『劇的なるものをめぐって』〜鈴木忠志とその世界

学生時代に読んだ『劇的なるものをめぐって』、「トロイアの女」(1977年)「バッコスの信女」(1978年)岩波ホールでの上演チケット半券。

異形と異境
演劇とは、精神の荒野からはるばると異形をしてやってくるものであり、
安易な対象化をきっぱりと拒絶するような本質を伴っている。
それは語られるものではなく、生きられる世界のことだ。

実生活では解決できず、しかも常に人間に迫られている問題がある。
その永遠に解決しない問題の渦中を生きるもの ー それが芝居である。

『劇的なるものをめぐって』(早稲田小劇場+工作舎 編、1977年発行)p6

上記は『劇的なるものをめぐって』の冒頭文。
ページを開くと、一気に学生時代にワープ。
「懐かしい!」と言っては、鈴木忠志さんに叱られそう。

学生時代には、演劇論、肉体表現、精神分析、文明論、哲学などいろんな本を読んでは、友人と議論をしたものだ。
(「経済学はないの?」というツッコミはなしですよ)

『劇的なるものをめぐって』最初のページ。初心生涯(今回の鈴木さんにいただいたサイン)

学生時代に観た、鈴木忠志・演出「早稲田小劇場」の芝居ですっかり演劇の虜になった。

寺山修司の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場(赤テント)」、佐藤信の「劇団黒テント」、「つかこうへい事務所」野田秀樹の「夢の遊眠社」など。
笠井叡、土方巽(没後の映画)、田中泯など。芝居も舞踏もよく観た。

これぞ、私にとっての「劇(激)的なるものをめぐって」(自宅にて)

2014年5月に早稲田大学大隈講堂にて、鈴木忠志氏の講演会を聴いた。
「早稲田小劇場どらま館」オープンを控えた記念講演。
テーマは、「演劇の社会的使命」だった。

印象に残ったこと(私のメモより)
・ 日本のアイデンティは何か?日本の西洋化が正しかったのか?
他人との差異、異質なるものと出会う中で考える。演劇はその手段である。

・ 2600年前に演劇が始まる。集団・言葉・身体は、歴史性を持ったもの。
私はどこから来て、どうなって、どこへ行くのか?⇨演劇という形式を通して考える

・ 自信がないとダメ。自信とは、人の前に立つこと、国、民族を背負うこと。

・ 戦後の経済成長により、我々の身体が変わる→精神が変わる→
生活スタイルが変わる

・ 現在の危機 → コミュニケーションシステムが変わった
→言語が変化している(脱・身体化)

・ サン=テグジュペリの言葉
「子どもは生まれたところが故郷、大人は死んだところが故郷だ」
鈴木忠志曰く「芸術家は、心の中に故郷がある」

お帰りになる前に、自宅にちょっとだけ寄っていただきツーショット。
これぞ、私にとっての「劇(激)的なるものをめぐって」。

厚かましくも、テーブルにもサイン。
全部で3つもサインをいただいてしまいました。
ありがとうございました。>鈴木さん

今度は利賀村に参ります!

“『劇的なるものをめぐって』〜鈴木忠志とその世界” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です