」に興味を持ち、以来、この舞台を想定して制作・演出したのが今回の演目。

公演後のトーク。(左から2人目が余越保子さん、3人目がゲルシー・ベルさん)

英訳された古事記にヒントを得て制作した『SHUFFLE』(2003年、ニューヨークで初演)と世阿弥の「山姥」のストーリーをシャッフルさせるという試み。日本の古典芸能における女性像をテーマに繰り広げられる。

実際に出演し、共同演出、音楽を担当したGelsey Bellさんの音楽も素晴らしかった。効果音、役者の背中に縛り付けた小型ラジオ(スピーカー)から流れでる音。ゲルシーさんの歌、謡曲、どれも面白く、素晴らしい。パフォーマンスと音楽とが高度に結びついた見事な舞台だった。

「但馬から世界へ」豊岡ロータリークラブでスピーチ

現・豊岡ロータリークラブ田中会長

豊岡ロータリークラブでゲストスピーチ。いただいたお題は「但馬から世界へ」。今回は2008年に続いて2回目のスピーチをさせていただく事になる。前回は、会社の歴史、内容を中心にお話をしたので、今回は、弊社でこの3ヶ月内に起きた実際の実例を紹介しながら、お話をさせていただく。

Amazon Prime Dayでの驚異的な売上、新規ホテル開業ラッシュ、ユニクロのオーダースーツ販売でのコラボ、海外進出など、弊社の最新の話題を紹介。今、経営環境、流通、経済の仕組みが大き変化していることを知っていただければとの思い。

最後の時間は、先日訪問して感銘を受けた「能作(株)」(富山県高岡市)の「産業観光」(モノづくりの現場を見学する観光)実例、2021年4月開校予定の「観光と演劇の専門職大学」と民間企業との関係をどう築くかなどの私見を述べさせていただく。

古い台北、新しい台北(Taiwan#5)

清の時代の街並みが残る「迪化街」(ディーホアジエ)。
この猥雑な台北のストリートに来ると生活感プンプン。楽しい気分になる。

こちらは、現代の台北、「台北101」。
高さ508m、地上101階。

台湾のビジネスパートナーの家族と一緒に、最上階のレストラン『頂鮮餐廳台北店』(ディンシェン)で食事。感謝の気持ちで台湾訪問を締めくくる。

坪林(ピンリン)地区の茶畑訪問

台北市から東へ高速道路で1時間足らずにある坪林地区を訪問。茶の産地で有名。3年前の台湾訪問の目的は、この坪林の茶畑を訪ねることだったが、直前の私自身の交通事故で実現しなかった。3年越しの思いが叶った。

この坪林地区の茶畑再生のシンボルは現在絶滅危惧種の「ヤマムスメドリ」。過疎、後継者難、自然環境悪化などの理由で廃れゆく坪林の茶栽培復活を掛けたプロジェクトのシンボルとなっている。

コウノトリの野生復帰に成功し「コウノトリ育むお米」で経済波及効果もある豊岡市の取組みを参考にするために始まった坪林再生(台湾大学)と豊岡市の交流がきっかけ。

茶生産農家を訪ね、茶の生産現場を見学、坪林茶業資料館では、茶のルーツ、世界各国のの茶文化の歴史的な普及とその茶作法の説明を聞く。地元の茶農家、地区の行政関係者、販売者の人たちとランチ。そして、坪林区の役所で歓迎を受ける。

3年前の交通事故現場〜台北市内

3年前の交通事故現場に行ってみる。
2016年3月11日、朝6時57分にこの横断歩道を渡っている時に、左折してきた乗用車に撥ねられ救急車で病院に運ばれた。(おそらく)右後方から左折してくる車のボンネットにフワッと乗せられる格好で空中を飛び、頭から地面に落下したものと思える。
(私自身の視界には車はなく、その直後に意識不明になったので詳細の実感はない)
(リンクした記事は、後日、その直前の記憶を頼りに書いたもの)

日課の朝のウォーキングで1時間近く歩き、泊まっているホテルに帰る直前であった。私自身の記憶はそれぐらいで、どの交差点なのかは不明だった。当時、一緒に来ていた妻が入院中の世話と警察との現場検証(路上ビデオ記録のチェック)を行ってくれた。

私が想像していたより狭い道。信号青で横断歩道を余裕を持って渡っていたところでこの事故にあった。その後2週間台湾の病院に入院し、飛行機に乗っていいかどうかの医師の判断を得て帰国。それからすぐに手術となった。

中山北路の東側歩道を南に向かっていた。
道路の上の青い交通表示には、「7:00〜9:00 直進のみ」の表示。つまり、左折・右折はできないので、時間を気にしながら左折して来たのだろう。

自身の記憶にない部分をどうしても確認したかった。ただ、それだけ。
その後、相手側とは1年掛けて「事故補償」の交渉を行なう。台湾の日本語ができる弁護士と契約し、円満にそれは解決した。

事故直後の入院中の思いは、相手を恨んだり、ウォーキングを後悔したり、ではなく、むしろ「何が起きるかわからない人生、生きていることの感謝の気持ち」が湧いてきた。
私の心の中で味わった不思議な感情であった。

故宮博物院とコウノトリ野生復帰紹介のイベント

今回のホテルは、Grand Hyatt(台北君悦酒店)。ビジネスパートナーのWさんのオフィスに近い場所にある。台北101のすぐ隣にある便利な場所だ。

まず、故宮博物院。妻が茶道、煎茶を熱心にやっているので、すでに何度か訪れているが、鑑賞したいものは尽きないのが故宮博物院。

私自身は収蔵品を観ながら、前漢・後漢、隋、唐、北宋・南宋、元、明、清の中国の歴代王朝の時代を復習してみよう、今回のテーマだ。

午後は、台湾大学に置けるシンポジウムに参加。
台湾大学農業陳列館主催で展示は12月まで、その初日には、豊岡市長中貝市長とコウノトリ文化館の高橋館長が豊岡市の取り組みを紹介する。

事前に、発表原稿(パワポ)も送付し、文字は中国語。念入りな準備を行い、素晴らしいプレゼンでした。

同時通訳は、台湾大学卒業し現在京都大学の大学院に留学中の江さんが担当。江さんは、4月の但馬コネクションのゲストとしてお招きしたことがあります。これまでのいろんなご縁で繋がっているのを実感。

国を超え、人が繋がり、自然と野生生物の保護活動を通じて、これからの地球環境を考えさせられる会議でした。